秋葉原からえんえんと歩いて竹橋にたどり着き、国立近代美術館へ向かう途中、皇居東御苑の入口があったので、入ってみた。入場無料だけど、手荷物検査があり、リュックの中をかきまわされた。
お濠のカモとトンビ。そして梅林。
香淳皇后を記念する建物らしい。天守台に上がる途中から撮影。
江戸城天守台。
梅林の方をズームで。
松の廊下跡とかあるらしいけど、今回は美術館メインなので梅林と天守台だけ見て終わりに。
入ったのとは別の門から出る。正面左にあるのが近代美術館。
このあと、美術館へ向かいます。
秋葉原からえんえんと歩いて竹橋にたどり着き、国立近代美術館へ向かう途中、皇居東御苑の入口があったので、入ってみた。入場無料だけど、手荷物検査があり、リュックの中をかきまわされた。
入ったのとは別の門から出る。正面左にあるのが近代美術館。
ヨドバシカメラにネットで注文した電気ポットを引き取るついでに、竹橋の国立近代美術館に行こうと思い、千代田線で大手町で東西線に乗り換えて、と思っていたら、千代田線が遅れている。それなら常磐線快速で上野に行き、そこから秋葉原まで行って歩こうか、と考えた。
神田の方が近いんだけど、秋葉原までだと運賃が安い。神田からガーンと上がるのだ。
神保町とか九段下とか、都心に住んでいた頃はしょっちゅう歩いたけど、竹橋のあたりだけはまるで結界が張られたかのように、ほとんど行ったことがなかった。でも、秋葉原から神保町への道は自分の庭のようによく知っている。途中で外堀通りに出ればいいはず。
というわけで、歩きだしたんだけど、郊外に引っ越してからはたまにしか来なくなったので、建物や店ががだいぶ変わっている。でも道は同じなので、無事に竹橋に到着。
というわけで、上野に出てヨドバシで電気ポットを受け取り、帰宅ラッシュの前に帰途についた。
近代美術館常設展も、西洋美術館常設展と同じで、写真撮影OK。皇居東御苑と合わせてたくさん写真撮ったので、それはまたあとで。
帰るとキネ旬最新号が届いていた。亡くなったデイヴィッド・リンチ特集で、思えば私はぴあの投稿欄に「エレファント・マン」、キネ旬の批評欄に「砂の惑星」と「マルホランド・ドライブ」、そして「エスクアイア」に「ワイルド・アット・ハート」の映画評を書いているのだが、もう完全に忘れられた人になっております。
雑誌は若返らないといけないので、しかたないんだよね、と、もう10年くらい前からあきらめているのですが、最新号を見ていたら、終わる連載やコーナーがあるわ、恒例のアカデミー賞予想座談会はないわ、どうなってんの、これ?
一番後ろに、経済的な理由でページ数減らす、と書いてあったので、そのためなのか?
そして、終わる連載やコーナーの執筆者は、私と同じ世代の人がほとんど。私はとっくの昔に終わっていたが、やはりこの世代が淘汰されるのか? うーん、わからん。
キネ旬はベストテンも、今年は編集部のベストテンがないのが気になっていたが、単にページ数を減らすとか、ある世代の人たちを淘汰するとかだけじゃないのかもしれない。
9年半前に引っ越してきた超古いUR賃貸。2階にひきこもりのビョーキ男がいるのは引っ越した当初からわかっていたけれど、最初は誰彼かまわず威嚇する声で攻撃していたのが、いつしか私をターゲットにし始め、夜、ずっと窓から外を見張っていて、私が帰ってくるとドアの前に移動、私が通るときに威嚇したり、ドアをガチャリとやったりということが続くようになった。
これは警察に相談案件かと思い、記録をとったり動画を撮ったりしているのだけど、警察もあてにならないことだし、と思っていたら、ますます向こうがエスカレートしてきたので、怒りにまかせてドアをガンガン蹴ってやったら、その後、おとなしくなった。
それでも時々、威嚇する声を出しているが、前に比べたらだいぶマシになった。
UR賃貸は民間賃貸では入居を断られるような人が住む、とは聞いていたが、こういうストーカー的いやがらせをする人間は予想してなかった。
この団地、ほかにもそういう人がいるようで、先日、マックで大声でおしゃべりしている後期高齢者のグループがいたのだが、内1人が、上の階の男にいやがらせを受けている、と話していた。
どうも、2階の男と同じタイプらしい。そういうのが何人もいるのだろうか。
それ以外でも頭がビョーキっぽい人は団地内で時々見かけていて、ただ、他人に攻撃的になる人たちではないので、気にしないでいる。
そして去年の12月から、下の3階の部屋からヒステリックに叫ぶ声がひんぱんにするようになった。
下の階は去年の夏頃に新しい住人が来たのだが、11月までは静かだった。が、12月になってからヒステリックな女の叫び声がするようになり、大きな物音もするようになった。
2階のストーカー男とは違い、他の部屋の住人に何かするわけではないので、静観していたが、先日、突然、下のドアが開いて、ヒステリックな声が階段に響き、そのあとすぐに部屋に連れ戻されたようで、部屋の中からヒステリックな声と、ドスンドスンという派手な物音がして、それが1時間以上続いた。
それにしても、下の階の叫び声がよく聞こえるって、どういう構造なのだろう、と思う。壁を隔てた隣の声は聞こえないのだ。パイプスペースやコンセントのあるところはコンクリートではなく、音が伝わりやすいのではないかと思う。
何を言っているのかはわからないし、日本語ではないのかもしれないと思うが、こうやってビョーキの住人がどんどん増えていくのか、と思うと、先が思いやられる。UR賃貸の欠点の1つです。
もっとも、文京区に住んでいたときも、近所にヒステリックに泣き叫ぶ子どもがいた。
22年間住んだ最初のアパートはまったくそういうことはなかったのだけど、次に4年間住んだアパートの隣の家の子どもがよく泣き叫んでいて、時々、母親が叩く音までしていた。今なら通報案件か、という感じ。
そのあとに4年間住んだマンションでは、1階に住む子どもがヒステリックに泣き叫んでいた。帰ってきたとき、たまたま母親がいなくて中に入れず、「お母さん、開けて」とヒステリックに叫び続ける。しかし、これは毎度のことで、すぐに母親が帰ってくるので、マンションの住人は誰も出てこない。でも、子どもは学習することなく、「お母さん、開けて」と叫ぶ。
そのあと、4か月ほど住んだアパートでは、近くにヒステリックに泣き叫ぶ子がいた。ここは団地に引っ越すつなぎのような感じだったので、後半2か月は住んでいなかったから、あまりよくわからないが、やはり病んでいる子どものようだった。
最近、文京区が中国人に人気で、子どもの進学に熱心な親が移り住むというニュースがあったが、私が住んでいた地区の小学校で、父親が子どもに灯油をかけて無理心中したということがあった(12年くらい前かな。父親は大手新聞社社員で、もちろん日本人)。あの日、朝からヘリコプターが飛んですごくうるさかったのでよく覚えている。父親は死亡、子どもはその後、治療のかいなく死亡。小学校の裏門のところには花が供えられていた。
文京区では幼稚園児の親が子どもの同級生を殺す事件もあった。(こちらはもっと前の話で、犯人は地方出身でハイソな東京になじめなかった日本人女性。)
30年間、文京区に住んで、いろいろ便利ではあったけど、なんだかなあの思い出も多いのである。
試写で見せていただいた2本。
昨日見た「愛を耕すひと」を、18世紀初頭の話なのに中世みたい、と書いたが、この映画を見たら、「愛を耕すひと」の話はそのままパレスチナ問題の寓話になってるんじゃないかと思った。
「愛を耕すひと」は領主が先住で、その近くの荒れ地を開拓する人が来るのでそれを排除しようとどんなひどいことでもするのだが、「ノー・アザー・ランド」で描かれているのは、あとから来たイスラエルが先住のパレスチナ人をどんなひどいことをしてでも追い出そうとしている。領主もイスラエルも、自分たちとは違う人々が近くにいて、脅威になるのがいやなわけで、「愛を耕すひと」は国有地を肥沃な土地にしようとしてるだけだし、パレスチナ人はもとから住んでいたところに住み続けたいだけなのだが。
どちらの映画も結末は悲観的で、正義など通らない世界だ。
ジェシカ・チャステインとピーター・サースガード主演の「あの歌を憶えている」。
どういう映画なのかイマイチよくわからず、あまり興味を持てなかったのが、見てよかった。
原題の「Memory」とは、認知症で最近の記憶が残らない男性と、いまわしい過去の記憶に悩まされる女性、その2人の対照的な記憶だったのだ。
同窓会会場からあとをつけてきた男ソールを、幼い自分を集団レイプした少年グループの1人と勘違いした女シルヴィアは彼を問い詰めるが、ソールには記憶がない。その後、ソールはシルヴィアと入れ違いで転校したので、当時、2人は出会っていなかったとわかり、独身の2人はつきあうようになり、やがて恋に、という展開に。しかし、シルヴィアの家族もソールの家族も2人のつきあいに不安を抱き、反対する。
と、ここまではわりと普通の2家族のドラマだったのだが、結末近くになって急展開。シルヴィアがかつてアルコール依存症になり、その後断酒の会に参加し続けている理由もわかってくる。
以下ネタバレになります。
「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」の監督・主演による歴史ドラマ「愛を耕すひと」。
「ロイヤル・アフェア」の映画評はこちら。
さーべる倶楽部: ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮(ネタバレ大あり)
「ロイヤル・アフェア」が18世紀後半だったのに対し、「愛を耕すひと」は18世紀初頭。デンマークはとにかく他のヨーロッパ諸国に比べ、遅れていたようで、中世か、と思うような描写が多いです。
主人公はデンマークの荒れ地を開拓する野望を持つ元軍人。これまで何度開拓しようとしても成功せず、あきらめられていた大地に挑む、ということで、国王から開拓の許可を得て、協力者たちとともに土地を耕そうとするのだけれど、近くの領主が残酷な独裁者で、あの手この手を使って妨害。協力者たちも逃げてしまい、元軍人と若い聖職者、領主の召使だった女性とタタール人の少女の4人が疑似家族のようになって働き、ついにじゃがいもの収穫に成功、国王からも正式に測量士として認められ、ドイツから入植者も来て、これでうまく行くと思いきや、領主がさらに汚い手を使ってくる、という話。
この領主、まだ若いのだが、精神がかなりおかしくて、人を平気で殺す。主人公は国王のお墨付きをもらっているのに、国王の力が辺境の地には及んでいないようで、領主はやりたい放題。後半は主人公たちも身を守るために武器をとらざるを得なくなり、血なまぐさい話になっていく。
原作は史実をもとにした小説ということだけれど、「ロイヤル・アフェア」に比べると人物がタイプ化されていて、深みがない感じがした。
主人公、聖職者、元領主の召使、タタール人の少女、領主、そして、領主の従妹で主人公に惹かれる貴婦人、といった人物は魅力的で、特に女性2人と少女は印象的だが、やっぱり人物としての深みや複雑さがないのがドラマを浅くしているように思う。
18世紀初頭のデンマークが暗黒の中世のようで、権力者がすべてを支配し、正義などなかったのはよくわかったが、それだけにもう少し深みが欲しかった。俳優は好演しているが、脚本がいまひとつ、力不足の気がした。
見たのは亀有。
昨日は中山競馬場へ行って一番落ち込んだ日だったけど、今日も行ってしまった。
人少ない。昨日も少なかったけど、今日も同じくらい少なかった。
が、京都と東京(府中)のメインレースとなると、やっぱり馬券買いたい衝動が。
まずは京都記念。チェルヴィニアはだめだろうと思っていたが、まさかプラダリアもソールオリエンスもセイウンハーデスも来ないとはね(来たのはヨーホーレイク)。
実はこのマコトヴェリーキーと、セイウンハーデス、ブレイヴロッカーの10、11、12が気になって、この3頭複勝で買おうかと思ったのだけど、セイウンハーデスとブレイヴロッカーしか買わなかった。セイウンは期待してたからで、ブレイヴは来ないだろうけどかわいいからだけど、マコトはその中間だったのではずしてしまったのだが、これが3着で、人気上位じゃなかったので複勝でもけっこうついてた。
で、そのあとの共同通信杯はサトノカルナバルとレッドキングリーをがんばれ馬券で買ったのに、どっちも来ないとは。そして、複勝で買おうか迷って買わなかったマスカレードボールが1着。まあ、こっちは一番人気だったので、複勝ではあまりお金つきませんが。
府中のメインレースが始まる前。昨日よりは外に出てくる人が増えたけど、やっぱり人少ない。
というわけで、いろいろ買ってしまったので、今日はお金使ってしまった。
今日はやっぱり当てるのがむずかしい日だったのかな、と思いました。なぜなら、まわりの人もみんな意気消沈してる感じで、ほとんど盛り上がってる人いなかったからです。
ところで、なんでこの週末、推し馬も出ないのに中山競馬場へ行こうと思ったのか。
実は、フードコートのお寿司が食べたかった。
中山のフードコートのお寿司、レースがあるときは1400円だったけど、ないときは1200円。レースあるときは座席大混雑だけど、レースなければそれほどでもないはずなので、今週末はお寿司を食べよう、と思っていたのです。
が、昨日の落ち込みと今日のがっかりでお寿司どころではなくなった。昨日と今日の損は1120円なので、お寿司代が飛びました。
まあ、お寿司食べるかわりに競馬場で遊んだと思えばいいのですがね。
今日はほんとにモニターでパドック見ててもオーラ感じませんでしたね。マコトヴェリーキーもオーラを感じたわけではなかったので買わなかったので。
中山競馬場へ行くようになってはや11ヶ月。馬券予算1日数百円から千円程度なので、たいした損はしてないのですが、今日はこれまでで一番落ち込んだ。
馬券は3枚しか買わなくて、全部はずれたけど300円の損ですんでるんだけど、かなーり落ち込みました。
これまで、1日千円以上買って一枚も当たらず、って日はありましたが、それでも今日ほど落ち込んでなかった。なぜなら、この馬を推そう、と、自分で納得して選んで買ってたからです。
今日は、そういう推し馬がいなかった。でも、今日みたいな日はすいているし、モニターでパドック見て気に入った馬を買う、ということが余裕をもってできるだろう、と思い、行ったのです。
船橋法典駅から競馬場への通路。坂を降りるときに上の方に見えた写真。引退しちゃったジャスティンミラノがいる。元気かなあ。
今日は風もなく暖かいお日より。中山のパドックは大画面のモニターがあり、日当たりがよいのでそこに座って画面を見ることに。誰もいないように見えますが、手前のエリアに人が座って見ています。
NetKeibaのサイトからお借りした写真です。
そんなわけで、ポエットリー、ロジリオン、エンブロイダリーと、気になる馬の馬券を全部逃したというか、特に、買おうと思ったのに馬番わからず買えなかったポエットリーはほんと悔しいです。あのオーラ、本物だったのだ。
府中のメインレースが始まる前。最近は寒いせいか、外でメインレースをモニターで見る人がめっきり減りました。前は人がたくさん出てきて拍手もあったのに。
上空を飛行機がよく飛んでいたので、写真を撮りました。
本日公開の「セプテンバー5」。ミュンヘン五輪のテロ事件を描いた作品。
ABCといえば今もアメリカの五輪生中継を担当していて、ここのせいで開催が8月ばかり、暑い地域では夏の五輪が開催できないと言われているのだが、この映画でもABCのスポーツ局のリーダーたちが視聴率のことしか考えてないという、かなり批判的な描かれ方。
まだ事件が始まる前から、彼らはスポーツを政治的な話題にして受けようとしていて、これ見たら、やっぱりスポーツに政治を持ち込むのはあかん、と思ってしまう。
事件が始まると、スポーツ局では手に負えない、報道局に任せろ、というアメリカの本部からの声を無視というか、報道局に取られたくない、現地にいるこっちでやりたいという見栄と、視聴率を取りたい、特ダネをものにしたいという欲望で動いているのがミエミエ。
唯一、報道としての姿勢に疑問を持って意見する人がいるが、通らない。テロリストは五輪だと注目されるからやっているので、中継したら彼らの思う壺、という意見は正しいのだが。
テロリストもテレビを見ているかもしれない、とかまるで思いつかず、ABCを見てるのはアメリカだけと思い込むとか、この時代だとしょうがないのかもしれないけど、アメリカのことしか見えてないのがよくわかる。
日本も浅間山荘事件を連日生中継してたので、人のことは言えないのだけどね。
この映画、ミュンヘン五輪の舞台である西ドイツのやり方にも批判的なのだが、あとで調べたらドイツとアメリカの合作だった。どうりで。監督、知らない名前だな、と思ったらスイス人で、ミュンヘンの大学で映像を学んだらしい。
西ドイツにとってはミュンヘン五輪というのは戦後の民主化した西ドイツのアピールでもあったように描かれていて、そこがベルリン五輪とは違う意味で政治的だったわけだな、と気づいた。
そもそも選手村の警備が手薄だとか、事件が起こったのは未明なのにその日の競技を中止せず、あとになって中止。人質が全員死亡という大惨事になり、イスラエル選手団だけでなくアラブ諸国の選手団も帰国したのに、五輪を中止せずに続行というIOCの対応も疑問で、事件が起きている最中に競技していたり、選手がくつろいでいたりする映像が流れるのがぞっとする。
映画はミュンヘンのABCスポーツ局の報道室だけで展開し、外の様子はモニターに映るだけなのがユニークで緊迫感がある。映像は1970年代のアメリカ映画のテイスト。監督はスイス人だというけれど、内容的には「ネットワーク」に通じるいかにもアメリカ的な報道ドラマで、演出も脚本も感心した。90分余りという上映時間もむだがなくてよい。「リアル・ペイン」も90分なのでむだのない映画だったが、今はこういう短い映画が貴重。
主要人物の1人が通訳を兼ねて採用された現地スタッフのドイツ人女性で、彼女が報道室のスタッフの手足となって、外に出て報告をしてくるのだけれど、彼女がこのような報道とその結果をどのように見ているのかははっきりしなかった。ここがちょっと物足りない。スタッフにアルジェリア系の男がいて、アラブ人を悪者扱いするスタッフに苦言を呈するが、背景にあるイスラエルとパレスチナの問題にはいっさい触れていない。まあ、そこは「ミュンヘン」を見てね、ということなのだろうけど。
40年間勤めた渋谷の某大学の非常勤講師が今年度で定年。ここ数年は問題が多く、いやなことばかりだったので、やめたら早く忘れたいと思っていた。また、渋谷に関しても、もともと好きな街ではなかった上、最近は変化が激しく、かつての渋谷の記憶と相いれなくなっているので、渋谷の思い出について考えることもなかった。
大学に関しては、大学が非常勤講師をリストラするために制度を変えてしまったあたりから居心地が悪くなり、他の先生との交流の場もいっさいなくなり、そして、学生の質がどんどん落ちていったが、思い出してみたら、そうなる以前は専任の先生や他の非常勤との懇親会があって、そこで有意義な交流があったりした。また、学生についても、思い出すことがたくさん出てきた。一時期、定年退職後に社会人枠で入学してきたシニアの学生がいたが、私より年上で人生の先輩である彼らのこともなつかしく思い出す。
最初に教えた学生はもう還暦かな。そして、その人生の先輩学生たちは健在だろうか。映画が好きで、映画館でバイトして映画の仕事をめざす、と言っていた学生は今、どうしているだろう。
そして渋谷。
一番古い渋谷の思い出は東急文化会館。今はヒカリエになっているところにあった。
清水建設のHPから。清水建設が作ったのですね。できたばかりの頃の写真のよう。
毎月、内容を紹介するリーフレットを発行していて、私も集めていたが、ネットの古本屋でこんな値段で売られていた。
小学生の頃には映画館には行ってなくて、プラネタリウム以外で記憶にあるのは屋上にアーチェリー場があったこと。小学生の初心者の力では的まで矢が届かなかったけれど、アーチェリーをやった唯一の経験。
映画館は中学生になって、東急文化会館の1階にあった渋谷パンテオンで「史上最大の作戦」のリバイバルを見たのが最初だ。上の方にあった渋谷東急、東急名画座にもその後、行くようになる。
住んでいたところの関係で、映画館は地元か銀座日比谷地区と新宿が多く、渋谷までは行くことは少なかった。1985年に渋谷の大学の非常勤講師になり、渋谷はもっぱらその仕事で行く場所になった。渋谷にミニシアターが次々とできて、試写室が渋谷にいくつかできるようになると、それで渋谷に行くことも増えた。
何度も行ったショウゲートの試写室が2年前になくなっていたことを知った。ここは渋谷駅南口の歩道橋を渡ってすぐのところで、最後に行ったときは周辺が再開発されつつあるときだった。渋谷駅の中心部からやたら遠くて隣の駅のようだった新南口(現在はもっと近いところに移転)のあたりもよく行ったところ。あそこのベローチェですごした時間も多かった。
東急文化村あたりの思い出は、東京国際映画祭。始まったばかりの頃は私も評論家枠でフリーパスもらえたりしていたのだ。オーチャードホールではピエール・アモワイヤルのコンサートを聴いた。
文化村近くの試写室といえば、今はないシネカノン試写室。そして、健在の映画美学校試写室。渋谷の写真って、ほとんど撮ってないのだけど、比較的最近撮ったのがこれ。映画美学校と同じ建物にあるユーロスペースに行ったときのもの。
今週は関東で春一番が吹くかもしれない、と言われていたので、朝、すごい強風なのを見て春一番かと思いきや、北西の風とかで完全に木枯らし。
今日は外に出たくないな、特に必要なものもないし、と思ったけれど、最近体調が悪く、それで飲んでいる薬が心もとない。できれば買い足したい、ということで出かけたが、こういう日はやはり厄日なのだろうか、ドラッグストアのセルフレジでトラブルが。
そこのセルフレジは以前から機械がおかしいと感じることがあったのだが、キャッシュレスだと無問題なので、交通系ICカードで買い物していた。が、この日は薬の値段が高く、交通系ICの残高が心もとなかったので現金を入れた。
970円なので50円玉1つと10円玉2つをまず入れて、それから1000円札を入れたら、お釣りが100円のところ、50円しか出てこない。その上、レシートが出てこない。不審に思ってよく見たら、硬貨を入れるところに50円玉がそのまま残っている。これが清算に行かなかったからお釣りが50円足りなかったのだ。
店員を呼んで説明し、見えている50円玉を返してほしいと言ったのだが、店員が理解してくれない。詰まっていたレシートを取り出し、50円玉を取り出して持ったまま考え込んでいるだけ。何度説明しても理解しないし、かといって私がごまかしていると思っているのでもなさそうなんだが、結局、「それは私のお金だから返して」と言ったら返してくれ、レシートも再発行してくれた。
そういえば、セルフレジでは1円玉と50円玉がなかなか動かず、そこにとどまっている、というのを何度か経験していた。その店のセルフレジの機械は他の店に比べてトラブルが多いので、メンテナンスに問題があるのだろう。レシートが詰まるのも前に経験済み。品揃えがよくて安い店なのに、残念。検索するとセルフレジは入れたお金に関するトラブルが多いようだ。セルフレジでは極力キャッシュレスがよさそうです。
いよいよ来週から確定申告。非常勤講師は必ずしないといけない。
アナログ人間の私はいまだに申告用紙に手書きです。
10年くらい前までは毎年、税務署から申告用紙と手引きが送られてきたのだけど、郊外の団地に引っ越してからは送ってこなくなり(この町の税務署が送らないのか、と思ったら、町の人が、こっちも以前は送ってくれていた、と言っていたので、全国的なのだろう)、近くの市役所の支所に置かれるようになって、最初はそこで手に入れられたのだが、数年前から用紙が置かれる初日の早朝から行列ができて、支所が開くとすぐになくなってしまうらしかった。
この近隣は高齢者が多く、年金の確定申告になるのだと思うが、彼らはスマホで申告とか無理。高齢者を多数世話している施設の人などが大量に持っていくのではないかと思った。実際、1人で数百枚は取っただろう、と思われる中年女性がいたのだ。
そんなわけで、シャンシャンじゃあるまいし、朝から並べるかよ、と思う私は、電車に乗って税務署に行ってもらってくるか、ネットでダウンロードして印刷した用紙に書くようになった。
ただ、手引きだけはやはり実物が欲しい。ダウンロードしたやつだと見づらい。あれ全部印刷するとか、やってられないよね。
去年は支所には手引きだけは少し残っていたので、それをもらっていた。が、ぬわんと、今年から用紙も手引きもいっさい、支所には置かなくなったのだ!
朝から並んだ人とかいたのかな、で、扉が開いたら、今年から用紙はありませーん、とかなったのだろうか?
一応、手引きと用紙はダウンロードしたものの、手引きは現物が欲しい。ついでに用紙ももらいたい。てことで、確定申告開始前に出かけることにした(以前、開始日に行ったら大混雑だったのよ)。
で、わざわざ往復400円もかけて行くのだから、ブックオフに本を売って電車賃くらいは稼ぎたい、と思い、2つの手提げ袋に入れて重い思いをして出かけた。
とはいっても、金目の本はとっくに売り払っていて、たいした本はないのだが、それでもなんとか電車賃は稼げた。
しかし、ブックオフって、店がものすごく減ってるよね。近隣で本を扱ってるところがものすごく少ない。本を扱ってない店というのがあるので、本は売れないのだろう。CDやDVDもだめみたいで、売りに行っても二束三文。本はもっとひどくて1冊10円かそれ以下(今回は30円とか40円とかになった本がそこそこあったので電車賃が稼げたが)。こんな値段だったら重い思いをして売りに行くより捨ててしまおうと思う。
で、重い本をブックオフに渡して身軽になって税務署へ。まだ申告始まってないので人は少なめ。でも、私と同じく用紙をもらいに来ている人(みんな高齢者)が10人くらいたむろしていた。なんでたむろしてるかというと、申告用紙がないからなのだ! 少ししたら、職員が持ってきたけど。売れ行き好調ですねえ(無料です)。
これで手引きと申告用紙が手に入ったけど、税務署では何人ものスタッフが外にいて、「ご苦労さまです」とかなんとか言うのだけど、このスタッフはバイトの高齢者っぽい。来るのも高齢者、迎えるのも高齢者。
今回、どうしても手引きの実物が欲しかったのは、定額減税をどう申告するのか確認したかったから。が、手引きをパラパラ見ても該当する箇所が見つからない。しばらくしてようやく見つかったが、まったく、税金返す方はなんか隠そうとしてるよね???(違う?)
ちなみに、非常勤講師は所得税の定額減税は確定申告でやることになっています。つまり、所得税減税されずにしっかり取られ続けていたのだよ。だから絶対、取り返さねば、と思い続けていたのです。
まあ、e-Taxとかいうのでやれば自動的に計算してくれるんだろうけど、こちとらアナログ人間なもので。
武蔵野線といえば、「翔んで埼玉 琵琶湖より愛をこめて」で大きく取り上げられた路線ですが、先日、テレビ放送あったので、またまたユニモに関する記事へのアクセスが。
それはともかく、今日午後、その武蔵野線の東松戸と新八柱間で倒木があり、復旧の見込みが立っていないと。
ニュース動画見たら、八柱霊園の近くですね。Xに貼ってあった航空写真。グーグルマップですね。
八柱霊園から東松戸駅は何度か歩いたことがあって、右上から左下に伸びる道路を歩いていくのだけど、その雑木林のそばも少しだけ通ります。
まあ、この辺は木が多いんだけどね。
Xでにゃーとれさんという人が新松戸駅に貼ってあった写真をあげてくれてますが、これ、かなりひどい。今日中の復旧は無理か? 祝日だったのが不幸中の幸いだけど、武蔵野線沿線には遊びに行くところがけっこうあるので、大変な休日になった人も多数のはず。(つか、埼玉県民がディズニーランドから直接帰れない。東京駅まわって帰ることに。)
Xの写真、引用させていただきます。
中山競馬場のパドックで「馬券買え」オーラを感じる馬を買うと当たる、ということが続いていましたが、その中山も今月はレースなし。でも、日曜は府中にボンドガールとオオタニサーンが出るので中山競馬場にモニター観戦に出かけました。
馬場内エリアではポニーとお散歩のイベントが。
そして府中メインの東京新聞杯。メインレースになると外でターフビジョンを見ようと、いつもは大勢の人が出てくるのだけど、さすがに寒波で超寒いので、あまり人が出てきません。
最終12レース、「オターニサーン」の実況が少しだけ聞けましたが、オオタニサーンも前走でお疲れか、だめでした。サクラトゥジュールとオオタニサーンは前走に続きキングだったけど、今回はどちらもだめっていうか、オオタニサーンは名前で人気している面が強いようです。