フランスのユダヤ系女性監督ロレーヌ・レヴィの「もうひとりの息子」を見た。
湾岸戦争の頃、イスラエルの同じ病院で2人の男の子が生まれ、爆撃から避難させたときに赤ん坊を取り違え、パレスチナ人の子供がユダヤ人の子供に、ユダヤ人の子供がパレスチナ人の子供になってしまう。そして、18年後、イスラエルのユダヤ人として育った青年が軍隊に入るために受けた血液検査から取り違えが発覚、2つの家族は動揺するが、やがて2つの家族、子供同士の間に交流が生まれ、イスラエルがヨルダン川西岸地区に建設した分離の壁を越えて友情と絆が生まれる、という物語。
実にいい話で、どちらの家族も人間的にすばらしい人たちで、また、ユダヤ人とアラブ人が見かけだけでは区別がつかない、人種的には同じ、ということもよくわかる。いやな出来事とかもほとんどなくて、こんなにうまくいくかな、と思いつつ、人間は本来は善なのだからきっとうまくいく、みたいな希望を感じさせる。
さて、家族の話といえば、今年前半話題になった山田洋次の「東京家族」。「たそがれ清兵衛」以来、山田洋次の映画はずっと試写で見せてもらい、雑誌に映画評を書かせてもらっていたが、「東京家族」はそのような機会はなく、映画館も行かず、という状態だった。
名画座では上映されているのだけど、先日、ツタヤへ行ったときにDVD借りてしまった。
見ていて、なんとなく興味がなくて、結局ツタヤのDVDになってしまったわけがわかった。
もともと小津安二郎は苦手というより食わず嫌いで、なんでそうなったかというと、中学時代、テレビで黒澤明と小津の映画が毎週放送されていた。黒澤映画は大好きで、毎週見ていたのだが、小津映画はだめだった。しかし、映画ファンの父親が、「黒澤だけじゃなく小津も見ろ、ほら、見ろ、この低い位置のカメラ」とかいろいろ言うのである。中学生の子供に低い位置のカメラだの対峙する人物のカットバックだの、わかるか!(わかる人もいるのでしょうが。)
そんなわけで、私が小津食わず嫌いになったのは父親の影響が大きいのだが、シネフィル的言い回しが大嫌いなのも、実は父親の影響のような気がする(父はシネフィルではなかったが、小津だとそういうことを言うもんだと思ってたのだろうね)。
そんなわけで、「東京物語」はちゃんとは見てない。中学のときにテレビで見たかもしれないが、まったく記憶にない。なので、「東京家族」についても、何か言える立場にないと思っていた。
でも、DVDで見ていると、原典とは無関係に気づくことがある。まず第一に感じたのは、「オズ はじまりの戦い」のときに似てるな、ということ。「はじまりの戦い」は39年版「オズの魔法使」をいちいち思い出させるので楽しくない、と書いたけど、この「東京家族」ももしかして、と思ったら、キネ旬の山根貞男氏が同じようなことを書いていた。「東京物語」をいちいち連想するので窮屈だ、というようなことだ。また、山根氏は、描写がくどい、観客に親切にわからせるようにしているのだろうか、ということも書いているが、それはキネ旬のこの映画の特集号の山田洋次のインタビューで、山田自身が小津は描写がわかりやすいと言っていて、そこから来ているのかな?と思った。
そのほか、山根氏が書いている年齢もずっと気になったことで、「東京家族」の老夫婦は結婚前に「第三の男」を見たというから、どう見ても80歳くらいじゃないとおかしい。見掛けも80歳くらいな感じにヨボヨボ。で、老夫婦が80歳くらいだとすると、子供は50代、孫は20代になってしまい、この話が成立しなくなる。80歳の老夫婦が東京の長男の家を訪ねたら、孫はもうみんな独立していて部屋はいくらでもあいているだろう。実際、舞台美術のアルバイトをしている若い次男が現れたとき、私はこの人は老夫婦の孫なのだろうと思ったくらいだ。
途中で老夫婦の妻が68歳というせりふがあるけれど、68歳だと2000年くらいがタイムリミットだと思う。この映画は2000年くらいに設定した方がリアルになると思うのだけど、2000年とはバブルが崩壊し、失われた10年がすぎた頃で、阪神大震災やオウム真理教事件があって、「日本はこれからどうなるのだろう」(老夫婦の夫のせりふ)という感じが出始めたときだ。しかし、この映画が舞台にしている2012年ではもう、日本はどうなるのだろう、どころではない絶望感がある。
映画に登場する古い日本家屋の室内も、明らかに昭和の室内で、2000年にはこういう家やアパートがまだたくさんあったけれど、今はかなり少ない。フリーターの次男が古い木造アパートに住んでいるのは金がないからだろうし、長女の美容院が古いのは夫の持ち家だからかもしれないが、大人になってから東京に出てきて開業した長男の家は古すぎる。出てくる室内がことごとく「男はつらいよ」の世界、昭和の世界なのだ。
いつもはあまり参考にしないキネ旬なのだけど(失礼)、「東京家族」については特集はじめ、とても参考になった(山積みになってたのを全部ひっくり返して探して読んだ)。星取り評では、震災を取り入れたのが裏目に出て意味不明に、というのに共感する。「陸前高田」とか「南相馬」とか、そしてスカイツリーとか、ただの言葉にすぎない。老夫婦は観光バスに乗ってるのに、なぜスカイツリーに登らないのか(スカイツリーに登るコースがたくさんあるそうだ)。
フリーターの次男についても、これを現代の非正規の問題とはまったく見ることはできない。現代の非正規の問題というのは、ワ*ミやユ*クロでバイトしている息子に親が「正社員になれ」といい、すると息子が「ワ*ミやユ*クロの正社員はみんな過労死してるんだぜ、俺はバイトだからまだやってけるんだよ」と言う、というふうにして描くものだ(ワ*ミはイタミとか、ユ*クロはユニシロとか名前変えてね)。この次男は役者や芸術家や作家になるためにバイト生活をするという、昔からあるパターンなのだ。非正規をはじめとする現代の日本の就労状況は映画ではまったく無視されている(2000年ならこれでいいのだが)。
震災を取り入れたのが裏目、と星取り評に出ていたけど、「たそがれ清兵衛」からずっと映画評を書いてきた身として考えると、山田洋次は久々に空気読んじゃったな、という感じ。彼は「たそがれ」以前は、とちらかというと、空気を読んで観客が望むことを優先する監督だったが、「たそがれ」からは空気を読むのをやめ、自分の撮りたいこと、やり方を最優先にした、だから「たそがれ」からは以前とは違う傑作が次々と生まれた、と私は思ってきた。それを最もよくあらわしているのが「母べえ」のラストだ。あそこで母べえは自分の本音を自分の声では言わず、娘に言わせるのだが、そこを、母べえが自分で言った方が感動的だったのに、と言う評論家がいたのだ。それを聞いた山田洋次は「そうなのかなあ」とトボけていたが(?)、山田は母べえに直接言わせた方が観客は感動することはわかっていたのではないか。でも、あえて、それをしなかった。空気を読むのを拒否して、別のやり方をした。私が「母べえ」を高く評価しているのは、実はこのラストなのだ。このラストが観客受けの空気を読んだものだったら、私の「母べえ」の評価は下がる。
震災が起こったあと、映画を製作中の監督がそれを取り入れる動きがあり、さまざまな分野で震災を無視して何かを作ってはいけない、書いてはいけないみたいな風潮があったと思う。山田洋次もこの空気を読んでしまったのだと思うと残念だ(森田芳光みたいに絶対空気読まない監督の方が私は好きなんだが)。
リメイクという言葉を使わないことについては、山田洋次はリメイクという言葉を低く見ているのではなく、インタビューで言っているように「模写」のつもりなのだろう。また、「東京物語」への言及がクレジットにないのは「オズ はじまりの戦い」が39年版映画へのクレジットがないのと同じで(ボームの原作ではなく、39年版のありとあらゆるところをパクッている)、言わなくたってわかるだろう、ってことだと思う。もちろん、著作権的なことは全部裏で根回ししているに違いない。