注意! この記事はスサンネ・ビア監督の新作「愛さえあれば」についてですが、ネタバレ大ありです。ご注意ください。
「未来を生きる君たちへ」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞したデンマークの監督スサンネ・ビアの新作「愛さえあれば」は、イタリアで挙式するカップルとその家族の物語。
イギリス人の父とデンマーク人の母を持つパトリックとデンマーク人の両親を持つアストリッドは、パトリックの父が持つイタリアの別荘で結婚式を挙げることにする。別荘のまわりには父が育てたレモンの果樹園が広がっている。
一方、それぞれの親や家族はデンマークからイタリアへと向かう。パトリックの父フィリップは妻を交通事故で失い、今は仕事のことしか頭にない仕事人間。アストリッドの母イーダはようやく乳癌が治ったものの、髪の毛と乳房を失い、転移の不安もあるときに夫の不倫を知り、離婚を決意。そんなフィリップとイーダが空港の駐車場で鉢合わせ、車をぶつけて最初はけんかになるが、新郎新婦の親とわかって一緒にイタリアへ。現地にはイーダの夫がこともあろうに愛人を連れてやってきていて、同情したフィリップとイーダの間に愛が芽生える、という熟年カップルのラブストーリーだ。
別荘にはこのほか、フィリップの亡き妻の妹で、フィリップと相思相愛だと勝手に思い込んでいるKYな女が来ていたり、料理などの手伝いに来ている地元の青年が実は……と、別荘に集まった人々のさまざまな人間模様が描かれる。そして、結婚するはずの若いカップルの間にも亀裂が、という展開になっていく。
スサンネ・ビアの映画としては、この「愛さえあれば」はこれまでの作品に比べてあまり深刻なところがなく、また、奇抜なところやユニークなところもない。つまり、イタリアを舞台に作られた過去のハリウッド映画やヨーロッパ映画とあまり変わらないのである。ストーリーテリングは相変わらずうまいが、結局は中年女性の願望を描いたラブロマンスという感じが強い。イーダを演じるトリーネ・ディアホルムは魅力的だけれど、平凡な普通の中年女性であることが基本。対するフィリップのピアース・ブロスナンは年はとってもロマンスグレイで、平凡な普通の中年男ではなく、中年女性にとって夢やロマンを感じさせる。イタリアに別荘と果樹園を持つ会社社長というのもロマンスの相手役としては魅力であり、平凡な中年男であるイーダの夫とはあまりにも対照的だ。
そんな具合に、物語だけ見れば、これは中年女性のロマンス映画なのだけれど、スサンネ・ビアは、この映画ではロマンスやストーリー以外のところに力を入れている。それは映画の色彩だ。
水色のビルがレモン色に染まるファーストシーン。そして登場する俳優たち。彼らの青い目が、異様に青いのだ。北欧なので目の色が青い人が多く、また、ブロスナンも青い目である。彼らの青い目が、自然な青さではなく、異様なまでに青い。
映画が進むにつれて、特にイタリアへ行ってからは、この青がやたらと画面から浮かび上がる。俯瞰でとらえたイタリアの町のところどころにある青。家や庭にある青い椅子や家具や壁や飾り。そして、登場人物の着る青い衣装。ブロスナン演じるフィリップは青いシャツを着ている。その息子パトリックも青いシャツを着ている。フィリップに言い寄るKYな女(妻の妹)も青いドレスを着ている。そして、イーダの夫が連れてきた愛人もまた青いドレスだ。彼女はアイシャドウも青い。
そんな青い衣装の中で、イーダはイタリアでは一貫して赤を身にまとっている。最初は赤いカーディガン、次に輝くような赤のドレス。しかし、この映画の映像はあくまで青を引き立てる。オレンジ色や黄色が基調のイタリアの風景の中で、イーダのドレスや夕日の赤よりも、一部の登場人物の着る青い衣装や青い小道具が他の色を押しのけて自己主張している。
若いカップルは結局、結婚式をやめてしまい、人々はデンマークへ帰る。暖色のイタリアから灰色の北欧へ。しかし、その灰色の風景の中には、青い作業服を着た男たちがいる。そして、イーダは、デンマークへ帰ると一転、衣装は青になる。もう彼女は赤を着ない。彼女が勤める美容院も青で統一されている。イーダの夫は愛人と別れ、赤いバラをたくさん用意して復縁を迫る。夫も青い服を着る。そこへイーダを忘れられないフィリップが彼女を訪ねてくる。フィリップのスーツも青だ。イーダはいったんはフィリップの求愛を退けるが、夫と別れてイタリアへ行く。
イタリアでは、イーダはレモン色のドレスを着ている。たぶんそうなると思っていた。フィリップは白いシャツを着ている。しかし、レモンの果樹園では、作業員たちが青い箱にレモンをつめているのだ。その青い箱が、箱の青が、画面の中で異様に輝いている。
正直、私には人間模様よりも色彩の方が面白く、そればかり注意して見ていたのだが、スサンネ・ビアはこの映画の青に何をこめたのだろうか?
異様なまでに青い瞳、フィリップの義理の妹やイーダの夫の愛人のようないやな人物に青い衣装を着せたり、何か問題を抱えているフィリップと息子に青いシャツやスーツを着せたり、そしてなにより、デンマークに戻ると青が増えること。イーダさえも青を着ること。青は現実を表し、イタリアでイーダが着る赤は夢を表すのだろうか。
フィリップやイーダたちがイタリアから帰る直前、イーダが立ち去ると、別荘の庭に赤いベンチがあるのがわかるシーンがある。別荘の庭に青い椅子があるのはそれまでに何度も見えていたのだが、赤いベンチがあるのはこのとき気がついた。赤いベンチを去っていくイーダは夢から現実に変える彼女をあらわしているのか。
あるいは、この映画の色彩には、それほど深い意味はないのかもしれない。それでも、ラストの果樹園でも青が強く自己主張しているように、青は人生の中心にあるもの、生活、という意味なのかもしれない。それにしても、この映画の青は、憂鬱という意味のブルーと同じ言葉にしては、輝くほど美しく、しかも現実離れしている。
日本語のタイトルは「愛さえあれば」。英語のタイトルは「Love is All You Need」(あなたに必要なのは愛だけ)。デンマーク語のタイトルはわからないが、英語タイトルと同じだとしたら、これは「愛さえあれば」という意味にもとれるし、「あなたに欠けているのは愛だけ」という意味にもとれる。この映画では、愛さえあれば何もいらない、という意味ではないだろう。