確定申告の税金の計算をしておこうと、エクセルで収入などの計算をしたあと、まだ封を開けていなかった税務署からの書類の封筒を開いてびっくり。
なんと、事業所得の必要経費などの書類が入ってなかった!
なんで? と思って、去年の書類を見たら、その前の年の事業所得、つまり著述業の収入が12万かそこらしかなかったのだった。
つまり、給与以外が20万円以下の場合は申告しないでいい、ということね。
でも、しっかり1割源泉徴収されているので、それは取り戻さねば!
雑所得にしろってことか。
まあ、何がショックだったって、ついに、著述業あるいは文筆業として認めてもらえなくなったのか、ってことです。
その12万かそこらの前の年は翻訳書が出たので、かなりの収入があったはず。が、一転して雑所得に転落か。
わたくしとしては、やはり、著述業、文筆業であり続けたいのです。
そして、本名ではなく、筆名の仕事を続けていきたいのです。
この前は論文書こうとか宣言してましたが(実現の可能性は別)、論文だと本名なんだよね。
しゃあない、BookJapanに書くか、って、そういう言い方はないだろ!(書こう、書こうと思っている書評はあります。)
思えば、私は長い間、非常勤講師と自営業の二足のわらじをはいていました。
そもそも、最初は非常勤講師と予備校の模擬試験の採点料が収入源でした。
そして、29歳のとき、ついに評論家デビュー(というほどのものではないが)。
しかし、評論の原稿料はすずめの涙、映画関係の産業翻訳の仕事を紹介され、そっちの方が収入はよかったという時代が続き、でも、一番多かったのは非常勤講師だったので、評論や翻訳の原稿料は雑所得で申告していました。
それが変わったのが1999年度。つまり、20世紀末。
90年代後半、非常勤講師の仕事が減り、ついに1箇所だけになり、そのかわり、翻訳書を出すようになって、給与所得と事業所得の割合が一変したのです。事業所得の方が多くなり、そうなるともう雑所得では申告できないので、おそるおそる必要経費などを計算し、自営業者となったのでした。
しかし、翻訳出版界は超氷河期。1年1冊本を出すこともむずかしく、おまけに私の性格が災いして、ついに翻訳出版の仕事は皆無に。一時は産業翻訳もやってましたが、こちらも軌道に乗らず、結局、ネットの大学講師の公募に応募して、20回くらい応募して、やっと1つ非常勤ゲット。それから2年後にもう1つ非常勤ゲット。で、大学院在学中から続けている某大学とあわせて3大学で非常勤をするようになり、こうして給与所得中心にまた戻ってしまったのでした。
まあ、大学の非常勤なんて、普通はコネで決まるので、コネなしで2つの大学で採用され、しかもどちらも映画の仕事を評価されての採用なので、本当に感謝しているし、とてもやりがいのある授業をさせてもらっています。だから、この仕事はできる限り続けたい。
でも、やはり、筆名の仕事、著述の仕事、これもここで終わりたくない。翻訳は、もしかしたら私は向いてなくてだめかもしれないけど(あんなにチャンスがありながら、ものにできなかったのは、向いてないのだろう)、著述は続けたいと思っています(ブログに書いてるが、もっと違うものをぜひ)。