2013年9月25日水曜日

780円

だいぶ昔に電子書籍になった本の印税が振り込まれた。
金額780円ほど。
え? こんなに?
以前は1年間でドトールのコーヒー1杯分しか入らないので、まったく気にもとめていなかったのだが、いったい。
この本が電子書籍になったのはもう10年以上前だと思うが、当時はまだキンドルなんてしゃれたものはなく、各社が勝手に読むための機械を作るので、全然売れてなかった。それがキンドルの登場で、売り上げが確実に上がったのだろう。
その本は紙の本も今も現役で、9割は翻訳者の文章、残りの1割が私の解説。だから、翻訳者は私の9倍の印税をもらうことになるので、私が200円でも翻訳者は1800円だったのだ、ということに今気づいた(とにかく金額が安いので、何も考えてなかったのだ)。
実は、すでに絶版になっている私の翻訳書を電子書籍にしたいという手紙が来て、OKすれば契約して電子書籍になるのだけど、1年で200円じゃ面倒でやってられないわ、と思って返事をしていない。が、考えてみたら、こっちの翻訳書は100パーセント私の本だから、その10倍の印税が入るのだ。
と、ちょっと欲の皮が突っ張ってきたが、解説を書いた方の本はすでに30年近く売れ続けているけれど、絶版になった翻訳書の方は最初から部数が少なく、しかも売れなくてすぐ絶版だったので、電子書籍になってもそんなに売れないと思う。契約などの面倒を考えたらやっぱりやってられないわ、というのが結論。第一、その本、アマゾンの古書だと1円じゃないかな? ただ、キンドルは購入した瞬間に自分の手元に来るというのが魅力のようです。

追記 電子書籍の欠点は、古本屋に売ったり人に譲ったりという再利用ができないことです。

2013年9月23日月曜日

ジュディ・デンチに花道を

ツタヤ閉店の日に1週間レンタルで借りたDVDは月曜が返却日。ということで、最後に残っていた「ドラゴン・タトゥーの女・完全版」と「007スカイフォール」を見る。
「ドラゴン・タトゥーの女」はスウェーデンのオリジナルの方だけど、やはりノオミ・ラパスはよい。劇場版もよかったが、3時間のロング版も細かいところまでていねいに描いて、一気に見ても全然飽きない。このスウェーデン版ミレニアムは第2部第3部は監督が替わり、第1部よりも軽い映画になってしまったが、この第1部は映像もいいし、話の展開などもきめ細かく、非常に見ごたえがある。リスベットのラパスだけでなく、ミカエル役の俳優はじめ、役者もみんないい。
特典映像でラパスの来日インタビューが入っていたが、素顔の彼女はまったくおだやかな表情の女性らしい柔和さを感じさせる人で、彼女自身、自分が女らしい女優なのでリスベットには選ばれないと思ってすごく腹が立った、と言っていた(でも、彼女が選ばれた)。演劇学校出身ではないそうだが、リスベットの役の演技は奥行きが深く、人間としてのリスベットをよく表現している。

「スカイフォール」はダニエル・クレイグの007第3作だが、クレイグのボンドがすごく老けているのにびっくり。「カジノ・ロワイヤル」ではMに甘えるマザコン少年のようだった彼が「慰めの報酬」では大人に成長、そして「スカイフォール」では早くも無精ひげに白いものがまじる初老(?)のボンドになっていた。Mも「お互い年をとった」みたいなことを言っているが、Mのジュディ・デンチはあんまり変わらないような。
この映画はボンド・ガールらしいヒロインがいないのも驚きで、ボンドとロマンチックな関係になる女性は非常に短い出番しかない。かわりに全編を通じてヒロインになっているのがデンチのM。Mを母親のように慕う諜報員に対して非情な態度をとるM、というのがまずあって、それでボンドは撃たれて九死に一生というのが出だし(これ、どうやって助かったのか描かれてないんですけど)。そして、今度は、昔、母のように慕っていたMに裏切られたという男シルヴァ(ハビエル・バルデム)がMに復讐にやってくる。ボンドは女王を守る騎士のようにMを連れて両親の残した屋敷にたてこもり、そこへシルヴァが、というのがクライマックス。
この映画、ものすごく評判がよくて、確かにこれまでの007の常識を破るようなドラマツルギーを感じるが、同時に、でもねえ、と、冷めた目で見ている自分がいるのを感じる。
途中まではインターネットを駆使した大規模な陰謀に見えるのですが、クライマックスは田舎の屋敷にボンドとMがたてこもって、武器はライフルとダイナマイトがあるくらい。そこへ攻めてくるシルヴァも、別に重装備じゃないし、仲間も案外少ない。シルヴァはただMと心中したいだけで、そのお膳立てをボンドが作ってるみたいな感じさえある(ボンドも仲間を呼んだりしない)。その辺割り引いても、これは西部劇のたてこもりと同じレベルなのだ。
そしてラスト、Mがレイフ・ファインズに交代し、登場人物の1人がミス・マネーペニーであることがわかり、それ以前に「シャーロック」のカンバーバッチみたいな(つか、パクリか?)若いQが出てきているので、この「スカイフォール」で007はリセットされ、新たなシリーズになっていくのだろうということが予想できる。
つまり、この映画は、90年代半ばのピアース・ブロスナンのシリーズから20年近くにわたってMを演じてきたジュディ・デンチの花道なのではないかと思う。
デンチは若い頃はシェイクスピアの舞台で活躍し、映画によく出るようになったのは80年代で、そのときすでに50代。何度もアカデミー賞候補になり、「恋におちたシェイクスピア」で受賞も果たし、その他、さまざまな賞を受賞している名優だが、最近になって、目の病気で視力が衰えて台本が読めないことを告白したのだという。Mを演じ続けるのも限界と、その引き際として「スカイフォール」が企画されたのではないか、と感じる。
「カジノ・ロワイヤル」でMに対してマザコンのように振舞うボンドを描いていたので、その路線で、Mを母親のように愛する2人の男のストーリーにしたのだろう。ダニエル・クレイグとハビエル・バルデムに愛されるヒロイン(母親のように、だけれど)としてのMの物語となったのだ。惜しいのは、バルデムのMへの執着がわりとあっさりしてるというか、「ノーカントリー」みたいな狂気がないのが物足りない気がする。あと、「カジノ・ロワイヤル」のときはMはベッドで夫と寝ていたけど、この映画では夫はもう死んでいるのだね。
デンチがMになったとき、Mは影の女王となり、エリザベス女王やサッチャー元首相のようなイギリスを支配する女性と重なったことだろう。実際、デンチはエリザベス一世とヴィクトリア女王を演じている。もっとも、彼女のMは鉄の女サッチャーに近いかもしれないが。
007では主要メンバーに引き際を用意するということはこれまでなく、いつのまにか人が変わるというのが普通だったと思うが、今回は特別なケースに思える。50周年という節目もあってのことだろうが、次はクレイグがまた若返って、新たなメンバーとシリーズ再開となるのだろうが、クレイグは007になってから演技や個性がわりと同じ方向のものばかりになっているので、昔のファンとしてはちょっと残念。監督のサム・メンデスは「ロード・トゥ・パーディション」の監督で、あの映画ではクレイグはバカ息子だったのに(あれが好きだったのだ)。クレイグもいつまでも007をやってはいないだろうけれど、まだしばらくはやるかな、という気がする。レイフ・ファインズとの対決シーンとか、名優激突で見ごたえがあった。007もだんだんシェイクスピア劇みたいになっていくのだろうか?

この映画のデンチについての英語のインタビュー記事。
http://www.huffingtonpost.com/2012/11/09/judi-dench-skyfall-007-bond_n_2102516.html
最後に彼女は、「幽霊になってまた出てくるかもよ。シェイクスピア劇みたいに」と言っている。
なお、Mは引退しても、彼女の映画出演はまだまだ続くようだ。

2013年9月22日日曜日

彼岸花@近所

土曜日はコインランドリーで洗濯。が、うちはランドリーが遠いので、お金を入れたらいったんうちに帰る、ということができない。なので、カメラを持ち出して、適当に散歩して猫の写真でも撮ろうかと思ったが、昼間の暑い時間帯なので猫はいなかった(1匹いたが、カメラを出す前に逃げられた)。
しかし、草ぼうぼうの空き地で彼岸花を発見。赤と白が一緒に生えていて、なかなかの色合い。


コインランドリーそばの花壇にも花が。

その花壇はいろいろな草花が植えてあるのだが、よく見るとほおずきが。


またさっきの空き地へ行ったら、奥の方にこんなに彼岸花が。赤も白もいっぱい咲いていて、なかなかの見ごたえ。





夕方から散歩に出る。近所の猫。

上野公園。鷺がいた。

水面の色は足こぎボートの色。

ライトアップ。もう夕暮れ。

2013年9月20日金曜日

彼岸花

彼岸花がかなり咲いているので、写真を撮りに谷中散歩。
まず、路地裏を歩いていたら、こんな建物が。
(あとでHPを見つけました。入ってみればよかった。http://gallery.necomachi.com/

ギャラリーらしいのだが、この階段を上がらないとわからない。



写真だけ撮って、上には上がらず。
そして、お寺がいくつもある場所へ。お寺の入口に紅白の彼岸花。
白は満開だが、赤はまだこれからのよう。



猫のいる墓地へ。春は花でいっぱいのこのお寺は今は花はなし。仏像に横から日差しが。

墓地の中。一列に彼岸花が咲く。まだつぼみが多い。


猫の写真はあまり撮らなかった。

トンボ。




トンボのそばの彼岸花。バックが青空だと赤が映える。

いつのまにか日が落ちて、シャッタースピードが遅くなった。

老いらくの恋

老いた男が若い女に恋をする、という映画を今週は2本も見てしまった。
「ベルエポック」がアカデミー賞外国語映画賞を受賞したスペインのフェルナンド・トルエバ監督による「ふたりのアトリエ ある彫刻家とモデル」は、ジャン・ロシュフォール演じる老いた彫刻家が若い女性と出会い、作品を仕上げていく。
舞台は第二次世界大戦中、ドイツ占領下のフランス。主人公は実在の彫刻家がモデルらしいが、彼が若い女性をモデルに彫刻を仕上げる間に、いろいろな人が現れ、そして去っていく。
若い女性を連れてきたのは彫刻家の妻(クラウディア・カルディナーレ)で、ミューズを失っている夫のために、夫好みの肉体を持つ彼女を町で拾って連れてきたのだ。
しかし、この女性は実は対独レジスタンスの活動もしていて、仲間の青年がやってきて彼女と同居したりする。彫刻家は妻がいるし、若い彼女に言い寄ったりはしないが、彼女が青年とむつまじくしているのを見ると嫉妬にかられる。
彫刻家には美術研究家のドイツ軍将校の知り合いがいて、彼も彫刻家のアトリエを訪れ、フランス文学や美術の話をして帰る。将校はロシア戦線へ行く予定なので、生きて帰れないかもしれない。
その後、今度はレジスタンスの青年が去り、そして妻とモデルの女性も旅立っていく。ひとり残された彫刻家が完成した彫刻を庭に出すラストに衝撃が走る。
モノクロの映像が、ロシュフォール演じる彫刻家のストイックさにぴったりであり、また、色を塗らない彫刻という芸術にも合っている。

ジュゼッペ・トルナトーレの「鑑定士と顔のない依頼人」では、ジェフリー・ラッシュ演じる鑑定士にしてオークショニアが鑑定の依頼をしてきた若い女性に恋してしまう。
ロシュフォールの芸術に賭けるストイックな彫刻家に比べ、こちらの鑑定士は同じ美術品を扱う職業なのに、なんというか、ストイックとは程遠い。
だからといって別にスケベではなく、むしろ逆で、あまりに潔癖で女性と恋もできないまま年をとってしまった初老の男。でも、ストイックとはまったく別なんだなあ、と気づくのは、「ふたりのアトリエ」を見た直後だからだ。
主人公の鑑定士ヴァージル・オールドマン(オールドマンて、文字通り老人)は、両親を失い、家具や美術品をオークションで売りたいと思っている若い女性クレアから相談を受ける。しかし、クレアは彼の前に姿を見せない。なぜなら、彼女は広場恐怖症、対人恐怖症で、外に出られない、人に会えないからなのだ。オールドマンは彼女の屋敷に行き、鍵を預かり、鑑定をする。そして、彼女の姿をこっそり見た彼は、彼女に恋をしてしまう、というお話。
オールドマンは非常に成功した鑑定士・オークショニアで、しかも価値のある美術品を価値がないように見せかけて安く手に入れたりと、ずるいこともしている。秘密の部屋には女性の肖像画が多数飾ってあり、彼は生身の女性ではなく、二次元の女性に囲まれて暮らしている(要するに、日本のアニメオタクとかと同じですな)。
彼は非常に潔癖で、食事をするときも手袋をしたまま、携帯電話もハンカチをかぶせて使う。そんな彼が、対人恐怖症で外に出たがらない女性クレアとの間に共通点を感じ、お互いに惹かれあうが、しかし、クレアの行動はどこか変、ということで、まあ、最初から彼女が怪しいわけです(このくらいはネタバレにならんだろ)。
オールドマンが親しいのは元画家でオークションの不正仲間の男と機械に強い青年。あとはあまり人付き合いもしていないような感じ。クレアの屋敷の目の前にカフェがあって、そこにやたら数字に強い奇妙な女がいるが、登場人物としては彼女が謎めいて面白い。
正直、この手の映画を見慣れている人なら、途中でだいたいネタがわかってしまうと思う。私もたぶんこうだろうと思ったら、そのとおりだった。ただ、一番最後にわかるネタは気づかず、やられた。
映画には絵画だけでなく、18世紀の自動人形(字幕は機械人形だったが、自動人形の方が一般的だと思う)らしきものが出てきたり、ラストのプラハのカフェが時計の歯車を巨大にしたようなインテリアだったりと、スコセッシの「ヒューゴの不思議な発明」の影響を受けたのかな、と思うところがある。ちなみに、オールドマンの友人を演じるドナルド・サザーランドが主演したフェリーニの「カサノバ」にも自動人形が登場する。
というわけで、面白い映画なのだが、見終わってどうもすっきりしないのは、オールドマンという男が同情すべき人なのかどうかがよくわからないからだ。潔癖症だがずるいこともし、女性の肖像画に囲まれて暮らす男が若い女性にメロメロになるのを、同情して見るべきなのか、皮肉に見るべきなのかわからないのだ。また、他の人物も、何を思ってこういうことをするのか、イマイチわからない。登場人物の誰の立場になっても、カタルシスが感じられないのだ。