非現実的な夢ばかり見ているような状態をネットでは「お花畑」とか「お花畑脳」とか言って揶揄するのだが、正直、「通訳翻訳ジャーナル」がここまで「お花畑」の雑誌とは思わなかった。(「お花畑」という言葉について、一番下に追記しました。)
もともとこの雑誌は、存在は知っていたけど私には関係ない雑誌、と思って、書店で見ることもなかったのだが、最新号の表紙に「会社を辞めて翻訳者になろうー産業翻訳編」とかいう特集タイトルがあると知り、なんじゃこのタイトル、と思ったので、特集の中身を見に行った。
立ち読みしたら、何のことはない、会社に勤めながら翻訳家をめざし、脱サラしてフリーランスになろう、という特集で、その内容はこれまでさまざまな翻訳雑誌やムックなどで書かれていたことの焼き直し。手垢がついた、という形容詞がぴったりな内容。しかも、十年一日という言葉がぴったりの、翻訳業界の変化をまったく無視した古い一般論。写真つきで体験談を語る産業翻訳家の多くが1970年代生まれで、おそらく2000年代前半くらいまでに翻訳家になった人たち。
確かに2000年代前半くらいまでは、産業翻訳なら仕事がある、翻訳家になれる、みたいな空気はまだ十分にあった。
出版翻訳、特に文芸翻訳が1990年代後半に氷河期に入り、翻訳家は増えるが不況で仕事は激減という時代で、当時、翻訳雑誌も出版から産業にシフトし、現実的な内容になっていたように記憶する。
それが今、こんな「お花畑」の雑誌が平然と、高い値段で売られているのを見ると、この業界、完全に「お花畑」化したのか?と思ってしまう。
「通訳翻訳ジャーナル」は前の号でも脱サラを売りにしていたようだし、次号では「会社を辞めて翻訳者になろうー出版映像編」という特集をするそうだ。特集以外でも、今号ではSF翻訳家になるための手引きみたいなのがあって、SF翻訳って、90年代からどんどん売れないジャンルになっているのに、なにこれ?と思うしかなかった。
このコーナーはミステリーや児童文学をすでにやっているようで、文芸翻訳のお花畑の夢をまた売るようになったのだな、と思う。
もともと80年代に翻訳学校ビジネスが盛んになったとき、この種の夢を売って生徒を集めていて、90年代末には翻訳そのものよりも翻訳学校ビジネスの方が儲かっていると、ある編集者が言っていた。それがさすがに現実に合わなくなって産業にシフトしたのかと思ったら、また「お花畑」路線に戻っているとは。
まあ、わかってる人はわかってるはずなので、見果てぬ夢を売る雑誌に徹しているのかもしれないし、雑誌の出版費用の多くは翻訳学校の広告費でまかなっているのだろうということは誌面を見ればわかる。
今、翻訳家で表に出てきているような人はなんらかの形で翻訳学校にかかわっている人が多いと思うので、「お花畑」だなあ、こういうの信じちゃう人が出ると困るなあ、と思ってもなかなか言えないだろう。
実際、信じちゃう人はそれほどいないだろうけれど、「会社を辞めて翻訳者になろう」という特集タイトルがそういう人を釣ろうとしているんだろうなあと思う。そして、特集の中身が十年一日で現実に合っていない、なんてことには気づかず、夢を追って、この種の雑誌も含む翻訳家養成ビジネスにお金を落としてくれればよいわけだろう。
私自身は2000年代後半に産業翻訳をやろうとしたときに、産業翻訳も安泰なわけではないと気づいた。産業翻訳は単価が高いことが魅力だったのに、その後、どんどん単価が下がっていった。クライアントが翻訳にあまりお金を出したがらないのでそうなるのだが、結果、高い単価で請けていた実力のある翻訳家よりも、安い速いまずい翻訳家に仕事がまわるようになったとも聞く。それでは通らない業界だけがまともな翻訳にまともなお金を出しているが、実際は下手でも安ければいいクライアントが多いようだ。
だから、あなたのもとに誰かほかの人がやったひどい翻訳が参考としてまわってきても、それは単価が安いので値段に応じた訳文を作ったのかもしれないのだ(安いまずいの翻訳家に頼んだ可能性もある)。
「どんなに安くても引き受けた以上、クオリティの高い翻訳をします」という考えは、翻訳の単価をどんどん下げ、結果、翻訳全体の質を悪化させる。
オリンピックでは通訳はボランティアだって? 論外!
まあ、現実にはひどい翻訳でも困らない人も多いわけなんだけど。
オリンピックのボラが素人のタダ働きの奴隷ばっかりで、あちこちで問題が起きて、ボラは熱中症で次々倒れても、それでかまわない人が多いのだろうと予想(つか、大手マスコミは五輪の利権につかってるから報道もしないだろう)。
追記
この記事では「お花畑」という言葉は非現実的な夢を売ろうとする翻訳雑誌を揶揄する意味で使っていますが、実際にはネットでは、上のような記事に対し、「翻訳家養成ビジネスだって稼がないといけないんだよ。ワナビに夢を売ってどこが悪い。批判するお前の方が「お花畑」」というような使われ方をするようです。つまり、理想を言ったり正論を吐いたりするのが「お花畑」らしいので、追記しておきます。