昨日、「ブルータリスト」について書いたあと、この映画はブルータリズム建築についての映画でもなければホロコーストについての映画でもなく、イスラエルについての映画なのだ、と気づいた。
前記事で、ブルータリズム建築についてもホロコーストについても核心に触れていない、というキネ旬の星取り表の意見に同感と書いたけれど、イスラエルについての映画なら、ブルータリズム建築やホロコーストの核心に触れていないのは当然なのだ。
アメリカに渡ったばかりのトートがラジオで聞くのは、イスラエルが国連に認められた、というニュースで、このあと、イスラエルが中東で戦争を起こし、領土を拡大していったのは周知の事実。
休憩後の後半、アメリカにやってきた姪は婚約者とイスラエルに移住すると言い、ユダヤ人はすべてイスラエルに移住すべきだというシオニストの意見を述べる。
トートと妻はその意見には同意しないが、やがて妻は「この国(アメリカ)は腐っている」と言い、イスラエルに移住したいと言う。トートは妻についていくと言い、2人はイスラエルに移住する。
姪の意見にあまり賛成ではなかった妻がこうなってしまうのはなぜかは、映画を見ればわかる。
そしてエピローグ。以下、ネタバレになります。
1980年の建築ビエンナーレのイスラエル・パビリオンで(ここがイスラエルのパビリオンだということは映画を見たときはわからなかった)、トートの姪がおじの建築を紹介し、ペンシルヴェニア州に建てた建築物がトートのいた強制収容所をもとに作られていることを話す。
そして彼女は、「だいじなのは旅ではなく最終到達地である」と述べる。
最終到達地というのは、イスラエルのことだろう。イスラエルというユダヤ人の国がだいじなので、そこに至る戦争やらさまざまなことは重要ではない、というのだ。
それはトートが富豪の依頼で建てたペンシルヴェニア州の建物にも言える。
そもそもこの建物は、婚外子である富豪を産んで苦労した母親を記念するためのもので、図書館や体育館といった、地域の人たちの役に立つコミュニティセンターになるはずのものだった。
それを企画したときの富豪はまだ邪悪な人物ではなく、美を理解する眼を持つが美を生む力はないので、その力を持つトートに才能を発揮してもらおうと思っている。コミュニティセンターも、地域住民の役に立つものにしたいと思っている。
ところが、自治体からお金を出してもらう見返りにプロテスタントの礼拝堂を作る話が浮上し、ユダヤ教徒のトートでは不安と感じた人々がプロテスタントの建築スタッフを送り込み、そこからおかしくなる。富豪もお金のことなどで苛立ち、しだいに邪悪な人間に変化していく。
一方、トートも、プロテスタントの礼拝堂を作るなら、ホロコーストを記憶する建物にしてしまおうと、そう思ったのではないか。本来はホロコーストとは無縁の建物なのに、こっそりホロコーストの建物にしてしまう、というのは、トートの心にも邪悪な何かが芽生えたと言えないか?
その間に富豪もどんどん邪悪な人間に変わっていき、最後はトートをレイプするようなことまでしてしまう。
レイプのことをトートの妻に人前で告発された富豪は姿をくらまし、彼がどうなったかは映画ではわからない。しかし、富豪が行方不明になったあと、10年以上たって、トートの設計した建物は完成したことがイスラエル・パビリオンの姪の言葉でわかる。
姪はおじの建築を解説して讃えるが、「途中の旅ではなく最終到達点が重要」という姪の言葉をあてはめれば、ペンシルヴェニア州に建てられたホロコーストを記憶する建物という最終到達点が重要なのであって、そこに至るさまざまなことは重要ではない、ということになる。
最初は富豪も邪悪ではなく、トートも純粋に建築家としてよいものを作ろうとしていたが、しだいに母を記念するとか、図書館や体育館が中心とかいったことは忘れられ、プロテスタントの礼拝堂がすべての中心となり、トートはそれをホロコーストの建物にしてしまう。
映画全体を見ると、トートたちユダヤ人がヨーロッパではホロコーストで苦しみ、アメリカに渡ってもなおひどい差別があり、だからイスラエルに行くのは当然で、ユダヤ人にはイスラエルが必要、その背景はどうでもいい、みたいに見える。でも、トートの建築がどう変化していったかと、ユダヤ人に安寧の地を、という善意で作られたはずのイスラエルが領土拡大で戦争や虐殺を繰り広げていることを重ねると、また違った面が見えてくる。
映画の作り手たちの意図はわからない。イスラエルを批判しているような面はないので、そこを問題にする英語の記事もあった。ただ、ブルータリズムやブルータリストのもとになったブルータルという言葉は、野蛮、残酷、という意味で、この野蛮、残酷という言葉がホロコーストとアメリカ社会だけに向けられているとは限らない。
前記事では、なんでこれがこんなに受賞してるの?と書いたけれど、イスラエルという点から見ると、これはかなり手の込んだ、評価すべき映画だと思えてきた。