アカデミー賞作品賞受賞の「ムーンライト」を初日に見てきた。
さすが作品賞受賞効果で、平日の昼間なのにけっこう入りがよかった。
映画はとてもよかった。「ラ・ラ・ランド」の面々が、「ムーンライト」好きだからあちらが作品賞でよかった、と言うのも納得。
物語は3部に分かれていて、主人公シャロンの幼い頃、高校時代、そして大人になってからが描かれる。
シャロンは黒人ばかりが住む南部の町に住んでいて、いじめにあっているのだが、その原因が彼がゲイであるからだということがだんだんわかってくる。麻薬密売地域にいた彼を保護したヤクの売人とその彼女がシャロンの保護者のようになる。シャロンの母は男関係が乱れていて、息子にとってはよい母ではない。一方、ヤクの売人の男は人間的には人格者で、ゲイを差別せず、シャロンの父親のような存在になる。
タイトルの「ムーンライト」はキューバ出身のこの男が幼い頃に老婆から聞いた、「月の光に照らされると黒人がブルーに見える」という言葉から来ている。この映画では黒人たちがお互いをニガーとかブラックと呼び、シャロンも途中からブラックと呼ばれるようになるが、月明かりの中でブルーに見えるというのがなんとも不思議な感触。
高校生になったシャロンは今度は不良からいじめにあう。同時に、ゲイとして愛を感じる相手にも出会うが、その結果は悲しい別れになる。
不良からボコボコにされたシャロンを、不良にいじめられた被害者としか見ない大人。シャロンの気持ちはもっと複雑で、そこにゲイの愛がからんでいることが周囲にはわからないし、シャロンも説明しない。しかし、このことがきっかけで、やせっぽちのおとなしいシャロンは別の人間へと変化する。
最後の大人になったシャロンは筋肉をきたえたマッチョマンになっている。幼い頃に出会ったヤクの売人(その後死んだことを暗示するせりふを母が言う)にどことなく似ている(彼も売人になっている)。高校時代に愛を感じた相手からの突然の電話、老いた母との再会、そして、その相手との再会で映画は幕を閉じる。
悪い母親だけどおまえを愛している、と言う母。結婚と離婚をし、子供もいる高校時代の相手は今は食堂を経営。その彼がある歌を聞いて突然、シャロンに会いたくなったという。
高校時代、不良に復讐し、警察に連行されるシャロンと、それを見つめる彼のシーンから何年もたっているが、2人の間には純な思いがあったとわかるラスト。
登場人物は黒人だけで、黒人社会の中のゲイ差別が描かれているが、それがテーマというわけではなく、むしろ、黒人社会の中のゲイの純粋な愛が描かれるラブストーリーだ。しかも、かなりプラトニック。
思えば「ブロークバック・マウンテン」が作品賞を受賞しなかったとき、ハリウッド人は保守的でゲイが嫌いと言われたが、ゲイの映画が受賞するにはまだ時代が追いついていなかったのだろう(個人的には受賞した「クラッシュ」の方が私は好きだったし、「クラッシュ」もいい映画だと思う)。それよりさらに前、黒人社会の中の女性差別を描いた「カラー・パープル」が作品賞を受賞しなかったとき(「愛と哀しみの果て」より明らかに優れていた)、いかにも賞ねらいのスピルバーグが嫌われたからと言われたが、実際は、黒人ばかりが登場する黒人社会内部の問題を描く映画が受賞するにはまだ時代が追いついていなかったのではないか。
「カラー・パープル」と、そして「ブロークバック・マウンテン」のリベンジが、ようやく「ムーンライト」によってなされた、時代がついに追いついたのだと思う。
で、せっかく出かけたついでにと、同じシネコンで「君の名は。」をまた見てきた。これで3度目。今回が一番泣けた。
毎回泣けるのは、三葉の組紐が瀧の手に渡るシーンなのだが、今回はこのあと、かたわれどきのシーンで、別れた2人がどんどん相手の記憶を失っていくシーン。瀧が「忘れちゃいけない人」と言ったときにどっと涙が。
この映画、シニアが泣いている、という話をよく聞くのだけど、年をとるほど忘れちゃいけない人、忘れてはいけないことが増えるんですよ。それを思い起こされるから泣くのだろう。
あのクライマックス、2人がどんどん相手の記憶を失っていく緊迫感が、彗星災害から町の人々を救おうとする2人の緊迫感と重なっている。転んで倒れた三葉が、瀧が手のひらに名前を書いたはずだと思って手を見ると、そこには「すきだ」と書かれている。名前を書いてくれないなんて、と思った三葉だが、その言葉に彼女と町の人を救いたいという瀧の思いを見て、彼女は勇気を奮い起こす。
忘れてはいけない。このテーマで見ると、クライマックスは納得のいくものになる。
今回気づいたのだが、彗星災害は2013年。高校生の瀧の世界は2016年。瀧が社会人になったときが彗星災害から8年なので2021年。そして2人が再会する桜の季節は翌年の2022年。
つまり、2人が町を救ったあとの時代は未来なのだ。
だから、私たちは今、まだ町を救おうとしているところだということで、救えるかどうかは今にかかっているということになる。
2人が町を救ったあとの未来はとても平和な世界だけれど、今このときにできることをしなければ、その後の世界があの結末のような平和な世界になるという保証はないということ。
やっぱり、深いですよ、「君の名は。」
あと、神木隆之介と上白石萌音は男女2人の主役両方を演じているわけだけど、三葉が瀧に入ったときの神木の演技がすばらしい。これまでは上白石の演じる三葉の心情表現に耳を奪われていたけど、神木の三葉演技はほんとうにすばらしい。心が女になった男をみごとに表現しています。
2017年3月31日金曜日
今年の桜
今年は桜が遅い。
近所でも咲いている木はあるのですが、
土日に桜祭りが行われる桜並木はこのありさま。3㎞くらいある並木道ではほとんど咲いていない。しかも土曜は雨?
背景の黄色は菜の花。
今年はタンポポも少ない。
近所でも咲いている木はあるのですが、
土日に桜祭りが行われる桜並木はこのありさま。3㎞くらいある並木道ではほとんど咲いていない。しかも土曜は雨?
背景の黄色は菜の花。
今年はタンポポも少ない。
2017年3月29日水曜日
映画2本とSF小説
先週の火曜にアンジェイ・ワイダの遺作「残像」の試写を見たあと、風邪をひいて寝込んでしまい、1週間遠出もせずにすごしていた。
その間、テッド・チャンの中短編集「あなたの人生の物語」がようやく予約の順番が来て借りられたので、読んでいた。
この「あなたの人生の物語」の表題作はアカデミー賞でも話題の映画「メッセージ」の原作なので、予約も順番待ちになっていたのだけど、はたしてこれがどういう映画になるのか? 「インターステラー」みたいになるのかな、という気がしないでもないけれど。
テッド・チャンは中短編をまだ20編くらいしか出していない寡作なSF作家だが、科学や数学を題材にした実にSFらしい作品ばかりだった。個人的には最後から2番目にある天使の話と、最後の美醜についての話が一番面白かった。
ワイダの遺作「残像」は、ポーランドで第二次大戦終戦直後くらいまでは国を代表する画家で、大学教授としても活躍し、美術館を設立したりと活躍していたのに、1949年に突然、国が社会主義リアリズムの芸術しか認めなくなり、迫害されて、1952年に亡くなったヴワディスワフ・ストゥシェミンシュキの実話。
戦争で片腕と片脚を亡くすが、芸術家・大学教授として活動し、学生からも慕われていたのに、ある日突然、国の方針が変わり、それに従わなかったために仕事を奪われ、食べるものにも困るようになる。この、従わない者への徹底的な弾圧がものすごい。
ワイダも社会主義時代のポーランドで映画が撮れなくなったことがあり、こうした国家による個人への抑圧をこれまでも描いてきたが、「残像」に描かれたことは現在も、それも社会主義ではない国で起こっている、起こりつつある。日本も道徳の教科書の件とか、かなり抑圧的になっている。
また、ストゥシェミンスキが弾圧された時代がアメリカのマッカーシズムの時代と重なるのも興味深い。
1週間おとなしくして本を読んでいたが、今日はアニメ「夜は短し歩けよ乙女」の試写に行ってきた。
非常に盛り沢山な内容で、これをよく93分にまとめたと思う。
最初は絵が手抜きっぽく感じたのだが、後半に行くにしたがって、これがこの作者のユニークな表現なのだなとわかってきた。クライマックスのミュージカル仕立てもいい。
同じ湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」の試写日程が資料に入っていた。もう試写は半分くらいは終わっているようだが、できれば見に行きたい。
その間、テッド・チャンの中短編集「あなたの人生の物語」がようやく予約の順番が来て借りられたので、読んでいた。
この「あなたの人生の物語」の表題作はアカデミー賞でも話題の映画「メッセージ」の原作なので、予約も順番待ちになっていたのだけど、はたしてこれがどういう映画になるのか? 「インターステラー」みたいになるのかな、という気がしないでもないけれど。
テッド・チャンは中短編をまだ20編くらいしか出していない寡作なSF作家だが、科学や数学を題材にした実にSFらしい作品ばかりだった。個人的には最後から2番目にある天使の話と、最後の美醜についての話が一番面白かった。
ワイダの遺作「残像」は、ポーランドで第二次大戦終戦直後くらいまでは国を代表する画家で、大学教授としても活躍し、美術館を設立したりと活躍していたのに、1949年に突然、国が社会主義リアリズムの芸術しか認めなくなり、迫害されて、1952年に亡くなったヴワディスワフ・ストゥシェミンシュキの実話。
戦争で片腕と片脚を亡くすが、芸術家・大学教授として活動し、学生からも慕われていたのに、ある日突然、国の方針が変わり、それに従わなかったために仕事を奪われ、食べるものにも困るようになる。この、従わない者への徹底的な弾圧がものすごい。
ワイダも社会主義時代のポーランドで映画が撮れなくなったことがあり、こうした国家による個人への抑圧をこれまでも描いてきたが、「残像」に描かれたことは現在も、それも社会主義ではない国で起こっている、起こりつつある。日本も道徳の教科書の件とか、かなり抑圧的になっている。
また、ストゥシェミンスキが弾圧された時代がアメリカのマッカーシズムの時代と重なるのも興味深い。
1週間おとなしくして本を読んでいたが、今日はアニメ「夜は短し歩けよ乙女」の試写に行ってきた。
非常に盛り沢山な内容で、これをよく93分にまとめたと思う。
最初は絵が手抜きっぽく感じたのだが、後半に行くにしたがって、これがこの作者のユニークな表現なのだなとわかってきた。クライマックスのミュージカル仕立てもいい。
同じ湯浅政明監督の「夜明け告げるルーのうた」の試写日程が資料に入っていた。もう試写は半分くらいは終わっているようだが、できれば見に行きたい。
2017年3月17日金曜日
「君の名は。」展
今度の3連休で終わってしまうので、なんとしても平日に行かねば、と思っていた「君の名は。」展(銀座松屋で開催中)。金曜の夕方なのでけっこう混んでましたが、それでもじっくり見ることができました。
絵コンテや実際の映画の画像、キャラクターデザイン、主人公たちの家や糸守の場所の位置関係など、興味深い展示がいっぱい。
ただ、展示の仕方がちょっと問題があって、人が前に立つと影で展示が一部見えにくくなるのです。もう少し工夫してほしかった。
あと、新宿駅の電車が描かれている絵の前で、高校生くらいの男の子2人が、湘南新宿ラインを埼京線と言ってるのはまだいいとして、中央線快速を高崎線とか言ってるのであっけにとられました。高校生くらいだと行動範囲が狭いのでわからないのかもしれませんが。
展示の最後に映画に出てきた黒板を再現したものがあって、写真撮影できるというので、しっかりデジカメを持参。
ここは入り口。絵の前で人が立って記念撮影しているので、全景は撮れず。
そして、展示の一番最後にある黒板。ここも全景を撮るのは非常にむずかしい。やはり黒板の前に立って記念撮影している人がいます。
なんとか黒板の全景を。
黒板の右側にある映画のシーン。
グッズもいろいろ売っていましたが、買いませんでした。
チケットとふちねこ。
なんでふちねこかと言いますと、展覧会の前にふちねこ3匹目ゲットしてきたのです。
もう在庫はかなりなくなっていて、おそらくこの3連休で首都圏はすべてなくなるくらいの感じだったので、在庫のある店(ベローチェではないシャノアール系列の店)でゲットしてきました。
今回ゲットしたのは左下の「のび」です。
前回と今回、箱の中をさわった感じではもうこの3種類しかない感じでした。
絵コンテや実際の映画の画像、キャラクターデザイン、主人公たちの家や糸守の場所の位置関係など、興味深い展示がいっぱい。
ただ、展示の仕方がちょっと問題があって、人が前に立つと影で展示が一部見えにくくなるのです。もう少し工夫してほしかった。
あと、新宿駅の電車が描かれている絵の前で、高校生くらいの男の子2人が、湘南新宿ラインを埼京線と言ってるのはまだいいとして、中央線快速を高崎線とか言ってるのであっけにとられました。高校生くらいだと行動範囲が狭いのでわからないのかもしれませんが。
展示の最後に映画に出てきた黒板を再現したものがあって、写真撮影できるというので、しっかりデジカメを持参。
ここは入り口。絵の前で人が立って記念撮影しているので、全景は撮れず。
そして、展示の一番最後にある黒板。ここも全景を撮るのは非常にむずかしい。やはり黒板の前に立って記念撮影している人がいます。
なんとか黒板の全景を。
黒板の右側にある映画のシーン。
グッズもいろいろ売っていましたが、買いませんでした。
チケットとふちねこ。
なんでふちねこかと言いますと、展覧会の前にふちねこ3匹目ゲットしてきたのです。
もう在庫はかなりなくなっていて、おそらくこの3連休で首都圏はすべてなくなるくらいの感じだったので、在庫のある店(ベローチェではないシャノアール系列の店)でゲットしてきました。
今回ゲットしたのは左下の「のび」です。
前回と今回、箱の中をさわった感じではもうこの3種類しかない感じでした。
2017年3月15日水曜日
ついにリピーターに(「君の名は。」)
ついに私も「君の名は。」リピーターに。
公開直後に行ったときは中高生ばかりだったが、今は若者からシニアまで幅広い年齢層。レディスデーとはいえ、平日の昼間なのにけっこう客が入っているので驚いた。
映画が始まってすぐに、これは気に入った人はリピーターになるな、と思った。
ある意味、居心地のいい世界なのだ。
美しい風景、面白いストーリー、笑いと感動、そしてハッピーエンド。
去年の夏に初めて見たあと、1度でほとんど内容は理解できたので2度見るほどではないと思っていたが、また見たいと強く思ったのは昨年暮れに「この世界の片隅に」を見に行ったとき。
映画が終わって通路を歩いていると、「君の名は。」がちょうどクライマックスのようで、入口からあの歌が聞こえてきた。
そのとき、心からもう一度見たいと思った。
「片隅」もすばらしかったのだけど、こちらは内容が暗いので、「君の名は。」のカタルシスが欲しかったのかもしれない。
それでももう一度見るほどかなあという気がしていたのだが、金曜日から新作ラッシュでレイトしかなくなるので、昼間見られるうちに見ようと思った。
最初に見たシネコンでは来週も昼間やるようだ。今回は「聲の形」や「片隅」を見た一番近いシネコン。先日はここで「モアナ」を見た。なんとなく3回目もありそう?
さて、二度目に見た感想ですが、
やっぱり脚本がうまい。これ、相当うまい脚本ですよ。
また、新海監督が編集も担当していて、この編集がうまい。脚本と編集がセットでよくできている。
それと、三葉が父親を説得するシーンがないのが欠点、と思っていたけれど、今回見て、あれはあのままで十分なのだとわかった。ここが欠点というのは誤解でした。
三葉の家は代々、女性が入れ替わりを経験していることが途中で語られる。入れ替わっていたときは夢を見ているようで、目が覚めると記憶がどんどん消えていく、とも。祖母も昔入れ替わったことがあったが、もう覚えていない。
そしてクライマックス、三葉の体に入った瀧は三葉の父=町長を説得に行く。彗星の話を信じない町長に、三葉(瀧)は詰め寄る。その様子に驚いた町長は、「おまえは誰だ」と言う。
外に出た三葉(瀧)は、「三葉じゃないとだめなのか」と言う。
本物の三葉なら町長を説得できた、ということなのだ。
このせりふを、私は憶えていなかった。
やがて入れ替わった2人が出会い、2人はもとに戻り、三葉は父を説得に行く。妹と祖母も来ている。三葉は父に向かって怒りの顔を近づける。そのアップ。
そのあとに一瞬でいいから町長が理解したシーンを入れてほしいと思ったのだが、それは必要ないとわかった。
三葉の父は家の女性に代々伝わる入れ替わりの話を妻から聞いて知っていたに違いない。いや、むしろ、三葉の父と母は出会う前に入れ替わりの経験があり、それを忘れたあとに出会った可能性さえある。入れ替わりの相手が運命の人なら、父母が昔入れ替わっていたとしか思えないし、祖母の入れ替わりの相手もおそらく祖父なのでは? ただ、入れ替わりの記憶はなくなってしまうのだ。
だから、父は、瀧の入った三葉は別人だとわかったし、今いる三葉は本物だとわかっただろう。
髪を切った三葉はかつて瀧に渡した組紐を再び髪に巻いている。髪が短いので、頭全体に巻いていて、正面から見える。組紐が目の前の父になんらかの魔法をかけたと考えられるシーンだ。
逆に前回も欠点と感じて、今回もやっぱり欠点だなと思ったこともある。
三葉たちが町の人々を避難させようと必死で声をかけるのに、人々はまったく応じないシーン。
ここがどうも緊迫感がなくて、ちょっと間が抜けた感じがするのだ。このあとに父の説得シーンが来るので、説得シーンが物足りなくなった、というのもある。
このシーンがイマイチな理由として、この映画の人物の描き方があると思う。この映画では背景的な人物、遠景の人物は顔がデフォルメされていて表情が見えないのだ。これは1つのスタイルなのかもしれないが、精緻に描きこまれた風景に比べて違和感がある。風景は飛騨の山の中も、きらびやかな東京も、行き来する電車も本当に美しく描かれている。人物もアップのときはよく描かれているのに、なぜか遠方になるとフラットな感じになってしまうのだ。
避難を呼びかけるシーンはこうした遠方の人物の描写が多く、これがこのシーンを気の抜けた感じにしてしまっている気がする。
「君の名は。」はどのシーンもすばらしく描きこまれているのではなく、すばらしく美しいシーンの間にちょっと手薄なシーンがあって、この点がすべてが高いレベルの絵になっている「この世界の片隅に」に負けているところだ。しかし、脚本や編集のうまさ、オリジナリティ、そして記憶と忘却のテーマは、原作に負うものが多い「片隅」に勝っていると思う。また、上白石萌音の声の演技も非常にいい。
公開直後に行ったときは中高生ばかりだったが、今は若者からシニアまで幅広い年齢層。レディスデーとはいえ、平日の昼間なのにけっこう客が入っているので驚いた。
映画が始まってすぐに、これは気に入った人はリピーターになるな、と思った。
ある意味、居心地のいい世界なのだ。
美しい風景、面白いストーリー、笑いと感動、そしてハッピーエンド。
去年の夏に初めて見たあと、1度でほとんど内容は理解できたので2度見るほどではないと思っていたが、また見たいと強く思ったのは昨年暮れに「この世界の片隅に」を見に行ったとき。
映画が終わって通路を歩いていると、「君の名は。」がちょうどクライマックスのようで、入口からあの歌が聞こえてきた。
そのとき、心からもう一度見たいと思った。
「片隅」もすばらしかったのだけど、こちらは内容が暗いので、「君の名は。」のカタルシスが欲しかったのかもしれない。
それでももう一度見るほどかなあという気がしていたのだが、金曜日から新作ラッシュでレイトしかなくなるので、昼間見られるうちに見ようと思った。
最初に見たシネコンでは来週も昼間やるようだ。今回は「聲の形」や「片隅」を見た一番近いシネコン。先日はここで「モアナ」を見た。なんとなく3回目もありそう?
さて、二度目に見た感想ですが、
やっぱり脚本がうまい。これ、相当うまい脚本ですよ。
また、新海監督が編集も担当していて、この編集がうまい。脚本と編集がセットでよくできている。
それと、三葉が父親を説得するシーンがないのが欠点、と思っていたけれど、今回見て、あれはあのままで十分なのだとわかった。ここが欠点というのは誤解でした。
三葉の家は代々、女性が入れ替わりを経験していることが途中で語られる。入れ替わっていたときは夢を見ているようで、目が覚めると記憶がどんどん消えていく、とも。祖母も昔入れ替わったことがあったが、もう覚えていない。
そしてクライマックス、三葉の体に入った瀧は三葉の父=町長を説得に行く。彗星の話を信じない町長に、三葉(瀧)は詰め寄る。その様子に驚いた町長は、「おまえは誰だ」と言う。
外に出た三葉(瀧)は、「三葉じゃないとだめなのか」と言う。
本物の三葉なら町長を説得できた、ということなのだ。
このせりふを、私は憶えていなかった。
やがて入れ替わった2人が出会い、2人はもとに戻り、三葉は父を説得に行く。妹と祖母も来ている。三葉は父に向かって怒りの顔を近づける。そのアップ。
そのあとに一瞬でいいから町長が理解したシーンを入れてほしいと思ったのだが、それは必要ないとわかった。
三葉の父は家の女性に代々伝わる入れ替わりの話を妻から聞いて知っていたに違いない。いや、むしろ、三葉の父と母は出会う前に入れ替わりの経験があり、それを忘れたあとに出会った可能性さえある。入れ替わりの相手が運命の人なら、父母が昔入れ替わっていたとしか思えないし、祖母の入れ替わりの相手もおそらく祖父なのでは? ただ、入れ替わりの記憶はなくなってしまうのだ。
だから、父は、瀧の入った三葉は別人だとわかったし、今いる三葉は本物だとわかっただろう。
髪を切った三葉はかつて瀧に渡した組紐を再び髪に巻いている。髪が短いので、頭全体に巻いていて、正面から見える。組紐が目の前の父になんらかの魔法をかけたと考えられるシーンだ。
逆に前回も欠点と感じて、今回もやっぱり欠点だなと思ったこともある。
三葉たちが町の人々を避難させようと必死で声をかけるのに、人々はまったく応じないシーン。
ここがどうも緊迫感がなくて、ちょっと間が抜けた感じがするのだ。このあとに父の説得シーンが来るので、説得シーンが物足りなくなった、というのもある。
このシーンがイマイチな理由として、この映画の人物の描き方があると思う。この映画では背景的な人物、遠景の人物は顔がデフォルメされていて表情が見えないのだ。これは1つのスタイルなのかもしれないが、精緻に描きこまれた風景に比べて違和感がある。風景は飛騨の山の中も、きらびやかな東京も、行き来する電車も本当に美しく描かれている。人物もアップのときはよく描かれているのに、なぜか遠方になるとフラットな感じになってしまうのだ。
避難を呼びかけるシーンはこうした遠方の人物の描写が多く、これがこのシーンを気の抜けた感じにしてしまっている気がする。
「君の名は。」はどのシーンもすばらしく描きこまれているのではなく、すばらしく美しいシーンの間にちょっと手薄なシーンがあって、この点がすべてが高いレベルの絵になっている「この世界の片隅に」に負けているところだ。しかし、脚本や編集のうまさ、オリジナリティ、そして記憶と忘却のテーマは、原作に負うものが多い「片隅」に勝っていると思う。また、上白石萌音の声の演技も非常にいい。
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