2016年7月31日日曜日

花火とひまわり

7月30日は恒例の隅田川花火大会。今年は雨の場合、翌日が都知事選なので、花火は中止になるとのことでしたが、みごとないい天気。が、明日から雨らしい。
都心に住んでいたときは隅田川の花火は見ようと思えばいつでも見えるものでした。
現地に行くと帰りが大変だけど、上野公園のあたりや谷中霊園のあたりからそこそこ見えていたし、去年の7月まではマンションの屋上からビルの向こうに花火がちらほら見えていました。
が、都心を離れ、隅田川の花火はもう見れないかと思っていましたが(わざわざ近くへ行く気がしない)、ふと、電車で10分ほどのところに江戸川があり、そこからスカイツリーが見えることを思い出しました。
スカイツリーが見えるなら花火も見えるはず。
で、行ってきました。

江戸川の土手。海から20キロというのは、江戸川の河口からの川の距離でしょう。直線なら15キロくらいのはず。
ロープが張ってあるのは、来週の土曜日にここで花火大会があるので、場所取りさせないためです。場所取り開始時間というのがあるようで、その時間に大勢来るのだろうか。たぶん、ここはナイアガラが見えるのだと思います。花火大会はいろいろ行ったけど、ナイアガラは見たことがない。一度、上の方だけちらっと見えたことがあったくらいです。
地元の花火大会って、もしかして、生まれ育った川崎市以来かもしれない。来週どうしようかと迷っています。見たいけど、帰りが大変。
さて、これがスカイツリーです。手前の外環道が邪魔だ。


少し移動して、外環道の上の部分がまだできていないところへ。




しかし、花火って、意外に低いところで開くのですね。スカイツリーの展望台からだと見下ろす感じになるのでしょう。
ここからさらに先へ行けば外環道の下をくぐって向こうに行けるのですが(川は越えない)、その辺はとても寂しくて夜は怖い。花火もこんな感じで、しょぼいというか、たぶん、8時すぎないと派手にならないのだと思う。でも、このあたりも照明がないので、暗くなるとさすがに怖い。やむなく7時半すぎに退散。音は遠くの雲に反響して聞こえていました。

ここに来る前に、例のひまわり畑を見てきました。もうだいぶしおれているけれど、まだきれいな花もあります。



2016年7月29日金曜日

奇妙なアクセス数

昨日今日と、なぜかアクセス数が多い。
昨日は600台、今日は700台。
でも、記事に対するアクセスはふだんと変わらない。
日本からのアクセスもふだんと変わらない。
昨日はアメリカから500くらいのアクセス。
今日はロシアから600くらいのアクセス。
なんだこれ?
ブロガーは上の方に、次のブログというリンクがある。
たぶん、昨日はアメリカの人気ブログの次にこのブログがあったのだろう。
今日はロシアの人気ブログの次にこのブログがあったのだろう。
クリックしたら日本語のブログで、申し訳ない。

都知事選だけど、直前に立候補をとりやめた宇都宮健児氏の動きがどうもおかしい。
宇都宮氏の支持者の多くは鳥越氏支持にまわっているというが、極右の小池氏支持にまわっている人も多いという。その理由は、小池氏が自民党に逆らうリベラルに見えていて、日本会議や在特会、あるいはカルトともつながる大変危険な政治家だということが知られていないからだという。
まあ、アメリカではサンダース支持者の一部がヒラリーに反発してトランプ支持になったりしてるらしいから、そういうケースなんだろうけど、サンダースはヒラリー支持に切り替えてがんばっている。
そんなわけで、宇都宮氏にもサンダースになってほしいという願いは多かった。
しかし、宇都宮氏は鳥越氏を支持していないとしか思えないのだが、これまでも鳥越氏をディスるような感じだった。そしてこの終盤になって、宇都宮氏が鳥越氏を応援する条件として、週刊文春と週刊新潮のかなり疑わしいスキャンダルについて鳥越氏に謝罪を求めたという噂が流れている。
それを知ったネトウヨが大喜び←いまここ。
もともと宇都宮氏は立候補を表明したとき、野党共闘にこだわらず、自公の支持者も取り込んで、と発言していた。
この時点で、私は宇都宮氏は支持できないと思った。昨年の戦争法案反対から続く野党共闘を継続させるのが大事と思っているからだ。
しかし、どうも、宇都宮氏の支持者の一部は、野党共闘をよくないと思っている人がいるらしい(ツイッターから)。宇都宮氏も、野党共闘不支持の立場なのではないのか?
その理由として、宇都宮氏は民進党を信用していないのかもしれない。だが、宇都宮氏が共産と社民だけの支持で立候補したら、氏は永遠に都知事にはなれないだろう。
昨年からの野党共闘は共産党が大きく変わり、共闘を呼び掛けることで生まれた。宇都宮氏が野党共闘不支持なら、この時点で共産党に裏切られたと感じただろう。何か、そういうルサンチマンがあるのではないかと思ってしまう。
宇都宮支持者の一部が共産党だけを責めて、社民党は責めないとか、そういう奇妙な現象も起こっていた。
ここに来て、もう宇都宮氏の応援はいらないと思い始めた人も多いようだ。サンダースは石田純一だった、という声も出ている。
宇都宮氏が都知事をめざすとしたら、今の対応はやはりおかしい。
氏は「誰が都知事になっても世界は終わらない」と書いた。
小池氏が都知事になったら石原都政よりひどくなると危惧されているが、宇都宮氏は小池氏が都知事になった方がいいと思っているのだろうか? こういうことを言うと怒る人がいると思うけど、なんか、小池氏が都知事になり、金の問題ですぐに辞任、そして宇都宮氏が都知事になるとか、そういう希望を抱いているのかな、と、なんとなく思ってしまう。
あるいは、鳥越氏を都知事にしたくないので、小池氏でも増田氏でも今回はいいと思ってるとか。
まさか、やけっぱちで、最悪の事態になれとか思っていないよね?

2016年7月26日火曜日

闇(追記あり)

神奈川県の知的障碍者や肢体不自由者の施設で大量殺人があり、犯人が2月に衆議院議長に出した手紙がネットで公開されているが、かなり頭が変というか、デンパとしか言いようがなく、襲う施設の実名まで出しているのに犯人を病院に入れただけでその後、警備もしていなかったようだ。
犯人の心の闇はまだわからないが、在特会やヘイトスピーチで有名な桜井誠が、首都圏の治安が悪い、警察官など地方公務員の待遇をよくせよ、というツイートをした。
相模原の事件の背景はまだよくわかっていないのだが、桜井誠が今この時点でこういう発言をするのはどういう意味かもよくわからない。このツイートには例によってネトウヨのレスがいくつかついている。
この桜井誠のツイート自体は、これだけならヘイトではないのだが、彼のツイッターには「大嫌韓日記」というアバターがついている。
だから、このツイートを自分のツイッターでリツイートすると、この「大嫌韓日記」のアバターと桜井誠の名が自分のツイッターに加わるわけで、ネトウヨ以外はリツイートしたいとは思わないだろう。
しかし、ミステリーの翻訳家として有名なN氏がこれをリツイートしていたので驚いた。
さすがに忠告する人がいるだろうと思い、時間がたってから見てみたら、リツイートはそのままで、そのあとにじゃんじゃん自分のツイートを重ねて、桜井誠のツイートを下の方に押しやっている。
もともとN氏は他人のツイートをリツイートすることの少ない人で、桜井誠のツイートによほど共感したのだろう。
しかし、仮に、あのツイートに共感したとしても、「大嫌韓日記」のアバターのついたツイートを自分のツイッターに載せるとは、と、思った。
もともとN氏がネトウヨだったら、別に驚かないのだが、そうではないと思っていたので、ショックだ。
N氏にも何か深い闇があるのだろうか。
自分の訳すミステリーの読者に在日コリアンがいるとか、考えないのだろうか。
自分のツイッターなんて、見ている人は少ないと思っているのかもしれない。
あるいは、本当に、ネトウヨ的考えに惹きつけられているのだろうか。
あの事件の犯人もどこかでヘイトクライムを正義と感じるようになったのだと思うのだが。
闇はどこでどう生まれるかわからない。

追記
毎日新聞のサイトに犯人の手紙が掲載されているが、3枚の内2枚目が省略されているようだ。
3枚全部掲載はこちら。
1枚目
http://seijipress.jp/social/16097-07/
2枚目
http://seijipress.jp/social/16100-18/
3枚目
http://seijipress.jp/social/16103-47/
2枚目はフリーメイソンとか宇宙人とか完全に頭のおかしい陰謀論になっている。これがあると、何かこういう陰謀論とかヘイトスピーチとかに影響されたのだろうと思える。
犯人はヘイトクライムが完全に世のため人のためになると信じ切っている。
そして、安倍首相ならやってくれると思っており、これも極右のヘイトの影響か?
また、無罪にして、顔を整形して、5億円くれとか言っていて、ヘイトクライムを政府からのミッションにしたいと思っている。
あまりにもばかばかしかったので、警備をしなかったのかもしれないが、甘かったとしか言いようがない。

補足
やっぱり、という感じで、ネトウヨどもが今回の事件で「介護職の待遇改善」とか言いだしているらしい。
でも、もともとは、ネトウヨがマイノリティに対してヘイトスピーチを繰り返し、彼らなど滅びてしまえと言い続けてきた。そして、ついに、海外からヘイトクライムと報道される事件が日本でも起きた、ということ。
犯人の闇は、ヘイトスピーチがなければ、こういったものには発展しなかったのではないか。
カルトの陰謀論とヘイトスピーチが闇を生んだのだ。
そして今、カルトや極右がリベラルを装って都知事選に立候補というありさま。

ひまわり

10代の頃に見て、大好きだった映画「ひまわり」
 今はDVDのジャケットなどにはソフィア・ローレンがひまわり畑の中にいる写真が使われていますが、上は初公開時の日本のポスターと同じ。一番大きな顔はリュドミラ・サヴェーリエワ。清楚な魅力で、当時、大人気でした。
第二次世界大戦。ロシア戦線で雪の中に倒れたイタリア兵マルチェロ・マストロヤンニの命を救い、彼の妻となったロシア女性サヴェーリエワ。しかし、イタリアには彼の妻ローレンがいて、行方不明になった夫を探しにはるばるロシアへ。
訪ねてきたローレンを、サヴェーリエワは夫の帰る駅に案内する。汽車が着いて、降りてくるマストロヤンニを見たローレンは、そのまま走り去る汽車に飛び乗り、イタリアへ帰ってしまう。
ローレンを夫の本当の妻だとわかっていて、彼女を駅に案内するサヴェーリエワと、もはや過去は戻ってこない、この2人の幸せを壊したくないと、汽車に飛び乗り、号泣するローレン。
この映画には駅の別れが3回登場し、最初は出征する夫を妻が見送るミラノ駅のシーン。次がこのロシアの田舎町の駅のシーン。そして最後が、ローレンに会いに来たマストロヤンニを再びミラノ駅から送り出すローレン。
監督のヴィットリオ・デ・シーカは「終着駅」でも駅の別れを描いていました。
駅の別れの映画では、デイヴィッド・リーンの「旅情」も有名。
駅で別れなかったのは、ビリー・ワイルダーの「昼下がりの情事」。

「ひまわり」で、ローレンがサヴェーリエワに会う前、広大なロシアの平原に広がるひまわり畑を歩くシーンがあります。
あれを見て以来、ひまわり畑を見たいと思っていましたが、ひまわり畑どころか夏にまともなひまわりをあまり見たことがない。都会だと1本とか2本、ひまわりが咲いてはいますが、なんかすごく小さくてショボイのばかりです。
が、今年、ようやくひまわり畑を見られました。
まあ、畑といっても狭いですが。
近所の自然公園。去年の秋はコスモス、今年の春はポピーが咲いていた場所に、ひまわり。

これは7月はじめです。まだほとんど咲いていない。

この真ん中の部分がどんどんふくらんでいきます。最初はこんな感じですが。

7月10日くらいになると、花が増えてきます。まだ真ん中はそれほどふくらんでいない。

だんだんひまわり畑らしくなってきました。

7月後半に入ると、かなり真ん中がふくらんできます。

まだつぼみもあるので、次々咲いてくる。

前に一度アップした、ひまわりに向かって飛ぶ蜂。

そして7月下旬。真ん中が重くなると花が下を向くようになります。はなびらもしおれてくる。


ひまわりは真夏の花と思っていましたが、梅雨が明ける前が見ごろなのでしょうか。
場所によっても違うと思いますが。

2016年7月25日月曜日

郊外生活

都心にいた頃は上野から銀座までのどの場所も地下鉄初乗り料金で行けたので(上野は歩いていけた)、毎日どこか都心の場所に出かけていたが、郊外生活になってからは通勤も映画館へ行くのも時間がかかり、手ごろな喫茶店も近くになく、結局、何もない日は近くの自然公園へ行く日々。
でも、今日は、速足で歩いて15分あまりのところにある喫茶店へ行ってきた。
その喫茶店、星乃珈琲店の存在は前から知っていたけれど、かなり前からコーヒー店はセルフサービスの店ばかりで、セルフでない喫茶店は敷居が高い気がしていた。
でも、そこからさらに先にある駅の前で親子丼を食べて、そのあとなんとなく星乃珈琲の店だけでも見てみようと(近くにはよく行くけど、店のそばには行ったことがなかった)、近くに行く。
まず、都心のあちこちにある有名なスパゲッティの店が1軒の建物で営業しているのでびっくり。
その隣に駐車場があり、その先に星乃珈琲店があった(駐車場はおそらく両方で使っている)。
もう、五右衛門がまるまる1軒の建物とか、喫茶店の前に駐車場とか、これが郊外か?
次は五右衛門に入ってみよう。
星乃珈琲をのぞいてみると、なんだかかなりすいていた。閉店まであと90分くらいだったから、このまますいているのかな、と思い、中に入ってみる。
お客さんはカップル1組と男性の1人客のみ。席選び放題で、窓際の隅の席に座る。ファミレスと同じで、ボタンを押してウェイターを呼ぶ。
珈琲はセルフじゃないにしてはリーズナブルな値段。フードがいろいろあって、フードを頼むとドリンクが安くなる。こんなことなら駅前で親子丼食べずにこっちに来ればよかった(次からはそうしよう)。
アイスコーヒーを飲みながら、先日ブックオフで1冊108円で買った文庫を読む。奥田英朗の「野球の国」のあとは恩田陸の短編集「図書館の海」。すでに半分以上読み終わっていて、残りの3作を読む。
恩田陸は前から気になっていた作家だけれど、読むのは初めてだった。長編の続編や前日譚になっている短編はやはり本編を知らないのでイマイチ。だが、独立した短編はみごと。SFや幻想小説に分類される作品ばかりだからか、小説の構成がシュールで、物語がどう転がっていくのかわからない。作者の才能に圧倒される。この人はプロットを決めてから書くのだろうか?
読み終わったあと、今度は角田光代の短編集「三面記事小説」を開く。恩田とは正反対のリアルな描写。昔ながらの小説という感じ。三面記事の事件をヒントにした小説なので、なんとなく先が見えてしまう(少なくとも最初の短編は)。家族の濃い話っていうのも私向きではないな。
最初の短編を読み終わると、閉店まで20分ほどだった。はじめは3人しかいなかった客がその後増えて、今は3組の客の話し声が大きく聞こえている。みんなよく話し込んでいて、帰る気配がない。ぎりぎりまでいても大丈夫かな、と思ったところで、入口近くに新聞と雑誌が置いてあるのが見えた。
近寄ってみると、週刊文春と週刊新潮がある。
まだ時間があるので、週刊文春の最新号をのぞいてみる。
例の鳥越俊太郎の記事だ。
ネットでだいたい内容は知っていたけれど、このスキャンダルは当事者の女性にはまったく接触できず、新潮が取り上げるのを断念した話とのこと。文春はその女性の夫から話を聞いたとなっていて、その背後に有名な上智大教授の存在があるとか(教授は別メディアの取材を拒否)。
夫の話というのは要するに、妻があの件でトラウマになっているから、鳥越氏にはマスコミに出ないでほしい、知事になるとしょっちゅう顔が出るので妻に悪影響が、ということらしい。
あの件というのは強引にキスをしたということなのだけど、鳥越氏は事実無根と言って刑事告訴もしている。
証拠としてあがっているのは、夫が鳥越氏に送ったとされるメールの写真だけ、それも一部で、黒く塗りつぶされているところが多い。
選挙期間中に出すネタとしてはあまりに弱いし、選挙妨害ととられてもしかたないが、一般の市民はこの手の週刊誌ネタには実際は影響されないという説もある(鳥越氏が小池氏、増田氏に比べて支持が少ないとされるのは、鳥越氏の選挙活動の方法がまずいのだというのが一般的な意見)。
どっちかというと、ちょっとした誤解で女性がトラウマになってしまい、それで夫が、という感じがするんだけど、この件を見て思い出したのが、中央大学の女性非常勤講師解雇事件。
数年前のことだが、中央大の女性非常勤講師で舞台芸術のアーティストでもある人がいた。彼女は母校の慶応大では英語を教えていたが(もともと英文科卒)、中央大では舞台芸術の授業とゼミを持っていた。
非常勤講師でゼミを持つこと自体がめずらしいのだが、このゼミがちょっとカルト的になっていたところがあったらしい。講師の女性の思想に惹きつけられて学生が集まるみたいな感じ。
で、あるとき、このゼミに他の学生とはかなり違う1人の男子学生が参加する。
明らかにこのゼミに向いていないのだが、講師はこの学生をなんとかしてやりたいと思ってしまう。
その結果、この学生に入れ込みすぎて、飲み会のあとに自宅に男子学生を泊めたりしてしまう(講師と学生の間にはもちろん、何もない。単に学生がそこで寝てしまっただけ)。
しかし、これがセクハラと親から訴えられ、クビになってしまったのだ。
クビになる過程が確かにひどいと思うが、講師もツイッターを使っていろいろ書いてしまったのはまずかった。
今の時代、講師は学生と親しくなりすぎるのはまずいと、私も感じるところがある(私じゃ何も起こりませんがね)。

2016年7月23日土曜日

「野球の国」

なんとなく自分の日本語を磨きたいと思い、それには気になる日本人作家の文章を読むのが一番、と思ったので、ブックオフで108円の日本人作家の文庫本を5冊買うぞ、と思い、深く考えずにとにかくピンと来た5冊を買った。短編集3冊、エッセイ集1冊、長編小説1冊。短編とエッセイを中心にしたのは、短かめの文章の構成を少し勉強したかったから。
最初に読んだのは奥田英朗の「野球の国」。奥田が野球観戦を目的に、日本のあちこちと台湾を旅するエッセイ集。
奥田英朗と言えば、最初に読んだのは変人医師・伊良部のシリーズ1冊目「イン・ザ・プール」。映画化されて、その映画評の執筆を依頼されたので読んだ。面白かったので、2冊目「空中ブランコ」、3冊目「町長選挙」も読んだ。「イン・ザ・プール」はけっこう棘のある書きっぷりだったけれど、直木賞受賞の「空中ブランコ」ではその棘がとれてほんわかムードになっていた。1冊目の棘のある文章は実はあまり好きではなかったが、2冊目でこの作家が気に入った。
そういえば、森田芳光が映画化した「サウスバウンド」もこの人が原作なんだけど、まだ読んでない。映画の方は森田芳光にしてはめずらしくあまり面白くないと感じたので、原作は読まなかったのだが、考えてみれば森田の作風と奥田の作風はかなり違うと思う。「サウスバウンド」も今度読んでみよう。文庫本上下各108円で売ってたし(作者が儲からないだろ、おい!)。

「野球の国」は拾い物だった。
もともと野球は好きだし、この本の文章が書かれた2002年頃はプロ野球に詳しかったので、選手の名前もすぐわかる。
奥田英朗は映画も好きなので、地方に野球観戦に行ったついでにそこの映画館で映画も見ている。
最初に行った沖縄で、彼は「地獄の黙示録 完全版」を見ている。
そして、後半に行く広島では「インソムニア」を見ている。映画館は広島スカラ座で、昔私が広島へ行ったときに入った映画館がここだった気がする。
「地獄の黙示録 完全版」も、「インソムニア」も、映画に合せて翻訳本を出した思い出の映画だから、本を読みながら特別な感慨にふけった。
エッセイの文章がとてもいい。ユーモアにあふれ、人柄のよさがうかがわれる。不眠症なところは私にそっくりだ。映画に関する考え方は私を極端にしたみたい。「地獄の黙示録 完全版」を絶賛し、「インソムニア」を予定調和と切り捨てる。私はそこまでしないが、映画に関する物言いには共感するところが多い。
人が少ないところが好きだと言う。私と同じだ。けっこうしょっちゅう世の中に腹を立てているらしい。私もそうだけど、私の方がまだ少ないかな。でも、奥田の文体はとてもほんわかしていて、旅先で出会う人々への視線がやさしく、そんなに腹を立てているのかなと思う。しかし、「イン・ザ・プール」の棘のある文章を思い出すと、奥田がそうした棘をユーモアやほんわかした文体ややさしい視線で隠しているのだと気づく。
神は細部に宿る、と彼は書いている。まさにそのとおりのエッセイ集だ。いやなこと、腹が立つことをさらっと書いて、そのあとユーモアで棘を隠す。そして、すばらしいと思ったことをひたすら強調するから、いやなことが書かれていたことなんか忘れてしまう(思い返せばけっこう書かれていたのだが)。
奥田はプロットを作って小説を書くことが嫌い、あるいは苦手で、先を考えずに書くのだそうだ。小説の魅力は文体にあると彼は主張する。実際、文体がすばらしい作家だということはわかる。プロットを作り、それを頼りに予定調和の物語を書くのではなく、先の見えない状態で書く。だから書くことには常に苦痛が伴うらしい。不眠症もそこから来ているのだろう。でも、出来上がった小説やエッセイは苦痛とは正反対の魅力を持っている。
ブックオフでこの本を手に取ったのは正解だった。これこそ、日本語を磨きたい私が必要としていた本だった。文体もそうだが、なにより、予定調和ではない文章を手探りで書くこと、まさにこれが私がやりたいと思っていたことなのだ。これまであまりに理詰めできちんと考え抜いた文章ばかり書いていたので、そうではない文章を模索していたところだったのだ。
ブックオフには神様がいたってことですね。

2016年7月21日木曜日

私は文春では仕事をしていない。社屋には入ったけどね。

週刊文春の野郎、またバカなことしやがって。
さっさと刑事告訴されてしまえ。

私は大手出版社の多くで、一応、なんらかの仕事をしている。
集英社 18歳の私に漫画原作の賞をくれた(賞金5000円)。80年代前半には翻訳候補作のリーディングを少しだけやった。80年代後半には文芸誌「すばる」で映画評を1年に1回書いていた。その後は月刊誌で長めの記事の翻訳1回。
新潮社 「テロリストのダンス」と「インソムニア」の2冊の翻訳を出す。
扶桑社 犬猫短編集3冊に参加。単行本「地獄の黙示録完全ガイド」の翻訳。
小学館 「ハリウッド・ボウルの殺人」と「グリーン・アイス」の翻訳。
講談社 80年代に翻訳する話があったが、内容が気に入らず、断ってしまう。2000年代にリーディングを何冊かするが、仕事に結びつかず、担当者が異動でジ・エンド。
朝日新聞社 「朝日ジャーナル」に1回執筆。
角川書店 「猿の惑星新世紀」の解説。
早川書房と東京創元社でも仕事いろいろしてました。
二見書房はロマンス小説1冊訳したけど、その後決裂。本は出なかった。
おお、無名の人間にしては大手で仕事してるではないか、でも、ちょっとだけ。

実は、大手はわりと間口が広いです。
早川とか創元とか、中堅の方が間口が狭い。コネがないとむずかしい感じ。
でも、大手はわりと誰でも一応会ってくれる感はある。
文春も一応、会ってくれました。そのとき持っていった企画はヴェルナー・ハイゼンベルクの伝記。これは本当に訳したかったけど、内容が物理の専門的な部分が多いので、興味は持ってもらえたけど、そこがネックでダメでした。その本はその後、物理の専門家たちの手でマイナーな出版社から翻訳が出ました。
というわけで、大手は間口が広い。でも、仕事を続けてもらうのはむずかしい。
中堅や中小は間口が狭く、コネがないと入ることもむずかしい。が、いったん認めてもらえると継続的に仕事が来る。
というのが私の印象。役に立つかどうかはわかりませんが。

2016年7月20日水曜日

ひまわりに向かって飛ぶ蜂

偶然撮れた1枚。

「シング・ストリート 未来へのうた」について書かなければ、と思っているうちに公開されていた。
「Once ダブリンの街角で」、「はじまりのうた」で音楽ファンに熱狂的な支持を受けているジョン・カーニー監督の新作。これまでと違い、初めて自分の少年時代をもとにしたストーリー。そのせいか、前2作に比べてオシャレ度が低い感じがするが、その分、1980年代のアイルランドの問題を適度にまじえたリアルな出来栄え。
以前このブログにも書いた「ブルックリン」と比較して見てほしいと思うが、どちらもアイルランドという国の保守性を批判している。「ブルックリン」は50年代、「シング・ストリート」は80年代。前者は保守的なアイルランドと対比される自由な国としてアメリカが、後者は未来への希望の国としてのイギリスが登場するが、どちらもアイルランド目線だからだということは絶対に理解しないといけない。アイルランド人が保守的な自分の国の問題を見据える延長としてのアメリカ、イギリスであって、アメリカ人やイギリス人が自画自賛しているのではないということ。
「シング・ストリート」では、父親の失業のせいで裕福な生徒が行く私立からカトリック教会が運営していると思われる高校(校長や先生が神父)へ転向した主人公が、いじめにあったり、両親の不和を目の当たりにしながら、バンドを組むことで人生に活路を見出す姿が描かれる。
全体としてはほんわかムードなので、悪役もそんなにあくどくなく、むしろいじめっ子の少年が実は家では親から虐待されていて、バンドのボディガードにスカウトされると喜んで参加、という気持ちのいい展開。
それでも80年代当時のアイルランドのカトリックの抑圧、保守性、庶民が抱える失業や犯罪の問題、そして家庭の問題(これは他の国にも共通するが)の描写は、80年代にそうした問題をもっとシリアスに描いたアイルランドの映画や小説を多少とも見てきた私にはリアルに感じられる。もちろん、今はだいぶよくなっているのか、映画の最後に「この映画は過去の時代を描いたもので、現代のアイルランドとは違う」という英語字幕が出る。
歌手をめざす少女と主人公が自分たちと、そして仲間の希望を叶えるべく、祖父の小さな船でイギリスに向かうラストは「トゥルーマン・ショー」のクライマックスに少し似ているかもしれない。

「ブルックリン」映画評はこちら。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/03/blog-post_31.html

2016年7月18日月曜日

続・気になること

都知事選はどうやら小池氏が一歩リードのようです。
今回の選挙は、
増田氏=原発推進→当選したら東電の原発再稼働?
小池氏=日本会議所属、在特会とつながり、自民の中でも極右の極右→当選したら、五輪の間は基本的人権なくなる?
鳥越氏=唯一のリベラル、野党共闘候補。が、選挙のやり方がどうもやばそう。
って感じらしい。
参議院選挙に続いて野党共闘で改憲阻止、という観点で鳥越氏を応援したいな、と思っていたのですが(都民じゃないので投票権はない)、ここに来て、現実的に、鳥越氏が当選しないとやばい、と思い始めました。
舛添氏はなんだかんだ言ってもリベラルな面があった人で、だから宇都宮氏や細川氏が落選しても、ま、いいか、って感じはあったんですが、今回はほんとにやばいです。
千葉県の方の日本会議の支部が、小池氏が都知事になったら在特会のS氏を副都知事に、政策は宇都宮氏のをパクッて、とかツイッターに書いている(S氏は都知事選に立候補してますが)。
宇都宮氏のシンパを小池氏に誘導しようとしてるツイッターもあるし。
小池氏は自民党に反旗を翻しているので人気を得ているみたいだけど、こういう人気が一番怖い。

というようなことを書くと、またまたアクセス数が激減するんだろうな。
でも、別に激減してもいいや。
まあ、私のブログなんざ、何の影響もないのですが、やっぱり書いておきたかったのです。

2016年7月15日金曜日

気になること。

あの福島原発事故から5年以上がたった。
事故のあった2011年から某大学で映画の授業をするようになり、2012年からその中で「チャイナ・シンドローム」を扱った。
2012年のときはさすがに事故から1年しかたっていなかったので、学生は原発事故の恐ろしさや隠蔽に対して敏感に反応していた。自分は反原発だと言う学生も多かった。
その後、ほぼ毎年、「チャイナ・シンドローム」を扱っているのだが、年を経るごとに学生の感想が反原発から原発容認に変わっていく。
今年は反原発、脱原発の学生は極端に少なくなり、事故が起きないように注意すればいいのだ、という容認派が多数になった感がある(別に統計をとっているわけではないので、なんとなくの感触だが)。
ネットを見ると、反原発派の中にトンデモ陰謀論者が増えているという。そういう影響もあるのだろうか。
そして都知事選。自公が公認する増田氏は告示前日に東電の取締役を降りたという人物。もちろん、原発推進派。
前回の都知事選では宇都宮氏と細川氏が脱原発で、当選した舛添氏も積極的に原発推進というわけではなかった気がするが、今度はバリバリの原発推進派。
まあ、今回は細越氏の方が有力な感じがするけど、原発容認が日本の中にかなり浸透してしまっているのか、という感もあるので、気になる。(追記 どうやら原発推進の増田氏は沈没傾向で、今や鳥越氏対小池氏になっているようです。増田氏より小池氏の方が思想的にずっとヤバイのですが(日本のトランプか?)けっこうリベラルも勘違いしてるとか。)

昨年、引越をして都民ではなくなったので、鳥越氏に一票を投じることができなくなったのがしごく残念というか、30年以上都内に住んで、青島氏に投票したとき以来のわくわく感があるので、ほんとに残念。
青島氏のときは都市博中止という公約があって、それに同意したので投票した。まさか当選するとは思ってなかったのだけど、一度決めたらやめないこういうイベントを中止にしたのはよかったと思う。
この青島氏以来、都知事はマスコミ有名人ばかりになっていて、今回の鳥越氏もマスコミ有名人。対する増田氏とか小池氏とかは違う(小池氏は別の意味で有名人ですが)。
鳥越氏が当選すれば、またまた有名人だから、と言う人が出るだろうけど、選挙のように投票で決まるものは多かれ少なかれ人気投票的色彩を帯びるのだと思う。
たとえば、アカデミー賞もキネマ旬報ベストテンも投票で選ばれるが、これも人気投票の要素は多分にある。選ぶ人が一般人でないというだけで、投票権を持った人たちの嗜好が見てとれるのだ。
それでも、アカデミー賞は全米第1位のヒット作が作品賞にはならないし、キネ旬ベストテンも興行成績とは連動していない。それでも、ある程度のヒット作、話題作であることが条件だ。
選挙もそういうものだと思う。それを、ペーパーテストの入学試験みたいによい点を取った方が当選すべきみたいな考えを持つ人がけっこう多いらしい、それもリベラルな人々に、ということを強く感じた。
というか、前の都知事選でそれを感じて投票しなかった人がいるんですよね。その人は今回、すばらしい英断をしましたが(私はずっと、その英断をしてくれると信じていましたが)、支援者の一部のツイートを見ると、やっぱり選挙をペーパーテストみたいに考えているんだな、そこを変えないと、この人は当選しないよ、と思ってしまいました。

2016年7月13日水曜日

By the Sea

アンジェリーナ・ジョリーが夫の姓ピットをつけての製作・監督・脚本・主演作「白い帽子の女」を見てきました。
試写室はなぜかガラガラ。悪い予感は的中し、映画はかなりつまらなかった。
アンジェリーナと夫のブラッド・ピットの10年目の夫婦共演、という話題もあって見に行ったのですが、やっぱり、彼女は監督としてはあかんのではないかと。
だって、あの「アンブロークン」がかなりいいかげんな出来で、反日だなんだというレベル以前の問題だったので。もう1本の監督作は見てませんが。
で、タイトルの「白い帽子の女」というのは、アンジェリーナのかぶる帽子の1つが白いからなのでしょうが、彼女はほかに黒い帽子と、白と黒の模様の帽子をかぶっています。
原題はBy the Sea。こっちの方がいいですが、海辺にて、ではちとインパクトに欠ける。が、白い帽子の女がよかったかどうかというと疑問。
舞台はプレスによると1973年のようです。過去の時代の話というのは明らかで、タイプライターが出てくるところでもうワープロ、パソコン以前の時代だとわかります。
その1973年のマルタ島に、アメリカ人夫婦がやってきます。夫は作家、妻は元ダンサー。何かの事情で妻は心を病み、夫婦関係も危機になっている。
夫は必死に元の関係を取り戻したいと思っているけれど、傷ついた妻はもとに戻れない。
二人の泊まるホテルの部屋の隣に若い新婚カップルが泊まっています。
なぜか部屋の壁に穴があいていて、隣がのぞける(アンジェリーナ側がのぞけるのに、向こう側のカップルが穴に気づかない、というのが変ですが、まあそれはいいとして)。
新婚でラブラブなカップルを見て、アンジェリーナ演じる妻が、なんというか、変化していくというか、うーん、いい方向への変化ではないので、何とも言えないのですが。
このアンジェリーナ演じるつらい過去を持つ妻が、善良であると同時に他人を傷つけるような悪の面を持っていて、隣室のカップルに災いをもたらしてしまう、というのがクライマックスです。
白い帽子の女であると同時に黒い帽子の女でもある彼女。
うーん、うーん。
昔はこういう映画、けっこうあったんですよね。
でも、今はこういう話、ちょっと時代遅れではないかと。
映像も昔なつかしい雰囲気なんですが、結局、アンジェリーナの自己満足にすぎない映画に思えてきます。
同じ題材だったら、やはり70年代の作品の方が切実だったと思います。

2016年7月10日日曜日

勝ち組も負け組もブログは毒吐き

ネットサーフィンをしてたら、30代前半と思われる2人の女性が、勝ち組だ、負け組だ、とブログでやっていました。
勝ち組はこちら。
http://www.shiningmaru.com/entry/2016/04/29/212824
それに対する負け組の意見はこちら。
http://nyaaat.hatenablog.com/entry/2016/04/30/182924
それに対し、最初の勝ち組さんが補足記事を。
http://www.shiningmaru.com/entry/2016/05/01/180623

個人的には、最初の勝ち組さんの記事、全然つまらなくて、途中から相当すっ飛ばして読みました。つか、ほとんど読んでないか。いい大学を出ていい会社に入ってとか、今更感いっぱい。
補足記事の方は具体的な仕事の話なので、面白かったですね。
しかし、負け組さんのブログは負け組の暗い話が多いんですが、ユーモラスで一見明るい勝ち組さんのブログも副題が「年収1000万~2000万激務で擦り切れた丸の内OLが毒をはくブログ」って、結局勝ち組も負け組もブログで毒吐いてるのか。
それでも勝ち組さんは激務をこなす体力はあるようだし、仕事が好きなようだから、とりあえず今は無問題ってことで、私に興味深かったのは負け組さんの方です。
この方の他の記事をいろいろ読ませてもらいました。
この方は田舎でがり勉して一橋大に入り、念願の出版社で編集者の仕事についたものの、激務で心を病み、なんとか立ち直って今は派遣社員とのこと。
まあ、勝ち組さんもそうなんだけど、この負け組さん、救いようのないほどの社蓄です。
雇われることでしかお金を稼げない人です。
この人、今、派遣社員で翻訳の仕事をしているとのこと。仕事が楽しいけれど、派遣法改悪で3年でクビ。派遣会社は別の仕事を紹介すると言うけど、翻訳の仕事ができなくなる。
そこで、今、この人の目標はTOEICで900点を取ること、だそうです。
確かに翻訳者の募集にTOEIC900点以上とか書いてあるのを見たことがあります。派遣で翻訳の仕事をとるにはこれが条件なのでしょう。
でも、この人は今、翻訳でお金をもらっているわけです。これは履歴書に書ける立派な職歴です。
しかも、この人は一橋大卒です。がり勉して一流大に入ったけれど余力がなくて失敗した、もっと適度なところに入ればよかった、と書いていますが、そんな過去のこと言ったってしかたない。今、この人に出来ることは、一橋大という高学歴を最大限に利用することです。
特に産業翻訳は経済や法律が強いと有利なので、その線で押すことを考えるべきです。
一橋大になんか入るんじゃなかった、母校が嫌い、と思うのなら余計、母校の肩書を利用すべきです。ビジネスライクに利用すればいいんです。
履歴書に翻訳のキャリアを書き込むことができたら、あとは派遣で別の仕事をしながら翻訳の仕事をフリーランスで手に入れるようにしていけばいい。
しかし、この方にはフリーランスという発想がまるでないみたいです。
また、女性は結婚相手を確保しておくのもいい、と書いていますが、結婚相手が失敗だったら、会社が失敗どころじゃないですよ。会社を辞めるのは簡単だけど、離婚は修羅場。
あと、この人、出版社の編集者の職歴もあるんですよね。編集者から翻訳家になった人は多いです。編集者はつぶしがきかないと書いてますが、編集者がフリーランスの翻訳家、著述家、そしてフリーの編集者になっている例は多いです。
つまり、この人は一橋大卒、出版社で編集者の職歴、今派遣で翻訳の職歴、という、実に有利な条件を3つも持ちながら、その有利さには気づいていないみたいなのです。
まあ、ブログを読んだだけなので、勝手な思い込みもあるかとは思いますが、この人が負け組なのは、発想や思考がそもそも負け組で、非常に狭い視野でしかものを見ていないせいではないかと思うのです。
勝手なこと書いちゃいましたが、本人がここを読むことはないと思うので。
あと、私は翻訳の仕事にTOEICの点数を条件とするところはこっちからお断りです。
TOEICは最近はライティングやスピーキングの試験も始めたようですが、世間で言う点数はリーディングとリスニングの点数です。だからTOEICの点が高いのに英会話ができないとか、ビジネスメールも書けないとか言われる人がいる。そして、TOEICはマークシートなので、日本語能力がわかりません。日本語能力がわからないでマークシートの点だけで翻訳能力を見るところはこっちからお断りです。だいたい、マークシートの試験ばかり受けている人は頭がバカになるというのに。読解だって、マークシートじゃ細かい英文の読解力がどの程度かわからないと思う。
一橋大卒で、編集者の職歴があって、翻訳の職歴も作りつつあるのに、TOEIC900点めざすって、もったいなさすぎて涙が出るよ(900点くらい簡単にとれるならいいですが)。

2016年7月9日土曜日

思い出

参議院選挙は期日前投票をもうすませています。
新しい町での初めての選挙。ちょっととまどったことも。

1年前まで住んでいたマンションの部屋、今はどうなっているかな、と思って検索したところ、まだ空室でした。そして、家賃が3000円も上がっていた。
私がこの部屋を初めて見たのは東日本大震災の前年の秋で、前からこのマンションの最上階に住みたいと思っていたらロフト付きワンルーム(ロフトは1階分の高さがあるのでメゾネット風)が空いたので、早速見に行きました。
が、壁は白く塗られているものの、床はワンルームの方はフローリングの上にクッションフローリングを貼りつけていて、それがかなり古い。ロフトの床は板がボロボロ。システムキッチンも換気扇も古くてあちこちボロボロ。そして浴室はバランス釜。これで82000円かよ、と思ってやめました(エアコンもついてないし)。
その後、ほかの部屋を当たるも今一つ決め手を欠き、やがて東日本大震災。それもあって部屋探しを一時中断。4月からまた探し始めましたが、やはり気に入ったところがない。
結局、最初に見たその82000円の部屋と、駅から少し遠いけど部屋はリフォームされてきれい、エアコンは新品が2台もついている広めの1DK85000円が最終候補になったところで、82000円の部屋が2000円値下げして80000円になったので、こちらに決めました。
が、契約直後、85000円の方がなんと1万円値下げで75000円になったのです。惜しかった。
ただ、駅から近くて閑静、眺めもいい(屋上からスカイツリーが見える)、ということで満足でしたが、入居した直後、ガス会社がガス開栓の検査に来たときに浴室に地震が原因の問題があることが発覚。その上バランス釜が非常に古くて危険、と言われ、大家さんが最新式のマイコンによる給湯式のバスに替えてくれたのです。
バスタブも新しくなって快適になり、4年ほど住みましたが、家賃8万円は経済的にきつく、おまけに不動産屋が倒産して更新時にトラブルになったので、転居しました。
そのマンションは今年で築40年になる古いもので、私が入居したときも同じ階の2DKがずっと空いていました。最初は128000円くらいで募集して、その後家賃をどんどん下げて、11万くらいに下がりましたが、それでも私が引っ越すときは空いたままでした。が、今回検索してみたら今は埋まっているようです。私が引っ越す前に1階の2DKも空いたけど、こちらも埋まっていました。同じ階の2DKは窓から中が見えたけど、きれいにリフォームされていて、私の部屋みたいにボロボロなところがなかったけど、それでも4年以上空いてたのだな。1階の2DKもおそらくきれいにリフォームされていたのでしょう。
私の住んでいた部屋は、私が借りなければ誰も借りないだろうな、と思うような部屋だったので、私が引っ越したら当分埋まらないと思っていました。が、検索したら83000円と、3000円値上げしていたので、中をきれいにしたのだろうかと思ったら、不動産屋のサイトに出ている写真ではもとのままみたいでした。本当にボロボロでどうしようもなかったロフトの床だけはきれいにしたように見えますが、あとは全部同じみたい。バランス釜じゃなくなったのが値上げの理由かもしれない(でも、この家賃ではむずかしいので、いずれ下げるでしょう)。
この部屋は構造上、エアコンをつけるのが非常にむずかしいので、それがネックなんですけどね。
マンションの入口の郵便受けの写真もあって、3つの部屋の郵便受けの口がふさがれていましたが、大家さんが1階の北向きの部屋は前に住んでいた人がめちゃくちゃにしていったので、直すには百万円かかる、と言っていたので、ここはもう貸さないのでしょう。あと1つは、私のあとに空いた部屋で、ここは9年前に初めてこのマンションの部屋を見に行ったときに見た部屋でした。南向きで日当たりはいいのですが、窓を開けると目の前がお墓。お墓参りの人が窓の前まで来てしまう立地です。
そんなわけで、自分のいた部屋も、このお墓の前の部屋も、そしてマンションの共有部分、屋上からの眺めなど、写真を見ながらひとしきり、なつかしい思いをさせてもらいました。いろいろあったけど、全体としては気に入っていた部屋でしたね。

2016年7月6日水曜日

「栄光のランナー 1936ベルリン」(ネタバレあり)

ジェシー・オーエンスの名を初めて目にしたのはたしか中学生のときに読んだレニ・リーフェンシュタールのインタビューだったと思う。
当時、リーフェンシュタールはまだ現役のドキュメンタリー映画作家だった。
ナチスドイツの威信を世に知らしめるために行われた1936年のベルリン五輪。その記録映画「美の祭典」「民族の祭典」を監督したリーフェンシュタールが、陸上で4つの金メダルを獲得したアメリカの黒人選手ジェシー・オーエンスを熱心に撮影したことを聞かれ、彼女はこう答えた。
「ジェシー・オーエンスは美しかった」
そのときのインタビューはリーフェンシュタールに好意的なものだったと記憶しているが、その後、リーフェンシュタールはナチスの宣伝映画の監督であり、そのことについて戦後も反省の弁を述べていない、といった批判が目につくようになった。彼女とオーエンスについて語る記事も目にしなかった。
そのジェシー・オーエンスの1935年から36年の2年間を描く伝記映画「栄光のランナー 1936ベルリン」を見た。原題は「Race」。競技のレースと人種の両方を意味する、短いが奥深いタイトルだ。
高校時代から卓越した才能の持ち主だったオーエンスはオハイオ州立大学に入学し、そこで名コーチと出会い、ベルリン五輪の金メダルをめざすことになる。国内の競技大会で次々と世界新記録を打ち立て、ベルリンへの期待が高まるが、ナチスドイツの人種差別政策がアメリカで問題視され、五輪をボイコットすべきだという声が高まる。
スポーツに政治を持ち込むな、と言って五輪参加に賛成するのは、のちのIOC会長ブランデージ(当時はAOC会長)。私が子供の頃はIOC会長といえばブランデージでした。
一方、ボイコットすべし、と主張するのはアメリカ・オリンピック委員会の委員長マホニー。ブランデージをジェレミー・アイアンズ、マホニーをウィリアム・ハートという豪華共演で、この2人のやりとりがすばらしい。どちらも真剣にオリンピックについて、社会について考えているのがわかる。決して相手を非難せず、真摯にそれぞれの主張をしているのがわかる。
ブランデージはベルリンに視察に出かけるが、町にはユダヤ人をののしる言葉があふれ、ユダヤ人が無理やりトラックに乗せられている。ブランデージは宣伝相ゲッベルスに、これではアメリカはボイコットせざるを得ないと主張し、ドイツ側は表向きは人種差別をやめることになる。このときのブランデージとゲッベルスのやりとりが英語とドイツ語なので、リーフェンシュタールが通訳をするが、どちらの言葉もそのまま通訳できないので、言葉を和らげて伝えているのが興味深かった。このとき、ブランデージは、アメリカのドイツ大使館建設をブランデージの建築ビジネスに依頼するという話を受けてしまい、このことがのちにドイツ側に弱みを握られることになる。
アメリカ・オリンピック委員会は僅差で五輪出場を決めるが、オーエンスには黒人団体から参加するなという圧力がかかる。参加すればナチスの人種差別を認めたことになる、というのだ。オーエンスは迷った末、一度は五輪辞退を決意する。
映画の前半は、アメリカがベルリン五輪をボイコットすべきか参加すべきかがテーマになっていて、それがそのままオーエンスの選択にもなっている。
参加することはナチスの人種差別を容認することになるのか?
それとも、黒人が参加して勝つことで、ヒトラーと人種差別にノーを突きつけることができるのか?
そして、この映画が優れているのは、人種差別をしているのはドイツだけではないということだ。
ブランデージとマホニーの対立の中でも、「人種差別についてはアメリカだってドイツと大差ない」ということが何度も言われる。オーエンスの父も黒人団体の人物に、息子が参加してもしなくても人種差別のアメリカは変わらないと言う。映画は白人席と黒人席に分かれたバスに乗り込むオーエンスから始まっている。アメリカではユダヤ人も差別されていたが、黒人差別は本当にひどいものだった。ドイツに比べてアメリカは人種差別がなく民主的だなどとはまったく言えなかったのだ。
つまり、この映画は、すでに十分に非難されているナチスドイツの人種差別についてではなくて、翻ってみると、実は、かつてのアメリカがナチスばりの人種差別社会だった、ということを重要なテーマにしているのである。
結果的にオーエンスはベルリンで4冠を勝ち取った。ナチスは黒人選手のオーエンスを記録映画から消したかったようだが、オーエンスに魅せられたリーフェンシュタールが映像を守った。理由は最初に書いたように、「オーエンスは美しかった」からだ。
この映画のリーフェンシュタールは大変好意的に描かれている。中学生の私が読んだ彼女のインタビュー、「オーエンスは美しかった」というインタビューの記憶に近い。ナチスのプロパガンダ映画を作り、反省もしていない映画監督、という描かれ方はしていない。
リーフェンシュタールに扮したオランダの女優カリス・ファン・ハウテンは、「彼女が当時、ヒトラーの政策について、事態について、どの程度理解していたのかわからない」と述べている。この映画のリーフェンシュタールは大作映画を撮ることになった野心的な監督で、美と芸術に打ち込んでいる女性として描かれている。彼女の頭には政治や社会はなかったのだろう。美しいものをひたすら撮る。それが政治的社会的にどういう意味があるかはいとわない。黒人のオーエンスの美しさを撮り、競技中に真のスポーツマンシップと友情で結ばれたオーエンスとドイツ人選手ルッツの姿を美しいと思って撮る。リーフェンシュタールの映画はナチスのプロパガンダとして成功するが、その一方で、オーエンスの勇姿を永遠に残るものとした(オーエンスにやらせのショットを撮らせるシーンで、彼女が言うせりふに、彼女の美意識が現れている)。
この映画は主要人物はおおむね善人で、悪人はナチス側はおもにゲッベルス、それ以外は黒人差別をするアメリカ人となっている。ここでもアメリカでの黒人差別がメインテーマだということがわかる。ドイツ側の人物ではオーエンスと友情で結ばれるルッツが、内心ではナチスに対して批判的で、彼はその後、第二次大戦で激戦地に送られ、戦死している。政治や社会のことを考えずに美と芸術を追求したリーフェンシュタールに対し、ルッツは良心に従って生きたドイツ人の代表なのだろう。
オーエンスが4冠を取っても、アメリカの人種差別には何の変化もなかった、ということが最後に語られる。祝賀会に参加するために、オーエンス夫妻とコーチ夫妻が会場にやってくると、黒人のオーエンス夫妻は通用口から入るように言われる。規則で決まっているからと言われ、コーチは怒るが、オーエンス夫妻はそれを制止して裏口から入る。黒人の従業員たちが口々に「オーエンスだ」と言い、そしてエレベーターボーイの白人少年がサインを求める。思いがけない出会いにびっくりしてメモ帳を落としてしまう少年の姿に微笑むオーエンス夫妻。アメリカの人種差別がまったく変わっていないというつらい結末だが、この少年の登場がほっとさせてくれる。素晴らしいエンディングだ。
オーエンス役のステファン・ジェイムズ、コーチ役のジェイソン・サダイキスはまだそれほど有名なスターではないと思うが、どちらも実にいい味を出している。オーエンス夫人ルース役のシャニース・バンタンは、オーエンスが結婚前の彼女を裏切ったあと、謝罪に訪れるシーンの演技がいい。美容院で働く彼女のもとにオーエンスが来るが、美容院のスタッフや客が全員、きつい目でオーエンスを見るのだ。この女性たちの眼力と、その中でルースの心が少しずつ揺れていく。そのあとのオーエンスとのやりとりでのセリフがまたいい。