2013年8月8日木曜日

冷めたピザ追記

前回の記事で「リンカーン」を冷めたピザと切って捨ててしまいましたが、それで捨てるのは少しもったいないと思い、もうちょっと追記しておきます。
スピルバーグとしては、黒人問題を扱う映画は過去に「カラーパープル」と「アミスタッド」があり、「カラーパープル」は一般社会の中では白人から差別され、黒人社会の中では男性から差別される黒人女性たちを主人公にした映画で(原作は黒人女性作家アリス・ウォーカー)、アカデミー賞作品賞にノミネートされるも賞はシドニー・ポラックの「愛と哀しみの果て」、監督賞はポラックで、スピルバーグは監督賞ノミネートもなしと、物議をかもしたのでした。
当時、スピルバーグは「ジョーズ」や「ET」のようなキワモノの監督と思われ、それが賞狙いで文芸作品、それもユダヤ系白人のくせに黒人問題を、という反発もあったのですが、受賞したポラックは過去に優れた作品があったとはいえ、この「愛と哀しみの果て」は冗漫でつまらない映画でした(キネ旬でシナリオ採録したので、2回試写を見たのだが、長くて退屈でつらかった、という思い出しかない)。
そんなわけで、アカデミー賞からは不当な評価をされていたスピルバーグですが、社会問題への関心が本物であったことはやがて「シンドラーのリスト」をはじめとする作品で理解されるようになります。「アミスタッド」もそうした作品群の1つで、こちらは南北戦争より前の時代の奴隷問題をテーマにした、実話の映画化。「リンカーン」で重要な役割を果たしているのが黒人女性たちであるのは「カラーパープル」から、奴隷制度というテーマは「アミスタッド」から来ているといっていいでしょう。スピルバーグとしては、「カラーパープル」から一貫してあったテーマだと言えます。
しかし、残念なことに、「カラーパープル」以外はあまりよくない。「アミスタッド」はまだ温かいピザなので感動できますが、スピルバーグの真の傑作と比べると演出が弱い。最初にテーマありき、主張ありきなところは「リンカーン」と同じですが、「リンカーン」の方は冷めたピザなので、「アミスタッド」ほど盛り上がらない。
「リンカーン」はスピルバーグの作品群で言うと、上のように黒人問題路線の1つなのですが、もう1つ、比較したくなる作品があります。それは彼の最高傑作の1つ「シンドラーのリスト」です。
「リンカーン」の色彩を抑えた映像がまず、モノクロの「シンドラーのリスト」を思い出させるのですが、この2本の共通点として、心優しい物静かな主人公が虐げられた人々を救う、というテーマがあります。また、シンドラーがナチスの党員でありながら多数のユダヤ人の命を救ったという背景には、彼が純粋な生一本の人間ではなく、目的のためには妥協もできる懐の深い人間であったことがあると思いますが、「リンカーン」もまた、リンカーンをはじめとする奴隷制廃止をめざす人々が、反対派に袖の下を使ったりと、ありとあらゆる方法で賛成票を得ようとします。中でも、急進的な奴隷制廃止論者(トミー・リー・ジョーンズ)が、それまでの主張を曲げて、人種差別反対の言葉を取り下げることで賛成票を得やすくするシーンは、正しい目的、よい結果のためには妥協も必要だということを表しています。
つまり、「リンカーン」はスピルバーグの第2の「シンドラー」だという見方が可能なのですが、そういうふうに見れば見るほど、「リンカーン」が「シンドラー」に比べて劣るということが重くのしかかってきます。「シンドラー」にあったサスペンスフルな展開、善と悪の対比、善ではあるが、その内面はミステリアスであるシンドラーという人物の描写、そういった映画的に優れた点が、「リンカーン」にはまるでないことに気づくのです。
「リンカーン」が作品賞を取らなかったのはある意味幸いでした。「リンカーン」のスピルバーグは「愛と哀しみの果て」のポラックと同じ、いや、それ以下になっている気がします。私は「アルゴ」もアメリカ人さえよければいいみたいで、娯楽作品としてはそれでもよいが、作品賞は困ると思っていますが、「リンカーン」もまた、アメリカ人の自画自賛のようなところが鼻につきます。アメリカ人が奴隷制を廃止したので世界が自由になったみたいな描き方のことですが、それはちょっと違うだろう、と。

「ザ・マスター」についての追記。
前の記事でこの映画のポスターについて触れましたが、アメリカのポスターは日本とはまったく違って、主役の3人の顔が縦横斜めにいくつも並んでいるというもので、その並び方で3人の関係がわかるような仕組みになっています。フレディとマスターの顔はくっついているのに、フレディとマスターの妻の顔は離れている、など。