2017年3月17日金曜日

「君の名は。」展

今度の3連休で終わってしまうので、なんとしても平日に行かねば、と思っていた「君の名は。」展(銀座松屋で開催中)。金曜の夕方なのでけっこう混んでましたが、それでもじっくり見ることができました。
絵コンテや実際の映画の画像、キャラクターデザイン、主人公たちの家や糸守の場所の位置関係など、興味深い展示がいっぱい。
ただ、展示の仕方がちょっと問題があって、人が前に立つと影で展示が一部見えにくくなるのです。もう少し工夫してほしかった。
あと、新宿駅の電車が描かれている絵の前で、高校生くらいの男の子2人が、湘南新宿ラインを埼京線と言ってるのはまだいいとして、中央線快速を高崎線とか言ってるのであっけにとられました。高校生くらいだと行動範囲が狭いのでわからないのかもしれませんが。
展示の最後に映画に出てきた黒板を再現したものがあって、写真撮影できるというので、しっかりデジカメを持参。
ここは入り口。絵の前で人が立って記念撮影しているので、全景は撮れず。


そして、展示の一番最後にある黒板。ここも全景を撮るのは非常にむずかしい。やはり黒板の前に立って記念撮影している人がいます。

なんとか黒板の全景を。

黒板の右側にある映画のシーン。
グッズもいろいろ売っていましたが、買いませんでした。

チケットとふちねこ。

なんでふちねこかと言いますと、展覧会の前にふちねこ3匹目ゲットしてきたのです。
もう在庫はかなりなくなっていて、おそらくこの3連休で首都圏はすべてなくなるくらいの感じだったので、在庫のある店(ベローチェではないシャノアール系列の店)でゲットしてきました。
今回ゲットしたのは左下の「のび」です。
前回と今回、箱の中をさわった感じではもうこの3種類しかない感じでした。

2017年3月15日水曜日

ついにリピーターに(「君の名は。」)

ついに私も「君の名は。」リピーターに。
公開直後に行ったときは中高生ばかりだったが、今は若者からシニアまで幅広い年齢層。レディスデーとはいえ、平日の昼間なのにけっこう客が入っているので驚いた。
映画が始まってすぐに、これは気に入った人はリピーターになるな、と思った。
ある意味、居心地のいい世界なのだ。
美しい風景、面白いストーリー、笑いと感動、そしてハッピーエンド。
去年の夏に初めて見たあと、1度でほとんど内容は理解できたので2度見るほどではないと思っていたが、また見たいと強く思ったのは昨年暮れに「この世界の片隅に」を見に行ったとき。
映画が終わって通路を歩いていると、「君の名は。」がちょうどクライマックスのようで、入口からあの歌が聞こえてきた。
そのとき、心からもう一度見たいと思った。
「片隅」もすばらしかったのだけど、こちらは内容が暗いので、「君の名は。」のカタルシスが欲しかったのかもしれない。
それでももう一度見るほどかなあという気がしていたのだが、金曜日から新作ラッシュでレイトしかなくなるので、昼間見られるうちに見ようと思った。
最初に見たシネコンでは来週も昼間やるようだ。今回は「聲の形」や「片隅」を見た一番近いシネコン。先日はここで「モアナ」を見た。なんとなく3回目もありそう?

さて、二度目に見た感想ですが、
やっぱり脚本がうまい。これ、相当うまい脚本ですよ。
また、新海監督が編集も担当していて、この編集がうまい。脚本と編集がセットでよくできている。
それと、三葉が父親を説得するシーンがないのが欠点、と思っていたけれど、今回見て、あれはあのままで十分なのだとわかった。ここが欠点というのは誤解でした。
三葉の家は代々、女性が入れ替わりを経験していることが途中で語られる。入れ替わっていたときは夢を見ているようで、目が覚めると記憶がどんどん消えていく、とも。祖母も昔入れ替わったことがあったが、もう覚えていない。
そしてクライマックス、三葉の体に入った瀧は三葉の父=町長を説得に行く。彗星の話を信じない町長に、三葉(瀧)は詰め寄る。その様子に驚いた町長は、「おまえは誰だ」と言う。
外に出た三葉(瀧)は、「三葉じゃないとだめなのか」と言う。
本物の三葉なら町長を説得できた、ということなのだ。
このせりふを、私は憶えていなかった。
やがて入れ替わった2人が出会い、2人はもとに戻り、三葉は父を説得に行く。妹と祖母も来ている。三葉は父に向かって怒りの顔を近づける。そのアップ。
そのあとに一瞬でいいから町長が理解したシーンを入れてほしいと思ったのだが、それは必要ないとわかった。
三葉の父は家の女性に代々伝わる入れ替わりの話を妻から聞いて知っていたに違いない。いや、むしろ、三葉の父と母は出会う前に入れ替わりの経験があり、それを忘れたあとに出会った可能性さえある。入れ替わりの相手が運命の人なら、父母が昔入れ替わっていたとしか思えないし、祖母の入れ替わりの相手もおそらく祖父なのでは? ただ、入れ替わりの記憶はなくなってしまうのだ。
だから、父は、瀧の入った三葉は別人だとわかったし、今いる三葉は本物だとわかっただろう。
髪を切った三葉はかつて瀧に渡した組紐を再び髪に巻いている。髪が短いので、頭全体に巻いていて、正面から見える。組紐が目の前の父になんらかの魔法をかけたと考えられるシーンだ。

逆に前回も欠点と感じて、今回もやっぱり欠点だなと思ったこともある。
三葉たちが町の人々を避難させようと必死で声をかけるのに、人々はまったく応じないシーン。
ここがどうも緊迫感がなくて、ちょっと間が抜けた感じがするのだ。このあとに父の説得シーンが来るので、説得シーンが物足りなくなった、というのもある。
このシーンがイマイチな理由として、この映画の人物の描き方があると思う。この映画では背景的な人物、遠景の人物は顔がデフォルメされていて表情が見えないのだ。これは1つのスタイルなのかもしれないが、精緻に描きこまれた風景に比べて違和感がある。風景は飛騨の山の中も、きらびやかな東京も、行き来する電車も本当に美しく描かれている。人物もアップのときはよく描かれているのに、なぜか遠方になるとフラットな感じになってしまうのだ。
避難を呼びかけるシーンはこうした遠方の人物の描写が多く、これがこのシーンを気の抜けた感じにしてしまっている気がする。
「君の名は。」はどのシーンもすばらしく描きこまれているのではなく、すばらしく美しいシーンの間にちょっと手薄なシーンがあって、この点がすべてが高いレベルの絵になっている「この世界の片隅に」に負けているところだ。しかし、脚本や編集のうまさ、オリジナリティ、そして記憶と忘却のテーマは、原作に負うものが多い「片隅」に勝っていると思う。また、上白石萌音の声の演技も非常にいい。

一昨年のふちねこ


12月だったのでクリスマスツリーが。
一昨年のは透明の袋に入っていて、中が見えたので、人気のねこからなくなっていきました。
一番人気は右上のぶらさがり、二番人気はその隣のねこのようでした。
一番人気が低く、最後はどこへ行ってもこれしかなかったのは右下のねこ。
左上のねこと左下奥のねこがメスで、他はオスです。
今回は最初にもらったのぞきこみはオス、次にもらったジャンプはメスでした。
そんなところまでちゃんと作りこんでいるんですね。
残り3つの性別が確かめられなくて残念(もうベローチェはほとんどの店舗が在庫ないようだ)。

2017年3月14日火曜日

ふちねこ2匹目

ベローチェのふちねこキャンペーンに気づいたのが始まってから3週間以上たった2月下旬。
前のキャンペーンでは集めに集め、12個もゲットしたのだけれど、今回は完全に出遅れ。おまけに写真で見るふちねこが前ほどかわいくない、ということで、あまり熱心にレシートを集めず、最初の1匹をもらったのが3月はじめ。
このとき手に入れたふちねこの写真を前にアップしましたが、これが一番欲しかったので、どうせ今からじゃ全5種類ゲットは無理だろうと思って、やはりベローチェに通わず。
というか、今年に入ってからベローチェの近くにあまり行くことがないのですね。
でもなんとなく気にはなって、ベローチェのサイトのふちねこ在庫状況をチェックしていたのですが、3月に入ってからどんどん在庫なしの店舗が増えています。
もう半分くらい在庫なし。
値段の高いシャノアールはまだ在庫ありますが、近くにないのだ、シャノアール。
で、ふちねこは下の5種類(ベローチェのサイトから)

右下が最初にゲットしたふちねこ。ブログには顔が見える写真を載せています。
これが一番欲しかったのだが、次に欲しかったのは左上のジャンプ。
どうしてもこれは欲しいな、と思い、すでにレシートは1枚あったので、まず近所の在庫のない店でサンドイッチをドリンクを買って2枚目のレシートゲット。それから夜の試写を見に日本橋の近くまで行きました。
この試写室には東京駅から行くのだけれど、八重洲地下街にアルプスというカレー屋さんがあって、ここのカレーが大好きなのです。
ココイチのカレーも大好きだけど、ココイチは値段が高い。が、アルプスは500円前後でけっこうしっかり食べられます。
しかも、午後3時から7時までは290円のカレーが。なので、この時間帯にここを通ると必ず食べてしまう。今回も夕食としてこのカレーを食べ、いざ試写へ。
試写の話はあとで書きますが、試写が終わったあと、日本橋のベローチェでふちねこゲットする予定でした。
が、昼間に在庫状況を確かめた2つの店舗が在庫なし。
片方は50個、もう片方は100個と今もサイトに出ているのに。
在庫がある店は入口にふちねこのバナーがあるのですが、ない店にはバナーはありません。それで中に入らなくてもわかる。
50個なら昼間のうちになくなった可能性もあるけど、100個でないなんて。
たぶん、在庫の報告をさぼってる店があるのだと思う。なぜなら、前日までたくさんあったのに突然在庫なしになる店があるから。
んなわけで日本橋はだめだったので、少し遠回りして某店へ。ここは初めて来た場所でしたが、ふちねこはありました。
触ってみると意外にどの種類かわかります。で、いくつか触ってようやくジャンプと思われるのがあったので、これをゲット。確かにジャンプでした。
この店は店員も客もふちねこにあまり興味なさそうで、そういう店だと残っているのかな。でも、店もその周辺もいい感じで、また来たいです。
これで欲しいの2つゲットできたから、あとはまあ、成り行きで。
それにしても、前回は開始から2か月くらいは余裕で在庫があったのに、なんで今回はなくなるのが早いのだろうと思ったら、今回はベローチェ30周年で3万個なのだけど、前回はシャノアール50周年だったから5万個だったのかもしれない。2万個の差だと考えれば納得。

というわけで、試写は「20センチュリー・ウーマン」を見ました。
アカデミー賞脚本賞ノミネート作で、1979年を舞台に55歳の母と15歳の息子、母子の家に間借りする女性と男性、そして息子の幼馴染でよく泊まりにくる少女の5人の人間模様。1979年を中心とした時代が非常によく描かれていて、リアルに知っていた者としてはいろいろ思うところがありました。
ただ、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」もそうなのだけど、最近、この種の人間関係をリアルに描いたものって、いい映画なのだけど、見ていてとても疲れます。
どちらも人間関係のきびしさやむずかしさを描いていて、ほのぼのとかそういうのとは無縁。
それに対し、日本映画は家族などの人間関係を笑いやほのぼのでくるんでいて、日本映画の方が見やすいです(昔は日本映画の人間関係はウェットで苦手だったのに)。
でも、現実はこうしたアメリカ映画が描く人間関係の方が本物で、だから、いい映画だけど疲れると感じてしまうのだろうな。

2017年3月12日日曜日

「君の名は。」の「教訓」(&「マンチェスター・バイ・ザ・シー」)

東日本大震災から6年がたった3月11日、TBSで「3・11 7年目の真実」という番組が放送された。
うちはテレビないし、放送も昼間だったのでどれだけの人が見たかわからないが、この中で新海誠監督が「君の名は。」の原点が東日本大震災だったことを語っており、ファンが新海監督の部分をYouTubeにアップしてくれたので見ることができた(削除される可能性があるのでリンクは貼りませんが、テレビ局がサイトにアップするか、文字起こしを載せてほしい)。
新海監督は東日本大震災から4カ月後に宮城県名取市で舞台あいさつをし、そのとき、被災地を訪ねた。津波によりすべてが破壊された海辺で、鳥居が立つ小山を見て、その絵を描いた。美しく澄んだ青い空、小山の上に立ち上る大きな雲、そしてその下に広がる被災の現場。まさに「君の名は。」の飛騨の町の原風景だった。
新海監督は「君の名は。」には東日本大震災への思いがあることは多少は語っていたし、指摘する人々も多かったが、「シン・ゴジラ」と違って、それが大きく取り上げられることはなかったし、私もあの震災に結び付けすぎるのはよくないような気がしていた。実際、「君の名は。」はもっと普遍的な内容であると思っていた。
しかし、実際は、東日本大震災の被災地を見て、自分がもしも宮城県に住んでいたら津波にあったかもしれないと思い、そこから入れ替わりの物語を描こうと思ったのだという。
また、新海監督は、物語には必ず教訓がある、ということを強調していた。
「君の名は。」の教訓。
そういうものがあるとは思っていなかったので、驚いた。
そしてすぐに思い当たったことがあった。
東京の高校生、瀧は3年前に飛騨で起こった彗星の落下による惨事を覚えていなかった。三葉のことを調べに飛騨へ行き、そこで初めて知るというか、思い出すのだ。
憶えていないのは瀧だけではない。一緒に飛騨へ行く友人たちも忘れている。
「君の名は。」を見たとき、たった3年前のことを瀧たちが忘れているのを不思議に思ったが、そのあとすぐに、飛騨の田舎で起こった惨事のことを遠い東京の人たちはすぐに忘れてしまうのだ、ということに気づいた。
彗星による惨事を思い出した瀧は3年前に戻って三葉とともに住民を避難させようとし、成功する。
そして現在に戻ると、東京のビルの電光掲示板に彗星落下から何年というようなニュースが出る。
「君の名は。」の教訓。それは忘れないこと。思い出すこと。
でも、人は忘れてしまう。
「忘却とは忘れ去ることなり」って、昔の「君の名は」のキャッチフレーズ。
いやもう、ほんとに腑に落ちました。新海監督、すばらしいです。
日本アカデミー賞脚本賞は当然です(「シン・ゴジラ」もすばらしかったけど)。

「君の名は。」はまだ1度しか見ていないのに、このブログで書くのは4回目。一番最初は三葉が父を説得するシーンがない、いい映画で感動したけど大人の鑑賞には堪えない、などと書いたけれど、そのあとどんどん自分の中で評価が高まって、欠点がさほど重大な欠点ではないこと、欠点に見えたが実は理由があったことに気づいた。
私は「この世界の片隅に」よりも「君の名は。」の方を高く評価しているのだが、「君の名は。」の欠点がそれほど重大でないと思えるのに対し、「片隅」の欠点は私にはかなり重大な欠点に思えるのだ。また、日本の映画業界がまるで横並びのように「片隅」ばかりに賞を与えているのもなんだか解せない。「君の名は。」の大ヒットへの反動から「片隅」を持ち上げているようにさえ思う。「片隅」ももちろんいい映画であることは確かだし、技術的な安定感はこちらの方が上だと思うが、戦争の悲惨さにオブラートをかけているようなところが気になるのだ。
まあ、「片隅」もこんなに横並びで賞を取っていなければ、こういう不満にこだわることもなかっただろうと思うのだけど。

新海監督の言葉、もしも自分が宮城県に住んでいたら、もしも自分があなた(被災者)だったら、という言葉で、最近見た「マンチェスター・バイ・ザ・シー」のことを書きたくなった。
ネタバレ禁止なのでむずかしいのだが、主人公は故郷を離れてボストンで便利屋をやっている男で、兄が死んだあと、遺言で甥の後見人に指名される。
主人公は甥とは父と息子のように仲がよいのだが、後見人になって故郷のマンチェスター・バイ・ザ・シーに住むのはどうしてもいやなのである。なぜなら、彼が故郷を捨てたのは、自分の過失である悲劇を起こしてしまったからだ。
その悲劇から立ち直れない彼は、つまらないことで人を殴ってしまうといった精神的に不安定な状態。
一方、甥は故郷を離れたくない。再婚している母は精神的に不安定で、息子を受け入れる状態にない。
主人公が犯した過失は、実は誰でも犯す可能性のあることで、だから彼は罪に問われていない。ほんの些細な過失から大きな不幸が起こる、ということは誰にでも起こりうることだ。
それが自分に起こっていないとしたら、それは自分が運がいいだけのことなのである。
まさに新海監督の言う、「もしも自分があなただったら」なのだ。
だから、監督・脚本のケネス・ロナーガンは安易な結末をつけない。乗り越えられないものは乗り越えられないのだ。ただ、乗り越えることができなくても、それでも人生は続く。
ロナーガンはアカデミー賞脚本賞受賞。
新海監督もロナーガン監督も、オリジナルのストーリーが評価されたのだけど、この二人、意外と近いところにいるな、と思った(映画は全然違うタイプだけどね)。