八柱霊園のお気に入りの木を見に足しげく通っていたので、近所の公園の紅葉の一番いい時期を見逃してしまった。
もうほとんど終わっているのだけど、一部、まだ色づいている木があり、そこだけ撮るとけっこういい紅葉に見える。が、地面は色とりどりの落ち葉がいっぱいで、それをかき集めている人たちがいた。
帰りに久々にドトールキッチンに寄った。ドトールキッチンはこの公園から帰るときに必ず前を通る。去年まではエアコンがなかったので、夏はすいている夜の時間をここですごして涼をとっていたが、今年はエアコンを買ったので行かなくなった。というか、その前から節約のためにこの手のコーヒーショップに入らなくなっていた。
が、今日はたまたま前を通ったら、クラムチャウダーがあるみたいなので、それが目的で入った。ついでに前からドトールで食べたかったミラノサンドBを注文。これで900円。私としては大きな出費だけど、久々だからいいか、と。
今日届いたキネ旬最新号を読みながら1時間くらいすごしたところで、お気に入りの席が空いた。もう帰ろうかと思っていたのだけど、その席は冬はイルミネーションがついていてきれい。ドトールキッチン、高いからもう来ないかもしれないので、そこに座ってもう1時間すごすことにし、追加で紅茶を注文。そこで、ドトールが最近、ドリンク代を値上げしたことを知る。
ベローチェですら300円とるコーヒーを、ドトールは250円で提供していて(ドトールキッチンはSサイズがないので300円)、その分バイトの時給が最低賃金とかいうので、もう少し値上してもいいのでは、と思っていたから、まあ、しかたない。つか、250円でもドトール入らず、マックの120円のコーヒーを飲んでいるのがここ1年くらいの私。
今年はとにかく節約節約で、映画も以前だったら見たようなシリーズものや続編はほとんど見なかった。期待してないけど一応見ておくか、というレベルの映画も見に行かなかった。
なーんか、完全に終わってるよね、と思いながらキネ旬最新号を読んでいたのだけど、白井佳夫・元編集長の特集とか興味深い記事が多く、いろいろ考えてしまった。
白井氏は1973年、キネ旬で当たった「ジャッカルの日」の試写会に行ったとき、試写の前に壇上に上がって解説をしていたのを見たくらいで、まったく接点がなかった。
73年から74年にかけて1年くらい、読者の映画評に投稿していたのだけれど、一次選考通過にはしょっちゅう名前が出るのについに掲載なし。それから10年後の84年、「フランケンシュタイン」の解説がきっかけでキネ旬から原稿依頼があり、そのときに会った編集者のS氏に昔、読者の映画評に投稿していたけれど、一次選考通過ばかりで掲載されなかった、という話をしたとき、S氏が、あの頃は白井さんが選んでいたから、みたいなことを言った。
そのときはそれを深く考えなかったのだが、今にしても思うと、私の映画評は白井氏の好みではなかったのだろう。一次選考を別の人がやっていた場合、一次選考の選者には気に入られたけど、そのあとがだめだった、のかもしれない。
同じ号に蓮實重彦の本の書評が出ていたが、そこに、蓮實氏が言う「私たち」とか「誰もが」という言葉に読者が引き込まれてしまう、みたいなことが書いてあって、なるほど、と思った。
私は「リュミエール」創刊時に蓮實氏に映画評と手紙を送ったが、蓮實氏の返事は「あなたの書くものは私たちの雑誌には向きません」という言葉だったので、ああ、この人の「私たち」には私は入らないのだな、と思った。その後も、この人の「私たち」とその他の人々という概念がずっと私の頭にあり、実際、私の文章が気に入って書かせてくれるのは、蓮實氏の「私たち」には入らない編集者だった。
もう昔のことだから根に持ってるとかそういうのではまったくなくて、ただ、蓮實氏の「私たち」という言葉を見て、自分は「私たち」に入る、と思う読者が多かったのだろう。その人たちは、すべての人が蓮實氏の「私たち」に含まれると信じていたのかもしれない。しかし、その外にいる人たちは確かに存在していた。外にいる人たちにとって、蓮實氏の「誰もが」は「私たちの中の人は誰でも」ということだから、「誰もが」という言葉には何の意味もなかったのだ。
私の書くものを気に入ってくれた人たちが何人もいたおかげで、いろいろ書くことができたのだとあらためて思い、感謝の念を深くしている。