ラース・フォン・トリアーの新作「アンチクライスト」を見てきた。
夫婦が性行為中に幼い息子が転落死してしまい、妻は精神を病み、セラピストの夫が妻を治療しようとする。妻は人里離れた山奥のエデンという山小屋で以前、女性の虐待に関する論文を書こうとしていたが、夫は妻をそこへ連れていって、治療をしようとする。が、妻は凶暴になり、夫に暴力を振るい始め、そして……という映画。
最後にアンドレイ・タルコフスキーに捧ぐと書いてあるのだけど、冒頭のシーンが「鏡」のようだからだろうか。
例によって、トリアーの映画は作者の底意地の悪さがありありと出ていて、特に今回はとにかく「痛い」映画だ。その暴力での傷つけ方が「痛い」。痛いのいやな人は見ない方がいいかも、って、実は、一番痛そうな場面はボカシが入っていて、見えません。
この映画、やたらボカシが多くて、こんなにボカシが多いの、久しぶりに見たような気がするが、日本は東京国際映画祭とかだとボカシを入れないのに、一般向けだとボカシを入れるダブル・スタンダード。昔に比べたらボカシは減ったのだが、それでも、この映画はボカシを入れたためにかなり損なわれた感じがする。
それはともかく、内容は、女性の虐待を研究していたはずの妻が、女は悪魔だと言い出したり、子供に対して妻が虐待と疑われそうなことをしていたことがわかったりと、なかなかに意味深。エデンといえばアダムとイブだが、この夫婦はアンチ・エデン、アンチ・アダムとイブという感じもして、逆向きの聖書というか、やはりアンチクライスト=反キリスト。しかも、アンチクライストの最後のTが女性を表す記号になっている。
まあ、いろいろ考えてみると面白い映画なんだけど、客席から笑いが起こるシーンもあって、マジなんだかふざけてんだかわからないようなところもある。3人の乞食(鹿とキツネとカラス)が来たら死ぬとか、この3匹の星座を見て、こんな星座あったかよ、と夫が言うシーンとか、どっちかというと笑ってしまう。最後はどこかで見たような絵を思い出すが、あれは何の絵だったか。
音楽は最初と最後にヘンデルの「リナルド」のアリアが流れる。これは90年代の映画「カストラート」で使われて一般にも有名になった曲だが、「カストラート」は、ボーイソプラノを維持するために去勢された男性歌手の話。トリアーは絶対、この映画を意識してこの曲を使っている。例のボカシで見えない一番痛いシーンは、女性の去勢だもの。
つまり、この「アンチクライスト」は、ある種の男女逆転なのかもしれない。もう少し考えてみよう。
”すべては美しいパスから始まる”という言葉で始まるケン・ローチの新作「エリックを探して」。ローチというと、社会派のシビアな話が多いのですが、これは楽しい映画でした。娘をもうけた最初の妻からは逃げ出し、2人目の妻は連れ子2人を置いて出て行ってしまい、今はその義理の息子2人の世話をしながらわびしい人生を送る郵便配達員エリック。彼のアイドルはマンチェスター・ユナイテッドで活躍した元スター選手エリック・カントナ。そのカントナ(本人)が、エリックの想像の中に現れ、彼にいろいろと助言する、という話で、特に後半、義理の息子の1人がギャングに脅迫され、一家全員が危機になったとき、仲間の郵便配達員たちの助けでギャングと戦う「カントナ大作戦」が面白い。この映画、タイトルを「カントナ大作戦」にした方がよかったのに、って、ローチの映画でそれはないか?
この作戦にはユーチューブが大きな役割を担っているのだが、主人公の同世代のおじさんたちはユーチューブを知らない、というのも笑えます。
エリックがカントナに、人生最高の瞬間について聞くとき、カントナが、それはゴールではなくパスだ、と語るシーンがすばらしい。カントナがチームメイトにパスを出し、パスを受けた選手がゴールする実際の試合のシーンが流れ、そして、エリックは言う。
「彼がはずしたら?」
「仲間を信頼しなければ負けだ」とカントナ。
サッカーに詳しくない私はエリック・カントナを知りませんでしたが、カッコイイです。
フランソワ・オゾン監督の新作「しあわせの雨傘」も楽しいコメディでした。雨傘工場の社長夫妻をめぐるコメディで、舞台は70年代。独裁的な経営者の社長が組合のストで暴れて社長室に閉じ込められ、息子が説得に行くも、その息子にまで社長は暴力をふるい、やむなく、妻が昔の恋人で元従業員、今は共産党員の市長に頼んで夫を救い出してもらう。が、夫はショックで病気に。そこで、専業主婦だった妻が社長の代理をつとめることになるが、創業者の娘でもある彼女は従業員の心をつかみ、夫の愛人だった秘書も彼女に心酔して自立した女になり、工場の生産性も上がり、というところで、夫の反撃が始まる、という話。
この映画では妻と息子が左翼的で、夫と娘が右寄りって感じで、そこに共産党員の市長がからむのですが、息子がある女性と結婚したいというと、父親が猛烈に反対、というのも、彼はその女性の母親と不倫していたので、近親相姦になるから、というのですが、それに対し、妻は、近親相姦にはならないわよ、だって……。この、だって、のあとは映画で見て確かめてください。
ヒロインの社長夫人がカトリーヌ・ドヌーヴ、市長がジェラール・ドパルデューで、そして、夫の社長がエリック・ロメールの常連だったファブリス・ルキーニ。ロメールの映画に出ていた頃はけっこう好きな俳優だったのですが、年をとってしまって、昔のような雰囲気ではなくなっていたのが少し残念です。