2024年5月11日土曜日

断捨離

 今日はとてもいい天気だったけれど、風が強すぎて外出しなかった。

こんな日は断捨離すべきだけど、なんとなく面倒で。でも、ついに固定電話を休止にしたので、ファクス電話機を片付けた。

ファクス電話機というのはけっこう大きいので、それがなくなったらとてもすっきりし、これだけで断捨離した気分。

今の部屋は2DKで、押し入れが1間半あるから物が多くても余裕なんだけど、身軽になりたいという気持ちからなんとか断捨離を!と思っているのですが。

捨てるかどうか迷うのに時間がかかる、というのが一番やりたくない理由ですね。

過去にものすごい断捨離をしたのは今から17年前。ちょうど4月から6月にかけてだったから、まさに今の季節だった。

4月のはじめ、午後11時から翌朝7時まで、変な音がして眠れなくなり、原因もわからず、うつ状態になって、とりあえず引っ越しを決意。しかし、ちょうど仕事が非常に少なくなった時期で、お金もあまりなく、そのときの家賃(風呂なしの安いアパート)とあまり変わらない部屋を探すのが大変だった。

6畳の狭い部屋だったけれど、物があふれていて、これは物を処分して身軽にならねばと思い、主に本を売りに行った。大学院で英文学の研究をしていたから、洋書やら研究書やらが山ほどあったのだ。

当時は神保町が近かったので、そこや、東京駅八重洲地下街の古書店に売りに行った。専門書を高く買ってくれるところで、けっこういい収入に。また、神保町の漫画本専門の古書店に子ども時代の漫画とか持って行ったら、びっくりするような値段がついた。これで引っ越し費用が出た。

さらに、長年書き溜めた研究ノートも処分。中学時代から集めた映画のパンフレットも大量に処分。こちらは売れないので、ゴミに出した。

本が激減したので、本棚も処分。すっかり身軽になったけれど、自分はもう研究者としては終わったのだと感じた。それまでは、研究の仕事はできてなかったけれど、まだ研究はできると思っていたのだが。

あのときの精神状態は、一種のうつ状態で、眠るために医者から処方された精神安定剤(睡眠薬は出してくれなかった)のせいでさらにうつ状態がひどくなっていた。食欲がなくなり、体重が10キロ減った。そんな状態だから自暴自棄に近い感じでどんどん断捨離できたのだと思う。

断捨離って、自暴自棄じゃないとできないかもしれない、自分は。

結局、西東京市に引っ越したが、引っ越し先ですぐに問題が起きて1か月で引っ越し。もとの文京区に戻ったが、そこもいろいろ大変で、しばらくはうつ状態。なんとか回復できたのは助けてくれた友人たちのおかげ。

くだんの深夜の謎の音は、絶賛普及中だったエコキュートの低周波音だとその後、わかる。そして、文京区ではこの低周波音を出す機械エコキュートやエネファームがどんどん普及していて、引越先でも低周波音に悩まされるようになり、低周波音の出る機械の設置が困難な古い団地に引っ越したのだ。

現在ではこれらの機械は夜は止めることが推奨されているようだ。もともとエコキュートは原発の電気を夜に使わせるための深夜電力を利用していたのだけど、福島第一原発事故以来、深夜電力を使う意味がなくなったのである。

そんなわけで17年前の断捨離を思い出し、1か月だけ住んだ西東京市の写真を探し出して見た。東伏見のアイスアリーナで見たホッケーの写真が多いのだけど、そのアリーナのそば、練馬区の一番西にある武蔵関公園で撮ったカワセミ。


西東京市の町の写真は、その他の写真、というホルダーにひっそりと入っていて、すぐには見つからなかったというのがなんとも。西東京市自体はよい町だったと思うのですがね。