キネマ旬報4月上旬号が届いた。ワーナー映画90周年の特集。ワーナー映画は思い出が多いので、興味深く読んだが、私の見落としでなければ、オライオン・ピクチャーズの名前が見当たらなかった。オライオンはワーナーの合弁会社として78年スタートしたが、82年には本国アメリカではワーナーとの合弁を解消し、独自の配給会社となった上、90年代に破産、消滅してしまったので、ワーナーの歴史に登場しないのはしかたがないのだろうが、日本では長らくオライオンの映画はワーナーが配給していたので、ワーナーの試写室で何度あのオリオン座のマークを見たか知れない。
思い出に残る映画といえば、ジョン・ブアマン監督の「エクスカリバー」、「カイロの紫のバラ」をはじめとするウディ・アレン作品、アカデミー賞受賞の「プラトーン」や「羊たちの沈黙」、そして「ロボコップ」シリーズや「ターミネーター」、「タイム・アフター・タイム」といったSFがある。私の頭の中では、ワーナーといえばSFのイメージがあるのだが、実際は「ブレードランナー」や「スーパーマン」、「バットマン」、「マトリックス」くらいがワーナーで、あとはオライオンを含めての印象だったのだろう。
もっとも、オライオンの映画でも、「アマデウス」は松竹富士、「ダンス・ウィズ・ウルヴズ」は東宝東和が配給、といった具合に、日本のワーナーとかぶらない映画も少なくない。
オライオンが消滅してしまったせいで、DVDではあのオリオン座のマークを見ることができないのがなんともさびしい。
オライオンを紹介するウィキペディアの記事には、「ターミネーター」が東宝系の日劇で公開されたこと、当時、ワーナーの配給作品が東宝系の劇場に出るのはめずらしかったことが書かれている。実は、日本ではワーナー日本支社と東宝が60年代にけんか、確かきっかけはオードリー・ヘップバーンの「暗くなるまで待って」の公開をめぐってだったと思うが、とにかくそれ以来、ワーナーの映画は松竹東急系オンリーになってしまったのだ。なので、映画館で見たワーナー映画というと、松竹東急系の映画館の思い出とかぶる。が、おそらく「ターミネーター」の頃にワーナーと東宝が和解、以後は東宝系にもワーナーの配給作品が出ている。
というわけで、私にとっては、ワーナー映画の思い出の中の重要な1ページであるオライオン・ピクチャーズだが、本家ワーナーにとっては、90年間の中ではほんの数年かすっただけの会社なわけである。
本家ワーナー映画の思い出はいろいろあるのだけれど、1つあげるとすれば、それはワーナー映画50周年記念として特別に作られたドキュメンタリー映画「映画が私たちを作った」である。ここには1973年までのワーナー映画の名場面がふんだんに盛り込まれていたが、権利の関係で、一般公開はできない作品だった。そこで、キネマ旬報では読者を対象に特別試写会を実施、運よく当選して見ることができたのだった。これについてはさらに思い出があるのだけれど、それを書くには古い雑誌の切抜きを探さないといけないので、ちょっとめげております。なんたって40年前の話だし。