2020年10月17日土曜日

西洋美術館ダブルヘッダー夜の部

 1年半の休館というと、私の年齢ではほんとうに見納めになってしまわないとも限らないので、6月以降、何度も来ているけれど、もう一度じっくり見たい、ということで、常設展ダブルヘッダーの夜の部。(昼の部は前記事です。)

昼間は30分しか時間がなく、でも、夜は6時くらいに夕食をとって7時には入れる、と思ったら、なんだかんだで上野公園に着いたのが7時20分くらい。夕食もとれず、コンビニで買ったパンを公園のベンチに座って食べて、昼間と同じく常設展の無料券(65歳以上)をもらって中に入る。以前は窓口でチケットを買ったりもらったりしている人はほとんどいなかったが、この日(16日)は次々と一般料金を払ってチケットを買う人が。コロナ前は金曜と土曜の夜は誰でも無料だったのだけど、コロナ後は混雑緩和のために有料になっている。

常設展入ってすぐの部屋。昼間には青空が見えていた三角屋根の窓は真っ暗。


自然光がない分、人工照明が強くなっているので、昼間より写真が鮮明に撮れる。ロダンのバルザック。

ル・コルビュジエ設計の本館の様子がわかる写真を。





西洋美術館所蔵の作品で一番好きな絵。

夜は写真を撮る人がやたらと多かった。いろいろな絵の細部をズームで。







新館への入口近くにある宝石。本館2階は何度もまわれる無限ループなのも気に入っている。

新館へ。印象派の部屋。奇跡的に前に誰もいない。

モネの部屋は人がいっぱいで、遠景は撮れない。モネは細部をズームしてもあまり面白くない。全体を見る絵なのだな。


内藤コレクション展。人が見えないときを見計らって撮っているのだが、これまでになく人が多い。そして写真を撮る人も多い。

中世写本は写真を撮ってパソコンで拡大して見ると細部がよくわかるのだけど、実物を見ると、やはり細部がよくわからなくても写真よりずっとすばらしいと思う。絵も彫刻も、写真と実物は大きく違う。斜めから撮ってるのは、照明が映り込まないように。

1階の絵画室(中庭に面した彫刻室の裏側)。ゴッホのばらの一部。

ルノワールの絵とロダンの彫刻。

ルノワールの一部。

内藤コレクション展に入った時点で閉館30分前になっていて、そのあとは駆け足になってしまった。ロンドン展のグッズ売り場は大混雑。常設展の売り場では、昼間にあった内藤コレクションの絵葉書2種が品切れになっていた。完売になっているグッズもあった。

内藤コレクションは第1弾を見逃したのがほんとうに残念。全部まとめてどこかで展覧会をやってくれないだろうか。つか、1年半、西洋美術館の美術品がまったく見られないなんて、もったいなさすぎる。西洋美術館展とか、どこかでやらないかな。

追記 人が多い、人が多い、と書いてますが、常設展はふだんはほんとに人が少ないので、それに比べたら多い、という程度です。1枚の絵の前に人が何人も、などということはありません。

西洋美術館ダブルヘッダー昼の部

 10月19日から1年半の長期休館の間に、西洋美術館の前庭をル・コルビュジエが設計した当初の状態に戻すというので、じゃあ、今の状態を撮影しておこう、と思い、金曜に出かけた。

ロンドン展は残り3日間で、チケットはすべて完売。常設展は予約なしで入れるけれど、さすがに今までにない混雑。

前庭を撮影するとなると、昼間に行かないといけないのだが、雨予報が奇跡的に晴れた。ロンドン展看板のすぐ左にある、屋根の上の三角形に注目。


展示室以外はどこも無料で入れる。入って左の植栽のある庭。今までここで写真を撮ろうと思わなかったわけがわかった。設計者出てこい、なレベルの、美術館にふさわしくないダサイ庭。(元の前庭の写真は前記事にあります。)

庭の中にロダンの彫刻がある。

奥に見える建物は東京文化会館で、ル・コルビュジエの弟子が設計し、この建物との一体感を持たせるよう、西洋美術館の前庭は何もない空間だったのだそうだ。

ここは人がほとんど入ってこない。私も昔、一度入っただけだったから、やはり魅力のない空間なのだ。


植栽から地獄門の方を望む。

建物内部の自然光が入るところも撮りたかったので、常設展に入る。実は昼間は30分しか時間がなくて、65歳以上無料だから昼と夜のダブルヘッダーにした。常設展入ってすぐの吹き抜けの部屋。自然光の入る三角屋根(最初の写真参照)。

青空が見える。

絵をゆっくり見てる暇はないので、ル・コルビュジエ設計の本館をざっとまわり、新館に入ってすぐの吹き抜けの部分へ。

印象派の部屋とモネの部屋の先にあるロビーから。窓の外に出てみたいといつも思う。

ロビーの先が内藤コレクションの部屋。そこもざっとまわるだけで、1階の彫刻室へ。中庭の光と影。



現代美術は見ないで、外に出ると、ロダンの彫刻が紅葉とともに。この風景は前庭をもとに戻すともう見られないのだな。


横の閉じられた門から中を。

東京都美術館の裏。

夜の部に続く。

2020年10月14日水曜日

いろいろ見納め

 近所の公園の彼岸花も枯れ始めていて、もう見納め。



来週月曜日から1年半にわたる長い間、休館になってしまう西洋美術館。入ってすぐのところにある模型。

1年半ともなると、もしかして見納めになってしまうかも、と思ってしまう。

上がル・コルビュジエが設計した前庭。下が現在で、休館中にもとに戻すとのことだけど、大きい木は切らないよね?

夜に行ったので、前庭の写真が撮れなかった。前回は昼間だったので、天井から自然光が入っていて、いい感じだった。あと1回、昼間に行きたい。右下はロダンの考える人。

1階から2階へのスロープから、展示室が見える。この本館は昔から大好きだった。


写真撮影がOKなのもよいところで(常設展)、ズームで部分を撮影すると、細かいところがわかる。クラーナハの絵。

「最後の晩餐」の端に描かれたユダ。

貴族の少年。顔の部分のみ。

ドラクロワの絵。中央部分。

セザンヌの絵。中央部分。

内藤コレクション展。下の2枚は1枚の羊皮紙の裏表になっている。


この2画像の装飾写本はロンドンの画商S氏が、わざわざつくばに住む内藤氏のところまで持ってきたのだそうで、すばらしいものだとわかったけれど、買ったときは来歴がわからなかったのだという。その後、実は有名な写本の一部とわかったのだそうだ(内藤氏の著書より)。
ロンドンの画商S氏については、会場に置かれた4ページのチラシにかなり詳しく書かれていて、コレクターと画商の長年の交流が非常に面白い。

2020年10月9日金曜日

「シカゴ7裁判」

 ネットフリックス映画「シカゴ7裁判」が一部劇場で10月9日から公開、ということで、早速行ってきた。チラシ。裏は真っ白です。


サッシャ・バロン・コーエン、エディ・レッドメイン以下、多数のスターが出演。わずかなシーンしか出番のないマイケル・キートンがおいしいところをさらっている。
映像がちょっとテレビ的かな、とは思ったが、非常に面白く、感動もしてしまった。
シカゴ7のことはまったく知らなかったので、話についていくのがつらいところもあったが、役者たちのうまさと展開の面白さ。警察の横暴や、コーエン扮する活動家の言う、「社会を変えるには4年に一度の選挙がある」といったせりふに、昨今のアメリカの社会事情を重ねることができる。
そして、クライマックスは、やっぱり感動する。久々に涙が。それまでコーエンが一番目立っていたのが、ここでレッドメインが花を持つ。2人が演じる対照的な活動家の姿も見ものだ。最後は正義が勝つ、というのはやっぱりよいです。

木曜日はまた西洋美術館の常設展へ。
ロンドン展はもう残りわずかの日程なので、さすがに平日でも日時指定券完売していた。
来週火曜日から土曜日までは午後9時まで開館とのことで、常設展も9時まで見られる。
10月19日から1年半くらい休館してしまうのだけど、企画展示室の補修工事と、それに、ル・コルビュジエの設計した前庭と現在の前庭がかなり違うものになっていて、世界遺産になるときにそこを指摘されたので、元に戻すのだそうだ。
もともとは誰でも自由に入れる何もない空間だったのが、保安上の理由から柵ができ、そして植栽が植えられてしまったのが現在の前庭とのこと。柵はしょうがないとしても、植栽は全部取り除くそうです。てことは、写真撮っておいた方がいいのかな。

常設展はロンドン展からまわってくる人たちはあまり熱心に見ていなくて、大声でおしゃべりしている人たちもいて、落ち着かない。ただ、中世写本展は人がさーっといなくなる時間があるので、そこをねらって入った。
グッズ売り場で新しく追加された絵葉書と、前に買わなかった絵葉書(左の1枚)を買う。


2020年10月5日月曜日

「ある画家の数奇な運命」(ネタバレ大有り)

 久々の日比谷。


シャンテシネもおそらく30年ぶりくらい。
「ある画家の数奇な運命」よそではほとんどやってないので。

映画のあと。夜のミッドタウン。

図書館から借りている本。「ゲルハルト・リヒター評伝」。横置きで撮っています。

口絵。映画にも似た絵が出てきた。フォト・ペインティング。

リヒターの叔母。同じくフォト・ペインティング。

「ある画家の数奇な運命」は、ドイツの現代美術の巨匠ゲルハルト・リヒターをモデルにした映画で、ナチスドイツ時代に安楽死させられた精神疾患を持つ叔母の死に責任のある医師が、のちに結婚した妻の父親だったという実話にもとづいている。

上にあげたリヒターの評伝は、まだ借りてきたばかりで読んでいないのだけど、これはリヒター公認の評伝らしい。そして、この評伝を読んだジャーナリストがナチスによって安楽死させられた叔母に興味を持って調べたところ、リヒターの妻の父親が安楽死の責任者だったことがわかり、それを中心とした非公認の評伝を書いたのだが、そこで、その事実とリヒターの芸術を関係づけたので、リヒター自身は不快感を示したのだという(本のあとがきから)。

そんなわけで、この映画はその非公認の評伝をもとにしたフィクションなのかもしれない。一応、リヒターからは映画化の承諾を得ているが、名前を変えること、何が事実で何が事実でないかを明らかにしないことを約束しての映画化らしい。

映画は3時間以上あるが、まったくあきなかった。ただ、全体に中途半端な出来だと感じた。

映画のドイツ語の原題は「作者のいない作品」で、これは結末近くのシーンのフォト・ペインティングについて言われる言葉。無名の人が撮った写真を模写し、ぼかす絵画をさしているのだが、確かに作者がいないといわれればそうだ。その究極が、機械が撮影する義父の証明書用の写真4枚をもとにした絵画。

一方、英語タイトルはまったく違っていて、「決して目をそらさないで」。これは最初の方で叔母が主人公のクルト少年(リヒターがモデル)に言うせりふで、その後の別れ際でも叔母が繰り返す。しかし、クルトの目には見たくないものはぼやけて見える。見たくないものがぼやけるシーンはその後にも出てくる。

クルト自身、「人は写真より絵を好む。なぜなら、写真は真実を見せるから」と言っているが、クルトは真実から目をそむけ続けているように見える。それに対し、叔母は医師が飾っている写真を見て夫婦仲が悪いことを見抜き、彼女を安楽死させることになる医師(クルトののちの妻の父)が飾っている絵を見て、彼の娘の描いた絵で、絵はうまくないけれどいい子だと見抜く。しかも、あとでわかるのだが、叔母は医師の娘と同じ名前で、そうとは知らずに医師に向かって、あなたは父親のような人だと言う。叔母は常に真実を見つめ、真実を告げるのだが、そのことが2人の医師を不快にし、最初の医師は彼女のことを当局に通報し、もう1人の医師は彼女を安楽死するリストに加えてしまう。

安楽死と言うが、叔母や他の女性たちはユダヤ人と同じように裸にされ、ガス室で殺されている。最初にドレスデンの町が登場し、ドレスデンは「スローターハウス5」でも描かれた大空襲を受けることがわかっていると、その時点で悲惨な運命が想像できるのだが、戦争中の悲惨な状況が短いカットでモンタージュのように登場し、そして瓦礫の山となったドレスデンのシーンで戦後が始まる。クルトは東ドイツで当局が求めるプロパガンダの絵を描いて成功する。叔母を安楽死させた医師はソ連の高官の妻の難産を助けたことから過去は問われずに保護されて出世。そして、娘とクルトが出会い、恋に落ちる。ここで、父親の医師はナチス時代と考え方が変わっていないことがわかるのだが、クルトの叔母と医師の関係は、観客は知っているが、映画の中の人物は誰も知らない。いつわかるのだろうというサスペンスをもたせながら、いろいろあって、医師夫妻がまず西側に逃げ、結婚したクルトと医師の娘もベルリンの壁建築の前に西側へ逃げる。

東側ではプロパガンダの絵しか認められず、西側へ行けば自由な芸術があるかと思ったら、西側も美術は低迷していて、クルトは何を描いていいのかわからない状態。そこへようやく叔母と義父に関する真実がわかり、フォト・ペインティングでそれを表現し始めるのだが、そこでクルトは絵をぼかす。真実から目をそらしていた自分を表現するためなのか? この辺がどうも中途半端なのだ。

ラスト、叔母がバスの運転手に頼んで、警笛を鳴らしてもらっていたのを思い出したクルトが、同じことを運転手にしてもらう。警笛の音はAの音で、オーケストラが音合わせに使う音だ。すべての秩序と真理の源の音なのだろう。その音の意味と解放感を、クルトが最後に見出した、というような結末になっている。なっているんだが、どうも中途半端な感じがしてならない。

結局、ドイツ語の原題「作者のいない作品」と英語の題名「決して目をそらさないで」の間の矛盾のような気がする。その矛盾について考えることを放棄してしまったような。

とまあ、いろいろと不満はある作品なのだが、それでも、キネ旬の星取表はちょっとひどすぎないかと思う。絵が下手だというのは私も大いに感じるが、あれ、わざとやってない? 「入門的な解説映画」では決してないと思うし(現代美術についての映画だとは思わない)、画家の成功物語でもないと思う(東ドイツで成功したのはプロパガンダの絵がうまかったからだろう)。画家の話なのに、なぜか、音や音楽の方が印象的なのだよ。バスの警笛のAの音もだが。確かに不満のある映画なんだけど、3人の評者が3人ともポイントはずしまくりな気がしてならない。