2022年1月29日土曜日

借りてきた本

 ブッツァーティにはまっているわけではないのですが、気になる2冊を県立図書館で借りました。


「ある愛」は「偉大なる幻影」と同じく、60年代に出た翻訳。やはり翻訳出版権を取得しての翻訳なので、再刊されておらず、図書館で借りるしかないのです。

「偉大なる幻影」はかなりきれいな状態でしたが、こちらはだいぶ汚れています。


ブッツァーティって、年取ってから若い女性に片思いしたり、結婚したりしているのですね。母親が死ぬまでは母が恋人みたいだったようです。

近くの公園にまた白鳥が来ていました。子ども2羽ですが、親の姿は見えず。


そしてカワセミ。


2022年1月28日金曜日

「フレンチ・ディスパッチ」

 というわけで、今日は「フレンチ・ディスパッチ」見てきました。

原題も邦題もかなり長いけれど、カンザス州のリバティという町の新聞、ザ・リバティ、カンザス・イヴニング・サンの日曜版としてフランスで出した週刊誌がフレンチ・ディスパッチ。

その創始者が亡くなり、遺言で雑誌も廃刊になる、その最後の雑誌を映画でやるという形式。

前置きと3つのストーリーからなっているのだけど、

私、ダメです、この映画。

ウェス・アンダーソンの映画は基本的に好きなのに、これは全くダメだった。

ロッテントマト見たら75%だったけれど、まあ、そのくらいが妥当な評価。

一応、映像はきれいだったり、工夫があったり、有名スターが多数出演していたり、過去の時代へのノスタルジーとフランスへのあこがれがあったりするのですが、これが全然中途半端。

アニメを意識した絵作りとか、アニメの方がいいだろう。

最初のストーリーの画家の話、画家の描く絵がだめすぎだろう。

全体に映像とかそこそこの出来栄えだけど、このそこそこっていうのが一番悪い感じがする。ダメならダメな方がいい。なんつうか、才能ない人が才能ある人のまねしてつまらないものを作っているような感じで、それをやっているのがウェス・アンダーソンだと思うともう悲しい。

そうだ、「ハウス・オブ・グッチ」で、デザイナーめざしてるグッチ家の息子がおじからくそみそにけなされるシーンがあるけど、あれだよ、あれ。

カンザスというアメリカのド田舎の新聞社がフランスの、パリじゃない架空の町(田舎?)で週刊誌を出すというギャップが全然風刺になってない。

屋根の上に猫いっぱいとか、あれは面白いけど、ワンシーンで終わり。

あ~もうだめだ、考えるほどみじめになるからもう忘れる。


2022年1月27日木曜日

「ドライブ・マイ・カー」&「コーダ あいのうた」

 海外で受賞が相次ぎ、上映館が続々増えている「ドライブ・マイ・カー」。金曜日から片道徒歩35分のシネコンでも始まるので、同じ日から始まる「フレンチ・ディスパッチ」とハシゴしようと思っていた。

が、スケジュールを見たら、ハシゴすると間が2時間以上あいてしまう。他の映画館も調べたが、それ以上あいてしまう。

そこで、木曜日にTOHO流山おおたかの森で「ドライブ・マイ・カー」と「コーダ あいのうた」をハシゴすることにした。「ドライブ~」終了と「コーダ~」本編開始の間が15分。トイレも行ける(「ドライブ~」は3時間あるので、終わるとトイレが混んでます)。

しかし、「ドライブ~」が始まると、重低音の騒音(IMAXの重低音か?)が響いてくるわ、大きな音をたてて飲食を続ける客がいるわ、で、ここにしたことを激しく後悔。

それでも、30分かそこらくらいする頃には重低音は消え、客も食べ終えたのか静かになった。この映画はクライマックスに無音のシーンがあるので、静かだったのはとてもありがたかった。「サウンド・オブ・メタル」をキネマ旬報シアターで見たときはラストの無音でエアコンの騒音が、というのがあったけれど、ここ、流山おおたかの森では本当の無音を聞くことができた。(そのキネ旬シアターはしばらく前から「ドライブ~」上映中ですが、連日満席との情報だったので、あそこで見るのをやめたのでした。もし行ってたら、「サウンド・オブ・メタル」の二の舞だった。)

そして、映画が終わり、エンドロールを見ていたら、なんと「おおたかの森」の文字が。

え、ご当地だったの?

流山おおたかの森駅そばの劇場が使われたようです。

ドライブマイカー映画ロケ地撮影場所!目撃情報は? - 動画ジャパン (entame-site.com)

【流山市】流山市がロケ支援し、第79回ゴールデングローブ賞非英語映画賞を受賞した『ドライブ・マイ・カー』。流山のどこが映ってる?観られる映画館は? | 号外NET 流山市・野田市 (goguynet.jp)

エンドロールには協力として、おおたかの森のレストランらしき名前も出ていたのですが、上の記事には書かれていません。

なんにしても、流山おおたかの森で見たのは正解だったようです。

映画はシナリオが非常によくできていて、チェーホフの「ワーニャ伯父さん」のせりふと映画の内容がリンクするようになっていて、効果的です。映像も、こういう見せ方があるのか、と思わせるシーンがいくつもあります。主人公と運転手の女性の過去が重なっていくとか、いろいろな言語で演じられる劇と、それを演じる俳優たちとか、見どころが多く、3時間あっても飽きません。

でも、そのわりには、何かちょっと、軽い印象を受けてしまうのも事実です。

ラスト、顔の傷を治し、韓国で、犬と一緒に買い物に出ている女性運転手、彼女が運転するのは主人公の車、犬はもしかして、あの韓国人夫婦の犬? コロナ禍でみんながマスクをしているあのエピローグが謎めいた終わりとなっています。

続いて見た「コーダ あいのうた」。予告編を見てすぐに、フランス映画「エール!」のリメイクだとわかりましたが、鑑賞記録を調べてみたら、「エール!」は見ていませんでした(あれあれ)。

クレジットにフランス系の名前が多いのは、カナダのケベック州で撮影したからでしょう。

この映画もクライマックスで無音のシーンがあります(静かで助かりました)。「ドライブ~」の無音シーンは意味がはっきりしていないのですが、こちらははっきりしています。ろう者の両親と兄は主人公の歌声を聞けないのだけど、周りの人たちが感動しているのはわかる、というシーンです。

オリジナルのフランス映画ではろう者の役は健聴者の俳優が演じたそうですが、こちらはろう俳優が演じています。「愛は静けさの中に」でオスカーを受賞したマーリー・マトリンが母親役。年をとってますます魅力的な女優になっています。父親と兄の役のろう俳優も素晴らしい演技で、3人が手話で会話するシーンが表情たっぷりで、しかもセックスの話とか平気で手話でするという、これまでの手話イメージを覆すシーンの連続。

実は「ドライブ~」にも手話が出てきて、こちらは手話を使う人物は耳は聞こえるという設定なので、外国語の1つとして手話を出してきているような、ちょっと出し方としてどうなのかな、と思うところがあります。また、手話の描き方も従来どおりで、これを見た後に「コーダ」を見ると、「ドライブ~」の手話の出し方にやはり疑問が残ります。

「コーダ」はろう者の家族の中の健聴者の子どもの苦労や、周囲の人々のろう者への無理解や偏見が深刻ではない形で描かれ、その中で人々が理解を深めていく様子が描かれているのが気持ちがいいです。「聲の形」に比べると少々楽観的すぎるかもしれませんが。

それにしても、この2本を効果的にハシゴできるということで出かけたわけですが、そうでなければ「コーダ」は見なかったかもしれないし、「ドライブ~」をご当地で見ることもなかったでしょう。偶然ですが、よいハシゴでした。




2022年1月26日水曜日

上野動物園の今

 久々、上野公園を通ったので、上野動物園の写真を。

東京都美術館の方から入りました。


表門の建物は完成した模様。


まだフェンスで囲われている。2番目の写真は下の写真の左側の赤いコーンのあるところから撮影。


動物園の前はほとんど人がいません。東京文化会館の前のところも非常に人が少なかった。

うちの地元の市は昨日一昨日と2日連続で、それまでの4倍の感染者が出て、どうなってるの?と思いましたが、今日はまた従来通りの数字に戻ったようです。

たぶん、学校関係のクラスターではないかと思うのですが、学校関係は中傷などがあるせいか、クラスターがあっても報道されません。

4倍の感染者が出たときは、上野周辺の方が安全では?とさえ思いましたが、上野公園あたりの人の少なさに比べ、地元の方は中心部はもとより、住んでいるあたりもなんか人が多い。

喫茶店でもファミレスでも大声でおしゃべりする人がいて、全然緊張感がない。うちの周辺の方が都心よりやばいのでは?

野鳥と梅

 上野動物園が休園したら、憑き物が落ちたように動物園のことはほとんど考えなくなった。

一応、公式ツイッターは見ていて、いつだったか、五重塔のそばの木にノスリがとまっている写真がアップされていた。

五重塔のそばの木だったら、私のカメラでももっとよく撮れるだろうなあ、と思うけれど、近所の公園で撮ったノスリはボケボケ。


こんな遠くにいるんだからしかたない。真ん中上の方の白い点がノスリ。


この公園にいるノスリ、カワセミ、アオサギ、シラサギ、カワウは上野動物園と不忍池にもいる。もちろん、飼われているのではなく、野鳥。ただ、カワウはペリカンの餌を横取りしているので、人のそばにも平気で来るし、近所の公園のカワウに比べて太っている。

こちらは公園のアオサギとカワウ。野性味はこちらの方が。




八柱霊園では梅が咲きだしていた。





猫と猫の影。


2022年1月21日金曜日

「偉大なる幻影」(ネタバレ大有り)

 読みました、ブッツァーティの「偉大なる幻影」。

超面白かった!

ブッツァーティのクマの童話や岩波文庫の短編集は、面白いけど、イマイチはまらなかったけれど、これははまった。

どうもこういうのが私の好みらしい。

しかし、この本、なんで再刊されないの?と思ったら、翻訳出版権(版権)があるからなのだ。原著出版が1960年。翻訳が1968年なので、当然、版権が必要で、早川書房が独占取得。


しかし、売れなかったのか、その後絶版になったようで、版権も期限が切れて、今出そうとすると、早川であれ他の出版社であれ、版権を取る必要がある。当然、お金がかかる。今、翻訳は売れない。版権料払ってもペイする本は少ない。最近、いろいろな出版社がやたら古典の新訳を出しているのは、版権料がいらないからというのが大きいと思う。

ブッツァーティでも原著が1940年出版の「タタール人の砂漠」や、いろいろ出ている短編などは版権がないので、どんどん出せるのだと思う。

「ナイトメア・アリー」とか「パワー・オブ・ザ・ドッグ」とかも古いから版権がないので、映画に合わせて気楽に出せるのだ。

というわけで、再刊されそうにない「偉大なる幻影」だが、国立国会図書館が絶版本をネットで閲覧できるサービスを5月から始めるというので、それで読めるようになるかもしれない。(上の画像でわかるページ数で、コピーを申し込むことも可。全ページのコピーは不可です。)

さて、「偉大なる幻影」の感想だけど、読んでいない人、特にこれから読みたい人はネタバレ大有りなので注意してください。私もこういう展開になるとは思わなかったので、読む前には知らない方がいいと思う。

「偉大なる幻影」あらすじと感想

2022年1月20日木曜日

節分?

八柱霊園前の墓石屋さんのいつもコスプレしている恵比寿様。今回は節分だろうか?


3か月前に地元の図書館に予約した新書がようやく順番がまわってきて、借りて読んだのだけど、私がすでに知っていることしか書いていなかった。

非常に評判のよい本なので、知らない人にとってはもちろん有益なんでしょう。

そして、同じく3か月前に予約して、やっと予約順位が1位になった同じ出版社の新書があるのだけど、これは書店で立ち読みして、私が読む必要のない本だとわかっていた本。でも、図書館で借りられるなら一応、目を通しておこうか、と思ったのだけど、世の中には本がたくさんあるのだから、私が読む必要のない本を読む暇はないと判断して、キャンセルした。

どちらも初心者向け、若者向け(若者に受けそうなイラスト入り)。しかし、今回借りた本は初心者向けとは知らなかったので、非常にがっかり。キャンセルした方はだいたい中身わかっていて、なかなか順番がまわってこないので何度もキャンセルしようと思っていたが、あの本のおかげでキャンセルする決心がついた。そういう意味では役に立ったのかな。

文京区まで出向いて借りた「偉大なる幻影」をファミレスで読もうとしたけれど、最後に収録されている短編「戦艦”死”」を読んだだけでやめた。

とてもすいていたのだけど、大声でしゃべる人の声が耳について集中できなかった。

ファミレスで読む本じゃなかったのだ。

「戦艦”死”」は終戦を信じない人たちの話で、小野田少尉とか、ブラジルの日系人たちとか、終戦を信じないで殺人までしてしまった人たちを思い出させる。こちらはそんな生々しい話ではないのだけれど。

中編「偉大なる幻影」と短編「スカラ座の恐怖」は静かな部屋でじっくりと読もう。

明日からまた夜は外食できなくなるのかな。

非常勤講師先の某大学は毎日2倍2倍で感染者が増えている。しかし、何の対策もしない。それどころかいろいろ隠蔽しているのが明らかで、不信感が募る。オミクロン株についてはもうみんなあきらめているみたいだ。

「クライ・マッチョ」について気になっていたこと(追記あり)

 先日見た「クライ・マッチョ」について、気になっていたことがあったのだが、うーん、でも、これは深読みのしすぎかも、と思ったので、書かなかった。

だが、今日発売のキネ旬最新号で、最後に登場する少年の父親が幽霊のようだ、と書いている人がいて、やっぱりあのことは書いた方がいいかもしれないと思った。

いやいや、それはすでにほかの人が気づいて書いているのでは、という考えも浮かんだので、キネ旬のこの映画の特集の号を見たら、映画評論家が、この映画には従来のイーストウッド作品にあった「死の影」がないと書いていて、えええ、それは違う、反対だよ~と思ったので、いよいよこれは書かねば、という気持ちになった。

イーストウッドの映画には死が登場するものが多いし、彼自身が死ぬ役だったり、「荒野のストレンジャー」や「ペイルライダー」みたいにガンマンが黄泉の国の使者のようだったりするのだが、確かに「クライ・マッチョ」は一見、死とは無縁なほのぼのした世界に見える。

でも、ラストに未亡人の店が登場するのを見て、「ミリオンダラー・ベイビー」のレモンパイの店が登場するラストを思い出したが、「ミリオンダラー・ベイビー」は女性ボクサーを安楽死させた主人公が、最後に思い出のあのレモンパイの店を訪れ、そのあとに死を選ぶのではないか、という意見があるのだ。

あの映画全体が、モーガン・フリーマン演じる人物の語りになっていて、その語りが実は、イーストウッドの娘にあてた手紙だったとわかるのだけど、つまり、これは、イーストウッドが死んで、フリーマンが娘に手紙を書いたんではないかと。

だから「クライ・マッチョ」で最後に未亡人の店が登場するのも、実はここは死後の楽園で、主人公はそこに帰るのでは、という考えが浮かんだのだ。

あの未亡人自体、夫と娘と娘婿が死んで、孫を育てているのだが、こんなに家族の死に目にあっている彼女の世界もまた、どこか死後の楽園のように見える。

いや、死後の楽園という言い方は言い過ぎかもしれない。アメリカとメキシコの国境がある種の三途の川で、あちらの世界とこちらの世界があって、死後の楽園のような未亡人の世界から見ると、少年の父親がいる世界は黄泉の国で、そのために少年の父親は幽霊みたいに見える、とも考えられる。

つまり、死の影とか死後の世界とかが、この映画ではある種の比喩的な世界で、それは現実とは離れた理想郷であり、天国であり、だからそこはまた、死後の世界でもあるという、そういう雰囲気がある。

そして、この比喩的な死後の世界は「運び屋」の最後、植物を育てる刑務所のイーストウッドの世界にも通じる。植物を育てる庭はエデンの園、楽園のメタファーであり、刑務所の庭であることから、そこは世間から隔離された別世界で、そこに安住する老いた主人公はある意味、天国に住んでいるともいえる。

「運び屋」の庭はまだしも、「クライ・マッチョ」の未亡人の世界を死後の世界と言ってしまうのは多分に語弊がありすぎるが、イーストウッドが描いてきた死の影が、こうして老いとともにあたたかな楽園として描かれるようになったとは、考えられないだろうか?

そして、少年を問題のある父親のもとに送り出すのは、少年はまだこれから生の世界を生きなけらばならないからだ。

追記

映画の冒頭、主人公が少年の父親と会うシーンが暗くて非常に見づらかった。だが、そのあと、メキシコへ行くと、全然明るくて見やすい。

どうも、この父親と会うシーンが黄泉の世界みたいな感じなのかなと思っていたが、最後の父親が幽霊のよう、という指摘と重なる。

また、見た直後の記事で書いた、地平線の下の黒い部分にイーストウッドが横たわって姿を消すシーン。これも黄泉の世界との同化にも見える。

アメリカとメキシコ、どっちが生でどっちが死の世界、じゃなくて、視点によってどっちにも見えるというか、主人公はもう人生の終わりで死んだような気分だからアメリカが死後の世界みたいだったが、メキシコへ行って生き返る、ともとれる。でも、同時に、メキシコの方が天国のような世界、あの世のような世界ともとれる。

イーストウッドはたぶん、こういうこと全然考えずに作っていると思うが、どっちが生の世界でどっちが死の世界みたいな論理的な分け方がなく、でも、この2つの世界が存在していて、視点によってどっちにも見える、みたいなのは、偶然の結果かもしれないけれど、なかなかすごいことだ。

2022年1月16日日曜日

久々、本郷図書館

 昨年末、「ナイトメア・アリー」を借りに久々、小石川図書館に行ったのに続き、今度は本郷図書館へ。

そもそもの始まりはこの映画。オンライン試写で見せていただいたのですが、話が面白いのはもちろん、絵が素晴らしく、ある種の様式美を感じさせるものでした。


それで原作を読んでみたくなり、地元の図書館で借りて読んだのですが、ついでに同じブッツァーティの他の本も借りて、解説をちらほら見ていたら、女の人造人間が出てくるSF小説を書いているということを知る。

タイトルは「偉大なる幻影」。

人造人間SFなら読まねば、と思い、地元の市立図書館と県立図書館で検索したけど、ない。

じゃあ、アマゾンで、と思って検索すると、なんと、1968年発行のハヤカワSFシリーズだった。当然、絶版。再刊もなさそう。

このハヤカワSFシリーズというのは、新書サイズのシリーズで、当時、早川書房には文庫がなく、ミステリもSFもこの新書版(ポケット版と呼ばれていた)で出ていたのです。

ミステリはハヤカワポケットミステリ、SFはハヤカワSFシリーズと呼ばれてたと思う。

ミステリは背中の色がいろいろだけど、SFは銀色一色で、銀背と呼ばれていたのです。

その後、早川書房も文庫を出すようになり、ポケットミステリは残ったけど、銀背のSFは消滅したのでした(最近、また出ているようですが)。

そんなわけで、この銀背のSFシリーズがある図書館自体、希少価値だと思うのですが、実は私は知っていたのです、文京区立図書館の中に、この銀背がずらっと並んでいる図書館があることを。

早速検索。ありました。水道端図書館ですが、そこはちょっと行くのが面倒なので、ネットで予約して、長年住んだ千駄木の本郷図書館で受け取ることに。

本郷図書館は前身が鴎外図書館でしたが、鴎外図書館が鴎外記念館になり、図書館は近くに移転して本郷図書館になったのです。本郷とはいっても、本郷という地名の場所ではないですが、もともと鴎外図書館が正式には鴎外本郷図書館だったらしい。そして、千駄木の高台は本郷台地の東端なのだそうです(長年住んでたが、知らんかった)。

そんなわけで、千駄木駅から団子坂を登って本を受け取ってきました。久々に登った団子坂はきつかった。住んでいたときは毎日登っていたのに。

文京区の図書館は貸出票に必ず猫の絵が。しかも、小石川図書館とは違う絵。図書館ごとに違うのか。あちこちの図書館で借りてみたくなる。


銀背です。


ブッツァーティがハヤカワSFシリーズで出ていたなんて。60年代に「SFマガジン」の編集長だった福島正実の功績か?

リラダンの女性人造人間が「未来のイヴ」だったのに対し、こちらの女性人造人間はラウラらしい。映画「メトロポリス」ではマリアだった。イヴ、ラウラ、マリア。男性が創造する女性の象徴的な名前。それに対し、「フランケンシュタイン」の男の怪物は名前をもらえなかった。

というわけで、これから読みます。

そして、これを手に入れたのだった。

ほかに用があったので、図書館ではあまりゆっくりできなかったのですが、返しに行くときには久しぶりにじっくり中を見たいです。チラチラ見ただけでも、地元にはない本がいろいろあるなあと思いました。やっぱり都心。

2022年1月15日土曜日

「ハウス・オブ・グッチ」&「クライ・マッチョ」

 今年初の映画館。「ハウス・オブ・グッチ」と「クライ・マッチョ」をハシゴ。

「ハウス・オブ・グッチ」映画館にあったポスター。が、ライトでアル・パチーノの顔が見えない。ということで、上の方だけさらに撮影。



「クライ・マッチョ」はシアター入口の掲示。

「ハウス・オブ・グッチ」は演技派スターが何人も出ていて、その演技を楽しむだけでも面白いのだけど、話としての求心力が途中からなくなってしまうのが困る。

レディ・ガガが策士になるかと思ったら、アダム・ドライバーの方が策士になり、そして、最後には別の人物が一番の策士だった?となるのだけど、このアダム・ドライバーがちょっとね。

この人物、「ゴッドファーザー」のアル・パチーノを思い出させるのだが、最初は弁護士をめざす純朴な青年として登場し、後半、策士になる。「ゴッドファーザー」のパチーノも最初は純朴な大学生で、途中からがらっと変化するのだが、パチーノががらっと変化してからものすごくよくなるのに対し、この映画のドライバーは純朴な頃は意外とよいのだが、その後が逆にだめ。ジャレッド・レトのいとこ(「ゴッドファーザー」ジェームズ・カーンか?)がバカ息子として描かれているんだけど、ドライバーも後半はバカ息子っぽいのだ。

まあ、グッチ兄弟の息子が2人そろってバカ息子だからグッチは斜陽になったのかもしれないが、この映画、ドライバーが策士として頭角を現さないと物語が盛り上がらない。

ドライバーは伯父のパチーノといとこのレトを陥れてのし上がるのだけど、そういう迫力が全然ないのだ。

そして、レディ・ガガの妻が離婚した元夫のドライバーを殺すという実話にもとづく事件も、なんだか別れた夫への未練で殺害したみたいで、ええ、これでいいのか?と思ってしまう。

ガガがグッチに対して強い思いがあって、それで策士としてのしあがった元夫を憎み、みたいな方が面白いと思うのだが、そういうのが全然なくて、スピリチュアル系のセレブ女性がトチ狂っただけにしか見えないのだ。

クラシックやポピュラーをふんだんに流して気持ちよいのだが、実話をもとにしたフィクションならもっと面白くできるはずなのだが。

リドリー・スコットはもともと人間ドラマとかだめで、それがうまくいっている映画は脚本がいい映画だけど、この映画は脚本がダメダメだと思う。そして、そういう脚本だと、スコットは自分で脚本を手直してしていい映画にすることができない。そういうスコットの欠点がもろに現れている。いろいろ残念な映画。

そして、クリント・イーストウッドの「クライ・マッチョ」も、この脚本では名作になるのは無理無理、な映画。イーストウッド作品としてはかなりレベルが低い。

それでも、主人公と少年が孫と暮らす未亡人のところに世話になるエピソードはほのぼのとしてよい。ここがあるので救われている。

映画のはじめの方、少年を探しに行くイーストウッドが野宿するシーンで、横になると地平線の下の黒い部分に彼の姿が完全に消えるという印象的な映像がある。ここは彼が自然と同化することを表していて、彼が自然と一体化する人物であることを示している。

その後、未亡人の住む町で野生の馬を飼いならしたり、動物のお医者さんみたいになったりするのも、彼が自然と一体化した人物であることを示す。

このあたりの設定が魅力的ではあるのだけど、イーストウッドはこの役を、せめて15年前にやっていてほしかった。この映画のイーストウッドはほんとによぼよぼの老人で、見ていてかなり苦しい。

未亡人とダンスするシーンは、「マディソン郡の橋」などで見せた彼のダンスシーンを連想させるし、ラスト、未亡人の店が映るのは「ミリオンダラー・ベイビー」のラストでレモンパイの店が映るのを思い出させる。そういう、イーストウッドの過去作を連想させるシーンがいろいろあって、そこも魅力ではある。

でも、元妻の金が目当ての父親に、少年を託していいのか?

少年はマッチョと名付けた雄鶏を飼っているが、最後にこの雄鶏をイーストウッドに渡して去るのは、彼が自然、あるいはそれまでの自分と縁を切って父親のところへ行くという意味だろうか。

タイトルや予告編で、「マッチョ」についての深いテーマがあるのかと思ったが、それはほとんどなかった。少年の成長物語というわけでもなく、ただ、イーストウッドと未亡人が少年の父と母のようになるだけで、父親のところへ行っても結局、この2人のところへ戻ってくるんだろうな、という気がする。

2022年1月13日木曜日

休園前の上野動物園(動物写真)

 1月10日。翌日からの休園が決まった上野動物園。ただし、12日から3日間は双子観覧当選者で貸し切り、新発売グッズ買い放題で、一部の怒りを買っています。しかも常連はみんな当選、それも毎日当選? まあ、どこも桜を見る会みたいなことがあるのでしょう。

シャンシャンは庭で後ろを向いて食事中でしたが、横顔がしっかり見えたので満足。

もしかしたら今日が最後かもしれない、という思いを胸に、再観覧はしないと決めていたので、象とニホンザルを見ながら西園のリーリーのもとへ。

アルンや子猿たちの成長を見れないのが一番の残念なこと。




リーリーは庭のあちこちを移動しながら食事。そして寝る、のだが、寝れないので向きを変えて寝る。










寝てる間に西園の動物を見る。レッサーパンダ、キンケイのオスメス、ギンケイのメス、オス(の尾)、ベニジュケイのオス。ハシビロコウは4羽すべて確認。











カンガルー。キリン3頭とオカピ(後ろ姿)。バーバリアンシープ。カバやサイも見ました。




リーリーはまだ寝ていた。向きを変えたりあくびしたりしながらまた寝る。



やっと起きた。起きると、いつものとおり、庭を端から端までうろうろ。そして室内へ。室内観覧は庭にいたところから並んで1回見ただけ。






東園へ。ゴリラがいなかったので、久々にバードハウスに入る。




トラ2頭。ブイと遊ぶホッキョクグマ。そして、氷ケーキの残りかな? アザラシ2頭。






猿山。このオスの子猿はよく大人とけんかしている。背中をけがしたみたいなのだが。


上に子猿2匹と下に1匹。上の背中を向けているのがさっきのオス。


上の2匹(オスとメス)はよく取っ組み合ってる。もう1匹の子猿はメス。


アビシニアコロブスなど、世界の猿を見て、アメリカバイソンを見て(2頭の内1頭がしばらく他の動物園に移動ということだけど、これがどっちかわからない)、最後にカモシカ。




上野動物園はいったん休園すると再開に時間がかかるので、6月まで無理かも、と思っている。昨年も一昨年も6月まで無理だった。

となると、パンダ双子はもう1歳、そして、シャンシャンはいない? しかも双子観覧並んだ順だとリーリーも並ばないと見られない? で、整理券は取れないとか?

もしかして、これが最後になるんじゃないだろうか???

その前に自分の健康を。某大学から対面しないならクビをほのめかされてるので今月は危険です。見たい映画も来るしなあ。今日も本当は「ドライブ・マイ・カー」を見に行こうと思ったのだが、予約できない映画館で、連日満席とかいうので、今月末から近所のシネコンでやるからそっちにすることにしました。