40年間勤めた渋谷の某大学の非常勤講師が今年度で定年。ここ数年は問題が多く、いやなことばかりだったので、やめたら早く忘れたいと思っていた。また、渋谷に関しても、もともと好きな街ではなかった上、最近は変化が激しく、かつての渋谷の記憶と相いれなくなっているので、渋谷の思い出について考えることもなかった。
大学に関しては、大学が非常勤講師をリストラするために制度を変えてしまったあたりから居心地が悪くなり、他の先生との交流の場もいっさいなくなり、そして、学生の質がどんどん落ちていったが、思い出してみたら、そうなる以前は専任の先生や他の非常勤との懇親会があって、そこで有意義な交流があったりした。また、学生についても、思い出すことがたくさん出てきた。一時期、定年退職後に社会人枠で入学してきたシニアの学生がいたが、私より年上で人生の先輩である彼らのこともなつかしく思い出す。
最初に教えた学生はもう還暦かな。そして、その人生の先輩学生たちは健在だろうか。映画が好きで、映画館でバイトして映画の仕事をめざす、と言っていた学生は今、どうしているだろう。
そして渋谷。
一番古い渋谷の思い出は東急文化会館。今はヒカリエになっているところにあった。
清水建設のHPから。清水建設が作ったのですね。できたばかりの頃の写真のよう。
3つの映画館とプラネタリウム。渋谷の一番古い記憶は、小学生のときに通ったこのプラネタリウムだ。
毎月、内容を紹介するリーフレットを発行していて、私も集めていたが、ネットの古本屋でこんな値段で売られていた。
うちにあったのはとっくの昔に捨ててしまったと思うけど、取っておいたら売れたのか?
小学生の頃には映画館には行ってなくて、プラネタリウム以外で記憶にあるのは屋上にアーチェリー場があったこと。小学生の初心者の力では的まで矢が届かなかったけれど、アーチェリーをやった唯一の経験。
映画館は中学生になって、東急文化会館の1階にあった渋谷パンテオンで「史上最大の作戦」のリバイバルを見たのが最初だ。上の方にあった渋谷東急、東急名画座にもその後、行くようになる。
住んでいたところの関係で、映画館は地元か銀座日比谷地区と新宿が多く、渋谷までは行くことは少なかった。1985年に渋谷の大学の非常勤講師になり、渋谷はもっぱらその仕事で行く場所になった。渋谷にミニシアターが次々とできて、試写室が渋谷にいくつかできるようになると、それで渋谷に行くことも増えた。
何度も行ったショウゲートの試写室が2年前になくなっていたことを知った。ここは渋谷駅南口の歩道橋を渡ってすぐのところで、最後に行ったときは周辺が再開発されつつあるときだった。渋谷駅の中心部からやたら遠くて隣の駅のようだった新南口(現在はもっと近いところに移転)のあたりもよく行ったところ。あそこのベローチェですごした時間も多かった。
東急文化村あたりの思い出は、東京国際映画祭。始まったばかりの頃は私も評論家枠でフリーパスもらえたりしていたのだ。オーチャードホールではピエール・アモワイヤルのコンサートを聴いた。
文化村近くの試写室といえば、今はないシネカノン試写室。そして、健在の映画美学校試写室。渋谷の写真って、ほとんど撮ってないのだけど、比較的最近撮ったのがこれ。映画美学校と同じ建物にあるユーロスペースに行ったときのもの。
渋谷の街並みや通りの思い出も浮かぶが、今はもう様変わりして、記憶の中だけの風景になっているだろう。3階まで階段を上るのがきつかった銀座線の狭いホームとか、東横線と山手線の乗り換え客で大混雑して身動きもできなかった通路とか、もう存在しない。東急東横店も本店もない。