2013年3月13日水曜日

ローマでアモーレ(2)の補足

しつこく「ローマでアモーレ」なのですが、(2)で書いた名声について、プレスのプロダクション・ノートに興味深い記述があるので、追記します。

「本作の登場人物の多くは、平凡であるがゆえに「もっと愛されたい」「より評価されたい」という共通の思いを抱いている。(中略)こうした人間の内に潜む”広く認知されることを求める”という基本的な欲求は、名声を願う心の原点なのかもしれない。」

確かにこの映画には、有名になりたいというのとは違うレベルの、「認められたい」願望も描かれています。それをアレンは「異性にもてたい」という彼ならではの理由にしていますが、異性にもてたいのではなくても、認められたい願望は誰にでもあるのではないかと思います。
(2)で書いた私の有名コンプレックス、自分が無名だからこういう目にあうのだ、という思いは「認められたい」、「リスペクトされたい」ということでもあるのです。

以下は、またまた映画からは離れていくのですが、他者に対するリスペクトというのは人間の基本的な礼儀であると思います。相手が有名だろうが無名だろうが、リスペクトは必要です。
でも、むずかしいもので、リスペクトしているつもりでも相手はリスペクトされてないと思って怒ったり、その逆があってこっちが怒ったり、あるいは、リスペクトがなさすぎる相手に怒ったり。
(2)で書いた教科書会社の人たちは、「あなたの書いたものなんかどうでもいい、あなたの個人情報がほしい」というのがミエミエだったのですが、リスペクトされていないと感じる相手に個人情報を渡すはずがないわけですが、なんで彼らはあんなにえらそうなのかなあ、と思ったら、懇親会の費用を出しているからなのだった。
たまたま見たツイッターで、ツイッター上のやりとりが原因で腹を立て、えんえんと相手を非難するツイートをしている人を見ましたが、この人も、最初のやりとりのときに、相手にリスペクトされてないと感じたようです。「どうしてそんなに上から目線なんですか」と、最初のやりとりにあり、相手はつきあいきれずにブロック。それでさらに腹を立て、と、なかなか大変ですが(うまく収まるといいけどね)、この「上から目線」というのが若い人がよく使う言葉で、他方、年配者はこの言葉になれていないので、若い人から「どうしてそんなに上から目線なんですか」と言われて絶句してしまう、という光景もあります。
「上から目線」を「えらそう」という言葉に変換すれば、年配者も理解できると思いますが、「上から目線」というのが相手を黙らせる言葉、相手を拒否する言葉になっているなあ、というのが私の感想。実際、上のツイッターのやりとりは若い人同士なんですが、若い人同士でも「どうしてそんなに上から目線なんですか」とやってるのですね。
まあ、他人のけんかは面白いので、ついつい見ちゃうんですが(悪い性格)、私はツイッターというのはどうも好きになれません。ツイッターをまとめたトゥゲッターには読み応えのあるものがありますが。
認められたい、とか、リスペクトされたい、というのは、人間の生存にかかわることだと思うので、つまり、認められない人、リスペクトされない人は社会の底辺で埋もれていく場合もあるわけなので、こういう感情はある意味、生存本能なのでしょう。だから、リスペクトしていない、上から目線だ、といってけんかになっちゃうのも、ある程度はしかたないのかな。