大学の非常勤講師を始めてからすでに40年以上がたつのだが、その間、翻訳書を出したり、映画評論で執筆したりしたが、結局、生活の糧になったのは非常勤講師で、評論家・翻訳家としては生活費を稼げなかったのだ、ということが、私の人生には大きな重荷となっている。
非常勤講師は仮の姿、本当は、評論家・翻訳家なのだ、と思って生きてきたが、結局は、非常勤講師で終わるのだと思うとあまりに悲しい。
最初に非常勤講師をした短大は、いわゆるFラン大学で、学生の大部分は試験を受けずに入学する。当時はそういう大学はさほど多くなかった。
試験を受けずに入学するということは、試験を受けるときに不正をしてはいけないということが身についていないので、期末試験ではカンニングは当たり前。先生がカンニングした学生を不合格にすると、学生は、みんなやってるのになんで私だけが、と抗議して、結局、全員再試験になるとか日常茶飯事。
私が担当していた授業は英語なのに80人もの学生がいて、おしゃべりしまくりで授業にならないので出席をとらないことにしたら、出席する学生の数が減って、勉強したい学生にだけきちんと授業ができた。出席しない学生にもお情けで単位をあげる。それが許された、まあ、ある意味、それなりによかった時代だった。今はそれは無理。
その短大は女性差別がひどくて、女性の非常勤講師は40歳定年で、私も40歳で仕事を失った。その頃は翻訳書の仕事がまあまああったので、なんとかやれた。
それ以外の大学は、まあ、ひどいところもいろいろあったが、ひどいところは報酬もひどいので、さっさとやめた。少し前に、次期天皇になる予定の高校生が進学するかもしれない国立大学として名前が少しだけ、本当に少しだけ上がった大学があったが(東大ではない)、そこはほんとにひどかったので、宮様にはとても行けない大学だと思った。その後、その大学の名前は出てないので、幸いである。あそこはほんとにやめた方がいい。どんなにひどかったか、いずれ書いてもいい。
で、そのFラン短大の次に非常勤した中堅私大が、数年前からもう、あの短大並みのFランになっている。一応、名前はそこそこある大学なので、中堅と見なされているのだが、40年前のあの短大とほぼ同じ、試験を受けずに入っている学生が多いので、試験のときにスマホ、パソコン見放題。マーチより下の中堅大学はもう、そこまでになっているのだ。
長い間、非常勤講師をしていて、学生がいやでやめたいと思ったことはほとんどなかったが、ここ数年、学生がいやでやめたいと思うことがとても多い。
それ以前に、専任教員もひどいし、職員もひどいし、大学自体もほんとにひどくなっているんだけど、学生だけは最後の砦で、学生だけはいやじゃなかったのに、ここ数年、もうそこもだめになっている。
たぶん、コロナの前と後の違いでもある。コロナですべてが変わった。