全然更新してませんでしたが、先日、31年住んだ東京都から某県某市に転居し、もう都民ではなくなりました。
31年のうち30年間は文京区民でしたが、文京区は22年住んだA地区が最も愛着があり、続いて最近4年間住んだ高級住宅地のB地区が思い出深いです。一方、その前4年間住んだC地区は住み心地はあまりよくなかったなあ。そして、一番最近住んでいたD地区は最悪でした。(アルファベットは頭文字ではない。)
D地区は、その地区自体が悪いわけじゃないし、こちらもなかなかの高級住宅地なのですが、住んだアパートが最悪だった。
1 近くにエネファームがあって、1日24時間低周波音を出す。
2 窓の下の路地で近所の情緒不安定な子供がしょっちゅう大声で叫んでいる。
3 アパートの部屋の収納が高いところにしかないため、ふとんや重い段ボール箱を入れることができず、6畳の部屋の半分が常にふとんと段ボール箱に占領されていて、まるで倉庫に住んでいるようだった。おまけにアパートの造りが悪いのか、引っ越してから腰痛が絶えなかった。
4 アパートの部屋と、その隣の大家宅の一室の間の壁が薄く、どんな小さな音も聞こえる、逆に言うとこっちの音も丸聞こえと思ったら、音をたてられなくなった。これまでも木造アパートにはいくつも住んだが、これほど筒抜けの部屋は初めて。
5 10月に入ったら、部屋にものすごい悪臭がたちこめるようになった。この頃には郊外の公団住宅を借りて二重生活に入っていたので、このアパートに泊まることはなくなり、完全に倉庫となっていた。
とにかく1から4が耐え難かったので、9月の下旬に某県某市の古い公団住宅を借り、そちらで生活するようになったのですが、その頃から腰痛も治り、精神状態もかなりよくなってきました。その団地の周辺は緑が多く、歩いていける距離のところに広大な自然公園があり、また、某市の人々は柔和で親切、子供ものびのびと遊んでいて、自然公園で子供が遊ぶのを見るのが楽しいと感じるほど。以来、都心へ行くと強いストレスを感じるようになり、ついに完全な転居を決意したのでした。
それでも都心と郊外に2つ部屋を持つというのはなかなかに魅力的で、また、長年住んだ文京区のA地区の銭湯に通っていたので、銭湯のおかみさんや、それに、銭湯の帰りに必ず会う猫に会えなくなるのがさびしいとか、しばらく悩んだのですが、そのD地区のアパートからは早く出たかったので、ついに決断。特に10月からの悪臭はきつかった。
このD地区では、2万円も払った仮の入れ歯が全然使い物にならないとか、不用品回収業者から3個の品物を回収するのに3万円要求されたとか、ぼったくりされまくりでした。不用品回収業者は断ったけど、なんか、世間の人って、財布に常に2万とか3万とか入っているんでしょうか? 私は財布に1万円未満しか入ってないのが普通で、おかげで不用品業者のぼったくりには乗らなかったのですが。
で、いよいよ引越、ということになって、今度は引越業者にやられました。
この業者はその悪臭のするアパートを仲介した不動産屋の紹介でしたが、今まで頼んだ引越し屋の中で最悪でした。料金もけっこう高くて、これだったらあと1万数千円足して日通に頼めばよかったと激しく後悔しています。つか、ヤマトのボックスの引越の方が安かったけど、ヤマトは搬出と搬入で2日かかるので、二の足を踏んだのだよね。
その前はいわゆる安売り3大大手の1社に頼んだのだけど、還暦すぎた女の私が持ち上げられる段ボール箱を若い男がまったく持ち上げられないのにショックを受け、不動産屋に相談したのが運のつき。段ボール持ち上げられなくても引越は無事完了したんだから、こっちの方がマシでした。
考えてみたら、最悪の部屋を仲介した不動産屋の紹介の引越業者は最悪で当然、なのでしょうね。その不動産屋も退去の連絡とかスムーズでなくて、ここがそもそも失敗だったかなあ。
文京区を離れるので、思い出の場所を散歩してまわったとき、22年間住んだアパートのそばに来たので、大家さんの家に寄ってみたら、高齢の大家さんは健在でした。8年前に引っ越したときは大家さんは病気でかなり具合が悪かったので、心配していたのだけど、回復してすっかり元気になっていました。しかも、私が住んでいた部屋がもう2か月も空いているそうな。
それにしても、9月下旬からの2か月間、生活のにおいのする荷物は文京区のアパートに置き、必要なものだけ持ってきて団地の部屋で生活していたときは毎日がリゾートのようでしたが、荷物がすべてこっちに移ってくると、ここはもうリゾート地ではなくなってしまうのが残念です。近くに1坪7000円のレンタルスペースがあるからそこに荷物を置けば、などと考える今日この頃。とにかく家賃は安いです。
追記
翌日、その最悪引越業者への怒りが収まらない状態で、その最悪業者を紹介した不動産屋へアパートの鍵を返しに行き、そのことを報告すると、意外な事実が。
実はその不動産屋は自分のところで契約したお客さんのために、不動産屋が直々にその引越業者に電話して引越の依頼をしていたとのこと。不動産屋からの電話なので、業者は異常に安い値段で最高のサービスを提供。なので、お客さんはみな、この業者のことをよく言う。それで不動産屋はこの業者は安くて評判がいいと思い込んでいる、ということがわかったのです。
私の場合は不動産屋は引越業者を紹介してくれなかったので、一部のお客さんだけへのサービスなのでしょうが、引越業者からすれば、この不動産屋から来る依頼は儲からない、損するだけ、なのに違いありません。そこへ、業者を推薦された私が電話してきて、この不動産屋の紹介であると言った、しかも、転居先が不動産屋の管轄外なので、出ていくのだということがわかる。そこで、業者は高い値段をふっかけ、最悪のサービスを行ったというわけです。
この業者は客のクレームをかわすことを日常的に行っているという感じがしたので、不動産屋の直々の依頼以外ではかなりひどいことをしているのではないかと思います。
この不動産屋によると、引越業者についてのクレームは作業員の言動が乱暴ということばかりだそうですが、私はこれまでかなりの回数の引越をしているけれど、作業員の言動が乱暴だと思ったことは一度もありませんでしたし、今回も問題は、会社が高い料金をふっかけた上、嘘を言って依頼させ、当日もするべき連絡を何もせず、何時間もこちらを待たせ、こちらが電話してものらりくらりとごまかす。というか、当日の朝に電話すると言っていたのに電話をよこさないとか、とにかくひどい。こんなひどいところは初めてでした。電話の応対にも本当に誠意がなく、客をなめきっているのがわかるものでした。
不動産屋の方は特に悪いわけではないですが、今から思うと契約のときからどこか変でした。ここに行かなければ、最悪のアパートに入ることもなく、近くの歯医者で使えない入れ歯に2万も取られることもなかったのですが、なにか悪いものに魅入られて、そこに行ってしまうみたいなことが人生には何度もあるような気がします。
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2015年11月17日火曜日
2015年10月17日土曜日
谷中 の ようなもの
森田芳光の商業映画デビュー作「の・ようなもの」の続編が、森田映画ゆかりのスタッフや俳優たちによって製作された。
題して「の・ようなもの の ようなもの」。
内容は前作の主人公、落語家の志ん魚の35年後を描くというもの。
志ん魚はすでに落語家をやめていて、谷中で便利屋をやっている。その彼を探しだし、亡き師匠や後援者のためにもう一度落語を、と口説くのが若手落語家の志ん田。この若い落語家と、もう60歳近いと思われる元落語家の、落語というよりは漫才のようなもの?で話は進む。
森田の「の・ようなもの」は昔見たきりで、どういう内容なのかすっかり忘れているけど、森田映画の中では特に好きな作品の1つとして記憶に残っている。
そういや、以前、森田作品の私のベスト5とか考えたことがあったっけ。
1位は「ときめきに死す」で、あとは順不同で「の・ようなもの」、「それから」、と、えーと、あとはなんだっけ。あとでゆっくり思い出します。
この「の・ようなもの」続編も、ほのぼのとした雰囲気で、笑わせる場面も多く、なかなかよい映画だったが、その一方で、気になることもあった。
志ん田が志ん魚を探して日光やら長野やらへ行くのだけど、最初日光へ行く時の列車がJR日光線なのだ。
志ん田が谷中のあたりに住んでいるとしたら、最寄駅は日暮里だから、常磐線で北千住に出て、そこから東武線で日光へ行くのが普通だと思うのだよね。つか、日光行くならJRより東武の方が便利で安い。私も北千住からよくスペーシアに乗って行ったわ、日光(ホッケー見に)。
たぶん、東武の許可もらうとか面倒だったんだろうね。あるいは、JRの方が景色がいいとか。
ちなみに、日暮里駅には宇都宮線のホームはなく、線路をただ通過していくだけです。日暮里駅の外にはいろいろな鉄道が見られる場所があって、あの辺は鉄オタのメッカなのよね。
森田監督も鉄オタだったってことで、この映画にもいろいろな鉄道が出てくるのだが、鉄オタでない私にはどれが何だか判別不能なのがちょっと悔しい。
それから谷中ですよ、谷中。
今の区に引っ越して以来30年、谷中は近いので、何度も行っているが、猫ウォッチングを始めてからはさらにいろいろな場所に出入りするようになり、台東区にも詳しくなった。
それで気になるのは、志ん魚が家の前のゴミを集積所に持っていくアルバイトをしていること。
実は台東区はゴミは軒先収集で、家の前に置いておくことになっている。だから、谷中ではこのバイトは成立しない。
ただ、谷中は文京区と接しているので、文京区側でならできますが。
よみせ通りという通りが台東区と文京区の境になっていて、通りの片側にはゴミの集積所があり、もう片側では軒先収集というビミョーな地区。
それ以外にもいろいろ知っていると気になるのだが、志ん田が金網のある陸橋を通るシーンが何度かあって、ああ、あれは谷中霊園から線路を超えて荒川区東日暮里に出る橋だな、この状況で志ん田がここを通るのは変だよな、とか。
谷中といっても、たとえば谷中商店街は片側が台東区、もう片側は荒川区で、有名な夕焼けだんだんは完全に荒川区。そして日暮里駅も荒川区。荒川区も含めて「谷中」と総称されているところがある。
もちろん、映画を作った人たちはこういう事情は知った上で、映画として、古きよき町・谷中というフィクションを作り出しているのだろう。まさに、の・ようなもの。の・ようなもの、とは、現実に似たフィクションという意味にもなる。劇映画はすべて、の・ようなもの、なのだ。森田映画の根底に常にこの考え方があると思うと、わかってくることがある。
谷中の有名なヒマラヤ杉とそのまわりの古い民家(元商店の名残りがある)が何度か出てくる。この地域は大資本に買われ、いずれビルにされてしまうと言われている。ヒマラヤ杉の右側の道は言問い通りに通じていて、その道沿いのアパートが空いていたときに引越を考えたことがあった。行ってみたら、言問い通りに近いので騒音がうるさく、あきらめたが、あのあたりにはまだ古い民家やアパートがある。観光客は普通、左側の道を行く。
そしてラスト近く、森田家の墓がある墓地の背後に、うっすらと浮かび上がる高層ビル。これは日暮里駅前の3つの高層マンションだ(所在地は荒川区東日暮里)。
ヒマラヤ杉と日暮里の高層マンション。失われゆく谷中と、その近くの新しい「町」。この辺の押さえ方はとても納得であった。
題して「の・ようなもの の ようなもの」。
内容は前作の主人公、落語家の志ん魚の35年後を描くというもの。
志ん魚はすでに落語家をやめていて、谷中で便利屋をやっている。その彼を探しだし、亡き師匠や後援者のためにもう一度落語を、と口説くのが若手落語家の志ん田。この若い落語家と、もう60歳近いと思われる元落語家の、落語というよりは漫才のようなもの?で話は進む。
森田の「の・ようなもの」は昔見たきりで、どういう内容なのかすっかり忘れているけど、森田映画の中では特に好きな作品の1つとして記憶に残っている。
そういや、以前、森田作品の私のベスト5とか考えたことがあったっけ。
1位は「ときめきに死す」で、あとは順不同で「の・ようなもの」、「それから」、と、えーと、あとはなんだっけ。あとでゆっくり思い出します。
この「の・ようなもの」続編も、ほのぼのとした雰囲気で、笑わせる場面も多く、なかなかよい映画だったが、その一方で、気になることもあった。
志ん田が志ん魚を探して日光やら長野やらへ行くのだけど、最初日光へ行く時の列車がJR日光線なのだ。
志ん田が谷中のあたりに住んでいるとしたら、最寄駅は日暮里だから、常磐線で北千住に出て、そこから東武線で日光へ行くのが普通だと思うのだよね。つか、日光行くならJRより東武の方が便利で安い。私も北千住からよくスペーシアに乗って行ったわ、日光(ホッケー見に)。
たぶん、東武の許可もらうとか面倒だったんだろうね。あるいは、JRの方が景色がいいとか。
ちなみに、日暮里駅には宇都宮線のホームはなく、線路をただ通過していくだけです。日暮里駅の外にはいろいろな鉄道が見られる場所があって、あの辺は鉄オタのメッカなのよね。
森田監督も鉄オタだったってことで、この映画にもいろいろな鉄道が出てくるのだが、鉄オタでない私にはどれが何だか判別不能なのがちょっと悔しい。
それから谷中ですよ、谷中。
今の区に引っ越して以来30年、谷中は近いので、何度も行っているが、猫ウォッチングを始めてからはさらにいろいろな場所に出入りするようになり、台東区にも詳しくなった。
それで気になるのは、志ん魚が家の前のゴミを集積所に持っていくアルバイトをしていること。
実は台東区はゴミは軒先収集で、家の前に置いておくことになっている。だから、谷中ではこのバイトは成立しない。
ただ、谷中は文京区と接しているので、文京区側でならできますが。
よみせ通りという通りが台東区と文京区の境になっていて、通りの片側にはゴミの集積所があり、もう片側では軒先収集というビミョーな地区。
それ以外にもいろいろ知っていると気になるのだが、志ん田が金網のある陸橋を通るシーンが何度かあって、ああ、あれは谷中霊園から線路を超えて荒川区東日暮里に出る橋だな、この状況で志ん田がここを通るのは変だよな、とか。
谷中といっても、たとえば谷中商店街は片側が台東区、もう片側は荒川区で、有名な夕焼けだんだんは完全に荒川区。そして日暮里駅も荒川区。荒川区も含めて「谷中」と総称されているところがある。
もちろん、映画を作った人たちはこういう事情は知った上で、映画として、古きよき町・谷中というフィクションを作り出しているのだろう。まさに、の・ようなもの。の・ようなもの、とは、現実に似たフィクションという意味にもなる。劇映画はすべて、の・ようなもの、なのだ。森田映画の根底に常にこの考え方があると思うと、わかってくることがある。
谷中の有名なヒマラヤ杉とそのまわりの古い民家(元商店の名残りがある)が何度か出てくる。この地域は大資本に買われ、いずれビルにされてしまうと言われている。ヒマラヤ杉の右側の道は言問い通りに通じていて、その道沿いのアパートが空いていたときに引越を考えたことがあった。行ってみたら、言問い通りに近いので騒音がうるさく、あきらめたが、あのあたりにはまだ古い民家やアパートがある。観光客は普通、左側の道を行く。
そしてラスト近く、森田家の墓がある墓地の背後に、うっすらと浮かび上がる高層ビル。これは日暮里駅前の3つの高層マンションだ(所在地は荒川区東日暮里)。
ヒマラヤ杉と日暮里の高層マンション。失われゆく谷中と、その近くの新しい「町」。この辺の押さえ方はとても納得であった。
マレフィセント(ネタバレ大あり)
「アナと雪の女王」の次回作だったので、このアニメを見た人は必ず予告編を見るので、「アナ雪」に続いて大ヒットとなったというディズニーの実写ファンタジー「マレフィセント」。人気があるのか、去年の映画なのになかなかツタヤで旧作にならず、結局、準新作で見ました。
なんだ、これ、「アナ雪」と同じパターンじゃないか、というのが最初の感想。
要するに、女たちの連帯と真実の愛。女たちといっても姉妹とか疑似母娘とか家族系の女たちですが、彼女たちの戦いに男が協力するというのも似てるし、なにより真実の愛が、愛が。。。
って、こう書いた時点ですでにネタバレですが、以下、ネタバレ大ありで行きますので、注意してください。
「マレフィセント」は「眠れる森の美女」のスピンオフというか、王女に呪いをかけた魔女マレフィセントが主役で、実は彼女は悪い魔女じゃなかった、というお話。
なので、設定とか完全に変えてます。
まず、この世界は人間の世界と妖精の世界があって、妖精の世界は平和だけど人間の世界は争いばかり、という設定ですが、なんかすごい乱暴な設定で、出てくるのは主役クラスの妖精と人間だけなので、それ以外の妖精も人間もほとんど描かれないから、一部の主役クラスの妖精と人間だけで話が出来上がっているので、妖精の世界と人間の世界なんていうほどの広い世界じゃないわけです。なんつうか、小さいグループが2つある程度なんです。
で、マレフィセントが生まれてきた王女オーロラになんで呪いをかけたかというと、それは、オーロラの父親が自分を裏切り、傷つけたから。まあ、それはいいです。
このあとは「眠れる森の美女」とまあまあ同じで、父王は糸車をすべて隠し、オーロラは3人の妖精に森の中でひそかに育てられる。
が、マレフィセントが悪役でないとなると、この3人の妖精がその分悪くなるんですね。この3人、とにかくダメダメな妖精で、育児はまったくできない。なので、オーロラは飢え死にしそうになったり、崖から落ちそうになったりで、呪いが実現する前にオーロラ死んじゃうじゃないか、ってわけで、マレフィセントがオーロラを助けまくり。助けられたオーロラはマレフィセントをゴッドマザーとして慕う。マレフィセントもだんだんオーロラが好きになってしまい、母娘のような関係になる。
しかし、マレフィセントにも一度かけた呪いは解けない。やがて呪いが実現する日が近づき、というところでまたも別展開に(ネタバレ大ありですから注意)。
とにかくあの3人の妖精がガンなんですが、この3人がオーロラに呪いの話をしてしまうのですね。オーロラはゴッドマザーとして慕っていたマレフィセントが、とショックを受け、王の城へ出かけていく。母親の王妃は心労のためにもう亡くなっているのですが、この父王ってのがなんだろね、娘を愛してない。もともと、娘を愛していたから糸車を隠したり、3人の妖精に託したりしたのだろうに、娘と再会したとき、明らかに王は娘を愛してないのだ。なんか、この王の人物描写がすごく雑で、イライラする。これじゃご都合主義の悪役でしかない。
でもまあ、そういう親父と対面したせいか、オーロラはじっと手を見る。指を見る。そして糸車が隠してある部屋へ。
あれ、糸車全部燃やしたけど、1つだけ残ってたという童話の話は無視か。
オーロラが昏睡状態になったあとも、童話では長い年月がたつのでその間、人間たちは石になってたとか、そういう展開だったと思うのだけど、こっちはそんな悠長なことはやってられないのか、さっさと話は進む。
で、ネタバレ大ありだと何度も言うが、呪いは真実の愛によるキスでしか解けない。
「アナと雪の女王」の真実の愛は、姉妹の愛でした。
「マレフィセント」の真実の愛は、母の愛なのです。
目を覚ましたオーロラはたぶん、してやったり。
じっと手を見る、指を見るオーロラは、マレフィセントは悪い魔女なのか、それとも本当に自分を愛してくれる「母」なのか、それを確かめるために糸車に手を出したのでしょう。そして、マレフィセントの愛が真実の愛だという確信もあったに違いない。
母と娘の真実の愛、まあ、それはよいんですが。
しかし、ディズニーの実写ファンタジーって、なんで無駄に暗いのだろう。とりあえず暗くしとけって感じのあまり深みのない暗さ。
あの傑作アニメ「眠れる森の美女」の明るさ、楽しさはなく、3人の妖精もつまらなくされてしまい、童話にあった魅力的な部分は失われ、かわりに別の魅力があるかといえば、あまりないような気がする。ディズニーはかつて、MGMに「オズの魔法使」でディズニーアニメの実写版をやられてしまったのだが、ディズニーの実写ファンタジーは永遠にMGMの「オズ」に遠く及ばないのではないかと思う。CGでなんでもできるということ自体が、「オズの魔法使」のような映画はできないということなのだ。
なんだ、これ、「アナ雪」と同じパターンじゃないか、というのが最初の感想。
要するに、女たちの連帯と真実の愛。女たちといっても姉妹とか疑似母娘とか家族系の女たちですが、彼女たちの戦いに男が協力するというのも似てるし、なにより真実の愛が、愛が。。。
って、こう書いた時点ですでにネタバレですが、以下、ネタバレ大ありで行きますので、注意してください。
「マレフィセント」は「眠れる森の美女」のスピンオフというか、王女に呪いをかけた魔女マレフィセントが主役で、実は彼女は悪い魔女じゃなかった、というお話。
なので、設定とか完全に変えてます。
まず、この世界は人間の世界と妖精の世界があって、妖精の世界は平和だけど人間の世界は争いばかり、という設定ですが、なんかすごい乱暴な設定で、出てくるのは主役クラスの妖精と人間だけなので、それ以外の妖精も人間もほとんど描かれないから、一部の主役クラスの妖精と人間だけで話が出来上がっているので、妖精の世界と人間の世界なんていうほどの広い世界じゃないわけです。なんつうか、小さいグループが2つある程度なんです。
で、マレフィセントが生まれてきた王女オーロラになんで呪いをかけたかというと、それは、オーロラの父親が自分を裏切り、傷つけたから。まあ、それはいいです。
このあとは「眠れる森の美女」とまあまあ同じで、父王は糸車をすべて隠し、オーロラは3人の妖精に森の中でひそかに育てられる。
が、マレフィセントが悪役でないとなると、この3人の妖精がその分悪くなるんですね。この3人、とにかくダメダメな妖精で、育児はまったくできない。なので、オーロラは飢え死にしそうになったり、崖から落ちそうになったりで、呪いが実現する前にオーロラ死んじゃうじゃないか、ってわけで、マレフィセントがオーロラを助けまくり。助けられたオーロラはマレフィセントをゴッドマザーとして慕う。マレフィセントもだんだんオーロラが好きになってしまい、母娘のような関係になる。
しかし、マレフィセントにも一度かけた呪いは解けない。やがて呪いが実現する日が近づき、というところでまたも別展開に(ネタバレ大ありですから注意)。
とにかくあの3人の妖精がガンなんですが、この3人がオーロラに呪いの話をしてしまうのですね。オーロラはゴッドマザーとして慕っていたマレフィセントが、とショックを受け、王の城へ出かけていく。母親の王妃は心労のためにもう亡くなっているのですが、この父王ってのがなんだろね、娘を愛してない。もともと、娘を愛していたから糸車を隠したり、3人の妖精に託したりしたのだろうに、娘と再会したとき、明らかに王は娘を愛してないのだ。なんか、この王の人物描写がすごく雑で、イライラする。これじゃご都合主義の悪役でしかない。
でもまあ、そういう親父と対面したせいか、オーロラはじっと手を見る。指を見る。そして糸車が隠してある部屋へ。
あれ、糸車全部燃やしたけど、1つだけ残ってたという童話の話は無視か。
オーロラが昏睡状態になったあとも、童話では長い年月がたつのでその間、人間たちは石になってたとか、そういう展開だったと思うのだけど、こっちはそんな悠長なことはやってられないのか、さっさと話は進む。
で、ネタバレ大ありだと何度も言うが、呪いは真実の愛によるキスでしか解けない。
「アナと雪の女王」の真実の愛は、姉妹の愛でした。
「マレフィセント」の真実の愛は、母の愛なのです。
目を覚ましたオーロラはたぶん、してやったり。
じっと手を見る、指を見るオーロラは、マレフィセントは悪い魔女なのか、それとも本当に自分を愛してくれる「母」なのか、それを確かめるために糸車に手を出したのでしょう。そして、マレフィセントの愛が真実の愛だという確信もあったに違いない。
母と娘の真実の愛、まあ、それはよいんですが。
しかし、ディズニーの実写ファンタジーって、なんで無駄に暗いのだろう。とりあえず暗くしとけって感じのあまり深みのない暗さ。
あの傑作アニメ「眠れる森の美女」の明るさ、楽しさはなく、3人の妖精もつまらなくされてしまい、童話にあった魅力的な部分は失われ、かわりに別の魅力があるかといえば、あまりないような気がする。ディズニーはかつて、MGMに「オズの魔法使」でディズニーアニメの実写版をやられてしまったのだが、ディズニーの実写ファンタジーは永遠にMGMの「オズ」に遠く及ばないのではないかと思う。CGでなんでもできるということ自体が、「オズの魔法使」のような映画はできないということなのだ。
2015年9月16日水曜日
「屍者の帝国」試写会
行ってきました、「屍者の帝国」アニメ映画の試写会。
公開が迫っているせいか、補助椅子を出すほどの盛況。
しかし、終わったあと、「わからない」という声が。
でしょうね。これ、原作読んだ人だけを対象にしている感じで、最後の部分なんか、原作知らない人にはさっぱりだと思います。
その一方で、原作もかなり変えていて、レット・バトラーなど、人物もかなり減らされてます(バトラーは出してほしくなかったので、出てこないのはよいのだが)。
ワトソンとフライデーのボーイズ・ラブ的アニメになってるのかな、と思いましたが、そこまではやってないので、消化不良だし。
死んだ親友フライデーをよみがえらせたい、というワトソンの欲望をメインにしているので(原作と違いすぎる)、結果、ケネス・ブラナーの「フランケンシュタイン」に近づいています。あの映画のクライマックス、死んだエリザベスをフランケンシュタインが女の怪物としてよみがえらせるシーン(原作にはもちろん、ない)。
ブラナーの「フランケンシュタイン」は最初から、死んだ愛する人をよみがえらせたいという感情が出ていて、この辺が原作と違ってましたが、こういう感情は観客に受けやすいので、映画ではよく使われます。でも、小説ではちょっと手垢がついてる感じがあるので、円城塔が完成させた「屍者の帝国」ではこうしたセンチメンタリズムは徹底的に排除されてます(そして、最後にだけ、ちょっと出てくるから効果的なんだが)。
というわけで、原作ファンのみを相手にしている映画ですが、原作ファンがこれで満足するとは到底思えないのです。
公開が迫っているせいか、補助椅子を出すほどの盛況。
しかし、終わったあと、「わからない」という声が。
でしょうね。これ、原作読んだ人だけを対象にしている感じで、最後の部分なんか、原作知らない人にはさっぱりだと思います。
その一方で、原作もかなり変えていて、レット・バトラーなど、人物もかなり減らされてます(バトラーは出してほしくなかったので、出てこないのはよいのだが)。
ワトソンとフライデーのボーイズ・ラブ的アニメになってるのかな、と思いましたが、そこまではやってないので、消化不良だし。
死んだ親友フライデーをよみがえらせたい、というワトソンの欲望をメインにしているので(原作と違いすぎる)、結果、ケネス・ブラナーの「フランケンシュタイン」に近づいています。あの映画のクライマックス、死んだエリザベスをフランケンシュタインが女の怪物としてよみがえらせるシーン(原作にはもちろん、ない)。
ブラナーの「フランケンシュタイン」は最初から、死んだ愛する人をよみがえらせたいという感情が出ていて、この辺が原作と違ってましたが、こういう感情は観客に受けやすいので、映画ではよく使われます。でも、小説ではちょっと手垢がついてる感じがあるので、円城塔が完成させた「屍者の帝国」ではこうしたセンチメンタリズムは徹底的に排除されてます(そして、最後にだけ、ちょっと出てくるから効果的なんだが)。
というわけで、原作ファンのみを相手にしている映画ですが、原作ファンがこれで満足するとは到底思えないのです。
2015年9月15日火曜日
SEALDs奥田氏@戦争法案公聴会
フランク・キャプラの映画の一場面が日本の現実になるほどの民主主義の危機。
https://twitter.com/uvanaranja/status/643670049308344320
政治生命と国民の生命を比べないでほしい。
政治家が生きるために、国民の命を差し出さないでほしい。
彼らはこの法案が成立しないと、アメリカに殺されるとでもいうのか?
https://twitter.com/uvanaranja/status/643670049308344320
政治生命と国民の生命を比べないでほしい。
政治家が生きるために、国民の命を差し出さないでほしい。
彼らはこの法案が成立しないと、アメリカに殺されるとでもいうのか?
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