前の記事で去年の谷中の梅の写真を出したので、今年の梅を撮りに谷中へ行きました(ほかにも用があったのでついでに)。
あいにくの曇り空で、きれいには撮れなかったけれど、やはりこの梅の木が満開。
そして、紅梅と白梅。やはりまだあまり咲いていない。背景は例の日暮里の高層ビル。
このあたりは断崖絶壁の上です。かつては山だったのを、鉄道を通すために切り崩して崖になったのです。鶯谷から田端までこの状態です。芋坂とか、坂のつく地名がいくつかありますが、どこも陸橋がかかっていて坂はありません。でも、昔は坂だったのです。
この断崖絶壁の上に花壇があります。まだ花は少ない。
映画や日常生活のブログ。記事内の写真はクリックすると大きくなります。別ブログ(ログインできなくなった場合用)http://sabre26.cocolog-nifty.com/blog/
2016年2月7日日曜日
2016年2月6日土曜日
梅の季節
いろいろなブログをロムっているのですが、みなさん、日常生活についての文章がさらりとして軽い。それに比べて、洗濯機と読書の記事はやたら長くて重いな、と思って非公開にしてしまいました。たいしたことは書いてないし。
さて、まだ寒いとはいえ、春は確実に近づいています。近くの自然公園で、梅の花がちらほら咲いているのを見て、長年住んでいた都心の某地区にはいろんな梅の木が植えてあるお寺があったのを思い出し、もう都心の梅もそう簡単には見に行けないのだ、と思うとちょっと寂しさも覚えます。
去年の今頃はどんな梅を撮っていたのかな、と思って過去の写真を見たら、谷中で撮った梅が。
これは谷中で一番早く咲く梅です。
紅梅白梅がある場所。白梅の写真はありませんでした。紅梅より白梅の方が早いです。
これは2月中旬。最初の梅の木にとまるメジロ。
さて、こちらが今年の梅。郊外の自然公園で。
こんな花も。梅はまだまだですが、これはかなり咲いています。
紅梅と白梅の遠景。
菜の花畑。都心ではありえない光景。
コサギ。
さて、まだ寒いとはいえ、春は確実に近づいています。近くの自然公園で、梅の花がちらほら咲いているのを見て、長年住んでいた都心の某地区にはいろんな梅の木が植えてあるお寺があったのを思い出し、もう都心の梅もそう簡単には見に行けないのだ、と思うとちょっと寂しさも覚えます。
去年の今頃はどんな梅を撮っていたのかな、と思って過去の写真を見たら、谷中で撮った梅が。
これは谷中で一番早く咲く梅です。
紅梅白梅がある場所。白梅の写真はありませんでした。紅梅より白梅の方が早いです。
これは2月中旬。最初の梅の木にとまるメジロ。
さて、こちらが今年の梅。郊外の自然公園で。
こんな花も。梅はまだまだですが、これはかなり咲いています。
紅梅と白梅の遠景。
菜の花畑。都心ではありえない光景。
コサギ。
2016年1月30日土曜日
リアルな戦争
リアルな戦争を描く2本の映画を見た。
まずはエルマンノ・オルミ監督の「緑はよみがえる」。80代になるオルミ監督が、第一次世界大戦を体験した父親から聞いた悲惨な戦争の現実をヒントに作り上げた作品。
雪におおわれたイタリア北部のアジアーゴ平原の塹壕で、敵の攻撃に遭う兵士の1日を描いている。これが実にリアルだ。
満月の夜、雪の中に出ていけばすぐに撃たれるとわかっているのに、命令されて出ていき、直後に狙撃されて息絶える。このときの銃声のリアルさ。敵の姿は見えない。ただ、撃たれるというリアルさ。キューブリックの「フルメタル・ジャケット」の後半を思い出す。
次に雪の中に出ていくことを志願した兵士は、小便をしたあと、外で死ぬよりはここで死ぬと言って、自らを撃つ。
映画の最後に、「戦争とは休みなく大地をさまよう醜い獣だ」という羊飼いの言葉が画面に浮かび上がる。この羊飼いと対話したオルミ監督の言葉をプレスシートから引用しよう。
「一番大きな嘘は大戦争だ。何千、何万という若者に対してつかれた嘘だ。本部の上官たちがベッドで毛布にくるまっている間に、若者は塹壕での殺し合いに送られた。兵士たちの敵は相手方の塹壕にはいない。敵とは彼らを戦場に送り込んだ人々のことだ。若者たちは愛国心を示すことを期待され、彼らはそれを心から信じ、そして裏切られた。何千、何万という人々が君主や貴族社会の傲慢さによって尊い命を犠牲にした。人間の歴史における対立は、つねに少数の者が権力と富を手に入れようとした結果起きる。私は、痛みを乗り越え、伝えたいと思っている。恥ずべき裏切りの罠から抜け出す手がかりを見つけて」
もう1本は、ハンナ・アーレントが傍聴し、その後の発言でユダヤ人社会から非難されたことでも有名なナチ戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判をテレビ放送した人々を描く「アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち」。
ユダヤ人絶滅計画の責任者アイヒマンがアルゼンチンで捕まり、イスラエルで裁判が開かれる。ホロコーストの事実を世界に伝えようと、アメリカのプロデューサー、ミルトン・フルックマンはテレビ放映権を獲得、マッカーシズムで10年間、干されていたドキュメンタリーの名手レオ・フルヴィッツに監督を依頼する。
面白いのはフルックマンとフルヴィッツの対立で、フルックマンは共産主義者のカメラマンをはずせと当局から言われると妥協するのに対し、マッカーシズムの被害者であるフルヴィッツは怒りをあらわにする。また、裁判の前半はイスラエルがアイヒマンを裁く権利があるという主張ばかりで、視聴者が離れてしまい、フルックマンはフルヴィッツにもっと面白くしろと言うが、フルヴィッツはホロコーストの証言者が語り始めれば視聴者は戻ってくると信念を曲げない。
こんな具合に、信念を持って仕事をする監督と、視聴率や当局のことが気になるプロデューサーというよくある構図になっているのだが、映画の焦点はこのフルヴィッツの信念で、彼はアイヒマンは決して怪物ではなく、誰でもアイヒマンになる可能性があるということを示そうとしている。
後半になると生き残った被害者たちの証言が始まり、衝撃的な映像や写真も登場する。強制収容所のユダヤ人たちはみな骨と皮ばかりで、強制収容所のリアルな描写は劇映画には無理だということがわかる。俳優にここまでやせさせることはできない。だから、ホロコーストの劇映画のユダヤ人は誰もここまでやせていない。
この衝撃的な証言や写真や映像を、アイヒマンは目をそむけることなく見ている。表情も変わらない。そして、彼は、「自分は命令に従っただけだ」と言う。アイヒマンが少しでも人間性を見せるのではないかと思っていたフルヴィッツは当惑する。
しかし、ハンナ・アーレントはこの裁判を見て、アイヒマンは普通の人間で、誰もがアイヒマンになりうると感じ、それを書いてユダヤ人社会から非難された。
映画では、イスラエルのユダヤ人たちが、「誰でもアイヒマンになりうる」という考えを頑として受け入れない。自分は絶対にならないと言う。また、フルヴィッツはイスラエルがアラブ人から土地を奪って建国したことを指摘するが、イスラエル人たちはそれについては話を避ける。フルヴィッツは名前からしてユダヤ系だと思うが、彼は誰もが迫害者になりうるという考え方の持ち主なのだ。
フルックマンはナチシンパから脅迫を受けるが、この脅迫者はホロコーストはなかったと思いたい人間のようだ。一方、フルヴィッツの宿の女主人は最後に、「これまでホロコーストの話をしても誰も信じてくれなかった。そんなことがあるはずがないと言われた。だから私たちは黙ってしまった。でも、あなたのおかげでこれからは話せる」と言う。この言葉の背後には、ナチシンパのような極端な人でない、ごく普通の人がこういうことがあったと信じたくないと思っていることがうかがわれる。
まずはエルマンノ・オルミ監督の「緑はよみがえる」。80代になるオルミ監督が、第一次世界大戦を体験した父親から聞いた悲惨な戦争の現実をヒントに作り上げた作品。
雪におおわれたイタリア北部のアジアーゴ平原の塹壕で、敵の攻撃に遭う兵士の1日を描いている。これが実にリアルだ。
満月の夜、雪の中に出ていけばすぐに撃たれるとわかっているのに、命令されて出ていき、直後に狙撃されて息絶える。このときの銃声のリアルさ。敵の姿は見えない。ただ、撃たれるというリアルさ。キューブリックの「フルメタル・ジャケット」の後半を思い出す。
次に雪の中に出ていくことを志願した兵士は、小便をしたあと、外で死ぬよりはここで死ぬと言って、自らを撃つ。
映画の最後に、「戦争とは休みなく大地をさまよう醜い獣だ」という羊飼いの言葉が画面に浮かび上がる。この羊飼いと対話したオルミ監督の言葉をプレスシートから引用しよう。
「一番大きな嘘は大戦争だ。何千、何万という若者に対してつかれた嘘だ。本部の上官たちがベッドで毛布にくるまっている間に、若者は塹壕での殺し合いに送られた。兵士たちの敵は相手方の塹壕にはいない。敵とは彼らを戦場に送り込んだ人々のことだ。若者たちは愛国心を示すことを期待され、彼らはそれを心から信じ、そして裏切られた。何千、何万という人々が君主や貴族社会の傲慢さによって尊い命を犠牲にした。人間の歴史における対立は、つねに少数の者が権力と富を手に入れようとした結果起きる。私は、痛みを乗り越え、伝えたいと思っている。恥ずべき裏切りの罠から抜け出す手がかりを見つけて」
もう1本は、ハンナ・アーレントが傍聴し、その後の発言でユダヤ人社会から非難されたことでも有名なナチ戦犯アドルフ・アイヒマンの裁判をテレビ放送した人々を描く「アイヒマン・ショー/歴史を映した男たち」。
ユダヤ人絶滅計画の責任者アイヒマンがアルゼンチンで捕まり、イスラエルで裁判が開かれる。ホロコーストの事実を世界に伝えようと、アメリカのプロデューサー、ミルトン・フルックマンはテレビ放映権を獲得、マッカーシズムで10年間、干されていたドキュメンタリーの名手レオ・フルヴィッツに監督を依頼する。
面白いのはフルックマンとフルヴィッツの対立で、フルックマンは共産主義者のカメラマンをはずせと当局から言われると妥協するのに対し、マッカーシズムの被害者であるフルヴィッツは怒りをあらわにする。また、裁判の前半はイスラエルがアイヒマンを裁く権利があるという主張ばかりで、視聴者が離れてしまい、フルックマンはフルヴィッツにもっと面白くしろと言うが、フルヴィッツはホロコーストの証言者が語り始めれば視聴者は戻ってくると信念を曲げない。
こんな具合に、信念を持って仕事をする監督と、視聴率や当局のことが気になるプロデューサーというよくある構図になっているのだが、映画の焦点はこのフルヴィッツの信念で、彼はアイヒマンは決して怪物ではなく、誰でもアイヒマンになる可能性があるということを示そうとしている。
後半になると生き残った被害者たちの証言が始まり、衝撃的な映像や写真も登場する。強制収容所のユダヤ人たちはみな骨と皮ばかりで、強制収容所のリアルな描写は劇映画には無理だということがわかる。俳優にここまでやせさせることはできない。だから、ホロコーストの劇映画のユダヤ人は誰もここまでやせていない。
この衝撃的な証言や写真や映像を、アイヒマンは目をそむけることなく見ている。表情も変わらない。そして、彼は、「自分は命令に従っただけだ」と言う。アイヒマンが少しでも人間性を見せるのではないかと思っていたフルヴィッツは当惑する。
しかし、ハンナ・アーレントはこの裁判を見て、アイヒマンは普通の人間で、誰もがアイヒマンになりうると感じ、それを書いてユダヤ人社会から非難された。
映画では、イスラエルのユダヤ人たちが、「誰でもアイヒマンになりうる」という考えを頑として受け入れない。自分は絶対にならないと言う。また、フルヴィッツはイスラエルがアラブ人から土地を奪って建国したことを指摘するが、イスラエル人たちはそれについては話を避ける。フルヴィッツは名前からしてユダヤ系だと思うが、彼は誰もが迫害者になりうるという考え方の持ち主なのだ。
フルックマンはナチシンパから脅迫を受けるが、この脅迫者はホロコーストはなかったと思いたい人間のようだ。一方、フルヴィッツの宿の女主人は最後に、「これまでホロコーストの話をしても誰も信じてくれなかった。そんなことがあるはずがないと言われた。だから私たちは黙ってしまった。でも、あなたのおかげでこれからは話せる」と言う。この言葉の背後には、ナチシンパのような極端な人でない、ごく普通の人がこういうことがあったと信じたくないと思っていることがうかがわれる。
2016年1月28日木曜日
ふしぎな光
夕暮れの某霊園と3棟のタワーマンション。
向きは東で、この光は太陽ではありません。
前にもこんなふうに太陽のような光が写り込んだことがあったのだけど、街灯の光がレンズに反射したのでしょうね。
そして、久しぶりにスカイツリーの夜景がきれいに撮れました。
書泉グランデがまた話題になっていたので、何かと思ったら、ヘイト本「難民しよう」の著者サイン会をやろうとして、抗議が殺到したので、中止にしたのだとか。ここ、前にヘイト本で問題になるツイッターやって、やはり抗議殺到、その後はヘイト本コーナーもやめたと聞いたのに、やっぱり本質は変わってなかったか。
グランデっていえば、私が若い頃、よく労働争議をやっていた記憶があるのですが、どうもいろいろ問題があるところらしい。
どっちかっていうとオタクの本屋で、バックナンバーが充実していた書店で、私は小説JUNEのバックナンバーをここで何冊か買った覚えがあるよ。そのオタク路線の延長にヘイト本があるのか、と、前のときに複雑な思いになったっけ。
だいぶ前に、松屋についての苦情を書いたのだけど、その記事へのアクセスが時々あります。
これは松屋がプレミアム牛めしを売り出して、それが手間がかかるので、一時、定食を減らしてしまい、定食中心で松屋へ行っていた私は「もう行かない」と書いてしまったのですが、その後、また定食がいろいろ出てきたので、松屋にはよく行っています。
が、昨年引っ越した郊外の団地のそばには松屋がない!
団地の最寄駅のそばにはファミレスしかなくて、牛丼屋のたぐいはまったくないのですが、松屋は電車でJRのターミナル駅まで行かないとないのです。日高屋とか、吉野家とか、すき家、なか卯、等々は電車でひと駅のところにあるのに。
そんなわけで、松屋のある場所へ行くと、松屋に入ってしまう。。。
源泉徴収票や支払調書が送られてくる今日この頃。評論家・翻訳家としては完全に休業状態の私は、非常勤講師の大学の源泉徴収票をそろえ、あとは給与の計算すれば終わりなので、とても楽な確定申告になっているのですが、それでも少額の支払調書が毎年どこかから来ます。
今年も少額の支払調書が来たのですが、住所変更を知らせてあるのになぜか旧住所から転送されてきた。調書の住所も当然旧住所。なんで? 年賀状は新住所で来てるのに。
あ、そうか。この人はもう終わっているから、経理に伝える必要はないと判断されたんだ。
まあ、確かに、住所変更を経理に伝え損なうところはあるもので、某大学はそういうことが日常茶飯事なんですが、この支払調書のところはこれまでに何度も住所変更通知していたけれど、間違いはなかった。それが今回は初めて。。。
うーん、私自身、自分はもう終わったんだ、みたいな、あきらめムードでいるからだな。
5年前の書評をたまたまどこかのブログでほめていただいて、終わっちゃいかん、と先日思ったように、これも終わっちゃいかんのきっかけにしたいです。
向きは東で、この光は太陽ではありません。
前にもこんなふうに太陽のような光が写り込んだことがあったのだけど、街灯の光がレンズに反射したのでしょうね。
そして、久しぶりにスカイツリーの夜景がきれいに撮れました。
書泉グランデがまた話題になっていたので、何かと思ったら、ヘイト本「難民しよう」の著者サイン会をやろうとして、抗議が殺到したので、中止にしたのだとか。ここ、前にヘイト本で問題になるツイッターやって、やはり抗議殺到、その後はヘイト本コーナーもやめたと聞いたのに、やっぱり本質は変わってなかったか。
グランデっていえば、私が若い頃、よく労働争議をやっていた記憶があるのですが、どうもいろいろ問題があるところらしい。
どっちかっていうとオタクの本屋で、バックナンバーが充実していた書店で、私は小説JUNEのバックナンバーをここで何冊か買った覚えがあるよ。そのオタク路線の延長にヘイト本があるのか、と、前のときに複雑な思いになったっけ。
だいぶ前に、松屋についての苦情を書いたのだけど、その記事へのアクセスが時々あります。
これは松屋がプレミアム牛めしを売り出して、それが手間がかかるので、一時、定食を減らしてしまい、定食中心で松屋へ行っていた私は「もう行かない」と書いてしまったのですが、その後、また定食がいろいろ出てきたので、松屋にはよく行っています。
が、昨年引っ越した郊外の団地のそばには松屋がない!
団地の最寄駅のそばにはファミレスしかなくて、牛丼屋のたぐいはまったくないのですが、松屋は電車でJRのターミナル駅まで行かないとないのです。日高屋とか、吉野家とか、すき家、なか卯、等々は電車でひと駅のところにあるのに。
そんなわけで、松屋のある場所へ行くと、松屋に入ってしまう。。。
源泉徴収票や支払調書が送られてくる今日この頃。評論家・翻訳家としては完全に休業状態の私は、非常勤講師の大学の源泉徴収票をそろえ、あとは給与の計算すれば終わりなので、とても楽な確定申告になっているのですが、それでも少額の支払調書が毎年どこかから来ます。
今年も少額の支払調書が来たのですが、住所変更を知らせてあるのになぜか旧住所から転送されてきた。調書の住所も当然旧住所。なんで? 年賀状は新住所で来てるのに。
あ、そうか。この人はもう終わっているから、経理に伝える必要はないと判断されたんだ。
まあ、確かに、住所変更を経理に伝え損なうところはあるもので、某大学はそういうことが日常茶飯事なんですが、この支払調書のところはこれまでに何度も住所変更通知していたけれど、間違いはなかった。それが今回は初めて。。。
うーん、私自身、自分はもう終わったんだ、みたいな、あきらめムードでいるからだな。
5年前の書評をたまたまどこかのブログでほめていただいて、終わっちゃいかん、と先日思ったように、これも終わっちゃいかんのきっかけにしたいです。
2016年1月25日月曜日
こんなことを書いていた。
いつだったか、書評サイトBookJapanの書評が読めなくなっていたので、自分の分だけ別ブログにアップしたりしていたのだが、さきほど、偶然、私の書評をほめてくれているブログを発見し、あれ、読めるようになったのか、と思ってサイトを見たら、ちゃんと復旧されていました。
他の人の書評を読みたくなることもあるので、よかった、よかった。
で、ほめていただいたのは、これ。
http://bookjapan.jp/search/review/201102/shindou_junko/20110209.html
マイケル・フレイン作の劇「コペンハーゲン」です。
自分でもこれはよくできたと思っていましたが、あらためて読んでみると、へえ、こんなの書いたのか、自分、と驚いてしまいました。
日付を見たら、2011年2月。5年前じゃないですか。大震災の直前ですね。
このあと、こんなにきちんとした文章を書いたかな、と思ったら、2年前の「蜩の記」映画評くらいしか思いつかなかった(最初はこれすら思いつかず、自分は5年前で終わったのか、と愕然とした)。
たまには自分の書いたもののうち、出来のいいものを読み返して、まだまだ終わったらいかん、と奮起しないといけないですね。
出来の悪いものは忘れます。
他の人の書評を読みたくなることもあるので、よかった、よかった。
で、ほめていただいたのは、これ。
http://bookjapan.jp/search/review/201102/shindou_junko/20110209.html
マイケル・フレイン作の劇「コペンハーゲン」です。
自分でもこれはよくできたと思っていましたが、あらためて読んでみると、へえ、こんなの書いたのか、自分、と驚いてしまいました。
日付を見たら、2011年2月。5年前じゃないですか。大震災の直前ですね。
このあと、こんなにきちんとした文章を書いたかな、と思ったら、2年前の「蜩の記」映画評くらいしか思いつかなかった(最初はこれすら思いつかず、自分は5年前で終わったのか、と愕然とした)。
たまには自分の書いたもののうち、出来のいいものを読み返して、まだまだ終わったらいかん、と奮起しないといけないですね。
出来の悪いものは忘れます。
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