2022年9月24日土曜日

蔦のオーナーシェフが

 9月23日、ラーメン店として初めてミシュランの星をもらった蔦のオーナーシェフが急性心不全で亡くなったというニュースが。

今月中旬に飼い猫に噛まれ、傷が悪化して調理できなくなった、ということがあったので、そのせいかと思われたようですが、関係者が否定。

何が原因で心不全になったのかわかりませんが、まだ40代だというのに。

行列ができるようなラーメン店に興味のない私ですが、蔦は3年前に近所の公園でやったラーメンフェスタで食べました。とみ田の主人が主催して、全国の有名店が集まったイベントで、毎年やっていたのだけど、2020年からはコロナで開催されていません。

2019年のときに2店で食べて、翌年も楽しみにしていたのに残念。

で、2019年11月の連休のときに食べた蔦のラーメンの写真です。このイベントはどの店も店主自らが作って出しているのが特徴で、外から店主の姿が見えるのです。




蔦はイベントでは一番人気で一番早く売り切れていました。

ご冥福をお祈りします。

2022年9月23日金曜日

「スーパー30」&「ラム」(ネタバレ大有り)

 MOVIX柏の葉で「スーパー30 アーナンド先生の教室」と「LAMB/ラム」をハシゴ。

が、つくばエクスプレスの快速は柏の葉キャンパスに止まらないことを知らず、流山おおたかの森をすぎたら電車がぐんぐん速度を上げ、あれよあれよというまに県境を超えて茨城県へ(「翔んで埼玉」の二階堂の「茨城?」と言ったときの顔が浮かぶ)。ようやく止まったのは守谷。なつかしの守谷。一都三県の映画館が休業中、守谷のシネコンへ行ったっけ。

などという感慨にふける余裕もなく、すぐに引き返し、なんとか本編開映に間に合った。

大規模公開ではない映画をいろいろ上映してくれるありがたいMOVIX柏の葉。ポール・ニューマン特集も上映されます。




「スーパー30」は貧しさゆえにケンブリッジ大学に留学できなかった数学優秀なインドの青年が、予備校の人気講師になって稼いだあと、自分と同じく貧しいために進学できない優秀な若者に出会い、予備校をやめて貧困層の優秀な少年少女30人を選抜し、学費も生活費も無料にして、インド工科大学受験の英才教育をする、という実話ベースの物語。

「受験のシンデレラ」のインド拡大版みたいな映画かな、と思い、その興味で見に行ったが、それはちょっと違っていて、貧しい少年少女に英才教育をするのが気に食わない文部大臣や予備校経営者の妨害に対する主人公と生徒たちの戦いが描かれる、という、アクション映画のような作り。

最初に、架空の人物のエピソードはすべてフィクションです、みたいな字幕が出るので、文部大臣や予備校経営者は架空の人物なのかな、と思うけれど、その一方で、最後に、主人公が最近まで妨害を受け続けていたという字幕も最後に出るので、映画に描かれたようなひどい妨害行為(暴力的なものまである)はある程度事実なのだろうと思う。

このあたり、日本や欧米先進国ではありえない話なのだけど、きびしいカースト社会のインドでは日本や欧米ではありえないことも起こるのかもしれない、と思って見ないといけないと思った。荒唐無稽で片付けてはいけないのかもしれない。

映画自体はちょっと冗漫な感じなのだけど、楽しめるエピソードもあり、見て損はなかった。


そしてアイスランド映画「LAMB/ラム」。こちらは最後までネタバレ全開で行きます。

アイスランドで羊の牧場を営む夫婦。ある日、頭が羊で体が人間の子どもが生まれる。夫婦はその子羊(ラム)に死んだ娘の名をつけ、自分たちの子どもとして育てる。母羊が子どもを取り戻そうとするので、妻は母羊を殺してしまう。

アイスランドの広大な自然の中で暮らす夫婦のもとには、他の人々はまったく姿を見せない。唯一、夫の兄(弟?)がやってきて、一時的に同居するのみ。あとは犬と猫がいるが、猫の表情がなかなかよい。

夫の兄は最初、子羊について否定的なことを言うが、結局、夫婦と一緒に子羊をかわいがるようになる。

冒頭のシーンで子羊が次々と生まれるところを見せたり、羊が何頭もいるところを見せたりするが、体が人間の羊が生まれ、やがて人間の服を着て夫婦の子どものようになると、牧場にいる羊たちは母羊以外出てこなくなる。この辺が不思議。

また、夜のシーンがないのだけど、これは夏で、アイスランドは白夜なのだろうか。

そんな荒涼としたアイスランドの自然の中で孤立して暮らす夫婦と子羊の物語なのだが、子羊が途中であるものを見て、自分の姿に思いをはせたりするシーンがあり、それがラストの伏線になっている。

以下ネタバレ。

夫の兄が去ったあと、妻が出かけている間に、犬が撃ち殺され、そして夫も撃ち殺される。

撃ったのは、体が人間で頭が羊の大人の男。子羊の父親だろう。

妻は母羊を殺したが、羊人間の父が今度は夫を殺したのだ。

子羊はその父親に連れ去られ、妻はひとり荒野に残される。

これって、他人の子どもを誘拐して自分の子にして育てるという事件の暗喩なのだろうか。

発想が面白いし、描写もよいのだが、なにか、あまり深みはないような気がする。その点が物足りない。

エンドクレジットが「バリー・リンドン」で有名なヘンデルの「サラバンド」なんだが、これの意味も不明。

「ミレニアム」の初代リスベット、ノオミ・ラパスはよかった。彼女と猫がアイスランドの荒涼たる風景の中で、みごとな絵になっている。

2022年9月22日木曜日

先週と今週の上野動物園

 先週は双子抽選3日当選、今週は1日当選でしたが、今週は台風のため、行くのを断念。かわりに別の日に行きました。

まずは先週。西洋美術館は10月にピカソ展が。



ピカソ展も見たいけれど、こっちの方が興味あります。



地獄の門は今週行ったら白い覆いで隠されていた。これは先週の写真。


先週の上野動物園、第1日。シンシンと双子。


レッサーパンダ、リーリー、シャンシャン。



室内のアルンの顔が撮れた。


第2日。アビシニアコロブス。

リーリー。外からと、中で。


記念撮影の場所のパンダの上にリスが。

双子観覧。シャオシャオ。


レイレイはこれから寝るところ。そばにシンシン。

上のシャオシャオも寝ようとしている。下のレイレイがまだ起きている。

リーリーは後ろ向き。

シャンシャン。遠くから起きているのが見えたのだが、前に行くと寝てた。


第3日。シャンシャン。寝ているところを何度もぐるぐる。


双子も寝てる。シンシンは後ろ向き食事。2日目だけが特別で、あとはだいたいこんな感じ。

リーリー。

シャンシャンは起きていた。




今週は唯一晴れた水曜日に。図書館で予約した本やCDを受け取るのと、ヨドバシカメラに申し込んだ電球を受け取るついで。

シャンシャンは寝ている。


ニホンザル。子猿3匹いる。

リーリー。こちらからは見えないけれど、木の上のおやつを食べたところのよう。

シャンシャン。

この日は双子当選していないので、双子とシンシンはありません。

ショック

 先日買ったばかりのフランソワの全集CDが、アマゾンで1800円も値下げしていた!

よくあることとはいえ、かなりショック。

でも、この全集に入っていないライブ録音のCD2枚が図書館で借りられたのでよしとしよう。どちらもアマゾンで3500円くらいする。

図書館で借りたもの。


右下の2枚がフランソワのライブ録音で、そのライナーノートから。
上は来日時の京都での写真。


2枚組なのでゆっくり聞きます。

フランソワの本は例の全集CDより前に出たもので、2010年に出た全集CDボックスを基準に演奏について解説しているようです。2010年に出た全集のことは知らなかった。今回の全集にはその全集の演奏が全部入っているようなので、それを買ってないからまあ、得したことになるのかな。

2022年9月20日火曜日

女王の国葬

 昨日は一日中、エリザベス女王の国葬を見ていた人もいれば、まったく関心ない人もいて、私は後者だけれど、深夜にネットでウィンザー城へのロング・ウォークを葬列が歩いているあたりを見て、そのあと、ウィンザー城での儀式をちょっと見た。

印象に残ったのは、この王冠と杓と玉、これがチャールズに受け継がれる。


一番印象に残ったのは、女王専属のバグパイプ奏者がバグパイプを奏でながら去っていくシーン。

王冠と杓と玉が棺から降ろされて前にある。その外を通る奏者。

この先の突き当りの壁の前で左を向いて画面から去っていく。


儀式が行われている部屋のすぐ外の廊下を去っていくのをカメラが映していて、この奏者を見ているのは廊下にいるカメラスタッフなどの一部の人と、その中継を見ている世界中の人々だと思うと複雑な気持ちがよぎる。

部屋の中にいる関係者には見られず、世界に中継されているのでそれ以外の世界中の人は見られるという不思議。

テレビとネットが発達していない時代だったら、この奏者は誰にも見られずに去っていくのだろう。音は聞こえているとしても。

その演出があまりにも映画的で、それがかえって、国葬のショーとしての部分を際立たせ、作り物を見ているような気分になった。ただ、儀式の最中のチャールズの表情だけが葬式の顔だった。

結局、国葬とは、国の威信とか政権の威信とかを見せびらかすのが目的なのだと思った。

それでも国民に愛された女王ならショーでもいい。国民の多くが反対しているAの国葬は陳腐な安物芝居にしかならないだろう。


エリザベス女王が亡くなって、唯一、残念だなあと思うのは、もう「女王陛下の007」とは言えなくなること。

ジュディ・デンチのMが最高のMだったように、ジェームズ・ボンドは女性に仕えるナイトがふさわしい。ここいらで「国王陛下の女性007」もありかな。でもそれだと女性が男性に従属するみたいでよくないような気も。

2022年9月19日月曜日

衝動買い

 Samson Francois Complete Recordings


アマゾンで偶然見つけたのですが、こんなのが出てるとは知らなかった。

没後20年のときにフランスでボックスセットが出たのだけど、当時はフランソワはフランスと日本でしか人気がなく、非常に少ない数しか作らなかったようで、価格は5万円くらいしました。清水の舞台から飛び降りるくらいの気持ちで買ったのです。

今度のは没後50年で出たようですが、30年前のはフランスのEMIのレコーディングのみ、解説書もフランス語のみ、でしたが、今回はエラートから出ていて、英語の解説もあります。そして、ライブ録音などが多数追加され、さらに息子が製作したドキュメンタリーのDVDも。

今回は14000円弱ということで、見つけてすぐにポチッたのですが、それでも今の自分には高い買い物。着くまでは多少の後悔もあったけれど、開けてみたら後悔は全て吹き飛びました。買ってよかった。

5万円くらいしたやつはボックスも立派で、CDは1枚ずつプラケース入り、解説書も大きくて立派でしたが、今回はボックスもケースも紙、解説書も小ぶりです。

聴いたり見たりはこれからですが、実は、偶然、これに当たる前にはいろいろなことが。

久々に映画の原稿を依頼されました、それである映画を、再見しなくても原稿は書けるんだけど、見たの何十年も前だし、もう一度見たいな、と思い、ヨドバシカメラやアマゾンを検索。すると、2枚組のエディションがあることがわかり、これはアマゾンにしかない。

アマゾンでこれだけだと送料が、ということで、ブックオフを検索したら、2枚組の中古があり、店頭で支払いして受け取れる。値段もアマゾンの新品と同じくらい。

というわけでまずブックオフで予約したのですが、その後、アマゾンで、入手不能だったピエール・アモワイヤルとミシェル・ベロフのプロコフィエフのヴァイオリンソナタがCDで復刻されていることを知り、このCDとあのDVDを一緒に申し込めば送料無料、ということで、ブックオフをキャンセル(90分以内はキャンセル可能)、アマゾンに申し込みしました。

そしてアモワイヤルを検索しているうちにフランソワのボックスセットにたどり着いたわけです。こちらもすぐに申し込み。

アマゾンの支払いはいつも代引き利用なので、まだお金は払っていませんでしたが、申し込んだあと合計金額を見て、ちょっと考えてしまいました。ボックスセットだけでも贅沢なのに、こんなに使っていいのか?

そこで、DVDが図書館にないかと検索。すると、カードを作っている都心の図書館にあった!

というわけで、アマゾンのDVD+アモワイヤルのCDはキャンセル(発送前なので可能)、図書館に予約を入れて、あとは図書館に行くだけになっています(都心なのですぐには行けない)。

アモワイヤルのCDも図書館にないかと検索したけれど、そのCDはありませんでした。が、他の興味のあるCDがあったので、それも予約。

というわけで、申し込んだりキャンセルしたりと、夜中にいろいろやっていたのでした。

2022年9月15日木曜日

大学教員もいろいろだな

 Kan Kimura from Kobe, JapanさんはTwitterを使っています: 「雑感。70年以前の大学生に富裕層が多かったか否か、という議論が盛り上がっているみたいだけど、少なくとも「中学や高校を出てすぐに働いて家の生計を支える必要がなかった人達」だったことは抑えて置いた方がいいんじゃないですかね。未だ「集団就職」があった時代ですからね。」 / Twitter

60年代から70年代に学生運動していた大学生は実家が太い、という今の若い世代の発言につい議論があって、反対意見が多かったのだが、上のような現実もあった。

私が中学生だったのは60年代後半で、首都圏の中学で1クラス50人中、中卒で就職は1人いた。その人は滑り止めの私立も落ちてしまい、もうほんとに勉強に向かないと思って就職したので、家が貧しくて就職したのではなかった。

その一方で、毎年地方から上京してくる集団就職の中卒の人たちは金の卵と呼ばれていたので、数は少なくなっていたものの、それでも集団就職で上野駅に到着するくらいはいた。

上野駅ってことは北海道や東北が多かったってこと。上野駅の常磐線始発のホームは電車が出発するとき今も発車ベルを鳴らすが、それは集団就職の名残りである。

当時は高卒で就職する人が多かったが、成績のいい人は大学進学者が多数の高校へ行き、そうでない人は就職する人が多数の高校へ行くので、高校へ行くともう社会が分断されていて、進学校へ行くと高卒で就職する多数の人のことは見えなくなる。

私が大学進学したときは国立大の授業料が年間3万6千円だったから、親がいなくても自力で卒業できた。だから、当時は貧乏でも大学へ行けたというのは真実である。あるけれども、実家が太いというのはなにも経済だけではないので、親が中卒でも頭がよくて教養があったりする家もあったのだ。中卒高卒が普通だった時代には、頭のいい人がたくさん中卒高卒で就職していたと思う。彼らは自分の子供は大学へ行かせたいと思うし、親が頭がよければ子供も勉強ができる。

受益者負担で授業料がバカ高くなった背景には、一部の学生だけが安い授業料で得をしているという不公平感が一般人の中にあったのではないか。


上のツイートの先生はよいことを言っているのだが、次の先生は困った大学教員だと思う。

Dr_slump7802さんはTwitterを使っています: 「『私の講義は、ガチな予習復習しないと単位が取れませんよ』と宣言したら、『それはおかしい。講義中にちゃんとボクたちにわかるように話すべき。学生は忙しいんです』とマジ苦情が送られてきた。」 / Twitter

ツイートの下の方を見ると、大学の設置基準でそうなっていると書いている。確かにそうなっているらしく、シラバスでも1回の授業につき予習1時間、復習1時間で具体的に何をするかまで書かされる(私が非常勤してる某大学)。

この先生はもしも自分の授業は予習復習ガチで必要だと本気で思うなら、その理由を説明すべきだし、単に文科省の設置基準で決まってるなら、文科省に文句言え、と霞ヶ関方面に投げちゃえばいいのだ。

それを粛清対象だの、1週間目いっぱい授業を入れるのがいけないだの、こいつ、自分の授業になぜこういう予習復習が必要なのか説明できないのだな。

学生は1日に最低3コマは授業を入れる。すると、3コマの授業に必要な予習復習は計6時間。朝から夕方まで大学にいて、そのあとバイトして、そのあと6時間予習復習。寝る時間がない。

1日2コマでは4年で卒業できない。特に4年は就活と卒論があるから3年でほとんどの授業をとっておかないといけないのだ。

つまり、文科省の設置基準に無理があるので、建前なんである。

つか、授業によって予習復習の時間は違っていいはずで、この先生の授業がほんとに予習復習ガチで必要だとしても、他の授業はそれほど必要なくて、それでなんとかやっていけるはずなんだが、この先生の言い方だと問答無用で全部ガチで予習復習しろって話になる。

実際は、この先生の授業で予習復習大変な分、手を抜かれてる先生がいっぱいいるんですよ。

KADOKAWAが…

 五輪の問題で、角川歴彦会長が逮捕されてしまいましたね。

羽田の飛行機の低空飛行に文句言う住民を「絨毯爆撃して殺してしまえ」と言った社長は逮捕されないのか、と思ったけど、やはり会長が責任ある立場にいたのだね。

角川といえば、春樹と歴彦の対立が有名で、結局、春樹が覚せい剤で服役、角川を去って角川春樹事務所を立ち上げて今日に至るわけですが、歴彦も逮捕とは。

「ブレット・トレイン」の原作「マリアビートル」を読んだあと、今度はその前作にあたる「グラスホッパー」の文庫を借りて読み、その末尾にある角川源義の有名な「角川文庫発刊に際して」を再読して物思いにふけったりしていたのだが。

映画ファンとしては、角川春樹の映画への情熱は忘れられないし、歴彦も「空海(妖猫伝)」をプロデュースしたりして、親しみはあった。でも、角川に関してはある時期から、ちょっとこの出版社はどうよ、と思っていたのも事実。

角川では、角川文庫のノベライズの解説を書いたことがある。そのときの依頼がちょっと奇妙だったのだけど、別の出版社の編集者から話が来て、てっきりその出版社が推薦したのかと思ったら、角川からのご指名だったのだという。

にもかかわらず、担当の編集者とはちょっとしたトラブルが起こってしまい、そのあとで角川のご指名とわかって、なぜご指名なのにあんなトラブルが起こったのだろうと不思議だった。ご指名した人と担当編集者が別人で、担当編集者は機械的に仕事をしたのでトラブったのではないかと思ったが、真相はわからない。以後、角川からの仕事の依頼はない。

角川から出たニコラス・シェイクスピアの「ブルース・チャトウィン」の訳者あとがきに、「テロリストのダンス」の翻訳者として私の名前が書いてあったが、その関係でのアプローチだったのだろうか?とも思ったが、違う気もする。

新海誠の新作のノベライズが店頭に積まれているのに、大丈夫なのかなあ。

とりあえず、「最後の角川春樹」を図書館に予約しました。予約0人だったのですぐに借りられるはず。

追記

そういえば、映画評論家になったばかりの頃、角川春樹製作のアニメ「カムイの剣」の披露試写会とそのあとのパーティに招かれて行ったことがあった。

原作者の矢野徹がSF界の重鎮だったので、その関係の人たちが多数招待され、私もその末席で参加させてもらえたのだが、角川春樹は来ていなかった。角川映画はけっこう好きだったので、会ってみたかったのに残念、と思ったのを覚えている。「カムイの剣」は主役の声が真田広之だった。

2022年9月14日水曜日

こういう予想

 している人がいたのかあ。

このツイートから始まるスレッド。


oʞıɹoN ∀NIINさんはTwitterを使っています: 「常勤で就職するのを諦めたころ、そのうちすべての大学教員が非常勤講師の待遇に近づくやろうからまあええかと自分を慰めていたが、思ったより「そのうち」が先になりそうだし予想が外れる可能性もある。」 / Twitter

この人は私より10歳くらい年下なのだが、非常勤講師を非常にたくさんやっていて、研究の世界でもご活躍なので、非常勤講師をしているけれどすでに研究の世界からは去っている私に比べたら相当によく大学の世界を知っていると思われる。

そういう人が、自分が専任になれないと思ったときに、これからは専任も非常勤と同じようになるだろうと思ったのか。

うーん、わからん。

少なくとも私はそういう感じはしていない。

この人はそのあとのツイートで、専任がカチンと来るようなことを非常勤が言ってしまう、みたいなことを書いているが、私は専任と非常勤の間にはとても高い壁があって、その壁の中と外では世界が違うと思っているので、専任がカチンと来ることを常に思っている非常勤である。

だって、非常勤講師に奴隷労働させているから彼らは年収1千万とかもらっているのではないのか。

それは大学だけではなく、どの業種でもそうなのではないか。

正規の人たちはそれでも仕事が大変で、とかいうけど、非正規の奴隷労働があるおかげで正規はまともな収入を得ているのではないのか。

非正規と正規が協力して戦わなければ、とかいうけれど、私は正規は敵だと思っているところがある。

だって、正規が非正規のために何かすることなんてあるのか。

私が大学院生だったときに、専任になっていった人たちは、壁を超えていった人たちで、壁を超えるのに必要なのは性別やコネだった。

大学院時代、全然授業に出なくて、論文も書かない女性が、MARCHの上の方の大学に就職した。その人は親が国立大の教授だった。他の女性の院生はオーバードクターをして、論文を書いて、非常勤講師をして、やっと就職するか、就職できないかだったのに、その女性は博士3年目で、論文は修士論文だけで、教歴もなく就職できた。父親が大学教授だからだろう、というのがもっぱらの噂だった。

その人はとにかく論文を書かない人で(書く人のことを、あんなひどいものを書いて、とバカにしていた)、就職しても論文を書かないので、60歳になってもまだ准教授だったが、さすがにそれはまずかったのか、紀要に論文を書いて教授になっている。

今はネットで研究者の略歴はすぐにわかるのだが、その人はMARCHの大学に就職が決まった直後に別の大学の非常勤講師をしていたことがわかった。就職が決まってから着任するまでにしっかり教歴を作ってもらえたのだ。

そういうのを見ていたので、就職できる人とできない人の間には大きな壁があって、それを超えるのに必要なのはコネなんだ、親なんだ、と思った。

あれから何十年もたって、少しは変わったかと思ったのだが、正直、あまりそうは思えない。そして、専任が非常勤と同じになるなんてとても思えない。だから、あのツイートの人の予想は完全にはずれると思う。

2022年9月10日土曜日

金曜日の上野動物園&西洋美術館

 翌金曜日は晴れてお客さんが多かった。久々にアルンを見た。


アビシニアコロブスとニホンザル。







いそっぷ橋の上から見た馬。西園に入り、久々、ワオキツネザル。その前にある池に浮かぶ蓮の花びら。




双子観覧。シンシンうろうろで顔がよく見えた。双子は爆睡中で顔も見えなかったが、途中でシャオシャオが顔をこちらに向けた。レイレイは後ろ向きでお尻しか見えず。シャオシャオがいた左の木をレイレイが奪ってしまったのかな。






リーリー。外から見ると寝てるが、中に入ると起きていた。でもまた寝る。





すぐにまた入ると、今度は起きて食事に。



もう1回入ったけれど、2回目と変化なしの食事風景。


シャンシャン。左端のガラスのすぐ前で食事中。すでに最終受付は終了していて、誰も後列に行かなかったが、時間短縮のために後列へ行ったら、カメラを腕いっぱい延ばして上げても前の人の間から撮る格好に。どうりでみんな後列に行かないわけだ。みんな今、どういう状態か把握しているのだね。カメラを高く上げてだと、一番顔がよく見える位置でピントが合わないというトホホな状態に。







時間短縮したのは、このあと谷中に寄って、そして西洋美術館の夜間開館を見ようと思ったからです。

中秋の名月の1日前の月。上野公園から。


西洋美術館常設展。ル・コルビュジエ設計の天窓や柱のある内部。



「悲しみの聖母」に使われた顔料などの展示。



万華鏡のついた指輪。


新館への入口。この先はル・コルビュジエの設計ではない。


新館に入ると、1階のル・コルビュジエ展が見下ろせる吹き抜けに出る。




その先に印象派の部屋やモネの部屋があるけれど、モネの部屋はモネの多くが企画展に行っているので、ルノワールの部屋のようになっていた。




モネの部屋の奥が版画展の部屋、1階に降りると彫刻の部屋、絵画の部屋、そしてル・コルビュジエ展をやっている部屋(ふだんは現代美術の部屋)になる。2階からは見えない位置にあるル・コルビュジエのタペストリー。大きいので、反対側の壁にかなり近いところから撮影。

自然と人のダイアローグ企画展と、版画展は明日日曜まで。ル・コルビュジエ展は19日まで。


双子観覧が10月4日から並んだ順になるようです。抽選は10月2日までで、来週は3日当たってるけど、その次の週は1日しか当たらず、そのあとは最終だからもう当たらないかもしれない。

並んだ順になったらたぶん並ばないだろうなあ。長時間並んでもお尻しか見えない可能性高いし。

それより困るのは、双子観覧の列がリーリーの庭の前のスペースを通るので、庭リーリーの自由観覧がなくなる可能性が高いことです。

前のスペースは後方が高くなっていて、そこに双子観覧列ができるから、双子観覧の人の方がリーリーよく見えちゃうのだろうか。で、リーリー観覧の人はシャンシャンみたいに立ち止まるなとか言われちゃうのかなあ。(双子観覧とリーリー観覧の列は別です。)

庭リーリーは立ち止まってゆっくり見られる、自由にいろいろな場所から見られるのが何より好きで、リーリーが庭に出る季節はリーリー中心で見ていたのに、なんだかとっても残念というか、リーリー、部屋と庭出入り自由だから並んだのに見られないこともあるのでは?

双子観覧が並んだ順になるとリーリー観覧に大きな影響が出る、というのは前からずっと懸念していたことだったのですが、やはり。

双子は12月には親離れするはずなのだけど、そのあとはどうやって公開するのだろう。また、シャンシャンは予定通り12月に中国へ行くのか。今後が見通せない上野動物園です。