2024年11月27日水曜日

英語を教えたくない

 先週末は近所の紅葉の偵察に。


貨物列車と武蔵野線がすれ違う。


直前までイベントをしていたようで、撤収作業に入っていました。


紅葉はまだぼちぼち。




で、本題。


昨日、非常勤講師をしている都内の大学がいやだ、と書きましたが、いやなのは大学だけのせいではないのです。

私自身が、英語を教えるのがほんとにもういやになっている。

大学に入る頃は中学校の英語の先生になりたいと思っていて、英語を教えるのが好きでした。が、途中で英文学の研究がしたくなり、大学院へ。

私の行った大学院は日本で最高峰と言われるところでしたが、英文科を出ても就職先はおもに大学の英語の専任教員。そこで修行したあと、一部の人たちが英文学を教えられる、みたいな感じで、とりあえず英語の大学専任教員になって英文学の研究をする、というのが目標でした。

英語は他の分野に比べて就職先が多かったので、へき地でもどこでもいい、と言えば就職はありましたが、それでもコネなどの力のない私にはなかなか就職の話はなく、やっと来た頃には映画評論家になっていて、当時は首都圏にいないとその仕事は続けられなかったので、唯一のチャンスだった地方の国立大学の口を断ってしまったのです。当時はアカポスはすべてコネといっても過言でなく、一度断るともう次がないような状態。

私は人間力がないので、非常勤講師の仕事もあまり手に入りませんでしたが、出版界と映画界の仕事もあったので、少ない非常勤講師と合わせてなんとか最低の生活はできていました。

今から考えると、人間力がないのに出版界と映画界であれだけ仕事もらえていたというのは、やはり編集者や映画関係者のおかげです。足を向けて寝られません。

アカポスに就職していない非常勤講師は、当時は英語を教える仕事しかないのが現状でしたし、それが当たり前と思っていました。実際、評論家や翻訳家の仕事と両立するには予習が楽な英語教師の方がよかったのです。

やがて50代になり、評論や翻訳の仕事が激減し、アカデミックの世界と縁を切っていた私はコネで非常勤を増やすこともできず、それで公募に出したら、2か所の大学から映画や英文学を教える仕事がもらえました。

その2か所の大学へ行って驚いたのは、今は若い人でも非常勤講師で英文学などの専門を教えられることです。昔に比べて非常勤講師の割合が非常に増えていて、昔は専門は専任、英語は非常勤だったのが、今は専門も非常勤がやるようになっていたのです。

英文学や映画の授業をすることはほんとうに楽しく、そのせいで、若い頃からやっていた英語の授業がつまらなくなってしまったというわけです(大学の英語教育の内容が大きく変わったせいもありますが、それはまた別の話)。

児童書や絵本の翻訳をしている人が5つの大学で非常勤講師をしていて、そのうち3大学で翻訳の授業をしているのを見て(残りの2大学は英語のよう)、私だって翻訳書あるんだし、翻訳の授業できるのにな、と思いますが、翻訳の授業も結局、英語を教えることだよね???(多くの大学では英語は読めて当たり前という前提は無理では?)

しかし、翻訳書を多数出版している人でも5大学で非常勤って、やっぱり児童書では食えないのだなと思いました(翻訳学校やカルチャーセンターでも教えてるみたい)。