2013年8月3日土曜日

夏休み第1週

今週は夏休み第1週で、やっと毎日のように映画を見に行けるようになった。そこで、月曜から金曜までの5日間に6本の試写を見る。昔だったら週に6本なんて全然珍しくなかったし、学生時代は週末の土日は2本立てを見に行って、週に4本は普通だったのに、6本見たらかなり疲れた。
授業があるときは週に1、2本しか見られなかったのだけど、さすがに6本は多いのかもしれない(自分的に)。ただ、先週に比べて今週はおなかがすかないので、やはり授業をする方がカロリーを消費しているのだろう。

というわけで、今週取り上げた4本のあとの2本は日本映画「凶悪」とニール・ジョーダンの新作「ビザンチウム」。どちらも面白いことは面白い。見て損ではない。でも、うーん、どっちも疲れた。この疲れたというのは私の年のせいの可能性が高いので(そして、週に4本見て疲れてきたところだったので)、それを差し引くと、どっちもそれなりに面白いと思う。
ただ、不満もあって、「凶悪」は実際に起きた事件の映画化で、実話を相当変えてある。見たあと、書店で原作のノンフィクションをちょっと立ち読みしたのだが、変えたところがどうもよくない。やはり実話の方がリアリティがあってよいような気がする。
特に主人公のジャーナリストは相当変えてあるようで、映画の中では彼は認知症の母親を妻に任せっぱなし、老人ホームに入れてほしいという妻の願いもきかず、日々苦労している妻が苦情を言うと、自分は真実の追求をしているところなんだから、と拒否。うーん、それとこれとは話が違うだろ。違う次元の話をしてもねえ。たぶん、作り手としては、主人公が事件に没頭しすぎて頭が少し変になっているというところを示したかったのだろうけど、一番凶悪なのは殺人事件に夢中になる主人公、というのはかなり無理な理屈。正義とは何かとか、報道とは何かとか、そういうレベルに達していない。悪いのはどう見たってあっちの方で、ジャーナリストが何か感じる必要もない(原作のあとがきには、犯人に対して同情は抱かなかった、というようなことが書いてある)。犯人の描写も、あれでは誤解を招くような気がする。

「ビザンチウム」はニール・ジョーダンとしては「インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」以来の吸血鬼もの。確かにジョーダンらしい内容で、興味深い。
だが、しかし、あの「ぼくのエリ」が登場して以来、ちょっとやそっとの出来栄えの吸血鬼ものではもはや満足できない自分がいるのに気づく。
(以下、多少のネタバレがありますので、ご注意ください。)
物語は200年前に吸血鬼になった母と娘(なった時期が違うので、姉妹に見える)が同じ吸血鬼の秘密結社に追われている、みたいな設定で、母と娘はそれぞれ、現代イギリスの男性に出会う。どちらもいわゆるやさしい男性で、女性にやさしく、性格は善良そのもの。母が出会った男性は無人のゲストハウスを持っていて、母はそこで売春宿を経営して金儲けするが、男性は売春をいやがる。娘は白血病で余命いくばくもない青年に出会い、恋をする。
一方、母娘を追う吸血鬼の秘密結社は男性ばかりで、女性は入れない主義だったが、母が勝手に吸血鬼になってしまい、その後、今度は娘を吸血鬼にしたので、掟破りということで追われているのだった。
彼ら男の吸血鬼たちは、自分たちこそ正義だといい、女が創造をする(人を吸血鬼にする)のは許さない、と言う。要するに、彼らは母娘が出会ったやさしい男性とは正反対の、女性を抑圧する男たちなのだ。
また、母が吸血鬼になろうと思ったのは、彼女がまだ少女だった頃、男にだまされて売春婦にされ、その上結核に侵されてしまい、強い体を求めて、あるいは、弱い女性をいじめる男たちと戦いたい、と思ったからだった。実際、彼女は売春で女性を虐げたりするような男から血を吸う。
一方、娘を吸血鬼にした理由の1つは、娘がくだんの悪い男の毒牙にかかり、病を移されたから、ということで、若くして死の病にとりつかれた人が吸血鬼になる、というパターンがある。
女を虐げる男たちと戦うという母に対し、娘はひたすらやさしい少女で、死にかけている人からしか血を吸わない。
というわけで、女を虐げる男たち、彼らと戦う女、女たちにやさしい男たち(実は上の2人以外にもいる)、心やさしい少女、という図式があるのだけれど、いまいち、どれも中途半端かな、という、微妙な感じ。中心にいるシアーシャ・ローナンはすばらしいけれど、あっちにもこっちにも目配りして欲張りすぎな感じもしないでもない。
ジョーダンとしては、「モナリザ」にも通じる、暴力的な男と虐げられた女というテーマもあって、その辺は非常に興味深いのだが。たとえば、母娘に対して結局何もできないゲストハウスのやさしい男性は、「モナリザ」の主人公とダブって見える。
なお、この映画の吸血鬼は、「ぼくのエリ」の原題の英訳「レット・ザ・ライト・ワン・イン」(正しい人を入れよ=吸血鬼を家に入れるな)と同じく、家の主が許可しないと中に入れないことになっている。でも、太陽の光に当たっても平気だし、血を吸われた人が吸血鬼になることもない。
吸血鬼の母親はクララという名前だが、途中、カミラと名乗る。カミラはもちろん、シェリダン・レ・ファニュの「吸血鬼カーミラ」だろう(そのあと、今度は「クレア」と名乗ったりもする)。この「吸血鬼カーミラ」を映画化したのが「血とバラ」で、2人の女性を主人公にした幻想的な映画だったが、姉妹に見える母と娘は「血とバラ」の影を背負っているに違いない。