2013年3月19日火曜日

ワーナー映画が私を作った

前の記事で、「映画が私たちを作った」というワーナー映画50周年記念のドキュメンタリーがあったことを書きましたが、それを見ることができた幸運な私は、キネマ旬報に「ワーナー映画が私たちを作った」というタイトルでエッセイを寄稿、キネ旬ロビイに掲載された、ということがあったのです。
それの切抜きを探そうかと思ったのですが、40年も前のことで、探すのも大変だし、第一、そのエッセイを今読んだら恥ずかしくて穴掘って隠れたいかも、と思ったら、探すのもやになるので、まあ、それは、興味のある人は、バックナンバーを見られる図書館へ行って調べてみてください(たいしたものじゃないと思うが)。
しかし、ハリウッドには多くの映画会社がある中で、ワーナー映画は私にとっては特別なものです。中学時代、テレビの洋画劇場で古いハリウッド映画を浴びるように見て映画ファンになった私にとって、ワーナー映画は特別な存在でした。
なんといっても、当時、私が好きだった男優は、1番がジェームズ・キャグニー、2番がハンフリー・ボガート、好きだった女優は、ドリス・デイ。いずれもワーナーの専属スターだった面々。
そんなわけで、特に1930年代から40年代のワーナー映画には好きなものが多いのです。
今回のキネ旬の特集では年代ごとにワーナー映画の名作が写真つきで出ていますが、あまりにも少ない。偏っている。もっといろいろあるじゃないか、と文句が言いたくなる。まあ、そのくらい、私がワーナー映画に思い入れが強いということなんですが。
あと、キネ旬の年代ごとの作品を見ていると、ワーナー映画は初期の頃はモノクロばかりですね。確かに、私もワーナー映画というとモノクロのイメージが強いです。MGMが1939年の段階で、「風と共に去りぬ」と「オズの魔法使」というみごとなテクニカラーの名作を出していたのに対し、ワーナー映画はやはりモノクロのギャング映画のイメージが強いです。
そうしたモノクロのワーナー映画に、私の愛着の強い作品が多い、ということも、今回、改めて確認できました。
そんなわけで、今後、キネ旬の特集に出て来ない作品を落穂拾い的にこのブログで紹介していこうかなあ、と思っています。
あと、イーストウッドの「ミリオンダラー・ベイビー」はワーナーの映画なのですが、日本ではワーナーが配給せず、他の配給会社が扱ったので、キネ旬のグラビアには出てないですね。一方、フォックスとワーナーの共同製作の「タワーリング・インフェルノ」は、アメリカではフォックスが配給、日本ではワーナーが配給したのですが、私はこれはフォックスのアーウィン・アレンの作品と思ってるので、フォックス寄りの作品じゃないかと思ってます。こういう、配給が本国と日本で違うというのも特集に影響している感じですね。