2024年7月14日日曜日

「キングダム 大将軍の帰還」

 「キングダム」は1と2は見てなかったけれど、3の予告で大沢たかおの存在感に惹かれて見に行き、とても面白かったので、4も見るつもりでいた。

が、例の、エアコン設置業者からどう見てもぼったくりだろうと思う金額を取られ、かつかつ生活の貧乏人としてはなんとしてもこれをどこかで取り戻さねばならない、そうすることでこの恨みを忘れず、以後の失敗を回避できる、と思ったので、映画を何本かあきらめることにして、その中にこの映画も入っていた。

でもやっぱり、3の続きが気になりますよね。

てことで、見に行きました、近場のシネコン。




前半は、登場人物を知らないせいか、人物たちの心情に共感できず、うーん、イマイチな展開。が、後半、大沢たかおの王騎が主役になるとがぜん面白くなった。

いろいろと見ごたえは十分で、見に行ったことには満足していますが、3の方は予備知識まったくなかったにもかかわらず楽しめたのに、こっちは原作を知らないことから来る不満がどうしても残る。

王騎が主役の後半も、人物たちの心情が、原作知らないとその深みがわからない。

3は原作知らない人でも楽しめたが、4はそうはいかなかったようだ。

王騎のせりふがどれも感動的で、リーダーのあるべき姿を見せてくれているが、そんな王騎が敗れて亡くなり、原作知らないとよくわからない相手の武人が生き残るのがどうにも不満が残る。

主人公・信に王騎の魂が受け継がれて、というラストだけど、これも原作知らないとあまり深みがないなあということになってしまう。

というのが、原作知らないでいきなり3を見て大満足した人の4の感想でした。

2024年7月13日土曜日

「メイ・ディセンバー ゆれる真実」(ネタバレ大有り)

 「メイ・ディセンバー ゆれる真実」を見に日本橋へ。

流山おおたかのもりでもやっているのだが、なんで日本橋へ行ったかというと、西洋美術館の中世写本展とハシゴしようとしたから。


ひとことで言うと、不快な映画。

音楽といい、映像といい、ホラーみたい。

そして、あのざらついた画面。

ま、それはいい。

ナタリー・ポートマン演じるエリザベスという女優が最初から不快だった。私はこの女は嫌い、と最初から思ってしまった。

ネットなどでいくつか評論めいたものを読んだが、どれもピンと来ない。そのうちいいのが見つかるかもしれないけれど、エリザベスがグレイシー(ジュリアン・ムーア)に近づいていくのが観客の立場、少なくとも最初の方は、という意見が多いみたいだった。

それだと最初からエリザベスが嫌いな私は全然入っていけないよね。

1990年代にアメリカを騒がせた30代の女性教師と12歳の少年の事件はよく覚えている。相手が12歳では日本でも同意の上でもレイプだから、当然、女性は刑務所に入り、そこで出産。そして、一度は釈放されるが、少年に会ってはいけないのに会ってしまってまた刑務所行き。少年の両親は交際を認めていたのだから、少年が結婚できる年になるまで待てばいいのに、待てないのか、この女は、と、そのとき思ったのを覚えている。

その後、出所した女性は少年と結婚、そして数年前に亡くなったのもニュースで知った(その少し前に離婚していたらしい)。

この事件をモデルにしたこの映画は、事件の20数年後、結婚した女性グレイシーと元少年ジョーがハイティーンの子どもたちと暮らしている、という設定。そこへ事件の映画化でグレイシーを演じる予定の女優エリザベスが役作りの調査のためにやってくる。

エリザベスはある意味、映画化する人々の代表みたいなものだ。彼女はグレイシーを理解しようとするが、基本的には幼い少年を誘惑したグレイシーが悪かったと思っている。それは映画化にかかわるスタッフたち(映画には登場しないが)も同じ意見だろう。そういう方向で映画化するに決まってるし、今の時代、そうでなければ許されない。

私がエリザベスが嫌いだと思ったのは、そもそもの最初から、この事件を映画化することそのものに対する不信感、嫌悪感があったからだろうと思う。

私より若い世代にはおそらくピンと来ないのではないかと思うが、私が10代の頃は、少年が大人の女性に性の手ほどきを受けるのを肯定的に描く映画が山ほどあった。戦争で夫を失った女性が、彼女を慕う少年と関係を持つ「おもいでの夏」(この映画を愛する人は多いと思うが、今では未成年を性的に虐待する女の話に受け取られてもしかたないだろうな)。母と少年の息子が関係を持つ「好奇心」、そして、高校教師の女性と教え子が恋に落ち、駆け落ちしたら、女性が誘拐罪で逮捕され、社会の追及を受けて自殺してしまった実話の映画化「愛のために死す」。

最後の「愛のために死す」なんてさ、恋愛の自由を認めない社会を批判する社会派映画だったよね?

もっとも、「おもいでの夏」とか「愛のために死す」は少年は高校生で、欧米では16歳以上は性の相手を自由に選べるとしているところもあるので、ぎりぎりセーフか。新海誠の「言の葉の庭」は高校1年生と女性教師だったが、教師が大人としての立場を守り、2人は別れるけれど、少年が18歳になればつきあえる、という含みを持たせた結末になっていた。

何が言いたいかというと、今では大人の男性と少女だけでなく、大人の女性と少年も問題、というようになっているけれど、かつては大人の女性と少年は無問題とされていたのである。

が、その一方で、「愛のために死す」のモデルの女性や、「メイ・ディセンバー」の女性のように、大人の女性と少年だと女性がひどいバッシングを受けるというのも、ずっと昔からあったわけだ。大人の男性と少女だとなんかうやむやにされてしまうというか、結婚すればそれでオッケーみたいなところがあるのに。

そういう女性差別みたいなものが「メイ・ディセンバー」の中にもあって、大人の女性と少年が結婚すればそれでオッケーにならなくて、確かに相手が中学生では性的虐待なんだけど、そのモラルの側にもそういう女性差別が皆無とは言い切れなくて、その辺のヤな感じが最初からエリザベスにあるから私は嫌いだったのかな、と(そこまで計算してはいるよね、監督は)。

映画の冒頭ではグレイシーとジョーはラブラブで、ハイティーンの子どもたちと幸せな家庭を築いていて、周囲の人たちもあたたかく見守ってくれている、とういう感じなのが、どんどん違っていく。近所には元夫との間にできた子どもたちもいて、その元夫との間の息子が、グレイシーは兄から性的虐待を受けていたとエリザベスに言う(グレイシーはそれは息子がいいふらしているデマだと言う)。あたたかく見守ってくれているのはごく一部の人たちだけ、みたいなこともだんだんわかってくる。グレイシーが大人になれない精神不安定な人だということもわかってくる。そして、息子と娘の高校の卒業式を見て顔をゆがめて泣くジョー。13歳で父親にされてしまったジョーが失ったものがここで示され、結論、やっぱりグレイシーのしたことは悪い、ジョーの貴重な少年時代を奪った。

最後は映画の撮影で、グレイシー役のエリザベスとジョー役の俳優と蛇が共演している(このシーンのエリザベスもひたすら不快)。アダムとイヴと蛇(サタン)ですね。イヴがサタンをアダムに渡す。うーん、これって、旧約聖書の女性差別的な部分だよね。イヴはアダムの肋骨から作られたというのがそもそもそうだし。

まあ、この辺の、やっぱりグレイシーが悪い、いや、女性が悪いと描く社会が。。。という結論なのかな。もやもや。

ジョゼフ・ロージーの「恋」のミシェル・ルグラン作曲の音楽がピアノ演奏で不気味に何度も響く。「恋」は大好きな映画で、原作も英語で読んでる。20世紀初頭のイギリス(だったと思う)、貴族の婚約者がいる良家の令嬢がひそかに森番と恋をしていて、令嬢に片思いする少年が2人の連絡係をする。少年は自分のやっていることの意味を知らず、最後に、令嬢と森番の関係を見せつけられる。悪いのは少年を利用した令嬢だろうか。いや、身分違いの恋を許さない社会、偽善に満ちた大人の社会ではないだろうか。

「恋」は映画館で2回見て、2度目のときは退色が激しくてがっかりした。4Kになってればまた見たい。午前十時の映画祭でやってくれないかな。

2024年7月11日木曜日

エアコン

 「フェラーリ」の原作になった本を読んでいるのだけれど、映画はこの本の映画化とは言えないものだった。主人公フェラーリが、映画と原作ではだいぶイメージが違う。映画で描かれたエピソードは、原作ではごくごく一部でしかない。しかも、史実なわけで、この本のおかげで知られた話ではない。たぶん、映画化権が買われていたので、利用したのだろう。

その本に、「成功からは何も学べない。失敗こそ学ぶことがある」みたいなフェラーリの言葉が書かれていた。

まさにそのとおりなんですが。

先日、ようやくエアコンが入ったのだけど、いろいろ不信感を抱いてしまった。

家電はずっと某量販店利用だったし、他の店より値引きされていたので買ったのだけど、買うときの店員の応対がかなりひどかった。態度が悪い、とかそういうことではなくて、仕事がまともにできない感じだった。また、エアコンを買った客から、追加の工事費をたくさん取られたという苦情が多いのかな、という感じを受けた。

そして設置当日。ああ、やはり、という感じで、ぼったくり追加工事費。

業者の車を停める場所がない+階段が狭い 5500円

室内機と穴が数十センチ離れている 3300円

役に立たないドレン逆止弁 2200円

最後のは、某店で、これをつけないとボコボコうるさいと言われ、つけることにしたので、業者のせいではないが、つけても音はするし、あとで調べたら、頻繁に掃除しないと水漏れの原因になるという。しかし、業者は掃除のやり方の説明などいっさいしなかったので、やり方がわからない。

納得の行かない追加費用だからといって、1万円くらいでやめますとは言えない。そこがねらいなのだろう。また、この手の量販店だと、工事費込みと言いながら、業者にはスズメの涙しかお金を渡さないのかもしれない。

修理のときは業者に電話を、と言われたが、延長保証までつけてもらったのに、業者に電話じゃまたぼったくられるだろうと思うので、修理は販売店に依頼するつもり。

エアコン自体はとても快適で、機械はよいものだと思う。

(この件については追記しました。)

今、賃貸はたいていエアコンがついているので、賃貸ばかり住んでいる人はエアコンを買うこともあまりないだろう。私もこの年になってエアコンを買うとは思わなかったが、もしも5年くらいで使えなくなってしまったら、また買わなければならない。でも、10年以上使えたら、そのときは寿命が来てるかもしれないし、そうでなくてもエアコンを買う経済的余裕はもうないと思う。

私は賃貸でもエアコンのないところに住んだ時期の方がはるかに長いが、1980年代までは賃貸にはエアコンがついていなかった。当時はセパレートタイプはアパートにつけるのはむずかしく、自分でつけるとしたら窓式エアコンで、128000円で買ったのが1985年ころだったか。

それが10年くらいで壊れて、そのあとはエアコンなし。2000年代半ばにエアコンのあるアパートに引っ越したけど、そこは4年で退去。その後はまたエアコンなしの賃貸で現在に至っている。

前に書いたひきこもりのストーカー男が2階にいるので、引っ越しの可能性を考えたらエアコンは買いたくなかったのだけど、暑さを避けて夜遅くまでやっているコーヒーショップですごし、それから帰ってくる時間がちょうど、そのストーカー男が窓から見張っていていやがらせをするときなので、昨年夏は毎晩いやがらせをされていた。また、コーヒーショップも値上がりして、これだったらエアコンの電気代の方が安いと思うようになったのだった。

そんなこんなでエアコン自体はありがたいのだけど、量販店はもうあまり利用したくないな、そして、安さで買ってはいけない、特にエアコンのようなものは、ということを肝に銘じたのであった。

追記 某量販店に苦情を入れたところ、駐車場うんぬんのところはやはりおかしいということで、返金してくれることになりました。

2024年7月8日月曜日

七夕の日、中山競馬場へ避暑に

 日曜は危険な暑さ、ということで、ショッピングセンターか中山競馬場へ避暑に行くことを考えました。

ショッピングセンターの方が交通費は安いし、無料で座れる場所もあるので経済的だけど、なんかつまらない。中山競馬場は今、ターフビジョンが2台ともメンテナンス中で、室内のモニターかパドックの大画面で見るかだけど、福島の七夕賞はどんな馬が出るのかな、と見てみたら、レッドラディエンスとカレンルシェルブルを応援したくなった。レッドラディエンスは戸崎騎手だけど、彼は1番人気だと来ない、2番人気だと来る。で、レッドラディエンス2番人気。よし、単勝買いだ。あと1番人気のキングズパレスも気になる。なんか1番人気と2番人気が3着以内に来そうな気がしたのでワイドも買う。穴のカレンルシェルブルは応援で。

そしてやっぱり来たのよ、レッドラディエンス予想通り1着。そしてキングズパレスは2着。例によって100円ずつしか出さないので、儲けはわずかですが、とりあえず黒字。カレンルシェルブルは調子よくなかったみたいです。つか、3着は七夕の7番の馬だったよ。

しかし暑い。暑いので、外に出てる人はほとんどいません。



つか、ターフビジョンはこのとおりメンテだし。でも、音声は外でも聞けました。


パドックの大画面で見たいなとも思ったけど、暑さにめげて、シアターみたいなところでモニターをずっと見ていました。

売店のところも夏仕様。バーゲンをやっていました。




そのあと、帰る途中にあるヨーカドーで弁当を買って食べ、そのあとベローチェでアイスコーヒーで閉店までねばりました。例の「フェラーリ」の原作本が近所の図書館に届いていたので、借りてから競馬場へ行ったのです(レースの合間にも少し読んだ)。

しかしベローチェは以前はギンギンに冷えてたのに、冷え方がイマイチだったな。電気代の節約なのか、近隣の飲食店は冷房の効きがイマイチで長居をする気になれず、でも、ベローチェだけは、と思っていたのに。コーヒー300円に値上げしたのだから、涼しくしてほしい(近隣の他の店よりは涼しいけど)。

競馬場の建物の中はギンギンに冷えてました。冷えすぎたので、一時、外に出たくらい。外も風があって、日陰だとそんなに暑くなかったです。

先週の火曜日にエアコンを買ったけど、来るのは今週の火曜日。やっぱり6月に買うんだった。

2024年7月7日日曜日

「フェラーリ」(ネタバレ大有り)

 マイケル・マン監督の久々の新作。


「ラッシュ プライドと友情」や「フォードvsフェラーリ」のようなレースを舞台にした男たちのドラマかと思ったら違った。

1947年、妻のラウラとともにフェラーリ社を設立したフェラーリ。それから10年後の1957年のある時期が舞台。前年の56年にフェラーリとラウラの息子ディーノが難病で他界。フェラーリは第二次世界大戦中に知り合ったリナと愛人関係にあり、リナとの間に息子ピエロがいるが、認知しようとしない。ラウラとの夫婦関係はすでに破綻しているが、ラウラは夫が他の場所で家庭を築いていることを知らない。フェラーリは夜はリナとすごし、朝になるとビジネスパートナーでもあるラウラのところに戻る、という生活。

つまり、これはフェラーリと妻と愛人の物語。だから、レーサーとかレース関係者とかライバルとかは、この2人の女たちよりも扱いが軽くなる。

元レーサーであり、今もレースにのめり込むフェラーリだが、映画はレース映画というよりは、家族の問題がメインになっている。

マイケル・マンといえば、女性描写がだめだめ、というのが定評で、実際、女性は刺身のつまみたいな映画ばかりだったのだが、これはどうしたことか?

特にラウラを演じるペネロペ・クルスはまるでソフィア・ローレンのようなしかめっ面をして、アダム・ドライバーのフェラーリを圧倒する存在感。

これはいったい?

マンといえば、「ヒート」のパチーノとデ・ニーロ、「インサイダー」のパチーノとラッセル・クロウ、という具合に、2人の男の対決や葛藤を描いてきた監督。で、「フェラーリ」は、と思ったら、そうだ、ここではラウラがパチーノなのだ。そして、フェラーリはデ・ニーロやクロウ。

ラウラはぐいぐいと押していく。それに対し、フェラーリは受け身。発砲するラウラは、マンにとっては男性主人公なのではないか?

それに対し、愛人のリナの方は、これまでのマンの映画の女性たちとあまり変わらない。

リナとその息子ピエロの存在を知ったラウラは、息子ディーノが不治の病に苦しんでいたときに愛人のところへ逃げていたことを責める。ラウラにとって、ピエロを認知することは、死んだばかりのディーノの存在を否定することだ。だから彼女は絶対に許さない。フェラーリもディーノのことは片時も忘れたことはなく、毎日墓参りしているくらいだから、ピエロを認知しないのはやはりディーノのことがあるからだろう。

ラウラは強い母、フェラーリは弱い父である。ピエロに関して常に及び腰なフェラーリの態度にそれは表れている。

息子たちをめぐるラウラとフェラーリの対立は、しかし、マンにかかると家族のドラマというよりは、むしろ男と男の争いのようにさえ見える。ラウラは性別を超越した存在にさえ見える。

クライマックスは公道で行われるレースで、ここで観客を巻き込む大惨事が起こる。このレース、始まったときから車が猛スピードで走るすぐそばで人がたくさん見ているので、危ないな、と思っていたら、ああ、こういう結末になるレースだったのか、と納得した。レースの描写が「ラッシュ」や「フォードvsフェラーリ」のようなレース映画とどこか違っていて、違和感を感じていたのだが、そのわけがわかった気がした。死者の中に子どもが何人もいたことが、フェラーリの動揺を深める。子どもの死は彼に深くのしかかる。

窮地に陥ったフェラーリを救うのは、ビジネスパートナーのラウラである。常に決闘しているようだった2人の対立は、ここで1つの決着を見る。勝ったのはラウラだが(そう、あの2本の映画で勝ったのがパチーノだったように)、フェラーリと息子ピエロにも明るい未来があることを暗示して映画は終わる。


近くのシネコンでもやっていたのだけど、時間が合わなくて、久々に南船橋のTOHOシネマズで見た。IKEAにも寄って、レストランでくつろぐ。いろいろ値上がりしていたけれど、からあげがおいしかったし、ドリンクバーもよかった。

原作は集英社から翻訳が1990年代に出ていて、文庫化もされているが、この映画自体があまり話題になってないせいか、図書館では全然借りられてないので、予約しました。