2018年9月14日金曜日

センチメンタル・ノヴェルという文学用語を初めて知った。

英文学研究の世界から離れてすでに30年以上たってしまい、ある意味、自分が浦島太郎状態なのは認識していたのですが、昨日、近くの県立図書館で洋書を2冊借り、ふちねこハロウィン目当てのベローチェでドリンク2杯でねばって序文を読んでいたのですが、「若草物語」で有名なルイザ・メイ・オルコットの処女小説の序文に「センチメンタル・ノヴェル」という文学用語(?)が出てきて、ん?と思ったのでした。
そこであげられている作家や作品は、18世紀後半の代表的なイギリス小説、リチャードソンの「パミラ」、フィールディングの「トム・ジョウンズ」、スターンの「トリストラム・シャンディ」、19世紀前半のオースティンの「高慢と偏見」、ディケンズの「オリヴァー・ツイスト」、シャーロット・ブロンテの「ジェイン・エア」などなど。
一応、イギリス小説研究家だった私には理解不能。
感傷的な小説、ということでは、確かに「パミラ」はそうだと思いますが、「トム・ジョウンズ」とか「トリストラム・シャンディ」とか「高慢と偏見」とか、どこが感傷的?
オルコットがこれらの小説の影響を受けた、ということと、当時、「パミラ」の亜流のような小説が、特にアメリカで流行していたらしい、ということはわかりましたが、このセンチメンタル・ノヴェルに対するジャンルとしてゴシック小説があがっていて、ウォルポールの「オトラント城」、ラドクリフの「ユドルフォの怪」、エミリー・ブロンテの「嵐が丘」などの名前が出ている。
なーんか、私のイギリス小説観、間違っていたんでしょうか?
この序文の著者が言うセンチメンタル・ノヴェルって、イギリス小説史では近代小説(ノヴェル)とかリアリズム小説とかノヴェル・オヴ・マナーズ(それ以前にあった劇コメディ・オヴ・マナーズの小説版という意味で、オースティンが代表的な作家)と呼ばれていて、それに対してリアリズムよりも怪奇やロマンを追及するのがゴシック小説でありロマン主義小説であって、センチメンタル・ノヴェルズの方に入っている「ジェイン・エア」もゴシック小説・ロマン主義小説に分類するもんだと思ってましたが。
理解不能。こりゃ調べねば、とちょっとばかりググって、出てきたのをちらちらっと読んでみたところ、理解不能の理由が判明。
これは実は、19世紀のアメリカの作家、メルヴィル、ソロー、マーク・トウェインが「パミラ」などに代表される読者の感情に訴える小説をさして言った言葉だったのです。
この言葉は女性が主役の家庭小説のこともさしていたそうで、要するに、19世紀のアメリカでそういうのが流行っていたという背景から生まれた言葉だったようです。
だからジョージ・エリオットなんかもセンチメンタル・ノヴェルに入っちゃうんだそうで、うわあ、すごいおおざっぱな分類だなあ、と、イギリス小説研究に足突っ込んでいた私は驚愕。
まあ、要するに、メルヴィル、ソロー、マーク・トウェインといったアメリカ文学者たちが、俺たちは人間の感情に訴えるイギリス小説とは違うんだぜ、という気持ちで言ったのかな、と。
イギリス小説側からすると、イギリス小説は近代小説でリアリズム、メルヴィルなどのアメリカ小説は古い伝統をひきずったロマンス、とか言っちゃってるんですけどね。イギリスから見るかアメリカから見るかの違いか、なるほど。
このセンチメンタル・ノヴェルという言葉は、ウィキペディア英語版では、きちんと定義されてない言葉として注意がされてますから、文学用語としてはそれほどきちんとしたものではないのかもしれません。ちなみに、日本では「甘い小説」「感傷的な小説」というふうに、お涙頂戴の出来の悪い小説のことを指すと理解しているようです。
人間の感情に訴える、ということに関していえば、イギリスの近代小説はそれまでの人間心理など描かない散文物語に対して、新しい散文物語として登場し、そこに人間心理が盛り込まれ、それが読者の心を動かしてヒット、というふうにして発展してきたので、それをセンチメンタル・ノヴェルと言ってしまうのは文学史の無視もはなはだしいと思うのですがね。

ああ、去年の夏までは、某私大の英語圏文学入門で、こういう話を毎回していて、楽しかったんだけど、あまりにトラブルが多くて、コマ数も極限まで減らされて(やめろという暗示のようなもの)、ついにキレてやめてしまったんだけど、ああいう授業、ほんとはもっとやりたいのに。

借りたもう1冊はミュリエル・スパークの書いたメアリ・シェリーの伝記。没後100周年にイギリス国内だけで小冊子のようにして出版したが、その後だいぶ年月がたってからアメリカでも出版の話が出たとき、すでにアメリカでは海賊版が出回っていることがわかり(おい、アメリカ!)、それなら、と、新たに書き下ろしたとのこと。没後100周年の1951年当時はまだスパークは短編小説しか発表していなかったけれど、この本が出た80年代後半には押しも押されもしないイギリスの作家になっていて、「フランケンシュタイン」とメアリ・シェリーの扱いも非常に大きく変わっていました。51年当時は「フランケン」以外の小説は手に入らなかったのに、80年代には他の小説が普通に手に入るようになったとか。本の前半が伝記、後半が主な作品の批評で、読むのが楽しみです。スパークといえば、映画化されてマギー・スミスがアカデミー賞主演女優賞を受賞した「ミス・ブロディの青春」が有名。

それにしても、この2冊の序文を読んだら、なんてわかりやすい英語なんだ、と感激。
というのは、この夏はオールダス・ハクスリーの長い小説と、ニコラス・シェイクスピアの長い小説(どちらも400ページ近く)を読んでいて、どっちも文章(英語)も内容もむずかしくて、正直、あまり理解できないまま読み終えた感じなのですが、そのあと、あの序文2つを読んだら、突然空が晴れたように感じました。ハクスリーの方は哲学論議がえんえんと続くのでむずかしかったんだけど、ニコラス・シェイクスピア(「テロリストのダンス」の作者)の英語はやっぱりむずかしいわ。内容もこの人の作品の中では一番複雑でありました。