映画化で話題のコリーン・フーヴァー著「ヴェリティ」と東野圭吾著「白鳥とコウモリ」。
「ヴェリティ」は映画公開がまだ少し先のせいか、すぐに借りられた。「白鳥とコウモリ」は予約が33人くらいだったけれど、市内の図書館には蔵書が17冊もあったので、実質2番目くらいだな、と思って予約。1か月くらいで借りられた。
「ヴェリティ」はねえ、ちょっと、あんまりおもしろくなかったです。ロマンス小説なので、頻繁に女性目線の性描写があって、これが私は苦手。で、ストーリーの方もそんなにおもしろくなかった。アメリカはロマンス小説が非常に盛んで、ファンが多いようだけど、日本ではそれほどではない気がする。
「ヴェリティ」は映画が東京国際映画祭で上映されるというので、図書館での予約が増えているようだ。私が借りたときはそんなでもなかったのだが。ていうか、入っている図書館がすごく少ない。
「白鳥とコウモリ」は、ラノベと言われている東野圭吾作品だけど、確かに人物描写が薄く、会話とストーリーで話が進んでいく。映像化前提で、人物の掘り下げとか背景描写とかは映画やドラマにお任せ、なんだろうなって感じはした。
しかし、加害者の家族の問題は「手紙」に通じるし、(ネタバレ)子どもの邪悪な面とその背景は「白夜行」に通じるかもしれない。
とりあえず、じっくり読まなくても筋書きだけ追っていけばいい感じの小説なので、500ページ以上あったけどあっという間に読めた。確かに筋書きはうまい。
「白鳥とコウモリ」映画化のキネ旬の星取り表を見ると、3人の評者のうち、2人は原作を読まずに映画を見ていることが明らか。もう1人はしっかり原作を読んでいるのがわかる。原作を読んでいない人の評は、映画化についての評とは言えなかったり、ちょっと変だったり。やっぱり原作を読まずに映画を批評するのは危険だと認識した。
「ヴェリティ」は人間の邪悪さみたいなものがテーマになっているが、「白鳥とコウモリ」も最後にちょっと、そういうのが出てくる。「ヴェリティ」は本質的にはごく普通の人間が邪悪になっている感じで、「白鳥とコウモリ」も最後に出てくる邪悪さは、やはりそういう感じなのが印象に残った。ネタバレになるが、どちらも最後に出てくるのが子どもの邪悪さなのだ。

