エアコンのない部屋に住んでいるので、真夏は図書館で本を借りて(たまには買って)涼しいカフェなどで夜遅くまで読書、というのがだいぶ前からの習慣で、真夏は読書がはかどる季節。
文京区に住んでいたときは図書館の数が少ないかわりに1館あたりの蔵書が多かったので、気になるジャンルの棚を見て適当に選んで借りていたが、郊外のとある町に引っ越したら、蔵書の少ない分館が合計20カ所以上あるという状態で、現場で選ぶには選択肢が少なすぎる。そこで最近はネットで気になる本が出てくるとすぐに市立図書館と県立図書館のHPで検索。あれば予約して近くの分館で受け取る(県立図書館は県全体に3館あり、うち1館が徒歩圏という便利さ)。
以前と明らかに変わったのは、読む本のジャンルが広がったこと。以前は興味のあるジャンルの棚ばかり見ていたけれど、今はジャンルに関係なく気になる本は検索予約。人気のある本以外はすぐに読める(山の遭難についての本を1か月前に予約したのだけど、まだ1人しか順番が進んでいない。これは半年くらいかかるかも)。
というわけで、昨日借りてきて読み始めた本。
「理不尽な進化:遺伝子と運のあいだ」
https://www.amazon.co.jp/%E7%90%86%E4%B8%8D%E5%B0%BD%E3%81%AA%E9%80%B2%E5%8C%96-%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90%E3%81%A8%E9%81%8B%E3%81%AE%E3%81%82%E3%81%84%E3%81%A0-%E5%90%89%E5%B7%9D-%E6%B5%A9%E6%BA%80/dp/4255008035/ref=sr_1_3?s=books&ie=UTF8&qid=1535249562&sr=1-3&keywords=%E7%90%86%E4%B8%8D%E5%B0%BD%E3%81%AA%E9%81%BA%E4%BC%9D%E5%AD%90
同じ著者の新刊が出たせいか、アマゾンでは人気がある模様。
昨日、サイゼリヤでご飯食べながら半分ほど読んだのですが、
これって、面白いのですか?
アマゾンを見ると、大変評判のよい本のようですが、レビューは賛否両論。☆1つか2つを見て、やっぱりそうだよね、と思いましたが、特徴的なのは☆3つでも辛口レビューなこと。普通、☆3つだと賛辞に変わるものなのですが、3つでも1つや2つとあまり変わらない印象。
進化論に詳しい人ほどきびしい、というのはわかります。確かに進化論について知りたいなら、専門家の書いたものを読んだ方がいいでしょう。
では、なぜ、自分はこれを読もうと思ったのか。
進化論について知りたかったのではなく、進化論がなぜ受けてるかを知りたかったから、なのです。
適者生存というのは、適者(強者や優れた者)が生存するのではなく、生存したものを適者と考えるという結果論だということ。これはまあ、ほんとにそうだよね、と思います。
なのに人間は適者だから生存できたと考えたがり、だから、環境の変化に応じて変化する能力が求められる、とか、だめなのは自己責任、とか言いたがる、と。
ここに興味があったし、実際、そういう論だということをネットで読んで、読む気になったのです。
今、日本にはびこる自己責任論、弱者は自己責任だから助ける必要なしという風潮が間違っている、という話かと思いました。
が、実際はそうではなく、著者が長年読み漁ってきた進化論のお話をだらだらと、同じことを何度も書きながら続けている感じ。しかも書き方が、「~であろうか(いや、ない)」みたいな低レベルの日本語満載で、日本語力のない読者を想定しているのかと思えば、もっとすっきり書けよと思うような部分もあり、自分の好きなことをだらだら書いたら本にしてくれて、出したら大評判、というケースかな、と思ってしまう。
もちろん、上に書いた適者生存の論理のように、役に立つ部分もあるんだが、要約したら数行ですんでしまいそう。
進化論を自己責任に転嫁する社会については、これは社会学の本ではないので、軽く触れる程度で終わり。
恐竜が滅びたのは天体衝突後に地球環境が大きく変わり、それまで適者だった恐竜が適者でなくなったから、かわりに適者でなかったものが適者になり、生き残った、というのも、それはそうだよね、という思う程度。
唯一、なるほど、と感心したのは、人間は進化を進歩と考えたがっているため、進化は常によい方に行くと信じている、みたいなところか。実際はランダムで偶然に支配されているのだが、よい方に向かうというストーリーを信じたいわけで、文学なんかまさにそこから生まれている。そこに進化論の用語が利用されちゃって、人生訓にまでなっているということ。
確かに今の自分のアンテナにひっかかってくるのはここだと思う。
実は私も進化は進歩だと信じてきた。世の中はこれからもっとよくなると思って生きてきた。しかし、どうだ、今の日本。進歩どころか戦前戦中みたいになっている。日本は歴史的に退化しているわけだ。
進歩を信じるということは、能力や努力を信じるということでもあり、運でさえも努力で変えられると思うことだ。運やコネは努力で手に入れられる、みたいな言説が確かにある。
しかし、年をとるにつれて、だんだんそういうことが信じられなくなった。
特に、若い頃は将来の職業としてリアルだったものが、その後、職業として成立しづらくなる、という現象をいくつも目にすると、天体の衝突で地球の環境が大幅に変化、に通ずるものを感じてしまう。
先だって書いた「通訳翻訳ジャーナル」についてのこともそうだけど、翻訳というのは昔はやりたがる人は少なく、仕事はそこそこあった。その後、翻訳家養成ビジネスが成功し、翻訳をしたい人が増え、逆に不況で仕事は減った。翻訳家養成ビジネスが成立するために翻訳が必要、みたいな状況が20年くらい前からすでに起きている。翻訳家を多数必要としているから翻訳家養成ビジネスがあるのではなく、養成ビジネスのために翻訳があるみたいな状況。
翻訳業界がこんなふうに変化するなんて、30代までの私には想像できなかった。
大学教員の世界も私が研究者をめざしていた頃には考えられないような変化が起きたが、話すと長くなるので割愛。
そうした変化に適応して生き残っている人が適者(強者、優れた者)となるのだろう。
優秀だけど認められない症候群みたいな考え方がある一方で、単純に生き残った人が優秀なんだという考え方も強い。つか、後者ははっきりとは言わないが、脱落した人は才能がなかったのであり、生き残った人が優秀、という暗黙の了解はあちこちにある。
しかし、実際は、「理不尽な進化」が語るように、運や偶然、環境の変化によるものが大きいと思う。ただ、これを言ってしまうと努力しなくなり、努力で得られるものもある以上、人間の生き方にとっては悪影響があるのだと思う。
と、このあたりの興味で借りた本なわけだが、実際にはこの本は進化論を長年勉強してきた人の雑談みたいなものだから、それを上のような社会学に発展させることはまったくない。
前半と後半はまったく違う、というレビューもあるから、後半に期待しよう(いや、あまり期待しない方がよさそう)。
追記
最後まで読みました。科学書もどきかと思ったら、科学をネタにした哲学書もどきだった。一番嫌いなタイプ。でも、人気があるジャンルのようだ。今までこういうジャンルの棚の前に行かなかったから無事だったのだな。