例の猫スポットは多くの方々がボランティアで猫の管理をしてらっしゃるのですが、その中に、名前をつける人というのがいて、勝手に名前をつけると怒られる、という話を聞きました。
もちろん、自分だけの命名をしている人はたくさんいるようですが、それはあくまで自分だけの名前。
で、この界隈に猫の写真を撮りにきてはや3年数ヶ月がたちましたが、私は名前はつけない主義です。名前をつけるというのは、その猫を自分のものにすることで、その分責任が伴う、週に2日くらいしか行けなくて、身銭を切っているボランティアの方々のようなことを何もしていない私は、名前をつけず、少し離れたところから眺めているのが筋、という考えでやってきました。
そんなわけで、私の頭の中では猫は視覚的に覚えていて、名前では覚えてない、そういう状態でしたが、いろいろな方のブログを見ているうちに、この猫はこういう名前で呼ばれているのか、とだんだんわかってきた。だからといって、その名前で呼ぶことには抵抗を感じるのですが。
というわけで、土曜日の夕方、もう6時をまわった頃に猫スポットへ行きました。今の時期だと、午後6時すぎでも十分写真が撮れます。
このテリトリーでは、このところ、行くと必ずシャムくんに会えるようになりました(おおっと、シャムくんというのは私の暫定的な呼び名です)。だいぶなれていて、すぐ目の前まで行けるようになってますが、私は猫にはあまり触らないので、まだ触ってません。
中央、小さいのがシャム、その右がヒナと呼ばれる白猫、左の黒猫、手前の猫は、ここの常連。
そして、首輪をした飼い猫が現れた。
最近、このテリトリーで写真を撮る時間が長くて、あまりほかでは写真が撮れません。私のメインの場所は実はここではないのだけどね。ここは猫愛好家の方々が数人、集まっているときがよくありますが、私のメインの場所は愛好家の方は1人1人ばらばらに来る感じです。こっちの方が気が楽です。
映画や日常生活のブログ。記事内の写真はクリックすると大きくなります。別ブログ(ログインできなくなった場合用)http://sabre26.cocolog-nifty.com/blog/
2011年7月3日日曜日
2011年6月28日火曜日
ついに大接近
今日はすぐ日が暮れてしまって、あまり写真は撮れなかったのですが、これはお寺の猫たち。門が開いているときと、閉じているときがあって、閉じた門のすぐそばに猫がいたので、パチリ。
いつものコースから墓地に入ると、早速、ヒナと呼ばれる白猫が餌をねだりに。月曜は雨がパラパラ降って、餌くれる人が少なかったのか、やたら猫が餌をほしがります。このときは本田と呼ばれているらしい猫や、新参の黒猫たちもいましたが、シャムくんはいなかった。
テリトリーを移動。途中、民家の窓のところに猫が。
別テリトリーでも猫は餌ほしがるので、しかたないから近くの店に行って買ってきたら、今度はぜんぜんほしがらない。どうやら、買いに行っている間に誰かが来て餌をあげたようでした。
それからまた、シャムくんのテリトリーへ戻ったら、今度はシャムくんがいて、なんと、私から餌を食べた! 近づくとすぐ逃げるので、なかなか近づけないシャムくんですが、このときはほんとに至近距離。でも、そのあとはまた逃げてしまう。シャムくんと一緒の黒猫の方は、体を摺り寄せてきて、こっちはもうぜんぜん馴れた感じ。もう暗くて写真が撮れなくて残念。
そして、帰りは久々に夕焼けだんだん。下の白猫はそれぞれ別の猫です。フラッシュ使っても驚きもしない猫たち。
いつものコースから墓地に入ると、早速、ヒナと呼ばれる白猫が餌をねだりに。月曜は雨がパラパラ降って、餌くれる人が少なかったのか、やたら猫が餌をほしがります。このときは本田と呼ばれているらしい猫や、新参の黒猫たちもいましたが、シャムくんはいなかった。
テリトリーを移動。途中、民家の窓のところに猫が。
別テリトリーでも猫は餌ほしがるので、しかたないから近くの店に行って買ってきたら、今度はぜんぜんほしがらない。どうやら、買いに行っている間に誰かが来て餌をあげたようでした。
それからまた、シャムくんのテリトリーへ戻ったら、今度はシャムくんがいて、なんと、私から餌を食べた! 近づくとすぐ逃げるので、なかなか近づけないシャムくんですが、このときはほんとに至近距離。でも、そのあとはまた逃げてしまう。シャムくんと一緒の黒猫の方は、体を摺り寄せてきて、こっちはもうぜんぜん馴れた感じ。もう暗くて写真が撮れなくて残念。
そして、帰りは久々に夕焼けだんだん。下の白猫はそれぞれ別の猫です。フラッシュ使っても驚きもしない猫たち。
2011年6月27日月曜日
だからどうした?
アカデミー賞最有力といわれながら、「英国王のスピーチ」に負けたデイヴィッド・フィンチャー監督の「ソーシャルネットワーク」をDVDで見た。
感想はひとこと。
だからどうした?
フェイスブックの創始者が実際はどういう人だったかは知らないし、最後の字幕にあるように、かなりのフィクションになっているのは明らかなようだけど、そのフィクションが、どうにも面白くない。
ハーバード大学の学生マークは女子大生にふられ、腹いせにハッキングした女子学生の写真を集めて、どっちが好きかコンテストを始め、それがきっかけでフェイスブックを創設、これが大ヒット、という話。
まあ、それはいいんですけどね。いかにも頭はいいけど心がガキな名門大学の学生って感じで。自分をふった女子からは、「あなたがもてないのはオタクだからじゃない、いやなやつだからよ」と言われたのがきっかけなんですが、確かにいやなやつです。自分が名門のハーバードで、女子大生がそれよりはレベルの低いボストン大学だからとばかにし、女子大生がドイツ系だからだとかなんとか言い、彼自身もWASPじゃないわけですが、まあ、WASPのお金持ちのハーバード大生なら、頭で思っても口には出さないよね(彼にフェイスブックのアイデアを持ちかける学生がこの毛並みのよいタイプで、そういう比較はよく出てますが、いかにも紋切り型)。
とにかく、そういう天才だけどいやなやつ、マークがたまたま考えたアイデアが大成功したという話なんですが、どこが面白いんだ? 最後に、訴訟で大金払って和解に応じることにした主人公が、「あなたはいやなやつじゃない、そのふりをしているだけ」と言われて、最初に女子大生に言われたこととここが呼応するわけですが、あまりに予定調和なんで、げんなりします。
この映画を見て、なんかすごいとか思っちゃう人って、要するに、こういう世界に疎い人なんでしょうか。あるいは、若者をばかにしているとか?
マークも他人をばかにしているけど、マークをこういうふうに描いたり、ネットの世界をこんな程度の話にしたりする人も、若者やネットをばかにしているんじゃないだろうか。
私は「英国王のスピーチ」も保守的な面があると批判的なことを書きましたが、それでも、オスカーはこっちへ行ってよかったと本気で思います。「ベンジャミン・バトン」といい、この映画といい、フィンチャーは世間受けする普通の監督に成り下がったように思います。
追記 映画館で見たら、DVDで見るよりはよく見えただろうとは思うけど、それでも、基本的なところは変わらない気がする。
「英国王のスピーチ」関連記事
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_25.html
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_27.html
感想はひとこと。
だからどうした?
フェイスブックの創始者が実際はどういう人だったかは知らないし、最後の字幕にあるように、かなりのフィクションになっているのは明らかなようだけど、そのフィクションが、どうにも面白くない。
ハーバード大学の学生マークは女子大生にふられ、腹いせにハッキングした女子学生の写真を集めて、どっちが好きかコンテストを始め、それがきっかけでフェイスブックを創設、これが大ヒット、という話。
まあ、それはいいんですけどね。いかにも頭はいいけど心がガキな名門大学の学生って感じで。自分をふった女子からは、「あなたがもてないのはオタクだからじゃない、いやなやつだからよ」と言われたのがきっかけなんですが、確かにいやなやつです。自分が名門のハーバードで、女子大生がそれよりはレベルの低いボストン大学だからとばかにし、女子大生がドイツ系だからだとかなんとか言い、彼自身もWASPじゃないわけですが、まあ、WASPのお金持ちのハーバード大生なら、頭で思っても口には出さないよね(彼にフェイスブックのアイデアを持ちかける学生がこの毛並みのよいタイプで、そういう比較はよく出てますが、いかにも紋切り型)。
とにかく、そういう天才だけどいやなやつ、マークがたまたま考えたアイデアが大成功したという話なんですが、どこが面白いんだ? 最後に、訴訟で大金払って和解に応じることにした主人公が、「あなたはいやなやつじゃない、そのふりをしているだけ」と言われて、最初に女子大生に言われたこととここが呼応するわけですが、あまりに予定調和なんで、げんなりします。
この映画を見て、なんかすごいとか思っちゃう人って、要するに、こういう世界に疎い人なんでしょうか。あるいは、若者をばかにしているとか?
マークも他人をばかにしているけど、マークをこういうふうに描いたり、ネットの世界をこんな程度の話にしたりする人も、若者やネットをばかにしているんじゃないだろうか。
私は「英国王のスピーチ」も保守的な面があると批判的なことを書きましたが、それでも、オスカーはこっちへ行ってよかったと本気で思います。「ベンジャミン・バトン」といい、この映画といい、フィンチャーは世間受けする普通の監督に成り下がったように思います。
追記 映画館で見たら、DVDで見るよりはよく見えただろうとは思うけど、それでも、基本的なところは変わらない気がする。
「英国王のスピーチ」関連記事
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_25.html
http://sabreclub4.blogspot.com/2010/12/blog-post_27.html
2011年6月25日土曜日
覇権争い
昨日までは猛烈な暑さで、風も強かったので、これは台風かな、と思ったら、やはり台風、来ますね。今日は気温も下がってしのぎやすくなりましたが、時々、雨がザーッと降ってきたりもするなか、1週間ぶりに猫スポットへ。
墓地入り口あたりで覇権争い(?)している猫たち。首輪をつけているのは前からいる飼い猫で、黒トラの方が新参の感じ。
このところ、ここへ来ると必ず会えるシャム猫。
こういう動きの写真も撮れるようになりました。
カラスをにらんでいるシャムくん。
追いかけてなおもにらむ。
そのあと、先住猫たちのいるところへ行くと、長老格(?)の黒茶猫が寄ってきました。
おまえ、生意気だぞ、って感じで
追い立てられてしまいます。この黒茶猫は私によくなついています。手前はヒナと呼ばれる白猫。
この2匹も覇権争いっぽい。
別のテリトリー。この3匹は仲良し。
今日はどの猫もさわると毛が大量に抜けて、上から下まで服が毛だらけになってしまいました。抱っこも何もしていないのに。外用ベープはだんだん効かなくなっていて、そろそろ取替えどきかも。
墓地入り口あたりで覇権争い(?)している猫たち。首輪をつけているのは前からいる飼い猫で、黒トラの方が新参の感じ。
このところ、ここへ来ると必ず会えるシャム猫。
こういう動きの写真も撮れるようになりました。
カラスをにらんでいるシャムくん。
追いかけてなおもにらむ。
そのあと、先住猫たちのいるところへ行くと、長老格(?)の黒茶猫が寄ってきました。
おまえ、生意気だぞ、って感じで
追い立てられてしまいます。この黒茶猫は私によくなついています。手前はヒナと呼ばれる白猫。
この2匹も覇権争いっぽい。
別のテリトリー。この3匹は仲良し。
今日はどの猫もさわると毛が大量に抜けて、上から下まで服が毛だらけになってしまいました。抱っこも何もしていないのに。外用ベープはだんだん効かなくなっていて、そろそろ取替えどきかも。
2011年6月24日金曜日
久しぶりの試写室
引越があったこともあって、1ヶ月ぶりに試写室へ行った。まずは「僕のエリ、200歳の少女」(関連記事http://sabreclub4.blogspot.com/2011/03/blog-post_05.html)のアメリカでのリメイク、「モールス」。それから、ドイツ映画「ヒマラヤ 運命の山」。どちらも六本木。
しかし、試写室が節電で冷房の設定温度を高くしていて、かなり蒸し暑い。2時間我慢しているのがけっこうつらい。終わって外へ出ると、外の方が気温は高いのだが、風があるので気持ちがいい。こんな状態だと、試写室から足が遠のきそうだ。映画館はどうなのだろう。
で、「モールス」ですが、オリジナルのスウェーデン映画とほとんどそっくりなリメイク。アメリカ的にして派手に、とか、そういうのはまったくない。が、それだけに、オリジナルの雰囲気のよさ、美しさが思い出されて、リメイクはかなり苦しい。オリジナルに忠実に、まじめにリメイクしているのが逆に、オリジナルに比べて劣ると思わせてしまう。
なんといっても、主役の少年少女がオリジナルの方が断然よかった。リメイクの子役も健闘してるけど、オリジナルにあった神秘的な感じがない。それに、主人公に対するいじめがオリジナルの方が相当陰湿だったけど、リメイクはそれほどでないので、クライマックスの印象も違ってきてしまう。いじめに関する感性が、オリジナルに比べてリメイクはあまり深刻でない感じがする。
ヒロインの父親のような男については、オリジナルを見た人が感じたこと、つまり、この男もかつては少年で、みたいなところがリメイクでははっきり出ていた。原作小説ではこの男は比較的最近、少女と出会ったペドフィルらしいけど、オリジナルの映画ではいろいろ想像できるようになっていて、それがリメイクでは多くの人が想像したところにしてしまった感じがする。
また、例の、オリジナルの日本公開でのボカシのシーン、リメイクではそのシーンはなく、こっそり見ている少年の表情だけで表している。リメイクはオリジナルほどには少女の過去を重要視してないのかもしれない。
吸血鬼にされてしまった女性は、オリジナルの方が断然深みがある。リメイクではあまりに浅はかな描写。
ドイツ映画の「ヒマラヤ 運命の山」は、ヒマラヤの8000メートル級の山に登った兄弟の実話の映画化。登山の映画は多いけれど、ドイツの登山映画はやたら暗い。「アイガー氷壁」はナチスドイツがらみだったし、こちらは初登頂の名誉欲の醜い争いみたいなのが背後にある。考えてみたら、英米の登山映画「127時間」や「運命を分けたザイル」は初登頂とか世界初とかいう話ではなかったのだよね。だからさわやかだったのか。ドイツの方はそういう人間や社会の醜さが絡んでいるので、暗いのだな。
映像的には、雄大な自然とちっぽけな人間みたいな構図の絵がたくさんあって、「剣岳 点の記」をちょっと思い出させるところもありました。主人公が団体での登山がいやになって単独登山をするようになるのは「植村直己物語」と共通します。つか、最近、私もそういう気分になる出来事があったので、妙に共感しました。
追記(2011年8月23日)
以前、キネ旬のクロスレビューに「セックス・アンド・ザ・シティ」が出たとき、評者が誰一人オリジナルのテレビドラマを見ずに批判しているということを同誌で書いた人がいた。
そして今発売中のキネ旬に、今度は、「ぼくのエリ 200歳の少女」に言及せずに、「モールス」について書いている人が何人もいる。
クロスレビューでは、1人が、オリジナルを見ていないことを告白した上で書いているが、他の2人も見たのかどうか不明。そして、有名人が名を連ねた1ページ1作品の映画評コーナーで、映画評論家としても有名なM氏が「モールス」を取り上げ、そこで、過去のヴァンパイア映画に言及しているのだが、なぜか「ぼくのエリ」は名前も出てこない。この映画評を読むと、M氏は「ぼくのエリ」を見ていないのだろうと思う。
上で書いたように、「モールス」は「ぼくのエリ」をほとんどそっくりにリメイクした映画なので、オリジナルを見ずに書くと、実は「ぼくのエリ」の描写をリメイクがそのまま再現している部分であるにもかかわらず、そこが「モールス」の特徴、監督の特徴であるというふうになってしまう。
「ぼくのエリ」を愛する人は多い。そういう人たちに対して、プロがこういう文を書くのは失礼だと思うのは、私だけだろうか。
ハリウッド・リメイクの中には、オリジナルがあることを隠しているものもあるが、「モールス」はプレスシートなどにもリメイクであることがおおっぴらに書かれているので、言及しないのは配給元への気遣いということはないと思う。
また、クロスレビューは編集部が作品を指定するので、やむを得ない面もあるが、有名人の映画評は書き手が自由に作品を選べるのに、なぜ、と思うのです。
追記あります。http://sabreclub4.blogspot.com/2011/09/blog-post_121.html
しかし、試写室が節電で冷房の設定温度を高くしていて、かなり蒸し暑い。2時間我慢しているのがけっこうつらい。終わって外へ出ると、外の方が気温は高いのだが、風があるので気持ちがいい。こんな状態だと、試写室から足が遠のきそうだ。映画館はどうなのだろう。
で、「モールス」ですが、オリジナルのスウェーデン映画とほとんどそっくりなリメイク。アメリカ的にして派手に、とか、そういうのはまったくない。が、それだけに、オリジナルの雰囲気のよさ、美しさが思い出されて、リメイクはかなり苦しい。オリジナルに忠実に、まじめにリメイクしているのが逆に、オリジナルに比べて劣ると思わせてしまう。
なんといっても、主役の少年少女がオリジナルの方が断然よかった。リメイクの子役も健闘してるけど、オリジナルにあった神秘的な感じがない。それに、主人公に対するいじめがオリジナルの方が相当陰湿だったけど、リメイクはそれほどでないので、クライマックスの印象も違ってきてしまう。いじめに関する感性が、オリジナルに比べてリメイクはあまり深刻でない感じがする。
ヒロインの父親のような男については、オリジナルを見た人が感じたこと、つまり、この男もかつては少年で、みたいなところがリメイクでははっきり出ていた。原作小説ではこの男は比較的最近、少女と出会ったペドフィルらしいけど、オリジナルの映画ではいろいろ想像できるようになっていて、それがリメイクでは多くの人が想像したところにしてしまった感じがする。
また、例の、オリジナルの日本公開でのボカシのシーン、リメイクではそのシーンはなく、こっそり見ている少年の表情だけで表している。リメイクはオリジナルほどには少女の過去を重要視してないのかもしれない。
吸血鬼にされてしまった女性は、オリジナルの方が断然深みがある。リメイクではあまりに浅はかな描写。
ドイツ映画の「ヒマラヤ 運命の山」は、ヒマラヤの8000メートル級の山に登った兄弟の実話の映画化。登山の映画は多いけれど、ドイツの登山映画はやたら暗い。「アイガー氷壁」はナチスドイツがらみだったし、こちらは初登頂の名誉欲の醜い争いみたいなのが背後にある。考えてみたら、英米の登山映画「127時間」や「運命を分けたザイル」は初登頂とか世界初とかいう話ではなかったのだよね。だからさわやかだったのか。ドイツの方はそういう人間や社会の醜さが絡んでいるので、暗いのだな。
映像的には、雄大な自然とちっぽけな人間みたいな構図の絵がたくさんあって、「剣岳 点の記」をちょっと思い出させるところもありました。主人公が団体での登山がいやになって単独登山をするようになるのは「植村直己物語」と共通します。つか、最近、私もそういう気分になる出来事があったので、妙に共感しました。
追記(2011年8月23日)
以前、キネ旬のクロスレビューに「セックス・アンド・ザ・シティ」が出たとき、評者が誰一人オリジナルのテレビドラマを見ずに批判しているということを同誌で書いた人がいた。
そして今発売中のキネ旬に、今度は、「ぼくのエリ 200歳の少女」に言及せずに、「モールス」について書いている人が何人もいる。
クロスレビューでは、1人が、オリジナルを見ていないことを告白した上で書いているが、他の2人も見たのかどうか不明。そして、有名人が名を連ねた1ページ1作品の映画評コーナーで、映画評論家としても有名なM氏が「モールス」を取り上げ、そこで、過去のヴァンパイア映画に言及しているのだが、なぜか「ぼくのエリ」は名前も出てこない。この映画評を読むと、M氏は「ぼくのエリ」を見ていないのだろうと思う。
上で書いたように、「モールス」は「ぼくのエリ」をほとんどそっくりにリメイクした映画なので、オリジナルを見ずに書くと、実は「ぼくのエリ」の描写をリメイクがそのまま再現している部分であるにもかかわらず、そこが「モールス」の特徴、監督の特徴であるというふうになってしまう。
「ぼくのエリ」を愛する人は多い。そういう人たちに対して、プロがこういう文を書くのは失礼だと思うのは、私だけだろうか。
ハリウッド・リメイクの中には、オリジナルがあることを隠しているものもあるが、「モールス」はプレスシートなどにもリメイクであることがおおっぴらに書かれているので、言及しないのは配給元への気遣いということはないと思う。
また、クロスレビューは編集部が作品を指定するので、やむを得ない面もあるが、有名人の映画評は書き手が自由に作品を選べるのに、なぜ、と思うのです。
追記あります。http://sabreclub4.blogspot.com/2011/09/blog-post_121.html
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