(この記事を書いたあと、この映画はイスラエルとの関連を中心に見るべきだということに気づき、そうしてみると、以下に書いたようなこととは違う面が見えてきて、これは評価すべき映画ではないか、と気持ちが変わってきました。ただ、以下に書いたようなことも当たっている面もあると思うので、そのまま残します。これを読んだ方は、ぜひ、もう一つの記事もお読みください。さーべる倶楽部: 「ブルータリスト」はイスラエルについての映画)
徒歩35分のUC松戸へ見に行きました。エレベーターが「白雪姫」だった。
ヴェネツィア映画祭銀獅子賞、ゴールデングローブ作品賞、アカデミー賞大本命。
これって、そんなにいい映画ですか???
キネ旬最新号の星取り表。1人だけきびしい意見書いている人がいますが、私は同感です。「ホロコーストの核心にも、ブルータリズム建築の核心にも触れていない。」
ブルータリズム建築って、初めて知る名前でしたが、調べてみたら、武骨な外観やコンクリート打ちっぱなしみたいな素材を見せる建築のようで、具体的に建物の写真とか出ているのを見たら、ああ、あれか、とわかりました。名前は知らなかったけど、そういう建築が一部にあるのは知っていた。
建築家の映画というと、キング・ヴィダー監督、ゲーリー・クーパー主演の「摩天楼」が思い浮かびますが、「摩天楼」では主人公の理想とする建築がきちんと描かれていました。まあ、あの映画は、そこをきっちり描かないと、ばかげた話になってしまうのでね。
しかし、「ブルータリスト」では、主人公のトートが理想とする建築がまったくわからない。わからないまま、話が進み、経済的な理由とか、いろいろな横やりとか、依頼主の横暴なやり方とかに建築家が翻弄されていく。でも、彼の理想の建築が全然見えてこないので、まわりが悪いのか、それとも彼が悪いのか、全然わからん。主人公だって相当、困ったやつですよ。
最初にペンシルヴェニア州の富豪の書斎をリフォームし、それが富豪に認められて、富豪の亡き母を記念するコミュニティセンターを作るという話になるのですが、この富豪が讃えるリフォームされた書斎も一部しか見せないので、ほんとにすばらしいものなのかイマイチわからん。そのあとも、依頼された建物についていろいろ横やりが入り、プロテスタントの礼拝堂を入れろという話になって、天井に十字架の形の切れ目を入れて、太陽の光で礼拝堂に十字架の光が落ちるようにするようにしたい、となって、その後も資金の問題が出たり、資材を運ぶ列車が大事故を起こしたりといろいろあって、途中で頓挫したりもするのだけど、その間、100分の前半と15分の休憩、そして100分の後半の大部分がこの話なんだけど、この建物の全体図とか意味とか主人公の意図とかがわかるのは最後の最後なんですよ。
入場するときにこんな三つ折りのリーフレットをくれます。
入場前には見なかったのですが、あとで見たら、トートのめざした建築の意味が解説されてました。ネタバレやん。
そして、三つ折りにすると裏側になる、エイドリアン・ブロディの写真と建築家トートの説明のところ、一番下に、こんな文字が。
実話ふうに描いているけど、全部フィクションだったのだ。まあ、実話に基づくなんてどこにも書いてなかったけど。
それにしても、「ブルータリスト」とか「TAR/ター」とか、芸術をテーマにしているように見える映画に対して、どうしてみんなあんなに点が甘いんでしょうね。この2本、どっちも芸術の核心になんかまったく触れてないと思うぞ。それでも「TAR」は最初からフィクションですよということをあからさまにしてたし、内容的には刺さるところもあったけど、「ブルータリスト」は最初から最後まで疑問ばかり浮かんでました。刺さるところも全然ない。
以下ネタバレ
映画はトートの姪のシーンから始まり、姪のシーンで終わるので、実はこれは姪の見た話で、実際はどうかわからない、トート自身がどう考えているのかもわからない、という指摘があって、なるほど、と思いました。
とはいっても、前半はトートの妻と姪はヨーロッパに取り残され、アメリカに来ることができないので、姪は前半のトートのことはわからないことになります。休憩のあと、妻と姪がアメリカに来て、その後、姪はシオニストになってしまったようで、ユダヤ人はイスラエルに移住すべきだと主張して、夫と移住してしまいます。
トートと妻はそこまでイスラエルを理想化していないのですが(しかし、最終的には彼らもイスラエルに行く)、ハンガリーのユダヤ人だったトートが強制収容所を経験したあと、アメリカに渡ったとき、知り合いのユダヤ人はカトリックに改宗していました。トート自身は敬虔なユダヤ教徒です。アメリカではユダヤ人は生きにくい、だからキリスト教に改宗する人もいる。ユダヤ人であり、ユダヤ教徒であり続けるトートはそれゆえの苦労もある。黒人差別もちらっと描かれます。
トートに建築を依頼する富豪はプロテスタントで、コミュニティセンターを建てる町はプロテスタントが多く、最初は図書館やジムのある建物、という話だったのが、だんだんプロテスタントの礼拝堂がメインになっていく。
紆余曲折があったあと、建築が再開され、建物の全体像が見えてくると、まるで牢獄のような建物だなあ、と思っていたら、最後に1980年の建築ビエンナーレでトートの姪が、これは強制収容所をモチーフにしたのだ、という解説をします。
トートがあれほど自分の設計にこだわったのは、強制収容所の記憶を残したかったからだ、ということになるのですが、そもそも、この建物は婚外子の自分を産んだために両親から勘当され、苦労した母をしのぶ目的で富豪が建てようとしたわけで、その話を聞いたトートも共感するのです。が、それがいつのまにか、強制収容所のモチーフの建物にって、そういうことしていいのか、と思ってしまうのは私だけでしょうか。だって、この建物には富豪の母の名前がついているんですよ。母親はホロコーストの加害者ではないだろうし、むしろ苦労した女性のようなのに。(トートと富豪が初めて出会うとき、富豪が、母親が黒人がいるので怖がっている、というので、母親は人種差別的な人ではあったのかもしれない。)
もっともこの富豪は名前からしてドイツ系と思われるので、プロテスタントの国ドイツへの復讐? 最初は富豪の母親をしのぶためだったけど、その後は母親のことは出てこなくなり、プロテスタントの圧力みたいなのがあったり、富豪がトートを懲らしめるようにしてレイプしたりもするので(富豪の息子もトートの姪に手を出そうとしている)、やっぱりこれはドイツ系のプロテスタントがユダヤ人をいじめるモチーフで、そんな中でトートが強制収容所の中心に光の十字架が宿るような建物を作ったのは意味はわかるといえばわかるのですが、でも、建物の意味のネタバレとか最後にされても、それで、ああ、そうだったのか、納得、感動、とかまったくない。
最後、イスラエルがトートのこの建築を讃えるみたいな格好になってるのもかなり問題な感じで、これはあちらでも物議をかもしているようです。
思えば「セプテンバー5」はパレスチナ問題にまったく触れてなかったし、この映画はイスラエルを肯定しているわけではないけど、批判も何もなく出している感じはある。「リアル・ペイン」で現代の裕福なユダヤ人がお気楽にポーランドを見物しているのを主人公が批判していたのはよかったが、その一方で「セプテンバー5」や「ブルータリスト」を見ると、ハリウッドがイスラエル寄りになってるのかな、と思ってしまう。特に「ブルータリスト」は、ヨーロッパではホロコーストがあり、アメリカでもこんなに差別があるんだから、と、イスラエルを擁護しているようにさえ感じる。
というわけで、これから、いや、そうじゃない、と納得できる解説をしてくれる記事が出るのを期待します。
休憩は画面にトートの結婚式の写真をバックに、残り時間が表示され、その間、ピアノの演奏を時々中断しながら弾いている音が流れ、最後に雑踏の音がして、自然に第二部に入っていきます。
さんざんけなしたけど、映像的には見るべきところも多い映画です。
追記
イスラエルにはブルータリズム建築家によるシオニズムに基づいた建築物が多数あるそうだ。
ブルータリズムとイスラエルの関係も映画の根底にありそう。