「新凱旋門物語」についてはすでに書いていますが、
さーべる倶楽部: 「新凱旋門物語」これは好きな映画(ネタバレ大有り)
オンライン試写で2回見たのだけれど、画面がものすごく小さくて細かいところがかなりわかりづらかった。その後、原作も読んだことだし、映画館できちんと見ようということで、出かけた。
しかし、映画が始まった直後にドタバタと入ってきた客がいて、その客が上映中もがさごそと音を立て続けていたので、なんだか落ち着いて見られなかった。この映画館でこういう客は珍しい。
映画はやはり原作を読んでいた方が細かいところがわかりやすい。また、クライマックスが実際とは違うということがわかった。
というわけで、またまたネタバレありです。
スプレッケルセンがグランダルシュのプロジェクトを降りてしまったのは、映画では、彼が選んだ大理石が勝手に別のものに替えられてしまったから、ということになっているが、原作ではミッテランの選挙での大敗によって予算が大幅に減らされ、コミュニティ・センターとして企画されたグランダルシュが商業施設にされそうになったこと、そして、スプレッケルセンが意図したグランダルシュの周辺との調和もだめにされてしまったからで、大理石が主な理由ではない。スプレッケルセンは巨大なキューブのまわりに小さなキューブの建物を配することを考えていたが、建設費を稼ぐためにオフィスをたくさん作らねばならず、周辺に大きな建物を建てざるを得なくなったのだ。一方、商業施設化については、若いディベロッパーがグランダルシュを乗っ取ろうとしたが、スプレッケルセンがプロジェクトから抜けたあと、映画ではシュビロンとなっている人物=シュビローの努力で防ぐことができたようだ。このディペロッパーに相当する人物は原作では後半に登場するが、映画では前半のルルーという男がこの人物をモデルにしているように見える。ただ、このディベロッパーとルルーは名前もキャラクターもまったく違うし、映画ではルルーは後半に名前が一度出てくるだけ。
大理石に関しては、予算を減らされたので別の大理石にせざるを得なかったので、スプレッケルセンもこれは妥協したようだ。また、彼が退いたあとはアンドリューができるだけスプレッケルセンの望んだようにしようと大理石をきびしくチェックしたという。しかし、その大理石は、スプレッケルセンが望んだように何も加工しなかったので、やがてだめになり、花崗岩に置き換えられてしまったのだとか。
映画では原作の後半にあるディベロッパーとの戦いがまったく描かれず、スプレッケルセンがしだいにアンドリューやシュビロンを敵視するようになり、ついには最愛の妻まで敵視するようになってしまったので、プロジェクトから身を引いた、ということになっているけれど、これは原作とは違う。
スプレッケルセンの妻が、夫は映画ほど不幸でなかったし、フランス人の同僚たちとそこまで不仲ではなかった、と言っているのもわかる気がする。映画は現実を受け入れず、頑なに自分の理想を追求する人間の悲劇として描いているから(まさしくシェイクルピアの悲劇の主人公)、こういうクライマックスになったのだろう。このあたり、賛否ありそうな気がする。
スプレッケルセンが出会うフランスの建設会社はどこも繊細さを欠いていて、デンマークの会社に依頼したいと考えていたところ、その繊細さを持つアンドリューと出会い、実際の建築をアンドリューに任せるようになるあたりから、この2人の対立がはっきり見えてくるのだが、アンドリューは最初、グランダルシュを2人の共同作品にしたいと思っていたが、スプレッケルセンが自分の作品にしたいと言うのでそれを受け入れる。しかし、技術的な面で対立するうちに、スプレッケルセンはアンドリューが自分の作品を奪おうとしていると感じるようになり、彼を敵視するようになってしまうのだが、映画の前半、スプレッケルセンの作った教会をアンドリューが見に行ったとき、彼はパイプオルガンを弾くスプレッケルセンに背を向けて遠ざかり、それから後ろの方の席について前を見る。だが、スプレッケルセンがプロジェクトを降りると宣言したとき、引き留めるシュビロンの後ろでアンドリューが後ろを向き、そのまま歩き去るのがぼんやりと映っている。
実際にはスプレッケルセンとアンドリューの関係はこんな単純なものではなかっただろうが、映画は2人の対立をかなりわかりやすく描いている。ただ、原作を読むと、アンドリューは若くして建築家として名を上げたが、彼はパリ空港会社の社員であったので、そういう立場だから好きなことができるといった見方をされていて、芸術家として認められていなかったこと、会社をやめてからはおもに外国で建築をしていたことが書かれている。アンドリューもまた、フランスでは仕事がやりにくく、また、認めてもらえなかった、ということがあったようだ。映画はこの辺は描いていない。
ラスト、スプレッケルセンの墓を探すアンドリューとシュビロンのシーン、映画では頭文字が書かれた小さな墓碑みたいなものがあるが、原作によると、実際のスプレッケルセンの墓のある区画には何もなく、ただ、草が生い茂っているだけなのだそうだ。墓に墓石を置かないというケースもあるらしい。
スプレッケルセンの妻は、映画では名前も変えられ、完全なフィクションであることが最初に示されるが、実際の彼女は夫と愛し合っているのでいつもそばにいただけの地味な女性であったらしい。ただ、いつも黒い服を着て愛想が悪いので嫌われていたとも。夫の死後、夫に関する取材などはいっさい断っていて、原作の著者がいくらアプローチしてもだめだったらしい。また、グランダルシュが完成したとき、アンドリューは彼女から「完成させてくれてありがとう」といった言葉を期待していたが、いろいろケチをつけられたので、その後、彼女とはいっさい会わなかったという。
原作を読んで、いろいろわかったことがあったが、それでもこの映画は私の好みだ。原作も映画も完成したグランダルシュの写真や映像を出していないのだが、出すと著作権料を払わないといけないので出してないのかもしれない。原作ではグランダルシュはその外観やシャンゼリゼ通りからの見え方がすばらしいと絶賛されているが、オフィスのような実用的な部分では問題も多いらしい。また、グランダルシュのときのような誰でも応募できる建築コンペは現在では行われておらず、入口のところで応募できる人(と設計事務所)を絞ってしまうそうで、スプレッケルセンのような人はそもそも応募できないのだという。あの時代だからこそスプレッケルセンのようなイカロスが選ばれた、と著者は書いている。