2022年3月26日土曜日

「ナイトメア・アリー」

 昨日行ったシネコンは「ベルファスト」を大きめのスクリーンでやってくれていたので行ったのだけど、今日は別のシネコンで「ナイトメア・アリー」。こちらも大きめのスクリーンでやってくれている。とてもありがたい。


で、映画は原作とほぼ同じ。原作小説が非常に面白かったので、原作と同じというか、原作とほぼ同じでダイジェスト的になっているのでどうも物足りない。原作を読まずに見れば面白いのだろうか?などと考えながら見ていると、クライマックスになって突然、キューブリックの「シャイニング」になってしまう。

いや、その前に大富豪の屋敷が「市民ケーン」みたいなんだが、それからクライマックスがキューブリックの(キングのではない)「シャイニング」みたいになって、最後はアンバーソンという見世物一座で終わる(アンバーソンって、オーソン・ウェルズの?)。

で、この結末がまた、困った。原作では最後に「一時的にギークにならないか」という座長のせりふがあって、そこで終わっているが、映画はそのあとに主人公のアップをかなり長く見せ、そして、主人公が「これが宿命だ」と言って終わる。原作の結末の良さが完全に損なわれ、説明過多になっている。

まあその前の「シャイニング」みたいな血みどろクライマックスもなんだかなあなんだが。

原作をなぞっただけ、ならまだよかったが、最後は改悪だろう。

役者はみんな適役でよいのに残念だ。

前半の見世物一座の描写がデル・トロにしては平凡だし、後半はクーパーとブランシェットのやりとりにはノワールの雰囲気があるが、それも血みどろ展開でだいなしになっている。

あの原作で、なんでこんな映画にしてしまうんだ、デル・トロ?

原作で一番ぞっとするのは主人公の父親の暴力なのだが、映画ではそこは描いていない。だから主人公が父親を憎んでいたと言っても原作を知らなければわからないだろう。

原作では最初にギークのことが出てきて、そして最後にギークに関するせりふで終わるという、最初と最後がつながる形になっているのだが、映画では最後のせりふとつながるギークの話は途中に出てくるので、これも改悪になってしまっている。

「ベルファスト」もちょっとがっかりだったけれど、こっちはものすごくがっかりで、「ベルファスト」をあんなにけなすんじゃなかったと思うくらいだ。

個人的にはニューヨーク州バッファローが出てきたのが興味深かった。