2024年6月30日日曜日

78年の歴史に幕

 今日は日暮里上野方面に用があったので、今日で78年の歴史に幕をおろす上野のABABの方までちょっと足をのばしてきた。

まずは谷中霊園の中にある新1万円札の顔、澁澤氏の家のお墓。


上野公園を通って西洋美術館の前へ。この展覧会は見たい。



そして、ABABの前へ。閉店時間の6時を少しすぎたところで、大通りに面した入口は閉まっていたけれど、歩道に人があふれていた。スタッフと一緒に写真撮影する人も。




窓からお客さんに手を振る店員さん。お客さんからは「ありがとう」の声も。


角を曲がった道の方の入口はまだ開いていて、中にいるお客さんが記念撮影などしていてなかなか出てこない。外は入口が閉まるのを待つ人でいっぱい。これはかなり時間がかかりそう、と思ったので、引き上げた。



ABABの会社は今後はスーパー(赤札堂)中心になるようで、このビルもこのあとどうなるか決まっていないとのこと。

自宅の最寄駅のビルの1階にある日高屋も今日で閉店。8時でオーダーストップだけど、中は混んでいた。


この駅の近くは日高屋のようなタイプのお店が客が入らないみたいで、牛丼屋は1軒もない。あるのはマックとドトールとファミレスだけ。日高屋もふだんはお客さんが少なかった。高齢者の多い地域なので、夜になると人ががくっと減る。

そのあと、西友に入ったら、1階にあるスリーコインズが完全閉店セールをしていた。反対側にOKができて、こちらはさびれていくのだろうか。

キネマ旬報以前の私

 「キネマ旬報の100年」で、「1973年秋から定期購読を始め、試写会応募はがきにコメントを書いていたら読者欄に載るようになった」と書いているけれど、商業誌に映画についての文章が載ったのはキネ旬が最初ではない。

1971~72年、スクリーンの姉妹誌「シネ・ストーリー」に、ビリー・ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」、「風と共に去りぬ」、「戦争と平和」米ソ映画比較論を載せてもらっている。

「シネ・ストーリー」というのはその前からあったのか、この年にできたのか、よく覚えていないのだが、近代映画社が読者から広く文章を募集し、それで「シャーロック・ホームズの冒険」映画評を送ったら、読者の映画評というページができて、私のその映画評が載ったのである。月に1人しか載らないのだが、71年と72年の2年間で3回掲載された。しかし、72年に休刊になってしまった。

この時期、編集部から「小さな恋のメロディ」について映画評論家と対談してほしいという依頼があったのだけど、私が住んでいる地域ではまだこの映画が上映されておらず、都心での上映はもう終わっていたので、残念ながら辞退せざるを得なかったのが痛恨の思い出。

映画評論家になったあと、たまたま知り合った配給会社の人が「シネ・ストーリー」の元編集者とわかり、「編集長が、この人は将来必ず物書きになると言っていた」と言ってくれたのがうれしかった。

そして73年、キネ旬の定期購読者になり、実は、こちらの読者の映画評にも何度も投稿していたが、一次選考通過から上にはどうしても行けなかった。当時は白井佳夫編集長が自ら選んでいたそうで、白井氏のお眼鏡にはかなわなかったのだろう。74年秋には定期購読もやめてしまい、そのあとは同人誌に書くようになったので、キネ旬からは離れてしまった。

その同人誌も長くは続かず、キューブリックの「バリー・リンドン」でイギリス小説に目覚めた私は大学院に進学し、映画は見続けていたものの、英文学者をめざすことになる。

この間の商業誌への映画に関する投稿は、昨年のキネ旬の「エレファント・マン」コラムに書いた「ぴあ」への投稿で、これは「シネ・ストーリー」の頃よりはずっと論らしくなった映画評だった。1981年のことなので、「シネ・ストーリー」の映画評から約10年の歳月が流れている。

そして1983年、友人が翻訳した「フランケンシュタイン」の解説を執筆、翌年、出版、そしてキネ旬で映画評論家デビューとなったのだった。

2024年6月29日土曜日

「キネマ旬報の100年」

 という本が出ました。


大昔にキネ旬ロビイに文章が載ったときの話を寄稿しました。

掲載されている記事の大半は昔のキネ旬の誌面をそのまま載せているので、昔は字が細かかったことがよくわかります。昔は特集の映画評は2ページで3200字でした。今は長文の映画評は嫌われるようですが、正直、今のキネ旬に載る長文の映画評とか、昔の長文の映画評ほど面白くないというか、なんでこの人にこんなに長いの書かせるの?と思うものさえ。この長さだったら2人に書かせた方がいろいろな意見が読めて面白いのに、と。

昔のキネ旬のよさは、いろいろな意見が読めたことですが、今はそれはネットに投稿する人たちのいろいろな意見に置き換えられているようです。でも、紙媒体の記事とネットの記事は本質的に違うような気がします。キネ旬ではさまざまな意見を構成する演出みたいなものが、かつてはありました。

と、少し苦言を書いてしまったけれど、過去のキネ旬の表紙のページ、そして、キネ旬の想い出を語る人たちの文章を読んで、自分はキネ旬とはあまり濃い結びつきではなかったのだとわかりました。

確かに継続的に書かせてもらった時期があって、それがあったからこその自分なのですが、他の人のように、育ててもらったとか、そういう感覚がない。他の人たちはキネ旬における自分というものを私よりはるかに重視している、と感じました。

そのあたりの希薄さというのは、私の性格によるところが大きいと思います。

私にとっての大きな転機は1983年の秋で、このとき、創元推理文庫の「フランケンシュタイン」の解説を執筆。同時に、岡山大学就職の話が来たものの、この解説で評論家になろうと思っていた私は辞退。当時は首都圏以外に住んで出版の仕事をするのはほとんど不可能だったのです。

翌1984年2月に「フランケンシュタイン」出版。ちょうどそのころ、東京農工大の公募(その年の秋に就任の公募)に応募し、採用したいとの連絡があったのですが、男女差別が激しい時代で、女性だという理由で教授会で拒否されてしまったのです。それから10年以上たって、この大学で非常勤しましたが、かなりひどい大学でしたね。今まで非常勤で行った中で一番ひどかったです。

農工大で拒否られたあと、「フランケンシュタイン」を送った「キネマ旬報」から連絡があり、ヒッチコック特集で映画評論家としてキネ旬初登場したのでした。

こっちの想い出をなんで書かなかったって? そりゃあ、農工大のクソ教授会のことを思い出さずにはいられないからですよ。農工大は非常勤のときには講師料を全額払ってくれなかったところです。当時、国立大は非常勤講師はボランティアみたいな扱いだったんですね。交通費も全額出るかわからないと言われました。

2024年6月28日金曜日

何もかもが有料になり不便になる

 宅配便の再配達を有料にするという話が以前から出ているけれど、業界としては有料に踏み切れないらしい。

そりゃそうでしょう。再配達有料に真っ先に反対するの、お中元お歳暮業界では?

お中元とかお歳暮とかバレンタインデーやクリスマスのプレゼント、誕生日プレゼント、母の日、父の日、プレゼント送るとき、先に、送ったよ、何日の午前中に届くよう指定したよ、と連絡します?

しないよね。ましてやデパートなんかで一斉に送るお中元お歳暮なんか。

で、思いがけずこうしたプレゼントを贈られて、でも不在、再配達有料、となったら、どうしますか?

大切な人からのプレゼントだったら、有料でも受け取るでしょうけど、ああ、またお中元とかお歳暮とか、めんどくせえ、と思うようなものは再配達拒否って差出人に返送。たぶん、返送費用で宅配業界大赤字? デパートもお中元お歳暮の返品の山に。で、その返品の山をどうするのか? 申し込んだお客様にはどう説明するのか。(いや、大切な人からのプレゼントだって、再配達料払ってプレゼント受け取るとか、お互いいやな思いになりません?)

今みたいに個人情報保護されてなかった頃、大学の非常勤してると名簿で住所氏名がさらされちゃうのですよ。すると、教科書会社から大量に見本が送られてくる。私は宅配業者の不在票を見て、差出人が教科書会社のは全部、返送してもらっていました。私は教科書会社の教科書は使わないからです。

さて、再配達料は今はまだ無料ですが、再配達を依頼するのにお金がかかることがわかり、がくぜんとしています。

例によって、いきなり何かを送ってきたところがあるのですが(知っている会社)、いきなりなので当然、不在。不在票見て、再配達を申し込もうとしたら、携帯からの電話は有料。そう、0570ですよ。

これ、普通の電話料金よりかなり高いんですよね。以前、上野動物園がコロナで整理券ないと入れなかった頃、ネットだと即完売御礼なので、電話で予約したのですが、これが0570。当時はまだ固定電話があったので、予約するのにかかったのは90円でしたが、これ、携帯だと500円くらいしそうでした。

再配達の電話に500円? いや、設定料金がもっと安いかもしれないけど、再配達を依頼するのが有料って、そこまでして受け取りたいものか? だって、いきなり送ってきて、何が入ってるかわからないんですよ。知り合いの会社だけど受け取り拒否してもいい案件か?

いやもう、ほんと、再配達希望せずに返送させようかとマジで思いましたが、ネットでなんとかメンバーズに登録して、再配達の日時を指定しました。

このあたり、やっぱりアナログなゆうパック最強だったりして。

まったく、なんでもかんでも金取って、しかも不便になってるなあ、と思ったことがさらにもう一つ。クレジットカードの利用明細を毎月、郵送で送ってもらっているのですが(もちろん、有料)、今月に限って、引き落とし日の前日になっても明細が来ない。ネットで確認はできるが、郵便事故かもしれない。明細書にはクレジットカードの番号や銀行口座番号が、一部伏字とはいえ、書いてある。こちらの住所氏名もわかるから、悪用される可能性はある。なので、まず、クレジットカード会社に電話しようとしたら、これも0570なんだわ。しかも、電話して、カード番号だけでなく、意味不明な番号を打たないといけないらしい。それをやってようやく次の段階で、それもまた番号を打つの繰り返しで、機械相手に話すようなもの。0570で何百円も取られて、結局、何もわからなかった、で終わる可能性高い。

メールという手段もあるようだけど、メールソフト使ってないとメールできないようだ。

しょうがない、郵便局に追跡調査を頼もうと思い、郵便局のサイトからお問合せフォームを送る。このお問合せフォームってとてもありがたい。

結局、お問合せフォームを送った翌日に、明細書がポストに届いていた。また、お問い合わせへの返事も翌日に来て、最寄りの郵便局に追跡調査依頼を出すように、とのことだった。

なんだかんだで、やっぱり郵便局をだいじにしようと思ったのだけど、明細書は郵送をやめる手続きをした。巨大団地で同じような建物が100棟くらい、部屋は3000くらいあるので、誤配はある程度起こる。表札を出さない家も最近は多いし。

そんなわけで、宅配の再配達を有料にする前に、すでに宅配の再配達の依頼が有料になっているわけですよ、それを避ける方法もあるとはいえ。

私は通販の買い物はコンビニ受取にしているのですが、今回みたいにいきなり何かを送られたら、通話料払ってまで受け取りたいとは思わないですね。

追記 郵便局も0570を使っているが、無料の0120もあるようだ。というか、ヤマトも0120があるけど、携帯からはかけられない。固定電話専用とあるけど、これ、公衆電話からかけられるのでは?と思ったら、かけられるようです。

フリーダイヤルは公衆電話を使え!ナビダイヤルは使わない | SAMJOY PRESS (smjo.net)

あと、郵便局がいいのは、不在票がハガキになっていて、再配達はそれをポストに投函すればいいことなのよね。本局にそれを持って受取に行くこともできる。

2024年6月26日水曜日

なつかしのルルーシュ監督「レ・ミゼラブル」

 月曜は仕事の帰りに今月末で閉店が決まっている上野のABABへ。

どのフロアも残り商品が少なく、がらんとしていて、ひととおり見て回ったけれど、寂しさが募るだけだった。にぎやかだった頃の店内の様子が思い出され、こういう姿は見たくなかったと、来たことを後悔してしまった。

携帯で写真を撮ったけれど、パソコンに移す方法がわからず。

千代田線の湯島の秋葉原寄りの出口から出て、そこから松坂屋の方へ行く道がすぐにはわからず、あぜん。ここはかつてはよく歩いた場所だったというのに。末広町近くのマックに久々に入ったけれど、ここも客席がかなり変わっていて、昔の面影がなかった。

というところで、試写で見せていただいたジャン・ポール・ベルモンド傑作選グランドフィナーレの3本。


フィリップ・ド・ブロカ監督、ジャクリーン・ビセット共演の「おかしなおかしな大冒険」とクロード・ルルーシュ監督「ライオンと呼ばれた男」は今回初めて見た。

ベルモンドというと、今はゴダール作品がまず出てくるようだが、私のような古い世代だと、やっぱり「リオの男」のド・ブロカ監督だよね、ベルモンドの監督といったら。冴えない作家と、彼が書く荒唐無稽なスパイ小説の主人公が並行して描かれ、同じ俳優が小説と現実で二役、という手法はこれ以前にもあるけれど、ベルモンドの陽気な魅力が全開。ビセットも美しかった。

「ライオンと呼ばれた男」は捨て子から実業家になった男の人生を時間軸を少し変えながら描いていくもので、これはもうベルモンドのための映画でしょう。

そして、同じルルーシュ監督による「レ・ミゼラブル」。初公開時、試写で見てとてもよかったので、知り合いの編集者にすすめたりしたのに、全然話題にならず(ゴールデングローブ賞受賞なのに)、その後も忘れられた作品になってしまっていた。キネ旬の1990年代ベストテンで、私の選ぶベストテンの1本に入れたけど、私以外の人は誰も入れてなかった。

ただ、内容はかなり忘れていて、20世紀後半、特に第二次世界大戦中のフランスが舞台、ということくらいしか覚えていなかった。あらためて見ると、ユーゴーの原作が生かされたユニークな「レ・ミゼラブル」だということがわかる。

冒頭、ジャン・バルジャンが煙突掃除の少年の落としたコインを取ってしまうシーン、これはジャンが神父に助けられたすぐあとのできごとで、神父に助けられてすぐに改心したわけではなかったことがわかる。それほど彼は長い投獄生活で傷つき、世の中を恨んでいたのだろう。だが、この出来事のあと、彼は真に改心する。

有名な神父に助けられるシーンでなく、これを冒頭に持ってきたところにこの映画の肝があるわけで、つか、初めて見たときも確かにそう思ったよね、と思い出したのだが、ユーゴーの描く人間の複雑さをさまざまな人物で表現した映画だと思う。

ベルモンドは主人公たちの1人にすぎず、彼以外の人々のシーンも多い。特に、負傷したユダヤ人を救った農家の夫婦が、妻がユダヤ人に恋してしまったことから人生を狂わせる後半のエピソードが深い。ティナルディエ夫婦は悪人だけどいいこともした、と語る人が出てくるけれど、この夫婦の複雑さにもそれが現れているのだろう。

クライマックスで流れる音楽が「頬寄せて」だということも忘れていた。「カイロの紫のバラ」、「グリーンマイル」もこの曲が効果的に使われていたが、この2本では「トップ・ハット」の映像とともに出て来たのに対し、こちらは音楽だけさりげなく。「ライオンと呼ばれた男」はルルーシュらしい派手な音楽があちこちに流れたけれど、「レ・ミゼラブル」は音楽は控えめな使われ方だった。

なんにしても、「男と女」、「愛と哀しみのボレロ」と並ぶルルーシュの傑作「レ・ミゼラブル」なのです。

2024年6月25日火曜日

「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」(ネタバレあり)

 残念な週末の前日、金曜日はアカデミー賞助演女優賞受賞作「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」を見た。

実は試写状いただいていたのだけど、てっきりオンライン試写があると思い込み、ないと気づいたときはもう試写室の試写は終了してた。


というわけで、シネコンへ。

よい映画だろうけれど、私には刺さらない話ではないか、と思っていたら、大間違い。直球ど真ん中で刺さる映画だった。

舞台はアメリカ東部の裕福な家の子どもが学ぶ寄宿制の私立の学園で、イギリスならパブリックスクールだけど、アメリカだとプレップスクールというのかな。「いまを生きる」の学校と同じようなところ。お金持ちの子どもはここを出て名門大学へ行く。

時代は1970年。クリスマス休暇で多くの生徒が帰宅する中、家庭の事情で居残り組になった5人の生徒の面倒を見ることになった教師ハナム。ほんとうは別の先生が残ることになっていたのだが、学園に多額の寄付をする金持ちの息子をハナムが不合格にしたので、その罰として居残り組にさせられたのだ。

ハナムとともに居残って生徒の世話をするのが料理長のメアリー。黒人のシングルマザーの彼女は一人息子をこの学園に入れたが、大学にやれるだけのお金がなかったので、息子は徴兵され、ベトナム戦争で戦死する。

当時、アメリカでは金持ちの息子は大学へ行って徴兵を逃れ、貧しい若者が徴兵されてベトナムへ行くという時代だった。学園のある町にも戦争で片手を失った若者がいる。

金持ちの息子で名門大学へ進学したオリヴァー・ストーンが、そのことに怒りを感じ、自ら志願してベトナム戦争へ行ったのは有名な話。

ハナムはそういう社会に対して怒りを感じている。金持ちのドラ息子である生徒たちは社会問題に関心がなく、勉強しなくても単位がもらえて大学へ行けるのが当たり前だと思っている。親が金持ちで、学園に寄付をしているから、ハナムに対しても単位を出せと圧力がかかるのだが、彼は断固、譲らない。その辺の意固地さのせいか、彼は教師にも生徒にも嫌われている。

居残り組の5人の生徒のうち、4人はその後、保護者に対するハナムの働きかけもあって家に帰ることになり、アンガスという生徒だけが残される。アンガスの母は再婚相手とハネムーンに出かけていて、連絡がとれなかったのだ。

こうして、ハナム、アンガス、メアリーの3人を中心としたドラマが始まるが、息子を戦争で失ったメアリーのドラマは悲劇的ではあるが、わりと単純。一方、ハナムとアンガスのドラマは複雑で、この2人の葛藤の中からそれぞれの抱える問題がしだいに見えてくる。

というわけで、以下、ネタバレを含みます。

2024年6月23日日曜日

残念な週末

 この週末、土日は例によって中山競馬場でモニター観戦の予定だった。

土曜日は府中でジャンプ、日曜は京都で宝塚記念。

土曜日のジャンプは、中山グランドジャンプで2着だったジューンベロシティを推し馬にしようと思い、第2の推し馬としてヴェイルネビュラを選んだが、オッズを見ると、最近、ジャンプや障害に転向してきた2頭の馬が人気上位。ヴェイルネビュラも最近転向組みたいで、やや上位人気、そして昨年のこのジャンプで勝っているジューンベロシティも人気上位ではあったのだけど、その人気上位の2頭がよくわからない。でも、競馬ファンが推しているんだから理由はあるのでは?と思い、迷い始める。でも、この2頭つうかヴェイルネビュラもだけど、こういう大きいレースは初めてなんでは? だったら我が推し馬のジューンベロシティとヴェイルネビュラだけ買えばいいよね、と思ったのだけど、でも、わざわざ行ってお金出すほどかなあ、葛飾区立図書館に予約の本を取りにも行かなければならないし、今日は競馬はやめて図書館へ行き、そのあと水元公園へ行こう、と決めてしまった。

が、なんと、ジューンベロシティ優勝、ヴェイルネビュラ3着、例の2頭は馬券外。

うわあ、推しの2頭であれとこれを買えば~円になったのに~と思っても後の祭り。

でもまあ、その前に、水元公園で花ショウブを見てきました。

葛飾区はこの水元公園と堀切菖蒲園という2つの大きな花ショウブの名所があり、1週間前まで花ショウブ祭りをしていたので、まだ花は残っているだろうと思いました。

水元公園はいつもは松戸方面から江戸川越えててくてく歩いて行ったのですが、今回は金町駅前の図書館で本を借りたので、金町駅から歩きました。葛飾区は道が複雑で迷いそう、というか、迷ったこともあるので、地図を持参。地図を見ながら裏道を進んでいくと、このお寺に行き当たりました。中をちょっとのぞいたけど、有名なのか、観光客が団体で来たので、退散。このすぐ先が水元公園です。


水元公園の入口にはアジサイがたくさんありましたが、花が枯れかかっているのが多い。他の地域はアジサイは今が見ごろなのに。これは数少ないきれいなアジサイ。


花ショウブは終わりかかっていて、花は少なかったですが、花ショウブ園がかなり広いので、花はそこそこ楽しめます。ただ、こちらもくたびれた花が多い。



葛飾区立図書館で借りたのは「シャンシャンの雪あそび」。薄い写真集なので、ここでじっくり見て、帰りに公園近くの水元図書館で返却しました。


このあと水元大橋を渡って、メタセコイアの森へ。


いつもは松戸から歩いてくるので、この辺でくたびれ果てて、これより先はほとんど行ってなかったので、今回はこの先もじっくり見ます。とにかく広い公園で、端から端まで歩いたらすごい距離になりそう。



バラ園は準備中でした。ここのバラもみんなくたびれている。なんでこの公園の花はこんなにくたびれているのだろう。


花ショウブの品種保存園。いろいろな種類の花ショウブがあります。





これからはハスの花の季節。


このあたりはうっそうとした森で、人も少ない。やがて、バード・サンクチュアリーへ。ここ、前から行きたいと思っていた場所だけど、鳥はまったくいなかった。


このあと、水元図書館で本を返し、金町駅まで歩いて帰りましたが、正直、かなり疲れ果てました。その最大の理由は、地元の図書館で借りた本。これをまず借りて金町へ出かけ、葛飾区立図書館で写真集「シャンシャンの雪あそび」を借り、水元公園でこれを眺めただけでなく、地元で借りた本も3分の2くらい読んだのです。残りは地元のマックで。

しかし、この本がもう、読まなきゃよかったというシロモノ。「出版翻訳家なんかなるんじゃなかった日記」という本で、10数年間で60冊もの本を出した著者が出版翻訳の内幕について語る。私も出版社とはいろいろつきあいがあったので、確かに「あるある」なエピソードばかりなのですが、正直、著者の方にもかなりの問題があると感じました。アマゾンでは「自業自得」「承認欲求が強すぎる」「女性蔑視」といったコメントがありますが、まさにそのとおり。まあ、この本については、機会があったら書くことにしましょう。

そして翌日曜日。中山競馬場はこの日のあとはターフビジョンが2台ともメンテに入るので、8月9日までスタンドでのモニター観戦ができなくなります。

メインレースは京都で行われる宝塚記念。本来は宝塚にある阪神競馬場開催ですが、阪神がリニューアル中とのこと(つか、宝塚って、阪急じゃなかったの?)。


雨なので遊園地は閑散。


ここも全然、人がいない。


雨にぬれるハイセイコー像。


1番人気ドウデュースでしたが、馬券外に終わる。


私の推しは日経賞から応援しているシュトルーヴェ。まあ、来ないとは思いましたが、一応、応援で馬券は買います。


京都が得意だというこの馬も複勝で買ってみたけど4着。惜しい。


重賞レースのときはモニターを見る人がコース近くにたくさん出てきますが、雨なので屋根のあるスタンドに上がってきた人の方が多い。モニターでも盛り上がります。



優勝はブローザホーン。実は単勝で買おうとカードに記入までしたのに、買わなかったのです。ワイドでは買ってましたが、本命視されていたドウデュースとジャスティンパレスが来なかったのでパア。前日も推し馬2頭いたのに出かけず、今日は記入までしたのに買わず。どうしたんだ、自分。これは運がないとかそういう問題じゃない。自分に問題がある。

前から応援しているシュトルーヴェは別格として、京都が雨予報になる前は、実はドウデュースを応援しようと思っていたのです。ジャスティンパレスも応援したいなと思ってました。でも、雨予報になり、この2頭は雨に弱い、強いのはブローザホーンと聞いて、ブローザホーンに傾いて、単勝買おうというところまで行ったのに、買わなかった。たぶん、無意識のうちに、ドウデュースに勝ってほしいと思っていて、それで買うのをやめてしまったのではないか、あとになって、そう思いました。なら悔いはない。今回は全部はずれたけど、そもそも当てるのがむずかしいレースだったのだし。

メインレースが終わると、みんな屋内へ行ってしまいました。遠くに武蔵野線の電車が走る。スタンドのてっぺんからの風景がとても好きで、それで通ってしまったけど、次からはもうここは入れなくなっているのかな。


というわけで、残念がっかりな週末でした。

2024年6月18日火曜日

梅雨入り間近&「フィリップ」(ネタバレあり)

 今年はなかなか梅雨入りしないのですが、いよいよ今週末には梅雨入りしそう。

先週の金曜日に撮った八柱霊園のアジサイ。ここはアジサイはほとんどなくて、この時期は見るものがありません。日差しが強く、日陰に入ると蚊が出てくるので、早々に退散。人も非常に少ないというか、ほとんど見ませんでした。実は八柱霊園、7月から9月はまだ1度も行ったことがない。


試写で見せていただいたポーランド映画「フィリップ」。21日公開です。


ワルシャワのゲットーに住むユダヤ人フィリップは、ゲットーの大虐殺で恋人や家族や友人を失い、2年後、フランス人のふりをし、フランクフルトの高級ホテルでウェイターとして働いています。

時は第二次世界大戦中。ナチスの支配する世界。ホテルにはさまざまな外国人が働いていて、当時のドイツはドイツ人しかいないのかと思っていたら、こんなに外国人がいたのか。

彼らはドイツ人の女性と恋に落ちたり、関係を持ったりするのですが、当時のドイツは純血主義。外国人と関係を持ったドイツ人女性はアーリア人の血を汚したとして髪を切られ、ひどい目にあう。外国人の方はやはり血を汚したとして死刑執行。

ナチスドイツのこういう状況を大きく取り上げた映画はこれまで見たことなかったので、驚いた。

フィリップは復讐のためにドイツ人女性を次々とかどわかして関係を持つ。愛はないので、キスは拒否。ドイツ人女性の中には夫が危険なロシア戦線で戦っている人もいて、そういう女性には、夫は戦死すると冷たく言い放つ。

フィリップと関係を持つ女性の中には差別意識丸出しの人もいれば、そうでない人もいる。また、ドイツ兵は大部分がロシア戦線のような危険な戦場に送られ、その一方で、アウシュヴィッツのような強制収容所で働くドイツ兵は命の危険がなかったのだ。

「関心領域」に出てくるドイツ人は、まさに後者だった。

フランクフルトに来てからのフィリップには、2度の大きな変化がある。1つは、ドイツ女性を復讐のためにものにしていた彼が、真剣な恋をしてしまうこと。愛したドイツ人女性は差別意識のない人。ここで初めて彼はドイツ人女性とキスをする。そして、その前につきあっていたドイツ人女性にもキスをし、彼女にやさしくふるまう。その女性はドイツ社会に迎合せず、自分の生き方を貫いてきた人で、外国人との恋がばれて髪を切られても自分の生き方を貫く。そんな彼女を、フィリップは賞賛する。

ゲットーにいた頃の知り合いのポーランド人女性がフランクフルトに来てフィリップと再会するというエピソードもあるが、このポーランド人女性は恋仲にはならず、別の目的があったことが最後にわかるが、この辺りも含めて、少しわかりづらいところがいくつかある。原作を読めば、あるいは歴史背景をよく知っていたら、よくわかるのかもしれない。

ほんとうの恋をしたことで復讐ではなく幸福を求めるようになったフィリップだが、もう1つの大きな変化が訪れる。(以下ネタバレ)ホテルの同僚である親友がワインを隠し持っていたことがばれて、その場でナチ将校に射殺されてしまうのだ。しかも、そのワインにはフィリップも関係していたが、親友だけが殺され、怒って「俺も殺せ」と言った彼は殺されない。フィリップは復讐の鬼と化し、恋人を冷たく突き放して別れ、無差別殺人に突っ走る。子どもや女性もかまわず。

ラスト、フィリップがどこへ行くのか、彼はどうなるのか、映画はオープンエンドのまま終わる。

「関心領域」ばかりが話題になって、こっちは話題になっていないみたいだけれど、大変見ごたえのある映画だった。

2024年6月17日月曜日

ベローチェのコーヒー1杯分の馬券代

 16日は京都競馬場でマーメイドステークス。この日は推し馬がまったく出走しないので、別にいいやと思っていたけれど、マーメイドステークスの出馬表を見てると、やっぱり馬券を買って中山競馬場の涼しい風に当たりに行きたくなる。

船橋法典駅からの地下通路入口。この通路から冷房がガンガン効いていて、競馬場の建物の中ももちろん冷房、外は涼しい風。入場無料だし、避暑にはよいかも。


馬場内エリアの遊園地ではいつものとおり馬車が。その向こうに芝生に散水する水が見える。



芝生観覧エリアは暑いので、人がほとんどいない。というか、地味なレースしかないので、全体に人が少ない。


散水する車の水に虹が。


東京競馬場では戸崎騎手が1500勝達成。おめでとう。


京都のマーメイドステークス。今日は馬券予算は300円。全部損してもベローチェのコーヒー飲んだと思えばいい、ということで、とりあえず、川田とまなみでワイドにしとくか、あとは穴狙いでワイド2枚、と思って買ったら、川田とまなみが来た。つうか、まなみのアリスヴェリテが最初から抜け出し、爆走、そのままゴールイン。


というわけで、黒字でしたが、枠連を買おうかと思ったのに買わなくて、買ってたら1000円以上の払い戻しだったのに~と、やっぱり少し残念感が。というか、川田・まなみのワイドはかなり堅い組み合わせなので、100円じゃなくてもっとたくさん出せばよかったのね。

そして、来週は京都で宝塚記念。宝塚だから本来は阪神ですが、阪神が今、リニューアル中らしい。推し馬シュトルーヴェが出るので、これは行かねば(中山でモニターですけど)。


隣人トラブルを書いたらアクセスが減ってきたので、ああ、やっぱり、こういうこと書くと、被害者の方が頭がおかしいと思われるんだな、と思った。だから相談しづらいのだけど、団地での隣人トラブル、検索すると主に騒音だけど、中にはこういうタイプのトラブルもそれなりにあるようだった。

追記 OKはやっぱりだめ。

2024年6月15日土曜日

渋谷バス停殺人事件を思い出す

 コロナ禍で仕事を失ってホームレスとなり、深夜、渋谷区のバス停で仮眠をとっていた64歳の女性が、近所に住む40代の男に殴り殺された事件。

男は80代の母親と同居していたが、保釈中に自死した。近所の家が何かを設置すると、景観が壊れるといって文句を言ってくるような異常者だったらしい。

最近、80代の祖母と同居していた30代の孫が祖母を殺すという事件が発生したけど、あれはどうなったのだろう。孫は祖母を思いやるやさしい男だったみたいな意見も出ていたが。

郊外の古いUR賃貸に引っ越して、9月で9年になるが、ここでの暮らしはおおむね満足している。文京区で悩まされた低周波音被害はないし、近隣には広い公園もあり、図書館事情もよいし、スーパーも多く、買い物は便利。

しかし、ここからの引越しを考えたことは何度かある。理由の1つは、隣のベランダに爆音室外機があること。冷房のときは気にならないのだが、暖房がうるさい。でも、隣は引っ越すかもしれないし、室外機が壊れる可能性もある。

そして、もう1つの、そして最大の理由は、2階に住む引きこもり男からストーカーされていることだ。

その男は外に向って、ガっというような叫び声を何度もあげる。離れたところでおばさんたちが談笑してるとか、離れたところで子どもたちがはしゃいでいるとかすると、執拗にこの叫び声を上げ続けるが、おばさんたちも子どもたちも気にしない。

それ以外にも、何が理由かわからないが、この意味のない叫び声を上げ続けているときが1日に何度かある。

男は決して外に出ないので、後ろ姿が窓からちらっと見えたことしかないが、年齢はおそらく30代かそこらだと思う。80歳以上と思われる高齢女性と同居していて、この高齢女性が、普段着からしてかなりの金持ちのような感じ。昔からこの安いUR賃貸に住んで、お金をため込んでいて、生活には困らないのだろう(引きこもりの男が同居していても)。

はじめのうちは、男は誰彼かまわず叫び声をあげているのだと思ったが、ある時期から、私を標的にしていやがらせをするようになった。

私が帰宅してくると、この叫び声をあげる。私は4階なので、2階のこの男の住む部屋のドアの前を通ると、叫び声をあげる。

刺激しないよう、無視していたのだが、昨年の夏、この男が毎晩、私の帰りを窓から観察していたことがわかった。男が窓から、私のことを、毎晩何時に帰ってくるとか猛烈な大声で悪口を叫び続けたのだ。

実は、その少し前にもこの男が何か叫んでいるのを聞いたが、そのときは何を言っているのか聞き取れなかった。しかし、そのときも私の悪口を言っていたのだとわかった。

団地は建物の前に広い芝生があるので、駅から帰るとき、道を歩いているのがどうしても窓から見える。その後もいやがらせは続いた。私が道路を歩いて帰ってくるのを見ると、まず威嚇の声を上げ、そして、階段を上がってくると、ドアの向こうから威嚇する。

もしも、階段を上がっているとき、いきなりドアが開いて、男に殺されるかもしれない、と思うようになった。去年の夏の叫び声以来、文字で記録をとるようにし、カメラを持っているときは動画を撮影しながら帰宅するようになった。

そして先日、2階のドアの前をまさに通りかかったとき、ガチャ、と、ドアノブをひねる音がした。鍵をかけたままだったようで、ドアは開かなかったが、このとき、真剣に警察への相談を考えるようになった。去年から記録をとっていたのは、警察への相談を考えていたからである。

渋谷バス停殺人事件を思い出したのは、この男も自分の気に入らないものが窓から見えるのがいやなのであり、その気に入らないものが私だということだ。

同じ階段を使う部屋に住むのはほとんど男性であり、あとは家族で住んでいる人だが、その家族の人たちと男性には決して威嚇の声をあげない。女なので威嚇すれば引っ越すと思っているのだろうが、現在の私は引っ越すのは非常にむずかしい状況になっている。

もしも男が殺人を犯せば、当然逮捕され、精神異常ということで無罪になるかもしれないが、高齢の女性ともども団地には住めないだろう。男も無罪になるとしても、それまで逮捕拘留裁判を受けなけらばならないから、あの犯人と同じく、自死するかもしれない。

こういうことは友人に相談すると心配するだけなので、これまで誰にも相談していなかった。ただ、何かあったときに理解してもらえるようにはしておこうと思い、この記事を書いた。

2024年6月13日木曜日

グーグルストリートビュー

 千駄木駅から白山神社までの旅で、ひとつ、間違えたことがあった。

2棟建ての古い鉄筋コンクリートマンションが1棟になり、間にあったボイラーもなくなっていたと書いたけれど、実はそのマンションの前から左に折れた道を進み、さらにその先の路地を進んで、22年間住んだアパートに帰っていったのだった。

それをすっかり忘れていて、別の経路というか、そっちもそれなりに親しんだ経路だったんだけど、そっちを通ってアパートの近くへ行ったのだった。

で、グーグルストリートビューで、そのマンションの前からの経路をたどってみた。

その経路だと、途中で左右に古い木造アパートがあり、その間の道が生活道路になっていて、そこを通るのだが、ストリートビューで見たら、そこはすっかり新しい家が立ち並ぶ地域になっていた。

文京区に30年住んだとはいっても、この地区に住んだのは22年であり、その後の8年間はこの地区に来ることはそれほど多くはなかったので、この変化は8年間+郊外へ引っ越した9年間=17年間の変化ということになる。

で、ストリートビューでさらにそこから住んでいたアパートの近くまでをたどっていったら、なんと、廃業した銭湯が。


この画像の直前と直後は、現在の戸建てになっている。これだけ、過去の画像。2015年5月とあるので、私が郊外に引っ越す数か月前。

引っ越す直前に銭湯の写真も撮ったと思うけれど、これはまさに私にとっての文京区の静止した時間がグーグルマップに残っていたことがわかった瞬間であった。

2024年6月12日水曜日

思い出をたどる旅:文京区役所展望室

 小石川後楽園、2013年のGWに行っていたことが判明。しかも、西門から入っている。ただ、このときはあちこち工事中で見られないところが多かったらしい。写真を見ても、今ほど整備されていなかったように見える。

というところで、東門を出たあとの写真です。

実は、東門と西門の間を白壁に沿って遊歩道ができていることが判明。アジサイが咲いていて、きれい。西門までは行かなかったけれど、途中まで行ってみました。




東門の前に戻り、近くの階段を上がって東京ドームシティに入ります。JRAの場外馬券売り場WINSがあった。


長嶋茂雄の記念ゲートの前を通り、ラクーアへ向かいます。



ラクーアもいろいろなつかしいのですが、とにかく疲れたので(この時点で17000歩以上歩いていた)、後楽園の駅ビルのマックでまったり。

なんとか元気を回復し、文京シビックセンター(区役所)の25階の展望室へ。ここも以前はよく行ったところ。郊外へ引越してからはたぶん初めて。

この手の展望室は夕暮れに行って、暗くなるまでの時間を楽しむのが好きです。ただ、今の時期は日没が遅いので、なかなか暗くならない。

展望室で見られるのは東、北、西の3方向です。東京タワーのある南はレストランができていて、そこに入らないと見られない。が、その後、レストランは閉鎖されてしまい、一番いいところが見られないという、これだからお役所仕事は、という典型ですね。

スカイツリーはばっちり。


日暮里駅前の高層マンションが見える。


タワマンの向こうは上野の森。左が国立博物館、右に五重塔がちらりと。西へ行くと、小石川後楽園が見下ろせます。白いのが東京ドームの屋根。そして後楽園駅とその前の公園。丸の内線がすれ違う。




池袋サンシャイン方面に沈む夕日。ここだけ日没の写真を撮りたい人がたくさんいた。



日没後、明かりがだんだんついてくるこの時間が好き。「君の名は。」のかたわれどき。


新宿のビル群の左にうっすらと富士山が見える。


その後、シビックセンターの地下にある春日駅から大江戸線で上野御徒町へ。地下通路を歩いて上野駅へ行こうとしたが、上野も最近来てなかったから上を歩こうと上に出たら、ABABが!



最後の最後に来てこの衝撃。思い出の場所がたどれなくなる。

上野駅。



文京区の住宅地はあまり変化がなかったけれど、上野のような繁華街はどんどん変わっていくのだということを実感しました。最初の予定通り、池袋へ行っていたら、ABABのことを知れなかった。閉店までに一度、館内を見に行きます。