2012年7月31日火曜日

最近見た映画から

先週からやっと試写に行けるようになりました。その前は週に1、2本しか見られなかった。
とはいっても、昔に比べて、うちに来る試写状の数がめっきり減っているのですが、それでも非常勤講師の授業に追われていると消化できない。

さて、月曜はジェームズ・アイヴォリーの久々の新作「最終目的地」。2009年の作品なので、公開がだいぶ遅れています。「上海の伯爵夫人」に続いて、真田広之が出演。主役のアンソニー・ホプキンスとゲイの関係にある役で、あのレクター博士と真田広之のキスシーンがありますよ!(って、別に衝撃的なシーンではありませんが)。
内容は、ウルグアイの山奥にある屋敷に住む、自殺した作家の妻、愛人、兄などのところへ、作家の伝記を書きたいアメリカの大学講師が許可をもらいに来るという話。で、この講師が蜂に刺されて病院へ運ばれたので、アメリカから恋人がやってきて、というところでいろいろと急展開するのですが、人里離れた屋敷に集まる人々と、そこから生まれる変化、という点では、フォースターの小説をアイヴォリーが映画化した「ハワーズ・エンド」と共通する面があります。主演もホプキンスだし、都会が似合う人物と田舎が似合う人物の対比とか、わりと昔のアイヴォリーに共通する世界でした。「上海の伯爵夫人」が私にはつまらなかったので、これは比較的よかったです。

これ以外では、「オフサイドガールズ」のジャファール・パナヒ監督がイランで、映画製作20年間禁止とか、とんでもない刑を宣告されてしまい、そんな中、自宅でひそかに撮って海外に流出させた「これは映画ではない」というのが面白かったです。ドキュメンタリーのように見えますが、最後に出てくる大学院生は、あれはほんとに大学院生なの? 役者じゃないの? って感じで、なんとも不思議な映画ですが、それにしても、イランは……むむむ。

残念だったのは、クローネンバーグの「危険なメソッド」。アメリカでは批評家の評価がものすごく高いのですが、私はこういう理詰めでクリアーなクローネンバーグは面白くない。確かに役者はすばらしいです。キーラ・ナイトレー、ヴィゴ・モーテンセン、マイケル・ファスベンダー、ヴァンサン・カッセルなどなど。しかし、フロイトとユングとユングの愛人だった女性をめぐる話って、別に面白くもなんともないが。クローネンバーグらしいおどろおどろしさとか、摩訶不思議さとか、全然ないんだもの。役者がすばらしくて、映像がきれいで、って、別にクローネンバーグじゃなくたって…。
もう1つ、残念だったのは、岩井俊二監督の「ヴァンパイア」。吸血鬼志願者と、自殺志願者がネットで知り合って、お互いの利益が一致して、という話ですが、今、日本ではいじめで自殺とか問題になってるのに、この映画では自殺志願者はほんとに自殺志願者なのかな、と思うくらいのほほんとしているのです。「リリイ・シュシュのすべて」の登場人物はそうじゃなかったのに、なんだ、これは、という感じです。おまけに、カナダで撮影して、外国人俳優を使っているので、ほんと、絵空事に見える。カナダはヴァンクーヴァーのあたりのようですが、別にどこでもいい、北米らしく見えればいいというくらいにしか見えない。サラ・ポーリーが「テイク・ディス・ワルツ」でノバスコシアとトロントにこだわったような、土地への思いが何もない感じなのです(これはやはりカナダで撮った荻上直子の「トイレット」もそうだったが)。
面白かったのは、主人公の母親がアルツハイマーで、外に出ないように、白い風船をたくさんつけた拘束衣を着せられているのですが、これがまるで白い天使のように表現されているのですね。ここはユニークだと思いましたが、その一方で、映像的には非常に既視感のあるもの、過去に映画で何度も見たような映像なのです。風船が羽根だったら、いくらでも思いつく。その辺が、ユニークだけど実はデジャヴで新しくないという、やはりキビシイのでした。

2012年7月30日月曜日

ウィリアム・インジの伝記

先日、アマゾンで買った洋書の1冊、ウィリアム・インジの伝記を読んでいる。
なかなか面白い。
インジの代表作「ピクニック」のあたりに来ているのだが、この劇は演出家のジョシュア・ローガンの手腕で、あのような形になったのだということがよくわかった。
特に結末が、インジが最初に書いたものだとまったくカタルシスのないもので、映画ではウィリアム・ホールデンが演じた風来坊のハルは去り、クリフ・ロバートソンが演じたアランも去り、ヒロインのマッジ(キム・ノヴァク)はそのまま保守的な町に残されるというものだったのだそうだ。
ローガンと、そして舞台のキャストの面々(ラルフ・ミーカー、ジャニス・ルール、そして新人のポール・ニューマンなどがいた)は、こんな結末では納得できないと思い、インジに変更を要求。そこでインジは、ハルが汽車で去ったあと、マッジが母親の制止を振り切って、ハルのあとを追うことにする、という結末を提案。みんな、それがいい、と言ったのだが、インジはそのあとも最初の結末に固執。しかし、最初の結末ではこの劇は成功しないと思ったローガンは、変更した結末で劇を完成させた。
そして、「ピクニック」は大成功、インジはピュリッツアー賞を受賞する。
インジはこの劇が成功したのはローガンのおかげだと思っていたが、それでも。結末はやはり最初の方がいいとずっと思っていたようだ(のちに最初の結末の方を出版している)。
その後、「ピクニック」はハリウッドで映画化され、ローガンが監督になったが、インジは映画化にはタッチしていない。
もしも、インジの主張した最初の結末のままだったら、劇は成功しなかっただろうし、映画化もされなかっただろう。そして、日本でも話題になったあのラストシーン、マッジの乗ったバスを俯瞰でとらえるカメラが移動すると、バスの走る先にハルの乗った汽車が走っているという名シーンも存在しなかったことになる。
水野晴郎だったか、このラストシーンについて、「あのバスがはたして汽車に追いつけるかというサスペンスがある」と言っていた。大学の授業で取り上げたときも、「マッジは果たしてハルに会えるのか、携帯もない時代に」という感想を書いた学生がいた。「結末を観客の想像に任せるオープン・エンドもいい」と書いた学生もいた。
母親の制止を振り切って、マッジが旅立ったあと、「教えたいことがたくさんあったのに」という母親に、隣人のポッツ夫人は「自分で学ばせるのよ」と言う。親の理想を押し付けられた若者が、親を卒業して大人になる、というテーマは、インジが脚本を書き、エリア・カザンが監督した「草原の輝き」で繰り返される。
しかし、ハルを失い、アランも失い、町に残されるマッジを描くのがインジの望みだったとしたら、親を卒業する若者のテーマは、インジのものではなかったのだろうか。伝記を読んでいると、確かに、インジは親を卒業しなければならない人ではなかったように見える。
「ピクニック」でピュリッツアー賞を受けたインジは、「草原の輝き」ではアカデミー賞脚本賞を受賞した。でも、インジのこの成功は、ローガンとカザンという、2人の名匠のおかげだったのだろうか。

2012年7月26日木曜日

話題がない…

このところ、話題がないので、更新してませんでしたが、今も話題はない…。
久々にアマゾンで買い物して、ローソンで受け取ってきましたが、久々だったので、コンビニ受取の方法を忘れていた。注文したのは、古い映画の「ホフマン物語」と、メトの「ホフマン物語」のライブのDVD。どちらもレーザーディスクで持っていましたが、「ホフマン物語」は私の一番好きなオペラです。それと、洋書を2冊。しかし、洋書は買ってもなかなか読みません。
話かわって、最近、猫スポットは、ポンタというむさくるしい身なりの大きな黒猫が某所に進出して、そこの先住猫たちを困らせているのですね。私はこの猫が別の場所にいた頃にエサやったことがあるので、それで、某所でもエサもらえるものだと思ってずうずうしくしているのだが、先住猫はストレスがたまりそうです。
しかし、このポンタという猫、いつもものすごくおなかがすいている。他のエサやりさんが来るときには隠れているのだろうか。常連のみなさん、ポンタに愛の手を。

このところ、話題がないと書きましたが、実は、気になる話題はいくつかあるのです。が、どれも、ちとやばそうというか、ある種のカルトな世界なんですね。
私はいわゆる表象ワード炸裂な方々が苦手で、しかもそういうカルト的な人気者のまわりには信者のような熱狂的ファンがいて、少しでも批判的なことを言うと何されるかわからないみたいな状況があるので、触らぬ神にたたりなしでやってきましたが、それでも、そういうカルト的な人気者って、やはり気になる。なので、遠くから眺めて、ああでもない、こうでもない、と考えているのですが、それを書くのはやはりやばいです。
中には表象ワード炸裂ではない人にもカルト的な人気者がいて、こういうタイプはわかりにくいので、まずいことしてしまうケースも(くわばらくわばら)。
そこへ行くと、表象ワード炸裂な方は、そういうオーラを発しているので、わかりやすくていいです。
最近、ちょっと気になったのは、映画とは違う分野で私とビミョーにかぶっているある分野のカルト的人気者の方です。年齢も私より5つ下くらいらしい。その方は出版方面ではご活躍でないのですが、大学の方でローカルなカルト的人気者になっているらしい。
なんでその人が気になるかというと、私が最近、出版ではかなり落ち目になっていて、それで大学の映画や英文学の授業に活路を見出そうとしているのですが、この方の陥った状況を垣間見るにつれ、大学の授業”だけ”に活路を見出そうとするのはよくない、と思うようになったのです。
もちろん、大学の授業は学生からよい刺激を受けるので大変役に立つのですが、そこで終わってはいけない、そこからまた広げていかなければ、という気持ちになったのでした。
そういう意味では、カルト的人気者を眺めるのも役に立ったという感じです(あいまいな表現ですまんけど、具体的なことはほんとに書けないのですよ、知り合いがその大学にいたりするんで)。

2012年7月17日火曜日

新しい携帯

5年間使っていた携帯が、電波の周波数の関係で7月下旬から使えなくなるので、新しい機種との無料交換に行った。
近所の店に着いたのが午後4時くらい。そのときすでに2人が順番待ち。が、なかなか順番がまわってこない。こっちは交換する機種を決めてなかったので、店の中で機種を見ながらああでもないこうでもないと考えていて、時間は潰せたのだが、お店にいるお客さん、なんであんなに時間がかかるんだか…。
ある親子は私が来たときからいて、1時間以上たってようやく私の番になったときも、まだそこにいた。
あるお年よりは、用事が済んでも、店員にいろいろと話しかけて、暇つぶししているようだった。
その間、充電用のアダプターが抜けなくなったとか、いろいろと災難にあったお客さんも来て、自分はこの5年間、そういう災難にあってなかったのは幸運だったのだなあと思った。
1時間以上たって、ようやく順番が来て、私の件はあっという間に終了。新しい携帯を手に帰ったのだが、実は、使用不能になるぎりぎりまで粘ったのは、前の携帯が気に入っていたからなのだった。
前の携帯は5年前の機種なので、カメラの画像はあまりよくないし、感度も悪かったが、待受画面がとてもよかった。海の風景で、季節と時間によって絵が変わる。浜辺に打ち寄せる波の動画が実に心地よく、癒される。この動画を手放したくなかったのだ。
機種交換をしたあと、前の携帯も持って帰っていいと言われた。あとで返してくれればいい、ということだったが、このあともあの海の動画を楽しんでいいのだろうか。とりあえず、今、手元には、新しい携帯と、使えなくなった携帯がある。
しかし、世はスマホの時代で、普通の携帯はいずれ過去のものになるのだろうか。以前は携帯はできるだけ小さくという感じだったのに、でかいスマホのせいで、普通の携帯がでかくなってるじゃないか。

2012年7月16日月曜日

有名人の原稿って…

ぬわんか、またまたご活躍の有名人の文章の批判になっちゃうんですが、有名人の文章って、ノーチェックで載ってしまうの?
そんなこというなら、あんたが書いてる(orた)マイナー雑誌なんてみんなそうじゃん、と言われそうですが、というより、ほんとにそのとおりで、マイナー雑誌は無名人でもノーチェック(?)だったりします(多少はここを変えてほしいとか来たことあるけど)。
逆に、新聞などは読者の投稿や無名人の依頼原稿は勝手に書き直して別人の文章にしてしまう、ということも前に書きましたが、有名人の文章はノーチェックなのかいな、と思ってしまうのがあの、毎日新聞の「時代の風」。ネットで読めるので、いくつか読んだのですが、むむむ。
そして、昨日づけの毎日新聞に載った西水美恵子氏のコラムを内田樹氏がブログに引用して、グローバリズム批判を書いています。このコラムとブログ記事は特に問題はないのですが、それでも気になるところはあります。
まず、西水氏の言うブータンですが、このブータンは難民をたくさん出している国であるということ。その難民はネパール系の住民で、なぜネパール系の住民がたくさん難民になっているかというと、ブータンには隣のネパールから多くの移民が入り込んできて、このままではネパール系の住民に乗っ取られるという危機感があり、そこでネパール系の住民を追い出したのだと。
この件を知ったとき、2つの立場からの意見があり、1つは、世界一幸福な国とか言いながらこんなに難民を出しているのはけしからん、という意見。もう1つは、ブータンのような小さな国にネパール系の住民が増えたら、いずれ、ブータンはネパールに併合という事態になる、だからこれはしかたないのだ、という意見。
これはなかなかむずかしい問題だと思いました。
ブータンが自国のアイデンティティを保つためには、他国の人々を排除しなければならないという現実。
だから、日本が自国のアイデンティティを保つには、移民を拒否し、鎖国的にならねばならないわけ(まさにグローバル化と逆)。
そりゃ、日本くらい大きな国なら、そう簡単に他国系の住民に乗っ取られたりはしないでしょうけど、根底にこういう問題があるということ。そのことに対する西水氏と内田氏の無知を感じたコラムとブログ記事だったのです(内田氏の方は文部科学省への批判が中心で、西水氏についても、政治の問題の点で共感して引用しているのですが)。
ところで、この西水氏は、先月は死刑制度反対についてのコラムを書いています。私は死刑制度については反対賛成どちらの意見にも納得できるものがあるので、中間派ですが、この西水氏のコラムはかなりひどいと思いました。おそらく西水氏は筋金入りの死刑反対論者ではなく、イギリス人と結婚してイギリス領に住み、欧米での生活が長いので、死刑に反対か賛成かと聞かれれば反対、という程度ではないかと思います。とにかくこれはひどいのですが、西水氏のコラムはどうも、浮世離れした、あまり深くものを考えてない人の文章に見えてしかたないですね。放射能トラウマについて支離滅裂なコラムを書いて大いに批判された斎藤環氏ほどではないにしても、やはり、この死刑制度反対のコラムはどこか支離滅裂に近いものを感じます。こういうところから、有名人の原稿はノーチェック、いただけるだけでありがたい、来たらただ載せるだけなの? と思ってしまいます。有名人の方も、本業が忙しくて、締め切りに合わせて片手間に書いているからこうなるのでは、と思ってしまいます(有名人でもそうでない人ももちろん、大勢いるだろうけど)。私が有名人にお任せの連載に疑問を持つのは、こういうところです。

時代の風 アーカイブ
http://mainichi.jp/opinion/kaisetsu/jidainokaze/archive/
グローバルリスクについて(内田樹)
http://blog.tatsuru.com/2012/07/15_1030.php

2012年7月11日水曜日

夏の美術館

この夏は興味のある美術展が目白押しです。
まず、一番興味のあるのがバーン=ジョーンズ展。
http://mimt.jp/bj/
場所は三菱一号館美術館という、東京駅近くの赤レンガの建物を改修したところです。東京フォーラムの近くで、あのあたりは以前はよく通ったので、覚えていますが、美術館になったとは。
バーン=ジョーンズはイギリスの画家で、神話や伝説の絵を描いているので、この手の絵が好きな私としてはぜひ行かねば。8月中旬までなので、早めに行った方がよさそう。
そして、この美術館から比較的近い、京橋のブリジストン美術館では、「ドビュッシー 音楽と美術」という展覧会が。
http://debussy.exhn.jp/index.html
こちらは10月までやっていますが、バーン=ジョーンズ展とドビュッシー展の美術館の館長同士の対談があるようです。イギリス対フランスの世紀末対決とか。これも面白そう。私の好きな時代なのだ。

一方、上野では、西洋美術館がフェルメールの「真珠の首飾りの少女」初来日とうたっているベルリン国立美術館展。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2012berlin.html
東京都美術館が同じくフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を目玉にしたマウリッツハイス美術館展。
http://www.tobikan.jp/museum/2012/mauritshuis2012.html
こちらはフェルメールが登場する映画「真珠の耳飾りの少女」と、レンブラントが登場する映画「レンブラントの夜警」も上映されます。グリーナウェイの「レンブラントの夜警」はかなりつまらなかったけどね。「真珠の耳飾りの少女」の映画も、私には不満でしたが、こちらはそれなりに面白い映画ではあります。
フェルメールの絵は、だいぶ前に何か1枚だけ来ていた美術展で見たことがありますが、絵がすごく小さかったのですね。なので、上の2つの美術展も、行ってみたら絵が小さくてよく見えなかった、なんてことになりやしないかと心配。
レンブラントはベルリン美術館展の方でも目玉になっていて、なんだか、上野で似たような展覧会をやってるなあという印象です。
東京都美術館は新装オープンしたばかりなので、行ってみたいですが、でも、あの「真珠の耳飾りの少女」への熱狂ぶりがちょっとこわい。
「レンブラントの夜警」の監督ピーター・グリーナウェイは、たしか、フェルメールの光の使い方に影響を受けた人で、初期の作品「ZOO」はそういうライティングで撮っていたと記憶しています(グリーナウェイはエグイ映画を作る人なので、フェルメールとではイメージ違うが)。私がフェルメールを知ったのは、実は、この映画のおかげです。初期の頃のグリーナウェイはすばらしかったのですが、その後、だんだんだめになってしまったのが残念。

2012年7月10日火曜日

猫と遊ぶ?

最近、猫スポットへ行くと、猫と遊んでいるのではなく、猫に遊ばれているのだと思うことが多い。

ここの猫たちは常連さんにあいそがよくて、しかも、誰がどの曜日の何時頃に来るかをしっかりと把握している。
なので、そろそろ別の常連さんが来る時刻になると、猫は「あんたはもういいよ、お帰り」という態度をとるのだ。
くっそー、蚊に食われて痒い思いをしながら、しかも猫の好物のウェットなど取り揃えて来ているというのに、もう二度と行くか、と思いつつ、また猫に遊ばれに行ってしまう…。
上の猫はいつも誰にもあいそがいい猫。ただし、飼い猫です。

さて、蚊といえば、この夏初めて自宅で蚊に刺されました。猫スポットでは毎度のことだけど、自宅は初めてで、あわてて蚊取り線香を出しました。
外は25度くらいになっていても、部屋の中は30度近いので、去年買った激安のリビング用扇風機を使っています。そのせいか、使ってなかった去年の今頃より使用電力が少し多め。でも、契約アンペアは15アンペアだ、引っ越したときは30アンペアだったが、その日のうちに東電に替えてもらったのだ。おかげで基本料が月400円くらい安くなっている。15アンペアだと、ドライヤー使うときは電気を大量に使うものは使わないとか、常に消費電力を考えるようになります。

2012年7月7日土曜日

さらば、デレク・ロイ

しばらくセイバーズの掲示板もNHLのニュースも見ないでいたら、デレク・ロイが7月2日にダラス・スターズにトレードされてました。
契約があと1年ということで、トレード必至と言われ、最近はファンの間でも評判悪く、トレードしろの大合唱だったので、予期してはいましたが…。
昨季はあまり写真も保存しなかったのだが、なぜか、ロイ(#9)の写真がけっこう保存してあった。

ロイは私がセイバーズをフォローし始めた2003-04シーズンの途中に二軍から上がってきた選手で、なかなかの活躍ぶりで、かなり好きだったのです。
セイバーズも顔ぶれが相当変わってしまい、フォローし始めた頃からいるのはミラー、ポマンヴィル、ヴァネク、スタッフォード、セケラくらいか。当時、RAVラインと呼ばれたラインがあって、それはロイ、アフィノゲノフ、ヴァネクだったのですが、もうヴァネクしかいない。GMとHCはハシェックとか、デレク・プラントの頃から同じなのにね。
デレク・プラントもそういえば、ダラスにトレードされて、棚ぼたカップ獲得となったのですが、果たしてロイは? このところ、トレード先でカップ取る選手多いからね。

2012年7月6日金曜日

表象ワードを駆使した雰囲気の文章はなぜ受けるのか?

実はこれは、私が長い間、疑問に思っていることだ。
表象ワードを駆使した雰囲気の文章はなぜ受けるのか?
以前は、映画評論の世界で、こういうのが受けるのが不思議で不思議で、私から見たら中身のない浅はかな文章なのに、なんでこういうのがいいのかなあと、考え始めたのは80年代半ばくらいかな? いわゆる蓮実派と呼ばれる評論家が次々と出てきた時代。
たぶん、雰囲気がいいのだろう、好きな人には、と、やがて納得できるようになった。映画は科学じゃないんだから、別に論理的に論じなくても、雰囲気でもいいんだろう、と。
それでも好きになれないものはなれないのである。
私は斎藤環氏の映画評論は好きではない。でも、映画だからいいか、と思って、これまでは無視してきたのである。
しかし、例の原発問題に関する講演は無視できなかった。
その後、斎藤氏は今年の1月、毎日新聞で、放射能は人間の体に害を与えていないが、放射能トラウマが人間の精神に害を与えている、として、安全よりも危険を強調する人々を批判しているのを知った。例の講演と関連する内容なので、ネットで読んでみたが、これがあまりにも非論理的で、表象ワードやフレーズを駆使した雰囲気の作文で、結論も論理的に導き出されたものではなく、原発問題に役に立つ提言でもなかった。
しかし、ネットでは、これが意外に受けているのである。
論理的に読んだら、支離滅裂な文章で、しかも、「という」という伝聞系の文章が多い。伝聞をもとにして強引に自論を展開している感が強い。にもかかわらず、いいこと言う、みたいに感動している人が何人もいる。
なんだか気持ち悪いな、と思いながら、検索をしたら、水俣市の病院で、水俣病患者と向き合っている医師の反論ツイートのまとめがあった。
http://togetter.com/li/246900
実に明快な反論である。実に論理的な文章だ。
しかし、読み終わって思った。
私は論理的な文章が好きだが、斎藤氏のような文章が好きな人は論理的な文章が嫌いに違いない。おそらく彼らはこの高岡医師の文章を読んで、冷たいと感じるだろう。
毎日新聞の斎藤氏の文章は論理的ではなく、きちんと検証もしておらず、雰囲気に流して書いているが、この方が暖かいと感じられてしまうのだろう。
斎藤氏は福島の人のことを心から思っている。それに対し、高岡医師は冷たい、と。
高岡医師は福島には行っていないかもしれないが、水俣病患者と向き合うことで、公害に苦しむ弱い立場の人々を見ている。冷たいわけがない。
斎藤氏は福島に行って、そこで苦悩する人々に会っているだろう。だから斎藤氏も冷たいわけではない。
しかし、斎藤氏の非論理的で、表象ワードを駆使し、結論は原発問題とはほとんど関係のない死生観になってしまっている方が、雰囲気と情緒で受けてしまうのだ。
武田邦彦氏や内田樹氏の文章は、私には賛成できないものもあるが、それでもこの2人の文章には心から賛同できるものがあるのは、2人とも、文章が論理的だからである。武田氏は科学者であり、内田氏も学者である。
今回の件で、日本人は論理的な文章を嫌い、雰囲気や情緒で納得できる文章を好むということが実感としてよくわかった。私としては、映画ならともかく、社会問題を扱う文章が雰囲気と情緒では困るという立場を貫くしかない。

追記 日本人は、という、よくない書き方をしてしまいましたが、もちろん、一部の人は、という意味です。でも、日本人は、と言いたくなる点もあるということでご理解のほどを。

参考 斎藤環氏は、2年前にも毎日新聞のコラムで問題のある記事を書いていた。なんとなく今回に通じる。しかし、信者は正しいとか言ってるみたいだな。
http://togetter.com/li/56505
それにしても、素人の投書や無名の評論家の依頼原稿は徹底的に書き換えて別人の文章にしてしまうくせに、有名人だとどんなに支離滅裂だったり、間違いだらけだったりしてもそのまま載せてしまう大新聞…。あ、私はまだ依頼されてませんが、依頼されて徹底的に書き直されて掲載された某映画評論家が、元の原稿をネットにアップしていたのを読んだことがあります。

2012年7月5日木曜日

キネマ旬報7月下旬号

本日発売のキネマ旬報7月下旬号。
亡くなった新藤兼人監督の追悼特集があります。こういう特集はキネ旬じゃないとできない。必読。
新藤監督といえば、私はあの有名な「裸の島」をまだ見てないのですね。もう20年くらい前ですが、マイク・リー監督にインタビューしたとき、リー監督が「裸の島」を絶賛していたんです。なのに、私も、同伴した編集者も「裸の島」を知らないという大恥をかいたのでした。
まだ10代の頃、キネ旬の読者の映画評に新藤監督の「心」の映画評を投稿して、1次予選通過したのも思い出です。あのときはけなしちゃったんですけど、1次予選通過ってことは悪くなかったのかな? そのあとの「わが道」は大好きな映画です。

トム・クルーズがサイエントロジーが原因で離婚、というニュースがありましたが、成田陽子氏の「忘れられないスター」がトム・クルーズで、サイエントロジーのことも書いてあります。私も20年くらい前だったか、クルーズについての洋書を読んでいたとき、クルーズがサイエントロジーに凝っていて、自分の主演映画に信者が作った機械を使えと言って買わせたとか書いてありました。サイエントロジーはSF作家のロン・ハバードが創始者で、アメリカの映画人にはかなり浸透しているようです。あのポール・ハギスも最近まで信者で、今度暴露本出すとか。そりゃ楽しみだ。

斎藤環氏の講演の連載が終わりましたが、笑っちゃうほどエア御用でした(自分は反原発、脱原発だ、と言って、推進派に都合がいいことを言うところがもろエア御用)。あまりに典型的なエア御用で、言っていることはまったく新しくなく、武田邦彦先生あたりが何度も否定、批判している内容です。武田先生はもちろん、斎藤氏のことを言ってるのではなくて、ほかのもっと大物の原発推進派たちの批判として言っているのです。
(うーん、でも、最後のところ、制限速度80キロのところで80キロ以上出しても事故が増えるわけじゃない、だから100ミリシーベルトでも20ミリシーベルトでもいいんだと書いてあるところは、武田先生がシーベルトについて制限速度を例に出しているところとかぶるのかな。斎藤氏の講演は「新潮」に連載したものと同じ内容のようだから、武田氏が「新潮」の連載を読んで制限速度の例をあげたのかもしれない。あるいは、斎藤氏が推進派の論理をそのまま言っているのか。ちなみに、武田先生は、事故前は1ミリシーベルトだったんだから事故後もそれを守れと言っているのです。が、斎藤氏のように、100でも20でもいいとか言うのは、武田先生が批判している山下先生の理論なんですね、もとは。で、20ミリシーベルトというのは、CTスキャン1回分なんだそうです。そして、子供はCTスキャン3回以上で脳腫瘍や白血病になる確率がぐんと上がると、イギリスの医学雑誌に書いてあるそうです。)
このタイプの人の言説は信者には受けるというものなので、信者じゃない人は、なんだこれは、と思っても、まともに反論とかしない方がいいでしょう。つか、そこまでする価値ないです(とかいいながら、制限速度のところは書いてしまったが)。
むしろ、疑問なのは、震災直後に反原発の映画作家やジャーナリストに対談させたのは、あれはなんだったのかな、ということです。一時の気の迷い、でしょうか。雑誌やジャーナリズムがどの方向を向いているか、しっかりと見定めないといけないですね。

2012年7月3日火曜日

花と猫

紫陽花祭りで有名な某神社は、紫陽花祭りが終わると境内の紫陽花の花がすべて切られてしまいます(現場を目撃したことあり)。裏の公園などでは花が切られずに残っていますが、もう花は色があせて美しくなくなっていました。かわりに、美しい百合の花が。


この花は小さなビーチパラソルのよう。

人がいないので猫撮り放題。


ツキノワグマのような猫。

境内から裏の公園へ行く途中。右手に紫陽花が咲いていました。

神社の次は某墓地の猫スポット。すでに6時半をまわっている。



このあと、あちこちまわったのですが、暗くなってしまい、写真はアウト。
工事中だったエリアもすっかり工事が終わり、以前の佇まいを取り戻しています。

2012年7月2日月曜日

テスト

画像が貼れるかどうか、テスト。

貼れました。携帯で撮った写真をやっとPCに保存しました。5年分ありました。上の写真はごく最近のもの。