残念な週末の前日、金曜日はアカデミー賞助演女優賞受賞作「ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリデイ」を見た。
実は試写状いただいていたのだけど、てっきりオンライン試写があると思い込み、ないと気づいたときはもう試写室の試写は終了してた。
というわけで、シネコンへ。
よい映画だろうけれど、私には刺さらない話ではないか、と思っていたら、大間違い。直球ど真ん中で刺さる映画だった。
舞台はアメリカ東部の裕福な家の子どもが学ぶ寄宿制の私立の学園で、イギリスならパブリックスクールだけど、アメリカだとプレップスクールというのかな。「いまを生きる」の学校と同じようなところ。お金持ちの子どもはここを出て名門大学へ行く。
時代は1970年。クリスマス休暇で多くの生徒が帰宅する中、家庭の事情で居残り組になった5人の生徒の面倒を見ることになった教師ハナム。ほんとうは別の先生が残ることになっていたのだが、学園に多額の寄付をする金持ちの息子をハナムが不合格にしたので、その罰として居残り組にさせられたのだ。
ハナムとともに居残って生徒の世話をするのが料理長のメアリー。黒人のシングルマザーの彼女は一人息子をこの学園に入れたが、大学にやれるだけのお金がなかったので、息子は徴兵され、ベトナム戦争で戦死する。
当時、アメリカでは金持ちの息子は大学へ行って徴兵を逃れ、貧しい若者が徴兵されてベトナムへ行くという時代だった。学園のある町にも戦争で片手を失った若者がいる。
金持ちの息子で名門大学へ進学したオリヴァー・ストーンが、そのことに怒りを感じ、自ら志願してベトナム戦争へ行ったのは有名な話。
ハナムはそういう社会に対して怒りを感じている。金持ちのドラ息子である生徒たちは社会問題に関心がなく、勉強しなくても単位がもらえて大学へ行けるのが当たり前だと思っている。親が金持ちで、学園に寄付をしているから、ハナムに対しても単位を出せと圧力がかかるのだが、彼は断固、譲らない。その辺の意固地さのせいか、彼は教師にも生徒にも嫌われている。
居残り組の5人の生徒のうち、4人はその後、保護者に対するハナムの働きかけもあって家に帰ることになり、アンガスという生徒だけが残される。アンガスの母は再婚相手とハネムーンに出かけていて、連絡がとれなかったのだ。
こうして、ハナム、アンガス、メアリーの3人を中心としたドラマが始まるが、息子を戦争で失ったメアリーのドラマは悲劇的ではあるが、わりと単純。一方、ハナムとアンガスのドラマは複雑で、この2人の葛藤の中からそれぞれの抱える問題がしだいに見えてくる。
というわけで、以下、ネタバレを含みます。
ハナムがなぜ、金持ちのドラ息子である生徒たちに腹を立て、意固地になっているのか。それは、彼自身が金持ちの息子の不正の濡れ衣を着せられて退学になったからなのだ。その金持ちの息子の親は多額の寄付を大学にしていたので、ハナムを犠牲にしたのである。
古代史の優秀な学生だった彼は大学中退となり、母校の学園に拾われて非常勤の教師になった。金持ちの同期生たちはその後、出世していったというのに。
うわあ、これって、私のことじゃないの!
まあ、日本の場合は、単純に金持ちかどうかではなく、コネとか派閥とか性別とかもっと複雑なものがからみあった世界なのだけど、個人の能力よりもそういう不公平な要素で出世できるかどうかが決まるみたいなのがあったのですよ、私の若い頃のアカデミズムには。いや、今もあるのだろうな。昔よりはマシかもしらんが。
そんなわけで、ハナムはろくに勉強しない金持ちの息子である生徒たちを嫌っていて、そういう生徒たちをできなくても合格させてやれという学園に怒りを感じていて、それで意固地でいやなやつになってしまっているのだ。
そのハナムがアンガスの抱える家庭の問題を知り、単純に怒りを燃やす意固地な男から、人を救おうとする男に変わっていくのが後半の見どころ。
それにしても、アメリカの私立の学校や大学がここまであからさまに寄付をする金持ちの息子をえこひいきしているみたいに描く映画って、これまで見た記憶がないのだが、どうなのだろう。
映画は古いユニバーサルのロゴで始まり、アナログレコードのようなパチパチした音がして、そのあと学園の様子が映し出されると、生徒たちの髪型や服装がいかにも60年代から70年代で、それですぐに1970年頃とわかったのだが、学園の先生と生徒は白人の男ばかり、料理するのは女ばかりで非白人が多いとか、当時のあからさまな人種差別と性差別がくっきりと描かれていた。アメリカの大学や学校は金持ちえこひいき、という映画の主張は、アカデミズムのきれいごとの裏にある真実なのかもしれない。