2019年3月19日火曜日

猫めあてで「キャプテン・マーベル」

アメコミ映画化はまったくフォローしていないのでほとんど見ていない、特にマーベル・コミックの方は見てないのだけれど、「キャプテン・マーベル」は猫がかわいいというので見に行った。
いくら猫がかわいいといっても見に行くほどなのかは非常に疑問だったが、MOVIXの6回見たら1回無料の回だったし、アベンジャーズ以前の話ということで、まったくフォローしてなくても大丈夫だろうと思ったので見ることにした。
で、感想。

猫はあまり出てこない。
後半まあまあ出てくる。
猫はかわいい。
しかも笑わせてくれる。
ただ、SFの猫なのでただの猫ではない。でも、笑わせてくれる。
長い長いエンドロールのあとにも猫が出てくるので、猫めあての人は最後まで席を立たないように。

お話の方はとっちらかった感じで、脚本があまりうまくできていない感じがした。
途中で(以下ネタバレ)善人と悪人がチェンジしてしまうのだが、なんだかご都合主義っぽい。
キャプテン・マーベルはシン・ゴジラの第一形態、第二形態みたいにどんどん強くなっていく。
アクションはそこそこの出来。
全体として明るくて肩が凝らないし、笑いがあるのはよかった。
しかし、舞台となるのが1995年の地球で、まだDVDではないレンタルビデオ店が出てきて、「トゥルー・ライズ」とか「ライトスタッフ」が出てきたり、コンピューターがなつかしい時代のもので、データがなかなか出てこないとか、その辺はちょっと面白かったけれど、一時的なネタで終わってしまう。
いろいろ中途半端で物足りなく、猫、もっと出てきてほしかった。

2019年3月18日月曜日

猫クリアファイルのこととか

ベローチェの猫クリアファイル、もうほとんどの店で在庫がないのですが、時々一部店舗に大量入荷。しかし、山手線の西側や品川の方とか東京西部とか埼玉県とかに偏っていて、レシートあるのにもうもらえないかな、と思っていたら、今日、日本橋の某店に800枚以上の大量入荷。
ちょうど今日は東京駅付近に用事があり、帰りにてくてく歩いて日本橋方面に。この某店は一度も行ったことがなかったけれど、よく行っていたベローチェのわりと近く。
行ってみると、クリアファイル目当ての人が次々と来る。
ファイルをもらうと銀色の袋をバリバリと音を立てて開けるので、あ、またもらった人がいた、とわかる。近くの席の人ももらっている人が多い。
レシートは1杯分しかなかったので、アイスコーヒーを頼んでその場で1枚もらい、それだけで帰ろうと思っていたのだが、まわりが次々ともらっているのを見て、この店で在庫がなくなるともう二度ともらえないかも、と思い、結局、前のレシートを当日中に見せると100円引きになるのでそれでミルクを頼み、ついでにコーヒーゼリーを頼んで、また1枚ゲット。
自宅に帰って見たら、今月はじめに某店でもらったのと同じペアだった。
まとめて2枚もらうと1月と2月みたいに2か月続く絵柄のが来るのだが、今回は最初にもらってから二度目にもらうまでの間にかなりの人がもらっていたのに、それでも2か月続きのペアだった。
800枚以上入荷といっても、あの勢いでは今日中に半減してしまうのではないだろうか。
他の店も在庫があるとネットには書いてあったのになかったとか、ツイッターで書かれていて、どうも在庫状況が頼りにならないので、わざわざ遠方まで行ってももらうつもりはなかったけど、今回は近くに用事があり、なおかつ、今日入荷のようだったので、行ったのだった。
(翌日追記 この店、昨日の夜はまだ在庫840と書かれていたのに、今日はもう在庫なしになっていた。1日で840枚なくなるとは思えないので、1日でまた在庫を別の店舗に移すのだろうか。ちなみに、近くの別の店に今日は在庫がわずかだが出ている(昨日はなし)。)

例の「翔んで埼玉」と高須クリニックのコラボは本当に困るのだけど、映画を非難している人は意外に少なく、ピエール瀧の場合と同じく、作品に罪はないという考えの人が多いのだろうか。
しかし、ナチス崇拝ホロコースト否定の高須院長がなんで「埼玉」とコラボすることになったのか、そこがどうにも納得いかないのだが、もともと高須院長は東映やフジテレビと関係が深く、CM料などで経済的貢献をしていたのだろう。「埼玉」とはもともと無関係だったのだが、なぜ急に、3月中旬になってコラボしたのかと考えると、院長が映画を気に入って、コラボしたがったのかなと思った。
調べてみると、高須クリニックは東京、横浜、名古屋、大阪に院があり、東京はなんと港区赤坂。「埼玉」でいうと、白鵬堂学院のA組。差別のヒエラルキーの頂点なのだ。
ちなみにこの学園では港区が一番えらく、次が中央区や横浜。東京でも西葛西とか八王子とか田無とか狛江とか町田はディスられている。
高須院長は差別のヒエラルキーのトップとして、映画とコラボしたのだと考えるとわかりやすい。
一方、院長自身は愛知県の田舎の出身で、愛知県といえば、名古屋が埼玉と同じようにディスられている。その辺も院長の琴線に触れたのか?
まあとにかく高須院長が「埼玉」とコラボして、自分のクリニックの宣伝をするわけで、結局は金、なんだろうね。
院長は最近またアウシュヴィッツ博物館から日本語で抗議を受け、またまたナチス擁護をしまくっているようで、コラボよりこっちの方が話題になってしまっている。
なお、院長の息子はまともな人で、父親を批判しているが、映画についても「父を嫌いでも映画を見てください」と言っているとか。
しかし東映はピエール瀧出演の「麻雀放浪記2020」をそのまま公開することに決め、自粛しないことについて評価されていたのだが、今回の「埼玉」コラボの件で、東映は要するに話題になれば何でもいいんじゃないか、と言われている。百田尚樹原作の映画化で百田の名前をなるべく出さない東宝とは大違いで、まあ、東映らしいっちゃ東映らしいのかもしれない。

さて、このブログ、さーべる倶楽部はバッファロー・セイバースのブログとして始まり、その後は日本製紙クレインズも応援するブログになったのだけど、ライブドア、エキサイトを経てこのブロガーになる頃にはもうホッケーは見に行かなくなっていた。
最後に見たのは2010年の苫小牧でのアジアリーグ・ファイナルだったと思う。
セイバーズもチームがだいぶ変わり、今はどうなってるのかもわからない状態。ホッケーは完全に趣味の圏外になってしまった。
そんなわけで、日本製紙クレインズが廃部を発表したのも、最近まで知らなかったのだ。
昨年12月、たまたま駅へ行く途中にある自販機の電光掲示板で全日本選手権の結果を知り、その日の夜になつかしさからアジアリーグやクレインズのサイトをチェックしたが、そのときは応援団のサイトが1年以上更新していない以外は特に変わったところはなかった。
ところがそのすぐあと、クレインズの廃部が発表されたらしい。
具体的には2018年12月19日で、おりしも西武プリンスラビッツの廃部が発表されてからちょうど10年後だったのだとか。
その後、クレインズはアジアリーグのプレーオフでファイナルに進出、サハリン相手に3連敗で優勝は逃したが、最初の2試合を釧路で行うことができた。
それがついこの間の話で、廃部ということもあって、さまざまなメディアで取り上げられたらしいが、テレビはないし、スポーツニュースもネットで見てなかったので知らなかった。
なんでわかったかというと、なんとなく虫の知らせでクレインズのことが気になり、ネットで調べたら、ちょうどファイナルが終わって、その話題がいろいろ出ていたのだった。
クレインズ存続の署名が行われていたり、引き取り手を探したりはしているようだが、かなりむずかしそうだ。
私がクレインズを応援していたときから、日本製紙の釧路工場が閉鎖になってクレインズもなくなる、という噂は絶えなかった。それでもそう簡単にはなくならないと思っていたのだが。
釧路アイスアリーナの近くの日本製紙のリンクもすでに取り壊されているらしい。
検索していろいろ記事を読んだけれど、クレインズに一番近いところにいた人たちがネットで何も発信していないのが印象的だった。沈黙の重さを感じる。

2019年3月16日土曜日

ヤクとじいちゃん、スバル座の閉館、その他のこと(追記あり)

水曜日に「ROMA」をまた見に行ったのに続いて、木曜日は近場のシネコンで「ヤクとじいちゃん」もとい、「運び屋」と、「翔んで埼玉」の3回目を見る。

うーん、「運び屋」、マジで「ヤクとじいちゃん」でした。
イーストウッドの映画はもう以前のようなすごい傑作は期待できないのだけど、そこそこ楽しめる。今回はイーストウッド演じる時代遅れのじいちゃんのキャラクターが魅力だ。
物語は2005年から始まり、デイリリーの品評会で優勝したじいちゃんが、12年後、インターネットでの花の販売をやらなかったために土地も家も差し押さえられてしまう。家族をだいじにしていなかったので、妻や娘を訪ねても冷たくあしらわれる。そんなとき、彼に近づいてきたのがコカインの密売組織の男。じいちゃんは運ぶものがコカインとも知らずに運び屋の仕事を引き受ける。
何度か運び屋をするうちにじいちゃんもコカインに気づくのだが、運び屋をやめられない。
危ない場面もあるが、持ち前の気さくな態度で切り抜ける。
このじいちゃん、時代遅れで、携帯でメールも打てず、ニグロという言葉はとうの昔に不適切語になっているのにそれを知らずに使ってしまい、注意される。でも、もともと気さくで明るい性格で、ユーモアもあるじいちゃんなので、どこへ行っても人と仲良くなれる(家族からは疎まれているのに、他人には受けがいい、という人はいるものである)。
どんな人とも仲良くなれてしまうので、麻薬組織の下っ端たちはもちろん、メキシコにいるボスにまで気に入られ、ボスの邸宅に招かれて酒池肉林?
なーんか、いい思いしてるな、イーストウッド。
後半はちょっとコワモテな人たちも出て来るけれど、全体に麻薬組織の人たちもあんまり悪いやつじゃないみたいに描かれていて、一部シーンをのぞいてほのぼの路線。なので楽しく見られるのだけど、頭の片隅に、これでいいのか?という疑問も浮かぶ。
おりしもピエール瀧がコカイン使用で逮捕されて、映画やテレビに影響が出ているというニュースが伝わってきたところ。自粛についてはテレビはしかたないにしても、過去作の配信やDVDやCDまで自粛しなくてもいいと思うが、これから公開される映画については、撮り直すものと、そのまま公開するものがあるようだ。
で、運び屋のじいちゃんはコカインを吸ってみたりはしなかったように描かれているが、普通は運び屋やってたらコカインを吸ってみたりもしてしまうだろう。また、麻薬組織が行っている悪事もかなりひどいものなので、こういう面を見せないことで楽しいお話になっている、というのがやっぱり気になる。
ラスト、刑務所に入ったじいちゃんはそこでデイリリーを育てている。世間に疎い庭師のじいちゃんにとって、閉じられた場所の庭師暮らしが本来の姿のように見える。庭師には、世間から隔絶して自分だけの楽園に閉じこもる人のイメージがあるのだ。

3回目の「翔んで埼玉」。1回目は今回と同じMOVIX亀有だったが、そのときは2番目に大きい箱。その後、亀有は2週目と3週目の平日を最大箱にしたので、今回、3回目は最大箱での鑑賞となった。(なお、2回目は毎回満席で最後に拍手が起こる聖地・MOVIXさいたままで遠征し、ちょっとほかでは体験できないすばらしい雰囲気を味わった。)
1回目の亀有はほぼ満席、2回目のさいたまは完売だったけれど、今回の亀有はかなりお客さんが少なかった。でも、流山決戦での互いに芸能人の幕を上げて競うシーンでは、幕が上がると拍手が起こったのがよかった。さいたまのような最後の拍手はなかったけれど。お客さん少ないとはいえ、あちこちからくすくす笑いが聞こえ、終わったあとは「面白かった」という声もあり、みなさん楽しんだようです。
今回初めて気づいたのは、その流山決戦のシーンで、「埼玉は後悔しない、海がないから」というのぼりがあったこと。「後悔」は「航海」のシャレ。こういうこと、よく考えつくなあ、と感心。

そして、金曜日には、有楽町スバル座が53年の歴史に幕を閉じるというニュースが。今年10月に閉館するのだという。
私が初めてスバル座に行ったのは1971年、ビリー・ワイルダーの「シャーロック・ホームズの冒険」を見に行ったときで、スバル座のロゴ入りのパンフレットを持っている。その後も何度も出向いたけれど、印象に残っているのは「ボウイ&キーチ」。なんでかというと、始まってすぐにフィルムが溶けだしてしまったから。フィルムをつなげてまた上映を続けたけれど、真ん中が白くなってそれが広がって上映中断という経験はそれが最初で最後だった。また、1984年にヒッチコックの5作品がリバイバル上映されたときも通った。一番最近は2年前の「君の名は。」のときで、スクリーンの前の幕の開閉があったり、始まる前にブザーとおばさんの「ごゆるりと」というアナウンスがあったりと、昔のままだった。最後の回が終わったときのアナウンスと蛍の光も昔ながら。閉館さよなら上映とかあるのだろうか。あのおばさんのアナウンスについての裏話なども知りたいものだ。

追記
「翔んで埼玉」がホロコースト否定などの問題発言の多い高須院長の高須クリニックとコラボしているということを知り、好きな映画だけどもう二度と見に行かないかなと思った。
調べてみると3月13日にコラボが発表され、その後、CMも流されているという。
このせいで、見たかったけどもう見ない、とツイートする人が増えている。
「翔んで埼玉」は差別と闘う話なのに、なぜ、こういう人とコラボするのかわからない。
芸能人とのつきあいの多い人で、世間的な知名度も高いので、単純に宣伝してもらえればさらにヒットすると思ったのだろうか。
あるいは、作品のテーマなんか実はどうでもよかったのか。
せっかくよくできた作品で、大ヒットしているのに、なぜ、あとになってこんなことをするのかと思う。
ただ、この映画の紹介で、埼玉をディスって楽しむ映画のような紹介の仕方をしているところが目について気になってはいた。見れば、差別反対のテーマの作品だとわかるはずなのだが、差別を娯楽にしているような紹介の仕方がけっこうある。
だから、高須クリニックとのコラボも差別の娯楽化の一環であるかのような言い方をする人もいる。
あまりにも残念な出来事で言葉もないが、所詮はフジテレビの映画だから志が高く見えても本当は低かったのだとさえ思ってしまう。

2019年3月14日木曜日

「ROMA/ローマ」再見:完璧という名の欠点

先週土曜日に見たばかりの「ローマ」、あの音響と映像が気になって、また見に行った。
場所は前回と同じイオンシネマ幕張新都心。スクリーンは前回より大きい。が、広い分、音響が前回ほどすごくなかった。
それでも映像と音響のすばらしさは堪能できた。
映画館で見るとまったく退屈しない面白い映画で、周囲のお客さんも誰も寝ていないし退屈もしていないように感じるが、これを配信でノートパソコンの小さい画面で見たら、眠くなるかもしれないと思った。

二度目は映像に注目して見ていたが、主人公クレオの動きを横移動のカメラがとらえるシーンが多い。計算されたカメラワーク、計算された俳優の動きが手にとるようにわかる。すべてが監督の手の内にあり、まるで神の采配のようだ。音響ももちろん、計算され尽くしている。
この神の采配のような計算されつくした完璧な演出は、ストーリーやテーマやモチーフにも表れている。
クレオの前で裸で棒を振り回す武術を披露する恋人は、まさに竿を見せびらかしながら竿を振り回しているのであり、後半、クレオが逃げた恋人を探しあてたとき、彼は武術の先生や仲間と武術の練習をしている。そこで先生が目隠しをして片足で立つというむずかしいポーズを決めるが、他の人々はそれができず、クレオだけができる、というシーンがある。神の采配の調和を感じる。
そのあと、恋人はクレオを竿で脅して去ってしまうが、それからしばらくして、クレオがベビーベッドを買いに行ったときに恋人と仲間が銃を持って店に押し入るという場面に遭遇する。
ここはちょっと偶然がすぎると感じるのだが、恋人が竿のかわりに銃を持っているというのが象徴的で、竿も銃も男根のメタファーであるから、意図しているところは明らかだ。
また、大型車が狭いところに入ろうとして、ぶつかりながら入っていく、というシーンがあるが、ここも性交のメタファーと考えられる。
こんなふうにして、二度見るとさらに監督の意図が明らかになり、この映画が監督の意図どおりに、すべて完璧に作られていることに気づく。ここには偶然の面白さとか、偶然に見える面白さとか、どのようにでも解釈できるのでそれは観客に任されるという面白さが決定的に欠けている。
クレオが恋人に再会するシーンが偶然がすぎると感じるのは、こういう偶然の面白さが欠如しているので、都合よく再会させたと感じてしまうからだ。
それでもクライマックスの海のシーンでは、また泣けてしまった。
クレオと女主人の人生の危機が重なるように描かれ、2人がともに救われて新しい人生を歩むようになる、というストーリーの構図もまた、計算されつくした演出になっている。
「ローマ」に関しては、この計算されつくした完璧さをどう評価するかにかかっていると思う。
この完璧さをもって大絶賛するのもありだが、完璧すぎるのが欠点であり、偶発性を持つ映画に比べて深みがないという評価もありだと思う。
私は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」は完璧な映画だと思っているが、この映画には解釈が観客に任されている部分が多く、演出やカメラワークも計算されたようには見えず(実際は計算されているのだが)、その分、偶発性の魅力に満ちているように思う。
言ってみれば、「ローマ」はほころびのまったくない映画であり、映画には魅力的なほころびがある方が面白いと私は思う。
それでも「ローマ」は魅力的で、あの世界にひたるためにまた映画館に行ってしまうかもしれない。
神の采配による完璧さの中にひたるのもまた楽しい体験であり、この映画の完璧さにはゆったりとした安心感がある。(裕福な家の家族とメイドの話であり、社会背景もあまり描かれていない、という意味では「万引き家族」のような深刻さがないのである。)

2019年3月13日水曜日

春が来た。

 近所の公園近くの梅の木にいたメジロ。


 公園の中。桜と菜の花とねぎと

 ブロッコリー。



 この鳥は?

こちらは都内。

こちらもメジロ?


去年は収入激減で、確定申告の計算が非常に楽だったので、2月上旬には下書きもすんでいたのだが、1か月放置していたので、最近になってあわてて清書して送った。
今週はコートがいらないくらいのあたたかさだけど、花粉症がひどい。