2025年3月4日火曜日

若い頃にしておけばよかったことなど1つもない

 長年非常勤講師をしていて、昨年から任期つきの特任教授になった人のXから目が離せないのだが、理由は、この人は劣悪な家庭環境から関西の旧帝大に合格し、博士課程まで行き、博士号もとって、しかしアカポスにはつけずにずっと非常勤講師をしていたようだからだ。

もっとも、この人は育児と非常勤講師と研究を掛け持ちして苦労してたみたいなことを以前に書いていたので、結婚していたかしているか、あるいはシングルマザーだったのか、子どもは今はどうしてるのか、など、疑問に思うところはある。

結婚しているなら非常勤講師をたくさんやることもないだろうから、シングルマザーだったのかもしれない。

家事や育児をしながら研究を続けることの大変さは、独身で好きなように生きてきた私には絶対にわからないので、何も言えない。

その人が、たぶん、今はアラ還になるかならないかの年齢だと思うが、Xに、20代30代の頃にしておけばよかったことがあったみたいなことを書いていて、借金をしてでもすればよかったと書いている。

それが何なのかは書いていないが、振り返って自分を思うと、若い頃にしておけばよかったことなど1つもないことに気づいた。

私も高校時代は劣悪な家庭環境で、大学など行けるような家ではなかった。その人はそれでも必死で勉強して旧帝大に合格したが、私はひたすら映画だけは見続けた。大学は勉強しなくても受かるところに浪人して入った。一応、(超無名の)国立大だったので、当時は授業料が激安だったからバイトで大丈夫だった。

その超無名の国立大に入っても映画を見続けていたが、なぜかそこでイギリス文学に目覚め、旧帝大の大学院に現役合格してしまったのだが、やっぱり超無名の国立大出身だと、いくら論文が認められても就職は、だったのである。

そんなわけで、たまたま「フランケンシュタイン」解説を書く幸運に恵まれ、それがきっかけでキネマ旬報の映画評論家になり、そしてその後の私がある。

私はとにかく映画の仕事を最優先したかったから、非常勤講師は必要最低限にしていた。先の特任教授になった人みたいに目いっぱい非常勤講師の仕事を入れなければ食っていけないのがこの世界だけど、私はとにかく自分の好きなことをするために生活費を極力抑え、風呂なしのアパートに住んで銭湯に通い、ほんと、少ない収入で自由な時間がある生活を守った。

大学院時代の奨学金の返済が年に20万円もあったので、少ない収入では苦しかったが、私が選んだのは、国民年金に加入しないことだった。当時は加入は任意だったのである。

奨学金を返すかわりに年金を払わないつけは、無年金という形で、今来てるが、長生きしなけりゃいいのさ、と当時は考えていたし、今もそう思っている。

70歳まで生きるとは思っていなかったが、去年、70歳になった。しかもどこも痛いところとかなくて元気。いまだに老眼鏡を作ってない。病院大嫌いなので健康診断なんてまったく受けてない。どこか悪くても治療する金なんかないからそのときはあきらめるさ。

20代、30代の頃にやらなければできなかったことは、そりゃあ、いくらでもあるが、それやってたら「フランケン」の解説も、フォースターの映画化の映画評も書けなかっただろうし、デレク・プラントの追っかけとかもできなかっただろうし、そしてなにより、15年間つきあった谷中の地域猫、あの子とのつきあいもなかった。

後悔があるとすれば、あの子との最後の2年くらい、特に最後の夜に、ああすればよかったと思うことだ。