2025年1月11日土曜日

「山田洋次が見てきた日本」の最後の部分について

 昨日市川コルトンプラザまで行ったせいではないだろうけど、今日になってまた風邪のぶり返しか、ていう感じに。

熱が出て頭痛がひどかった頃はインフルかと思ったのだが、その後の経過はかつてたまにあった重い風邪と同じ感じ。このところ寒かったので、それで少しぶり返しかもしれない。もう、この3連休、またしても競馬場へ行けないではないか。月曜はキープカルムが走るので、なんとか行きたい。

先週、今年初めて八柱霊園へ行ってみた。えびす様はお正月仕様。寒椿がきれい。霊園ものすごくすいていた。



年末から借りていた「山田洋次が見てきた日本」いよいよ返さねばならないので、この前ちょっと触れたことを。

本文中にある原書の表紙。


そして、「こんにちは、母さん」と日本アカデミー賞を競った「PERFECT DAYS」に対する著者のきびしい意見。


ヴィム・ヴェンダースのこの映画に対する私の意見は著者の意見とほぼ同じだが、著者が、この映画は貧困を描いていると思っているみたいなのが気になった。カンヌ映画祭で役所広司が主演男優賞を受賞したこの映画は、それより前にパルムドールを受賞した「万引き家族」と同じ路線と著者はとらえているのかもしれないが、それは違うと思う。

ヴェンダースのこの映画は日本の一般人にも非常に受けていて、ああいう暮らしをしたい、みたいな感想がごく普通の中高年の庶民からたくさん出ている。

なぜあの映画の役所扮する初老男性の暮らしにあこがれるのか。

それは、今の日本の中高年とその予備軍にとって、将来の最大の不安は、健康・お金・孤独の3つだからで、あの男性は健康で(最後に登場するスナックのママの元夫は病で余命いくばくもないのと比較できる)、質素な生活をしているがおそらくお金の心配はない。そして、近所に知り合いがいて、家族と疎遠とはいえ、まったく縁が切れたわけでもない。孤独ではないが、他人とべったりなめんどくさい関係もない、今の日本人の多くにとっては理想?

あの男性がお金に困っていないのは、アパートの前の駐車場に高度な清掃用具一式をそろえた立派な車を持っていることからわかる。この人はただの非正規の清掃員ではない。自転車にほうきやバケツを載せてまわっている掃除のおじいさんではまるでない。

おそらく彼は定年までは正社員であり、その後も現場での実績と本人の希望で仕事を続けているのだろう。質素な生活だから貯金もあるだろう。退職金もそこそこもらっていて、年金も厚生年金。老後の資金はぜいたくさえしなければ十分にある。

今の日本人の多くはこういう老後を送りたいと思っているが、実際は、年金は数万円、退職金もほとんどなし、そして健康に不安がある。天涯孤独の人もいれば、高齢の親の介護を初期高齢者の自分が背負うなどの気楽ではない人間関係の人もいる。

今の日本人が質素な生活をしているとすれば、それはお金がないからだが、あの男性はそうではない。ここを押さえそこなうと、本質を見失う。もっとも、「万引き家族」や「パラサイト」に賞を与えたカンヌの人々がそこに気づいているのかどうかはわからないが。

かつて、寅さんの世界のような密な人間関係や故郷の在り方に多くの日本人は心の安らぎや失われたものへの郷愁を感じたが、今は、「PERFECT DAYS」のような、健康とお金と孤独の心配がない、薄い人間関係と貧しさとは無縁の質素な生活にあこがれているのだと思う。寅さんとは正反対の、漂白された薄い人生に日本人の理想がシフトしているのだ。しかし、それはあくまで非現実的な理想だから、山田洋次が言うような嘘くさい感じがつきまとう。というか、寅さんの世界が当時すでにフィクションだったように、この世界もまた非現実的なものなのだが。