このところ、カナダの映画はなぜか、フランス語圏の映画、いわゆるケベック映画がよい。
アカデミー賞外国語映画賞受賞の「みなさん、さようなら。」もそうだし、東京国際映画祭で話題となったホッケー映画「ロケット」、アカデミー賞外国語映画賞ノミネートの「灼熱の魂」。そして、今、その外国語映画賞にノミネートされている「魔女と呼ばれた少女」。
もちろん、英語圏のカナダ映画も、クローネンバーグとか、エゴヤンとか、「テイク・ディス・ワルツ」のサラ・ポーリーといった監督たちの映画があるのだが、勢いを感じるのはなぜかケベック映画。その中でも「灼熱の魂」は始まりはカナダだが、その後のシーンはほとんどが中東、そして、「魔女と呼ばれた少女」は全編アフリカで、カナダは無関係。「灼熱の魂」は中東出身のカナダ人が主人公だが、「魔女と呼ばれた少女」の監督キム・グエンはヴェトナム人の父とカナダ人の母を持つ。カナダもアメリカと同じく移民の国であり、この映画でもアフリカ系のカナダ人の俳優が3人、アフリカ人を演じている。英語を使わないカナダのケベック映画が世界を描き始めているということを、どう見たらいいのだろうか。
「魔女と呼ばれた少女」は、内戦で多数の人が死亡しているアフリカのコンゴを舞台としている。アフリカや中東の戦争では、子供が兵士にさせられているという例は多いが、この映画では、反政府軍に拉致され、無理やり兵士にさせられた少女が主人公だ。
湖のほとりの村に、ある日、突然、反政府軍がやってきて、大人たちを皆殺しにし、子供を拉致して兵士にする。そのために、子供に親を銃で殺させたりする。そうやって、子供を兵士になるしかない状況に追いやるのだという。少女はやがて、両親をはじめとする死んだ人々の亡霊を見るようになり、その亡霊のおかげで、政府軍の存在をいち早く察知できるようになる。彼女は魔女と呼ばれ、部隊の守り神となるが、以前に魔女と呼ばれた少女たちはみな、戦闘に負けると殺されたという。
部隊には少女に思いを寄せる少年がいる。彼はメラニン色素が少なく、肌の色や髪の色が白いアルビノだ。アフリカでは白いものは貴重で特別なものだと思われているらしく、アルビノは特別な存在と思われているようだ。少年は、いずれ少女が殺されることを恐れ、2人で部隊から逃げ出す。
2人はつかのまの逃避行を楽しみ、結婚もする。この地方では、求婚された女性は条件として白い雄鶏を要求することになっているらしい。しかし、ここでは白い雄鶏はめったにいないらしく、たいがいは別のもので求婚を受け入れてもらうのだが、お金のない少年は白い雄鶏を探すしかない。そんなわけで、白い雄鶏を必死に探す少年に、「おまえは結婚したいのか」と大笑いする大人たち。やがてアルビノの人たちの村にたどり着いた少年は、ついに白い雄鶏を手に入れ、少女と結婚する。
しかし、牧歌的な逃避行は長くは続かず、別の反政府軍の部隊に少女は捕らわれ、少年は殺されてしまう。
映画は捕らえられた少女が部隊長の愛人にさせられ、妊娠したあと、生まれてくる子供に自分のことを語る、という形になっている。両親を殺すよう強要され、兵士にさせられ、逃避行をした最愛の少年は殺され、そして部隊長の愛人にさせられて妊娠し、生まれてくる子供を憎む気持ちをなんとか振り払おうとする姿はあまりにも悲惨だが、映画は残酷な場面は直接描かず、亡霊を登場させたりして、アフリカらしい呪術と幻想の世界に仕上げている。
無理やり兵士にさせられた少年少女の人生はあまりに過酷だが、軍隊とは無関係の普通の庶民たちは心優しく、親切だ。逃亡中の少年少女に一時的な家を与える肉屋夫妻、部隊長のもとを逃げ出した少女が心的外傷から頭がおかしくなり、銃を撃ちまくって逮捕されたとき、彼女を逃がしてやる警官、そして、赤ん坊を抱えて旅をする彼女をトラックの荷台に乗せてやる運転手と、彼女に親切にする荷台にいた女性。少年と少女が白い雄鶏を探すときにめぐりあった大人たち。彼らの中には、肉屋の男のように、内戦で過酷な経験をし、深く傷ついた人もいる。他の大人たちも、内戦でなんらかの心の傷を負っているのかもしれないが、彼らは困っている人を見れば手を差し伸べる。残酷で過酷な世界だが、庶民はやさしい心と笑顔を持っている、という描写が救いとなっている。
3人のカナダ人男優以外はすべて、現地の住民から選ばれた人たちが演じているのだそうだが、主役の2人がすばらしい。少女を演じたラシェル・ムワンザはこの演技でヴェネチア映画祭主演女優賞を獲得したが、アルビノの少年を演じたセルジュ・カニンダも、彼女に劣らない存在感で、忘れがたい。
アカデミー賞外国語映画賞はたぶん、ハネケの「愛、アムール」だろうけれど、このカナダのケベック映画(言葉はほとんどアフリカの言語のようだが)も注目してほしいものだ。