2024年7月13日土曜日

「メイ・ディセンバー ゆれる真実」(ネタバレ大有り)

 「メイ・ディセンバー ゆれる真実」を見に日本橋へ。

流山おおたかのもりでもやっているのだが、なんで日本橋へ行ったかというと、西洋美術館の中世写本展とハシゴしようとしたから。


ひとことで言うと、不快な映画。

音楽といい、映像といい、ホラーみたい。

そして、あのざらついた画面。

ま、それはいい。

ナタリー・ポートマン演じるエリザベスという女優が最初から不快だった。私はこの女は嫌い、と最初から思ってしまった。

ネットなどでいくつか評論めいたものを読んだが、どれもピンと来ない。そのうちいいのが見つかるかもしれないけれど、エリザベスがグレイシー(ジュリアン・ムーア)に近づいていくのが観客の立場、少なくとも最初の方は、という意見が多いみたいだった。

それだと最初からエリザベスが嫌いな私は全然入っていけないよね。

1990年代にアメリカを騒がせた30代の女性教師と12歳の少年の事件はよく覚えている。相手が12歳では日本でも同意の上でもレイプだから、当然、女性は刑務所に入り、そこで出産。そして、一度は釈放されるが、少年に会ってはいけないのに会ってしまってまた刑務所行き。少年の両親は交際を認めていたのだから、少年が結婚できる年になるまで待てばいいのに、待てないのか、この女は、と、そのとき思ったのを覚えている。

その後、出所した女性は少年と結婚、そして数年前に亡くなったのもニュースで知った(その少し前に離婚していたらしい)。

この事件をモデルにしたこの映画は、事件の20数年後、結婚した女性グレイシーと元少年ジョーがハイティーンの子どもたちと暮らしている、という設定。そこへ事件の映画化でグレイシーを演じる予定の女優エリザベスが役作りの調査のためにやってくる。

エリザベスはある意味、映画化する人々の代表みたいなものだ。彼女はグレイシーを理解しようとするが、基本的には幼い少年を誘惑したグレイシーが悪かったと思っている。それは映画化にかかわるスタッフたち(映画には登場しないが)も同じ意見だろう。そういう方向で映画化するに決まってるし、今の時代、そうでなければ許されない。

私がエリザベスが嫌いだと思ったのは、そもそもの最初から、この事件を映画化することそのものに対する不信感、嫌悪感があったからだろうと思う。

私より若い世代にはおそらくピンと来ないのではないかと思うが、私が10代の頃は、少年が大人の女性に性の手ほどきを受けるのを肯定的に描く映画が山ほどあった。戦争で夫を失った女性が、彼女を慕う少年と関係を持つ「おもいでの夏」(この映画を愛する人は多いと思うが、今では未成年を性的に虐待する女の話に受け取られてもしかたないだろうな)。母と少年の息子が関係を持つ「好奇心」、そして、高校教師の女性と教え子が恋に落ち、駆け落ちしたら、女性が誘拐罪で逮捕され、社会の追及を受けて自殺してしまった実話の映画化「愛のために死す」。

最後の「愛のために死す」なんてさ、恋愛の自由を認めない社会を批判する社会派映画だったよね?

もっとも、「おもいでの夏」とか「愛のために死す」は少年は高校生で、欧米では16歳以上は性の相手を自由に選べるとしているところもあるので、ぎりぎりセーフか。新海誠の「言の葉の庭」は高校1年生と女性教師だったが、教師が大人としての立場を守り、2人は別れるけれど、少年が18歳になればつきあえる、という含みを持たせた結末になっていた。

何が言いたいかというと、今では大人の男性と少女だけでなく、大人の女性と少年も問題、というようになっているけれど、かつては大人の女性と少年は無問題とされていたのである。

が、その一方で、「愛のために死す」のモデルの女性や、「メイ・ディセンバー」の女性のように、大人の女性と少年だと女性がひどいバッシングを受けるというのも、ずっと昔からあったわけだ。大人の男性と少女だとなんかうやむやにされてしまうというか、結婚すればそれでオッケーみたいなところがあるのに。

そういう女性差別みたいなものが「メイ・ディセンバー」の中にもあって、大人の女性と少年が結婚すればそれでオッケーにならなくて、確かに相手が中学生では性的虐待なんだけど、そのモラルの側にもそういう女性差別が皆無とは言い切れなくて、その辺のヤな感じが最初からエリザベスにあるから私は嫌いだったのかな、と(そこまで計算してはいるよね、監督は)。

映画の冒頭ではグレイシーとジョーはラブラブで、ハイティーンの子どもたちと幸せな家庭を築いていて、周囲の人たちもあたたかく見守ってくれている、とういう感じなのが、どんどん違っていく。近所には元夫との間にできた子どもたちもいて、その元夫との間の息子が、グレイシーは兄から性的虐待を受けていたとエリザベスに言う(グレイシーはそれは息子がいいふらしているデマだと言う)。あたたかく見守ってくれているのはごく一部の人たちだけ、みたいなこともだんだんわかってくる。グレイシーが大人になれない精神不安定な人だということもわかってくる。そして、息子と娘の高校の卒業式を見て顔をゆがめて泣くジョー。13歳で父親にされてしまったジョーが失ったものがここで示され、結論、やっぱりグレイシーのしたことは悪い、ジョーの貴重な少年時代を奪った。

最後は映画の撮影で、グレイシー役のエリザベスとジョー役の俳優と蛇が共演している(このシーンのエリザベスもひたすら不快)。アダムとイヴと蛇(サタン)ですね。イヴがサタンをアダムに渡す。うーん、これって、旧約聖書の女性差別的な部分だよね。イヴはアダムの肋骨から作られたというのがそもそもそうだし。

まあ、この辺の、やっぱりグレイシーが悪い、いや、女性が悪いと描く社会が。。。という結論なのかな。もやもや。

ジョゼフ・ロージーの「恋」のミシェル・ルグラン作曲の音楽がピアノ演奏で不気味に何度も響く。「恋」は大好きな映画で、原作も英語で読んでる。20世紀初頭のイギリス(だったと思う)、貴族の婚約者がいる良家の令嬢がひそかに森番と恋をしていて、令嬢に片思いする少年が2人の連絡係をする。少年は自分のやっていることの意味を知らず、最後に、令嬢と森番の関係を見せつけられる。悪いのは少年を利用した令嬢だろうか。いや、身分違いの恋を許さない社会、偽善に満ちた大人の社会ではないだろうか。

「恋」は映画館で2回見て、2度目のときは退色が激しくてがっかりした。4Kになってればまた見たい。午前十時の映画祭でやってくれないかな。