2016年7月29日金曜日

奇妙なアクセス数

昨日今日と、なぜかアクセス数が多い。
昨日は600台、今日は700台。
でも、記事に対するアクセスはふだんと変わらない。
日本からのアクセスもふだんと変わらない。
昨日はアメリカから500くらいのアクセス。
今日はロシアから600くらいのアクセス。
なんだこれ?
ブロガーは上の方に、次のブログというリンクがある。
たぶん、昨日はアメリカの人気ブログの次にこのブログがあったのだろう。
今日はロシアの人気ブログの次にこのブログがあったのだろう。
クリックしたら日本語のブログで、申し訳ない。

都知事選だけど、直前に立候補をとりやめた宇都宮健児氏の動きがどうもおかしい。
宇都宮氏の支持者の多くは鳥越氏支持にまわっているというが、極右の小池氏支持にまわっている人も多いという。その理由は、小池氏が自民党に逆らうリベラルに見えていて、日本会議や在特会、あるいはカルトともつながる大変危険な政治家だということが知られていないからだという。
まあ、アメリカではサンダース支持者の一部がヒラリーに反発してトランプ支持になったりしてるらしいから、そういうケースなんだろうけど、サンダースはヒラリー支持に切り替えてがんばっている。
そんなわけで、宇都宮氏にもサンダースになってほしいという願いは多かった。
しかし、宇都宮氏は鳥越氏を支持していないとしか思えないのだが、これまでも鳥越氏をディスるような感じだった。そしてこの終盤になって、宇都宮氏が鳥越氏を応援する条件として、週刊文春と週刊新潮のかなり疑わしいスキャンダルについて鳥越氏に謝罪を求めたという噂が流れている。
それを知ったネトウヨが大喜び←いまここ。
もともと宇都宮氏は立候補を表明したとき、野党共闘にこだわらず、自公の支持者も取り込んで、と発言していた。
この時点で、私は宇都宮氏は支持できないと思った。昨年の戦争法案反対から続く野党共闘を継続させるのが大事と思っているからだ。
しかし、どうも、宇都宮氏の支持者の一部は、野党共闘をよくないと思っている人がいるらしい(ツイッターから)。宇都宮氏も、野党共闘不支持の立場なのではないのか?
その理由として、宇都宮氏は民進党を信用していないのかもしれない。だが、宇都宮氏が共産と社民だけの支持で立候補したら、氏は永遠に都知事にはなれないだろう。
昨年からの野党共闘は共産党が大きく変わり、共闘を呼び掛けることで生まれた。宇都宮氏が野党共闘不支持なら、この時点で共産党に裏切られたと感じただろう。何か、そういうルサンチマンがあるのではないかと思ってしまう。
宇都宮支持者の一部が共産党だけを責めて、社民党は責めないとか、そういう奇妙な現象も起こっていた。
ここに来て、もう宇都宮氏の応援はいらないと思い始めた人も多いようだ。サンダースは石田純一だった、という声も出ている。
宇都宮氏が都知事をめざすとしたら、今の対応はやはりおかしい。
氏は「誰が都知事になっても世界は終わらない」と書いた。
小池氏が都知事になったら石原都政よりひどくなると危惧されているが、宇都宮氏は小池氏が都知事になった方がいいと思っているのだろうか? こういうことを言うと怒る人がいると思うけど、なんか、小池氏が都知事になり、金の問題ですぐに辞任、そして宇都宮氏が都知事になるとか、そういう希望を抱いているのかな、と、なんとなく思ってしまう。
あるいは、鳥越氏を都知事にしたくないので、小池氏でも増田氏でも今回はいいと思ってるとか。
まさか、やけっぱちで、最悪の事態になれとか思っていないよね?

2016年7月26日火曜日

闇(追記あり)

神奈川県の知的障碍者や肢体不自由者の施設で大量殺人があり、犯人が2月に衆議院議長に出した手紙がネットで公開されているが、かなり頭が変というか、デンパとしか言いようがなく、襲う施設の実名まで出しているのに犯人を病院に入れただけでその後、警備もしていなかったようだ。
犯人の心の闇はまだわからないが、在特会やヘイトスピーチで有名な桜井誠が、首都圏の治安が悪い、警察官など地方公務員の待遇をよくせよ、というツイートをした。
相模原の事件の背景はまだよくわかっていないのだが、桜井誠が今この時点でこういう発言をするのはどういう意味かもよくわからない。このツイートには例によってネトウヨのレスがいくつかついている。
この桜井誠のツイート自体は、これだけならヘイトではないのだが、彼のツイッターには「大嫌韓日記」というアバターがついている。
だから、このツイートを自分のツイッターでリツイートすると、この「大嫌韓日記」のアバターと桜井誠の名が自分のツイッターに加わるわけで、ネトウヨ以外はリツイートしたいとは思わないだろう。
しかし、ミステリーの翻訳家として有名なN氏がこれをリツイートしていたので驚いた。
さすがに忠告する人がいるだろうと思い、時間がたってから見てみたら、リツイートはそのままで、そのあとにじゃんじゃん自分のツイートを重ねて、桜井誠のツイートを下の方に押しやっている。
もともとN氏は他人のツイートをリツイートすることの少ない人で、桜井誠のツイートによほど共感したのだろう。
しかし、仮に、あのツイートに共感したとしても、「大嫌韓日記」のアバターのついたツイートを自分のツイッターに載せるとは、と、思った。
もともとN氏がネトウヨだったら、別に驚かないのだが、そうではないと思っていたので、ショックだ。
N氏にも何か深い闇があるのだろうか。
自分の訳すミステリーの読者に在日コリアンがいるとか、考えないのだろうか。
自分のツイッターなんて、見ている人は少ないと思っているのかもしれない。
あるいは、本当に、ネトウヨ的考えに惹きつけられているのだろうか。
あの事件の犯人もどこかでヘイトクライムを正義と感じるようになったのだと思うのだが。
闇はどこでどう生まれるかわからない。

追記
毎日新聞のサイトに犯人の手紙が掲載されているが、3枚の内2枚目が省略されているようだ。
3枚全部掲載はこちら。
1枚目
http://seijipress.jp/social/16097-07/
2枚目
http://seijipress.jp/social/16100-18/
3枚目
http://seijipress.jp/social/16103-47/
2枚目はフリーメイソンとか宇宙人とか完全に頭のおかしい陰謀論になっている。これがあると、何かこういう陰謀論とかヘイトスピーチとかに影響されたのだろうと思える。
犯人はヘイトクライムが完全に世のため人のためになると信じ切っている。
そして、安倍首相ならやってくれると思っており、これも極右のヘイトの影響か?
また、無罪にして、顔を整形して、5億円くれとか言っていて、ヘイトクライムを政府からのミッションにしたいと思っている。
あまりにもばかばかしかったので、警備をしなかったのかもしれないが、甘かったとしか言いようがない。

補足
やっぱり、という感じで、ネトウヨどもが今回の事件で「介護職の待遇改善」とか言いだしているらしい。
でも、もともとは、ネトウヨがマイノリティに対してヘイトスピーチを繰り返し、彼らなど滅びてしまえと言い続けてきた。そして、ついに、海外からヘイトクライムと報道される事件が日本でも起きた、ということ。
犯人の闇は、ヘイトスピーチがなければ、こういったものには発展しなかったのではないか。
カルトの陰謀論とヘイトスピーチが闇を生んだのだ。
そして今、カルトや極右がリベラルを装って都知事選に立候補というありさま。

ひまわり

10代の頃に見て、大好きだった映画「ひまわり」
 今はDVDのジャケットなどにはソフィア・ローレンがひまわり畑の中にいる写真が使われていますが、上は初公開時の日本のポスターと同じ。一番大きな顔はリュドミラ・サヴェーリエワ。清楚な魅力で、当時、大人気でした。
第二次世界大戦。ロシア戦線で雪の中に倒れたイタリア兵マルチェロ・マストロヤンニの命を救い、彼の妻となったロシア女性サヴェーリエワ。しかし、イタリアには彼の妻ローレンがいて、行方不明になった夫を探しにはるばるロシアへ。
訪ねてきたローレンを、サヴェーリエワは夫の帰る駅に案内する。汽車が着いて、降りてくるマストロヤンニを見たローレンは、そのまま走り去る汽車に飛び乗り、イタリアへ帰ってしまう。
ローレンを夫の本当の妻だとわかっていて、彼女を駅に案内するサヴェーリエワと、もはや過去は戻ってこない、この2人の幸せを壊したくないと、汽車に飛び乗り、号泣するローレン。
この映画には駅の別れが3回登場し、最初は出征する夫を妻が見送るミラノ駅のシーン。次がこのロシアの田舎町の駅のシーン。そして最後が、ローレンに会いに来たマストロヤンニを再びミラノ駅から送り出すローレン。
監督のヴィットリオ・デ・シーカは「終着駅」でも駅の別れを描いていました。
駅の別れの映画では、デイヴィッド・リーンの「旅情」も有名。
駅で別れなかったのは、ビリー・ワイルダーの「昼下がりの情事」。

「ひまわり」で、ローレンがサヴェーリエワに会う前、広大なロシアの平原に広がるひまわり畑を歩くシーンがあります。
あれを見て以来、ひまわり畑を見たいと思っていましたが、ひまわり畑どころか夏にまともなひまわりをあまり見たことがない。都会だと1本とか2本、ひまわりが咲いてはいますが、なんかすごく小さくてショボイのばかりです。
が、今年、ようやくひまわり畑を見られました。
まあ、畑といっても狭いですが。
近所の自然公園。去年の秋はコスモス、今年の春はポピーが咲いていた場所に、ひまわり。

これは7月はじめです。まだほとんど咲いていない。

この真ん中の部分がどんどんふくらんでいきます。最初はこんな感じですが。

7月10日くらいになると、花が増えてきます。まだ真ん中はそれほどふくらんでいない。

だんだんひまわり畑らしくなってきました。

7月後半に入ると、かなり真ん中がふくらんできます。

まだつぼみもあるので、次々咲いてくる。

前に一度アップした、ひまわりに向かって飛ぶ蜂。

そして7月下旬。真ん中が重くなると花が下を向くようになります。はなびらもしおれてくる。


ひまわりは真夏の花と思っていましたが、梅雨が明ける前が見ごろなのでしょうか。
場所によっても違うと思いますが。

2016年7月25日月曜日

郊外生活

都心にいた頃は上野から銀座までのどの場所も地下鉄初乗り料金で行けたので(上野は歩いていけた)、毎日どこか都心の場所に出かけていたが、郊外生活になってからは通勤も映画館へ行くのも時間がかかり、手ごろな喫茶店も近くになく、結局、何もない日は近くの自然公園へ行く日々。
でも、今日は、速足で歩いて15分あまりのところにある喫茶店へ行ってきた。
その喫茶店、星乃珈琲店の存在は前から知っていたけれど、かなり前からコーヒー店はセルフサービスの店ばかりで、セルフでない喫茶店は敷居が高い気がしていた。
でも、そこからさらに先にある駅の前で親子丼を食べて、そのあとなんとなく星乃珈琲の店だけでも見てみようと(近くにはよく行くけど、店のそばには行ったことがなかった)、近くに行く。
まず、都心のあちこちにある有名なスパゲッティの店が1軒の建物で営業しているのでびっくり。
その隣に駐車場があり、その先に星乃珈琲店があった(駐車場はおそらく両方で使っている)。
もう、五右衛門がまるまる1軒の建物とか、喫茶店の前に駐車場とか、これが郊外か?
次は五右衛門に入ってみよう。
星乃珈琲をのぞいてみると、なんだかかなりすいていた。閉店まであと90分くらいだったから、このまますいているのかな、と思い、中に入ってみる。
お客さんはカップル1組と男性の1人客のみ。席選び放題で、窓際の隅の席に座る。ファミレスと同じで、ボタンを押してウェイターを呼ぶ。
珈琲はセルフじゃないにしてはリーズナブルな値段。フードがいろいろあって、フードを頼むとドリンクが安くなる。こんなことなら駅前で親子丼食べずにこっちに来ればよかった(次からはそうしよう)。
アイスコーヒーを飲みながら、先日ブックオフで1冊108円で買った文庫を読む。奥田英朗の「野球の国」のあとは恩田陸の短編集「図書館の海」。すでに半分以上読み終わっていて、残りの3作を読む。
恩田陸は前から気になっていた作家だけれど、読むのは初めてだった。長編の続編や前日譚になっている短編はやはり本編を知らないのでイマイチ。だが、独立した短編はみごと。SFや幻想小説に分類される作品ばかりだからか、小説の構成がシュールで、物語がどう転がっていくのかわからない。作者の才能に圧倒される。この人はプロットを決めてから書くのだろうか?
読み終わったあと、今度は角田光代の短編集「三面記事小説」を開く。恩田とは正反対のリアルな描写。昔ながらの小説という感じ。三面記事の事件をヒントにした小説なので、なんとなく先が見えてしまう(少なくとも最初の短編は)。家族の濃い話っていうのも私向きではないな。
最初の短編を読み終わると、閉店まで20分ほどだった。はじめは3人しかいなかった客がその後増えて、今は3組の客の話し声が大きく聞こえている。みんなよく話し込んでいて、帰る気配がない。ぎりぎりまでいても大丈夫かな、と思ったところで、入口近くに新聞と雑誌が置いてあるのが見えた。
近寄ってみると、週刊文春と週刊新潮がある。
まだ時間があるので、週刊文春の最新号をのぞいてみる。
例の鳥越俊太郎の記事だ。
ネットでだいたい内容は知っていたけれど、このスキャンダルは当事者の女性にはまったく接触できず、新潮が取り上げるのを断念した話とのこと。文春はその女性の夫から話を聞いたとなっていて、その背後に有名な上智大教授の存在があるとか(教授は別メディアの取材を拒否)。
夫の話というのは要するに、妻があの件でトラウマになっているから、鳥越氏にはマスコミに出ないでほしい、知事になるとしょっちゅう顔が出るので妻に悪影響が、ということらしい。
あの件というのは強引にキスをしたということなのだけど、鳥越氏は事実無根と言って刑事告訴もしている。
証拠としてあがっているのは、夫が鳥越氏に送ったとされるメールの写真だけ、それも一部で、黒く塗りつぶされているところが多い。
選挙期間中に出すネタとしてはあまりに弱いし、選挙妨害ととられてもしかたないが、一般の市民はこの手の週刊誌ネタには実際は影響されないという説もある(鳥越氏が小池氏、増田氏に比べて支持が少ないとされるのは、鳥越氏の選挙活動の方法がまずいのだというのが一般的な意見)。
どっちかというと、ちょっとした誤解で女性がトラウマになってしまい、それで夫が、という感じがするんだけど、この件を見て思い出したのが、中央大学の女性非常勤講師解雇事件。
数年前のことだが、中央大の女性非常勤講師で舞台芸術のアーティストでもある人がいた。彼女は母校の慶応大では英語を教えていたが(もともと英文科卒)、中央大では舞台芸術の授業とゼミを持っていた。
非常勤講師でゼミを持つこと自体がめずらしいのだが、このゼミがちょっとカルト的になっていたところがあったらしい。講師の女性の思想に惹きつけられて学生が集まるみたいな感じ。
で、あるとき、このゼミに他の学生とはかなり違う1人の男子学生が参加する。
明らかにこのゼミに向いていないのだが、講師はこの学生をなんとかしてやりたいと思ってしまう。
その結果、この学生に入れ込みすぎて、飲み会のあとに自宅に男子学生を泊めたりしてしまう(講師と学生の間にはもちろん、何もない。単に学生がそこで寝てしまっただけ)。
しかし、これがセクハラと親から訴えられ、クビになってしまったのだ。
クビになる過程が確かにひどいと思うが、講師もツイッターを使っていろいろ書いてしまったのはまずかった。
今の時代、講師は学生と親しくなりすぎるのはまずいと、私も感じるところがある(私じゃ何も起こりませんがね)。

2016年7月23日土曜日

「野球の国」

なんとなく自分の日本語を磨きたいと思い、それには気になる日本人作家の文章を読むのが一番、と思ったので、ブックオフで108円の日本人作家の文庫本を5冊買うぞ、と思い、深く考えずにとにかくピンと来た5冊を買った。短編集3冊、エッセイ集1冊、長編小説1冊。短編とエッセイを中心にしたのは、短かめの文章の構成を少し勉強したかったから。
最初に読んだのは奥田英朗の「野球の国」。奥田が野球観戦を目的に、日本のあちこちと台湾を旅するエッセイ集。
奥田英朗と言えば、最初に読んだのは変人医師・伊良部のシリーズ1冊目「イン・ザ・プール」。映画化されて、その映画評の執筆を依頼されたので読んだ。面白かったので、2冊目「空中ブランコ」、3冊目「町長選挙」も読んだ。「イン・ザ・プール」はけっこう棘のある書きっぷりだったけれど、直木賞受賞の「空中ブランコ」ではその棘がとれてほんわかムードになっていた。1冊目の棘のある文章は実はあまり好きではなかったが、2冊目でこの作家が気に入った。
そういえば、森田芳光が映画化した「サウスバウンド」もこの人が原作なんだけど、まだ読んでない。映画の方は森田芳光にしてはめずらしくあまり面白くないと感じたので、原作は読まなかったのだが、考えてみれば森田の作風と奥田の作風はかなり違うと思う。「サウスバウンド」も今度読んでみよう。文庫本上下各108円で売ってたし(作者が儲からないだろ、おい!)。

「野球の国」は拾い物だった。
もともと野球は好きだし、この本の文章が書かれた2002年頃はプロ野球に詳しかったので、選手の名前もすぐわかる。
奥田英朗は映画も好きなので、地方に野球観戦に行ったついでにそこの映画館で映画も見ている。
最初に行った沖縄で、彼は「地獄の黙示録 完全版」を見ている。
そして、後半に行く広島では「インソムニア」を見ている。映画館は広島スカラ座で、昔私が広島へ行ったときに入った映画館がここだった気がする。
「地獄の黙示録 完全版」も、「インソムニア」も、映画に合せて翻訳本を出した思い出の映画だから、本を読みながら特別な感慨にふけった。
エッセイの文章がとてもいい。ユーモアにあふれ、人柄のよさがうかがわれる。不眠症なところは私にそっくりだ。映画に関する考え方は私を極端にしたみたい。「地獄の黙示録 完全版」を絶賛し、「インソムニア」を予定調和と切り捨てる。私はそこまでしないが、映画に関する物言いには共感するところが多い。
人が少ないところが好きだと言う。私と同じだ。けっこうしょっちゅう世の中に腹を立てているらしい。私もそうだけど、私の方がまだ少ないかな。でも、奥田の文体はとてもほんわかしていて、旅先で出会う人々への視線がやさしく、そんなに腹を立てているのかなと思う。しかし、「イン・ザ・プール」の棘のある文章を思い出すと、奥田がそうした棘をユーモアやほんわかした文体ややさしい視線で隠しているのだと気づく。
神は細部に宿る、と彼は書いている。まさにそのとおりのエッセイ集だ。いやなこと、腹が立つことをさらっと書いて、そのあとユーモアで棘を隠す。そして、すばらしいと思ったことをひたすら強調するから、いやなことが書かれていたことなんか忘れてしまう(思い返せばけっこう書かれていたのだが)。
奥田はプロットを作って小説を書くことが嫌い、あるいは苦手で、先を考えずに書くのだそうだ。小説の魅力は文体にあると彼は主張する。実際、文体がすばらしい作家だということはわかる。プロットを作り、それを頼りに予定調和の物語を書くのではなく、先の見えない状態で書く。だから書くことには常に苦痛が伴うらしい。不眠症もそこから来ているのだろう。でも、出来上がった小説やエッセイは苦痛とは正反対の魅力を持っている。
ブックオフでこの本を手に取ったのは正解だった。これこそ、日本語を磨きたい私が必要としていた本だった。文体もそうだが、なにより、予定調和ではない文章を手探りで書くこと、まさにこれが私がやりたいと思っていたことなのだ。これまであまりに理詰めできちんと考え抜いた文章ばかり書いていたので、そうではない文章を模索していたところだったのだ。
ブックオフには神様がいたってことですね。