2018年9月23日日曜日

九州大学元院生に関するみわよしこ氏のもう1つの記事

九州大学の元院生の放火自殺事件について、すでに2回書いていますが、それについては右サイドの9月の記事一覧をご参照ください。
その2つの記事はヤフージャパンに掲載されたみわよしこ氏の記事についての反論を含むものですが、そのみわ氏の記事についたコメントを受けてか、みわ氏は新たな記事をダイヤモンド・オンラインに掲載しています。
https://diamond.jp/articles/-/180232

この記事では、前記事のコメント欄で指摘された少年自衛官、中卒で陸上自衛隊少年工科学校に入り、そこで高卒の資格を得て、貯金をして、大学進学したに違いない、ということを受けてか、Aさんの少年工科学校時代の同期生Bさんの話を紹介しています。
それによると、Aさんは高卒の資格を得て自衛隊をやめ、Bさんは自衛隊に残って今は幹部になっているとのこと。
みわ氏は前記事ではAさんのことを貧困にあえぎ苦しむ人生を送ってきた悲劇の主人公のように想像して、かなりお涙頂戴的な書き方をしていましたが、今回は背景を調べたこともあってか、かなりクールな印象の文章に変わっています。自衛隊での貯金を元手にして大学進学をめざしたかもしれない、という書き方になっています。
みわ氏がどうやってBさんの話を聞けたのかは書かれていませんが、前記事を読んだBさんが名乗り出てくれたのでしょうか?
その一方で、九州大関係者からは取材できていないようです。
自衛隊を退官してから遅くとも4年後には九州大学法学部に入学しているらしいこと、その4年後に同大学大学院に進学していることは報道から誰でも予想できることですが、その間、Aさんがどうしていたのかはまったくわからないようです。
確かに自衛隊にいるときに大学の受験勉強をするのは無理でしょうから、一浪か二浪はやむなしというところでしょう。また、授業料免除のことを考えると、国立大学が望ましい。
この点、みわ氏の前記事で間違っていると思ったのは、授業料免除にしてもらうのは相当勉強してトップクラスの成績でなければならないというようなことを書いているところです。
このあたりもみわ氏は大学の世界をあまり知らないのか、と思うのですが、みわ氏が書いているような授業料免除の条件は私立大学のものです。
国立大では親の収入で授業料免除が決まりますから、Aさんが親がいない、親が貧しい場合は、国立大なら文句なく免除です。成績は、単位不足で留年でもしない限り大丈夫。
おそらく、Aさんは親がいないか貧しいため、自衛隊の少年工科学校に入ったので、だから当然、親がいないか貧しければ文句なく授業料免除の国立大を目指したでしょう。

とにかく、Aさんが九州大学法学部に入学できたのは間違いないわけで、その間、奨学金を借りたり、アルバイトをしたりしたと思いますが、大学卒業後、なぜ大学院に進学したのか?
現役合格の学生より4歳年上とはいえ、九州大法学部なら就職はそれほど悪くないはず。公務員だってある。就職に失敗したのでとりあえず大学院、とは思えない。
となると、やはり研究者の道を真剣に目指していて、就職は眼中になかったと言えます。
もしも就職失敗で大学院進学なら、修士修了時に就職も可能です。

そして、ここが肝心なのですが、Aさんが非常に貧乏だったり、面倒を見る家族がいたり、親の介護が必要だったりしたら、大学院進学はあきらめざるを得ません。
実際、大学院進学するのは、親が裕福だとか、親も研究職だとかいう場合が多いですが、その一方で、面倒を見る家族や親がいない、自分だけなんとか食えればいい、という人も大学院へ行きやすいのです。
大学卒業時、Aさんは食うや食わずの貧乏でもなく、面倒を見なければならない親や家族もいなかった、と考えられます。

みわ氏の記事でこれも間違いだと思うのは、大学院へ入ると学部よりも勉学に時間をとられる、と書いているところです。
確かに実験系の理系では一日中実験室にこもらねばならないため、アルバイトと両立するのが非常にむずかしいです。しかし、本や論文や資料を読むのが主な研究の場合、拘束される時間は非常に短く、残りの時間でいかに研究をするかにかかっています。
もちろん、バイトなどせずに一日中研究できれば一番ですが、なかなかそうはいきません。しかし、拘束時間が非常に短ければ、他の時間をどう配分するかはかなり自由が利きます。文系の多くはこの利点があり、Aさんが専攻していた憲法学なら、まさにこうした自由度の高い分野であろうと思います(法学の研究の世界に詳しくないので、あるいは、私が間違っているかもしれませんが)。
どうも、みわよしこ氏はよく知らない世界を勝手に想像で描いているところがあって、困るのですが。

おそらくAさんは博士課程に入ったところくらいまでは順調に希望を持って研究職を目指していたでしょう。もしも修士課程のうちに、これはヤバイ、と思うほどの貧窮に陥っていたら、そこで他の道を考えられたからです。
Aさんは修士のときはまだ30代に入ったばかり、博士に入ったときもまだ30代半ば。このくらいだとまだ希望が持てます。アルバイトもそこそこいいものがあったでしょう。
結局、問題は博士課程なのですが、博士まで行ってしまうと企業への就職はむずかしくなり、Aさんの場合は公務員や教職も年齢的に無理になっていきます。
博士課程には行くな、と最近、よく言われていますが、博士に行って研究職がないとAさんのようになるのです。Aさんの問題はまさに博士課程以後の問題でしょう。

みわ氏はAさんがなぜアルバイトに肉体労働をしたかということに疑問を持ち、その点を調べて書いていて、これはなるほどと思いました。が、法学部なら法律事務所でアルバイトが普通ではないか、というのは疑問です。法律事務所でアルバイトというのは弁護士や司法書士、行政書士を目指す人のすることで、憲法を専攻するAさんには畑違いではないかと。法律事務所でアルバイトをするために民放を勉強するよりは、頭を使わない肉体労働の方が研究を犠牲にしないですみます。また、学歴が博士だとコンビニやスーパーでのバイトを断られるという現実があります。肉体労働だと履歴書を出さなくていいとか、そういう利点があったのではないか?

ブログの前記事にも書いたように、修士課程に入ってから大学院を退学するまで12年もあるので、その間に何か特殊なことがあったのかもしれません(大病をしたとか)。
とにかく、博士に入ってからもう引き返せなくなったのは確かでしょう。
専門学校の非常勤講師を雇い止めになり、肉体労働をするようになった、とありますが、専門学校一校の仕事だけで生活費を稼げていた、それが雇い止めになり、一気に収入を失った、ということなのでしょうか。大学の非常勤講師の場合は、いくつもの大学を掛け持ちするため、一度にすべての収入を失うことはありません。専門学校の非常勤講師の収入だけで一応生活できていたとすると、この仕事を失ったところから本当の貧困が始まったと言えます。つまり、失業による貧困です。
非常勤講師は非正規ですから、失業保険はありません。
現在、非正規の人が多くなっていますが、そういう人は失業保険がないという点、これを見逃してはいけないのではないか?
みわ氏はここに着目すべきではないのか?

貧困は人を殺す、というタイトルをみわ氏は掲げているけれど、貧困が人を殺すのは当たり前のことです。餓死とか、貧困による心中とか、電気を止められてろうそくをつけて火事になり焼死とか、貧困による死はいくらでもある。生活保護を受けられず(あるいは受けようとせず)餓死とか、みわ氏の守備範囲です。
それがオーバードクターの自殺で「貧困は人を殺す」と言われても的外れに思えます。

Aさんが研究室に放火している以上、研究職に就けなかった恨みや絶望や怒りがあるのは確かです。貧困よりも研究の世界への絶望の方が理由として大きいに違いありません。
なぜなら、彼の場合、研究をあきらめれば、生きる希望があったからです。
自衛隊の同期生に相談できなかった理由として、みわ氏は同期生が自衛隊の幹部になっているので、気後れして相談できなかったのだろうと推測していますが、それを言うなら、研究職に就いた大学院の同期にも相談できなかったはずです。なぜなら、彼らは准教授や教授になっているはずだから。
みわ氏はAさんがコミュニケーションをとっていた相手は研究の世界の人だと考えているようですが、研究の世界で成功している人なら、非常勤講師の仕事くらい紹介できたのでは?という疑問を持ちます。Aさんが窮状を伝えていた相手は誰なのか?

自衛隊の同期生に相談する場合、研究をあきらめることが前提になります。研究をあきらめるから仕事を紹介してほしい、と言わずにどうやって同期生に相談するのでしょう。
生活保護を受ける場合も、研究をあきらめて別の仕事で再起するのが前提です。
Aさんが自衛隊の同期生に相談せず、生活保護を受けることを考えないのは、研究をあきらめたくなかったからでしょう。
研究をあきらめさえすれば、道は開けたし、助けてくれる人もいた。
でも、研究をあきらめることは、ブログの前の記事で書いたように、生きながら死ぬことなのです、研究命の人にとっては。

それを貧困に殺された、と言ってしまうのは、なにか大事な部分を殺しているように感じてしまいます。