日本で出ているボブ猫本4冊を借りようとしたら、第1作「ボブという名のストリート・キャット」と第3作(翻訳出版順は4番目)「ボブが遺してくれた最高のギフト」は貸し出し中。そこで借りられる第2作「ボブがくれた世界」と、翻訳出版順3番目の「ボブが教えてくれたこと」を先に借りて読んだ。「ボブが遺してくれた最高のギフト」はわりとすぐに順番が来て、続けて読めたのだけど、第1作がなかなか順番が来ない。最初の2冊を借りた時点で予約順位1位で、なおかつ本は市内に2冊あるのに、全然順番が来ない。
最初に借りた2冊の内、「ボブが教えてくれたこと」は予約が入っていたので延長できず、返却日に返した後、やっと、第1作が借りられました。
そんなわけで、4冊一緒に写真を撮ることはできませんでした。
ようやく借りられた「ボブという名のストリート・キャット」。私のあとにも予約が何人も入っていて、映画「ボブ猫2」の影響と思われます。
図書館で借りたあと、地域猫に会っていた某所へ出かけ、そこで読みました。
昨年12月はじめ、高齢で冬を越せないと判断したボランティアが引き取った地域猫のいた場所。今はもう猫は1匹もいないので、人も来ません。猫がいたときは猫に会いにくる人がけっこういたのですが。
今年の冬は寒さがきびしかったので、保護されてよかったと思いつつ、もう会えないので寂しく、時々散歩に行っては思い出にふけっています。
そんなわけで、映画「ボブ猫2」は何度見ても泣けてしまうのですが、この映画、製作総指揮がやたら多く、原作者ジェームズ・ボーエン、執筆協力者で脚本も書いたギャリー・ジェンキンズ、主演のルーク・トレッダウェイも製作総指揮に名を連ねています。
たぶん、ボブが腎臓が弱っていて、もうあまり長くないということで、ボブがまだ元気なうちに続編を作っておこうというところから出発した企画だったのかもしれない。
原作は第2作からの3冊を先に読んで、最後に第1作を読んだのだけど、第2作からの3冊に比べ、第1作は雰囲気がかなり違っていました。
第2作以後の本は、ボーエンがベストセラー作家になったあとに書かれたので、余裕というか安定というか、そういうものが感じられるのに対し、第1作は本が売れるかどうかもわからず、むしろ、たいして売れずにまた路上の仕事を続けることになるだろうと思っていたせいか、第2作以降の余裕のようなものがなく、非常に切実な印象を受けました。
特に最後の方に、路上でビッグイッシューを売っているときにボブが逃げ出してしまったエピソードが2つ書いてあって、最初は宣伝のために奇妙な格好をしている男がボブをかわいいと思って近づいたら、ボブが驚いて逃げ出した話で、このときはボブは近くの店に逃げ込み、店員が保護してくれていたので、わりとすぐに見つかったのですが、2回目は獰猛な犬に襲われて逃げ出し、近くを探し回っても見つからず、絶望したボーエンが2キロ離れた女友達の家まで歩いていくと、なんと、玄関にボブがいた、というエピソードです。女友達はボブを預かったこともあり、ボブをかわいがっていたので、ボブはとりあえず、彼女の家へ行ったのでしょう。
この2つの出来事、ボブが逃げ出してしまい、自分が一生懸命探しているのに出てきてくれないとき、ボーエンは、自分と一緒にいるとこんな怖い目にあうので、どこかへ行ってしまったのではないか、と思い悩みます。もともと野良のボブがたまたま自分を選んだので、気が変わればよそへ行くと彼は思っていたようです。
第1作にはボーエンとボブの強い絆や愛情が描かれていますが、同時に、この絆がどこまで続くのかといった不安も垣間見えます。ボブのおかげでまともな生活ができるようになったけれど、それでも生活は不安定で、将来の見通しもなく、そんな状態での希望と不安の切実さがにじみでています。これは作家として安定した第2作からの作品にはないものです。
「ボブ猫2」のグッズは一部劇場でしか販売していないようで、グッズ目当ての人はそういう劇場へ行くので、グッズのない郊外のシネコンはお客さん少ないのかな、と思いました。柏の葉で缶バッジ見ただけだものなあ。クリアファイル、買う気はないけど、見たい。