2017年12月31日日曜日

大晦日

大晦日は川崎チネチッタで1日だけの上映の「君の名は。」。
大晦日の夜だというのにかなりの客入り。みんな真剣に見ていて、最後は拍手。赤の他人だけどずっとこの映画を見続けてきた仲間という雰囲気があって、1年の最後によい思いをさせてもらえた。電車もすいていて行きも帰りも楽ちんだったのだが、

しかし、またしてもローソンでアマゾンの荷物を受け取るときに問題が。
この前、受取場所変えよう、と思ったのに凝りもせず同じ店にする自分が悪いのだが。

「君の名は。」は大音量のライヴザウンドで、これで見るのは今回が3回目。前の2回より音が大きかったのか、ちょっと耳が痛い感じがまだ残っている。スクリーンを新しくしたとのことで、映像はきれいだった。「君の名は。」のあとは「シン・ゴジラ」と「マッド・マックス 怒りのデス・ロード」を最大音量で上映するそうで、チネチッタは深夜まで営業中。川崎は元旦以後は初詣で混むはずだけれど、大晦日はさすがにあまり混んでなかった。

アマゾンのサイバーマンデーのセールでDVDとブルーレイを買って以来、ソフトを買う癖がついてしまい、その後もオムにセブンで「情熱の狂想曲」、アマゾンで「化石の森」と「彼奴は顔役だ!」を購入。
「情熱の狂想曲」は中学時代から見たかったけれど機会がなかった映画で、検索しているうちに10年以上前にジュネス企画で出ていたのを発見。オムニセブンでは在庫がなく、入荷したらお知らせしてもらう設定にしたら、すぐに入荷の連絡が来た。オムニセブンは送料も代引き手数料もかからないのでアマゾンより安いから、即購入。映画はなかなか見応えがあり、音楽もとてもよくて大満足だった。
「化石の森」と「彼奴は顔役だ!」は中学時代にテレビ放送で見て、好きだった映画。「彼奴は顔役だ!」は大人になってから輸入ビデオを買ってみたけれど、字幕なしはちょっとつらかった。「化石の森」はきちんと見る機会がまったくなかったが、今回、またまた検索していて、どちらも10年くらい前にDVDが出ていることを発見。こちらはオムニセブンで取り扱いがなかったので、アマゾンで購入、先ほどローソンで受け取ってきたばかり。というわけで、お正月はワーナーのなつかしのギャング映画を見ることになります。

2017年12月28日木曜日

新年の準備(その翌日)

翌日も同じ公園へ行ったら、絵が増えていた。写真は閉園直前のもの。

昼間、公園に着いたときの写真。左側の絵を作っている。芝生の上に土を置いている。

閉園直前の写真。右も絵が増えているし、まだスペースがあるので、これでもまだ未完成かも。

前日はおだやかな日和だったけれど、この日は強い風が吹いてものすごく寒く、鳥の姿も少なかった。上はマガモ。下もカモの仲間。


半月。カメラが新しくなったら月のクレーターまで撮れる。

こちらはさらに翌日(今日)、谷中で。夕暮れどきで、まだ暗くなっていないが、月が明るいのでシャッタースピードが速く、空が暗く写っている。こちらの方がさらにクレーターがはっきりと。

2017年12月27日水曜日

新年の準備

谷中の門松に続いて、近所の公園では芝生がお正月の仕様に。

カルガモ。


カワウ。

この鳥は初めて見た。最大限にズームしてます(原寸大のトリミング)。

これはズームしてないですが(原寸大のトリミング)、真ん中の白い鳥が上の鳥。けっこう大きい鳥かもしれない。

今年もあと数日。

2017年12月25日月曜日

クリスマス・イブの谷中

もう日付かわってしまいましたが、クリスマス・イブの谷中の風景。もう門松。

お寺の庭は冬支度。

青空の月。

どうやら世間は23日にクリスマスをやってしまう人が多いようで、24日はスーパーはお正月の商品を並べていました。
連休、外は人が少なかった。
大学は25日も授業があるのです。

今年もあと1週間。
大晦日は「君の名は。」をまた見に行く予定。
ああ、早くブルーレイの機械買わねば。

2017年12月22日金曜日

画質最悪のジャック・ドゥミ特集

キネマ旬報シアターでジャック・ドゥミのミュージカル3作「シェルブールの雨傘」と「ロシュフォールの恋人たち」と「ロバと王女」が上映されていて、年末にはドゥミの影響を受けた「ラ・ラ・ランド」を上映するのでグッジョブだと思い、特に好きな「シェルブールの雨傘」と「ロバと王女」を見に行った。
が、画質最悪!!!
デジタルリマスターでこれはないだろ!!!
おまけに「ロバと王女」はカットされてるぞ!!!
映画館に苦情入れたいレベル! 金返せ!

この3作のデジタルリマスター版(?)は劇場公開の前の試写会で見せてもらっている。(すぐ下に追記しました。)
映画館での試写会だったが、今回のようなひどい画質ではなかった。
配給元が当時と違うような気がするので、おそらくあのときのバージョンではない。
「ロバと王女」もカットされてなかったと思う。
(追記 あとで調べたらその試写会は10年近く前だったので、デジタルリマスター版ではなかったかもしれない。デジタル前のフィルムの時代で、フィルムで見たのだ。)

映画もかわいそうだけど、これで初めてドゥミを見る人はほんとにかわいそう。
あの色彩のすばらしさがこれじゃわからん。
「ラ・ラ・ランド」の色彩もドゥミの影響大だと思うのに。

いやほんと、しばらくキネ旬シアター行きたくなくなったけど、でも、映画館のスタッフは大変だなと思う光景を見てしまった。
チケット売り場で女性スタッフに長々と話しかけている高齢男性がいて、その後ろに1人並んでいて、私はその次だった。スタッフが2人出てきて、前の人と私にチケットを発券したが、そのあともえんえんとその高齢男性はスタッフに話しかけている。
こういう光景はスーパーのレジでたまに見るし、自動券売機でない映画館でも見たことがあるが(必ず高齢男性)、並んでる方も迷惑だけど、スタッフはもっと迷惑だろう。でも、お客さんだから文句言えないわけで。
こういうことをするのは高齢男性の中の一部の人々ではあるが、私もとあるコーヒーショップで隣の高齢男性にしつこく話しかけられて席を移ったりしたことがある。まあ、一部なので、顔を覚えていて、次からはその店ではその人を避ける(でも、だんだんその店に行かなくなります。いつもいるからね)。

といわけで、行かなきゃよかったと後悔しているけれど、「シェルブール」と「ロバと王女」の間が1時間あいていたので、松屋へ行ったら、なんと、プレミアム牛めしじゃない牛めしを出す店で、値段は290円、肉はプレミアムより多く、味も私はプレミアムよりこっちの方が好き。プレミアムになってから松屋の牛めし食べなくなったけど、先日、都内で久々に食べたら肉の少なさにびっくりした。それがあったので、プレミアムじゃない牛めしに大感激したのであった。
この店は駅から5分くらいで、手前に超おしゃれな吉野家があるので、安い牛めしで対抗しているのかもしれない。

2017年12月20日水曜日

小さな鳥

新しいカメラが威力を発揮するのは、小さい鳥を撮ったとき。
前のデジカメでは小さい鳥はあまりよく撮れませんでした。
今日は都心で木にとまる鳥を。
下の2枚は縮小してトリミング。木の実を食べる鳥が撮れました。


こちらは原寸大のままトリミング。かなり遠方の木の鳥。

テレビのアンテナにとまる鳥。縮小してトリミング。

新月。縮小のみ。実際はもっと暗いけれど、シャッタースピードをうんと遅くして明るく撮れます。

こちらは近所の公園の鳥。原寸大のままトリミング。はねあがる水が撮れている。

2017年12月18日月曜日

DVD&ブルーレイ祭り

アマゾンのサイバーマンデーで6枚3090円で買ったDVDとブルーレイ、そのあとアマゾンで買ったDVDとブルーレイ、そして、「レジェンド」はオムニセブンで買ってしまいました。

「暗黒街の巨頭」と「ヴィクター・フランケンシュタイン」以外はまだ外装のビニールがついたまま。
「サンダーボルト」はロードショーで見ているのですが、ジェフ・ブリッジスが魅力的で、好きな映画でしたが、なかなかソフト化されてなかったような?
「足ながおじさん」と「エルマー・ガントリー」はテレビ放送で見ていますが(ものすごく昔に)、ちゃんとした形で見たことなかったので楽しみです。
「バリー・リンドン」と「ロボコップ」はDVDを持っていますが、「ロボコップ」はディレクターズ・カット。「バリー・リンドン」はDVDがオリジナルのサイズで、ブルーレイはトリミングされているらしい。ただ、映像はきれいとのことで買っておきました(レーザーディスクを持っていたのだけど、そのサイズかな?)。
ブルーレイはまだプレーヤーを買ってないので見られません。「君の名は。」の4Kディスクがあるので4Kのプレーヤーとモニターを買いたいのだけど先立つものが。。。ブルーレイのポータブルプレーヤーをとりあえず買おうかと思案中。
しかし、ブルーレイがこれほど安くなっているとは驚きです。DVD3枚3000円とかでいろいろ買って見てないのがけっこうたまっているのだけど(映画館などですでに見ているものばかりなので)、ブルーレイがこんなに安くなるならDVD買いだめしなくてもよかったなあ。
「レジェンド」はオムニセブンで見たらアマゾンとほとんど同じ値段で、店頭受取&支払だと送料も代引き手数料もかからない、おまけに「君の名は。」を買ったときのポイントがあったので、安く買えてしまいました。写真の9枚で合計1万円未満(6枚3090円がきいてますが、「暗黒街の巨頭」が4000円以上する)。

2017年12月16日土曜日

「ヴィクター・フランケンシュタイン」

アマゾンのサイバーマンデーで買ったダニエル・ラドクリフとジェームズ・マカヴォイ主演の「ヴィクター・フランケンシュタイン」のDVDを見た。
この映画のことはだいぶ前から知っていたが、あちらで公開されたらあまりに評判が悪く、これは日本公開はないなと思っていたら、やはりビデオスルーであった。
この映画はメアリ・シェリーの小説が原作ではないし、タイトルにも彼女の名前は出てこない。
ボリス・カーロフ主演の「フランケンシュタイン」が直接の元ネタで、ラドクリフ扮するイゴールというフランケンシュタインの助手はカーロフの映画には出てくるが、シェリーの原作には出てこない。
ただ、カーロフの映画とも相当に違っていて、舞台はロンドン。時代は電球が出てくるので19世紀末だろうか。
ラドクリフ扮するイゴールはサーカスでピエロをしているが、独学で医学を学び、医者のようなこともできる。サーカスを訪れたヴィクター・フランケンシュタイン(マカヴォイ)にその技術を認められ、助手になる。
フランケンシュタインは生命を生み出すことにとりつかれていて、チンパンジーの死体をもとにして動物を作るところまで行っている。
それにイゴールとフランケンシュタインを怪しんでつきまとう刑事や、フランケンシュタインのスポンサーの若い富豪、イゴールのあこがれの女性などがからんでくる。
映像はなかなか雰囲気あってよいんだけど、やっぱり評判悪いだけあって、あまり面白くない。
人造人間を造るところがクライマックスなので、怪物は最後しか出てこないし、2人につきまとう刑事とかうざいだけだし、話も平板。ラドクリフはかわいいので、ファンはぜひ見たいと思うだろうけど、最近クレイジーな役どころの多いマカヴォイはなんだかなあである。
カーロフの映画をもとにしているのは、怪物がちょっとカーロフっぽかったりするところに出ているが、実はカーロフの映画ではフランケンシュタインの名はヘンリーになっていた。この映画ではそれを取り入れて、ヘンリーという名のもう1人のフランケンシュタインがいることになっている(詳しくは映画をご覧あれ)。このヘンリーのことが最後の部分の肝になるはずなのだけど、これもうまく機能してないのだ。
怪物を造るシーンはケネス・ブラナーの「フランケンシュタイン」に似ているし、怪物を造る主人公の思いもブラナー版からとったようなところがある。カーロフ版とブラナー版から少しずつ拝借した作り。でも、そういうところより、せっかくイゴール出したんだからイゴールとフランケンシュタインの絆をもっとうまく描いてほしかった。
ところで、最近、「フランケンシュタイン」とかメアリ・シェリーとか映画の題材によくなっているようなのだけど、2018年が「フランケンシュタイン」出版200周年であることに気づいた。それが関係しているのかどうか?

2017年12月15日金曜日

「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」

別に急いで見る必要はなかった「スター・ウォーズ 最後のジェダイ」。が、他の映画より1日早く予約が始まったのを目にして思わずポチってしまった。
というわけで初日に見たのですが、

なにこれ?
いまだかつてないほどつまらない「スター・ウォーズ」。
2時間半が4時間くらいに感じた。この映画、いつ終わるんや~な状態。
最初にド派手なアクションがあって、そのあとはなんだか禅問答みたいなのがえんえんと続き、その間、レイアたちが敵に襲われていて、どうやって逃げるかみたいなことをやっているのだが、全然話が転がっていかない。
「ローグ・ワン」も不満だったけど、この映画に比べたら何倍も面白かったわ、「ローグ・ワン」。
前作「フォースの覚醒」はまったく期待していなくて、2月になってやっと見たら、私好みの「スター・ウォーズ」で狂喜乱舞したのだけど、今回のはちょっとひどすぎる。こんな脚本でよくOK出たな、というレベル。エイブラムスに替わったライアン・ジョンソン(脚本も担当)が無能すぎるんじゃないの?と言いたくなるレベル。
もうとにかく話が全然進まなくて、おまけにアメコミ映画化よろしく善玉の内輪もめとかやってるし、前作の謎とか全然解かれないし、なんつうか前作から一歩も進んでない状態。あと、善玉の方の人たち頭悪すぎないか?
今回の映画は急死したキャリー・フィッシャーの遺作になるんだが、これが遺作じゃ死んでも死にきれないと言いたくなる。ただ、前作のレイアの髪型と衣装がひどすぎたのでなんとかしてほしいと思っていたが、そう思った人は多かったのか、髪型も衣装もがらっと変わって、プリンセスの気品が出ていたのはよかった。
しかし、前作は父息子の戦い、今作は伯父甥の戦い、と来たら次作は母息子の戦いになるはずなのに、フィッシャー、早死にしすぎ。
で、この映画、いつ終わるんや~状態がやっと終わるのが白い塩の下から赤い粉が出てくる戦いのシーンからで、このシーンからはヴィジュアル的にも見ごたえがあり、物語もようやく進んでいく。
あ、その前にベニシオ・デル・トロがちょっと出てくるのだが、このキャラも中途半端で生かせていない。この人物いつのまにかいなくなっていて、次回出てくるのかどうか。
この人物に限らず、全体にキャラをきちんと描けていないので、突然ラブシーンになったりすると、はあ?となってしまう。
デイジー・リドリーら善玉の方の若い主役たちがどうも小粒で華がないのが前作から気になっていたが、悪役のアダム・ドライヴァーに至っては、オレ、なんでこんな映画に出てるんだ?と思ってそうな気配。今年はドライヴァーの映画はこれで4本目だけれど、カイロ・レンは彼にとってはあまりやりがいのない役ではないかと思ってしまう(監督しだいかもしれませんが)。
とにかく、これまでの7本の「スター・ウォーズ」(+「ローグ・ワン」)と比較して、相当にレベル落ちたって感じは否めません。マーク・ハミルも前作のラストで期待したけど、だめだったなあ。
ロン・ハワード監督の「ハン・ソロ」は期待できるかもしれない。

「暗黒街の巨頭」(グレート・ギャツビー)

ローソンの機械の故障で受け取れなかったアマゾンの荷物をやっと受け取ってきた。
DVD5枚とブルーレイ3枚。このDVDの1枚が、1949年製作の「暗黒街の巨頭」。スコット・フィッツジェラルドの「グレート・ギャツビー」の2度目の映画化(小説と舞台版の両方が原作らしい)。
ずっと見たかったのだが、アマゾンのサイバーマンデーでいろいろ検索してたときに見つけた。ジュネス企画なのでちょっと高い。アマゾンでも4000円以上。画質音質はかなり悪い。
なんで見たかったかというと、アラン・ラッドのジェイ・ギャツビーは理想だと思ったからだ。
彼はレッドフォードの美貌とディカプリオのワルっぽさの両方を備えている。
パーティでイチャモンつけに来た男をぶん殴るなんてことはレッドフォードのギャツビーにはできない。
ギャング全盛の禁酒法時代に酒の密造で稼いだギャングとしてのギャツビーがしっかりと映像化されている(原作はそこまではっきりとは書いていないんだが)。
デイジー役のベティ・フィールドがまたよい。レッドフォード版のミア・ファローはおそらく彼女の演技を参考にしたのだろう。フィールドのデイジーをはすっぱにしたのがファローのデイジーという感じ。でも、フィールドの方が存在感がある(原作のデイジーの愚かさが足りないが)。
ベティ・フィールドは6年後の「ピクニック」ではキム・ノヴァクとスーザン・ストラスバーグの母親を演じているのだけど、「ピクニック」のときはまだ30代だったとわかった。
ほかにも有名な俳優が何人も出ているが、シェリー・ウィンタースのマートルがはまり役すぎる。が、出演シーンが少ない。もったいない。3年後、彼女は「陽のあたる場所」で主役の1人を演じる。
レッドフォード版とディカプリオ版が2時間以上もあって、どちらも長すぎると感じたが、この映画は90分ほどなのに実にコンパクトによくまとめてある。ギャツビーの過去の話とか、オールドスポートのこととかもしっかり入っている。
日本ではアラン・ラッドは「シェーン」しかないみたいに言われているが、このギャツビーの演技は非常によい。ロマンチックな面とギャングとして成功した暗黒面の両方を兼ね備えていて、デイジーへの真摯な思いもよく表現されている。ロマンチックな面しか表現できていないレッドフォードと、漫画でしかないディカプリオと比べて、ラッドのギャツビーは本当に理想的だと思う。
レッドフォード版はレッドフォード以外のメイン・キャストはみなよくて、特にトムのブルース・ダーンとマートルのカレン・ブラックの演技は特筆すべきものだった。ニックのサム・ウォーターストンも好感が持てた。スコット・ウィルソンもよかったし、ロイス・チャイルズはひたすら美しかった。
ラッド版ではニックとトムがやや平板な感じで、語り手のニックがあまり機能してないのと、トムとマートルの不倫があまりしっかり描かれていないのが不満だ。
そして、一番困るのが、ギャツビーがトムにデイジーと別れてくれと言うホテルのシーンから最後までが原作とはかなり違う解釈になっていること。
原作では話し合いのうちにギャツビーが暗黒街のビジネスで儲けたと知ったデイジーが恐ろしくなり、夫のトムに心を戻してしまうのだが、ラッド版ではデイジーは最後までギャツビーを愛している。
デイジーがマートルをひき逃げしてしまうシーンはレッドフォード版では描かれず、その後にトムたちが通りかかって事故を知るようになっていて、ここはあの映画の中では非常にうまい演出になっている。マートルの死に怒りと悲しみを感じるトムもブルース・ダーンの演技で的確に伝わってくる。
しかしラッド版ではデイジーがひき逃げする場面からずっとデイジーを中心とするシーンで描かれ、デイジーは運転していたのは自分だと正直に告白する。デイジーは一時的にトムに心を戻すが、やはりギャツビーへの愛は消えない。トムも訪ねてきたマートルの夫ウィルソンにギャツビーのことは言わない。しかも、そのあと、デイジーに懇願されて、ギャツビーに危険を知らせようとする。デイジーもトムもいい人になっているのだ。
原作ではトムやデイジーのような金持ちは自分のことしか考えていない人々で、それに対し、ギャツビーは違うとニックが言うシーンがあるのだが、ラッド版だとトムもデイジーもいい人で、しかし、ギャツビーはウィルソンに撃たれて死ぬ、という結末になっている。
この大事な部分をこういうふうに変えてしまったのでは映画としての評価が低くなるのはやむを得ないか、という気はする。
レッドフォード版は公開当時、評判が悪かったのだが、ディカプリオ版があまりにも漫画チックだったので、逆にレッドフォード版が再評価されてしまった感もあるし、私もディカプリオ版ができる前に大学の授業でレッドフォード版を紹介して、昔見たときよりも印象がよくなったのだが、欠点は多いにしても原作に一番近いのはレッドフォード版だと思う(最初の映画化は見てないが)。
ラッド版はアラン・ラッドが理想のギャツビーであることを思うと、いかにもハリウッド的なみんないい人のクライマックスと結末になってしまったのは惜しい。原作ではニックとジョーダンは別れてしまうのに、ラッド版では最後に結ばれるみたいになっているのも当時のハリウッドのハッピーエンド主義のような気がする。
細かいことでは、ラッド版ではイーストエッグとウェストエッグが逆になっている。船着き場の緑のライトは出てこない。

2017年12月12日火曜日

アマゾンの荷物がローソンで受け取れなかった件

アマゾンで買い物すると、私は代引きにしてローソンで受け取り、というのをずっとやってました。
ローソンはセブンイレブンに比べると店が少ないですが、それでも1軒は必ず近くにあるので利用していたのです。
が、郊外に引っ越してから近所のローソンでアマゾンの荷物を受け取ろうとするとなぜかトラブルが。
しばらくアマゾンで買い物してなくて、今年に入って新海誠の過去作のDVDを買ったのがこちらに引っ越してから初めてのアマゾンでしたが、そのときは店員がまったく不慣れで、渡すべき書類を渡してもらえず、あとから店に取りに行かなければならなかったのです。
そのとき、ここはあぶないな、少し遠いけどファミマにするか、と考えたのですが、その後アマゾンで買い物しなかったので忘れてしまいました。
が、今週月曜日までやっていたアマゾンのサイバーマンデーというセール。フォックスのDVDとブルーレイが6枚3090円。や、安い、と思って、DVD4枚とブルーレイ2枚を注文。それを受け取りに行ったら、なんと、機械が壊れていて受け取れなかった。
ローソンで受け取る場合、コードみたいなのを印刷して持っていけばいいのですが、私は番号を控えて行ったので、ロッピーという機械に番号を打ち込んでレシートみたいなのを手に入れて、それをレジに持って行かなければならない。が、そのロッピーが故障。明日の朝まで治らないと!
がっくりして帰ってきたんですが、機械が故障で受け取れないって、今日が受け取り最終日だったらどうするよ!
しかし、都心では何度もローソンで受け取っていましたが、トラブルがあったことなど1度もなく、やはりあの店はやめた方がいいのか?
あるいは、遠くてももっと都会の場所にある店にした方がいいのか?
実はサイバーマンデーのあとにまたDVDとブルーレイを注文したので、それと一緒に取りに行ってもいいんですけどね。あーあ、がっかり。

実はまだブルーレイのプレーヤーを持っていないので、4Kとブルーレイの「君の名は。」ボックスセットも見ていない状態。これはセブンイレブンで注文したのですが、同じ地元のコンビニでもセブンイレブンは実にスムーズでした。うちの近所、なぜかセブンイレブンが3軒もあって、さらに1軒できるとかいう噂。大丈夫か?
(追記 久々にオムニセブンで買い物しようとしたら、なんと、近隣のセブンイレブンはすべて受け取り不可に。やっぱりコンビニで商品の受け渡しをするのはミスが多くて大変なのでしょう。結局、電車に乗らないと行けないヨーカ堂で仕事帰りに受け取ることにしました。)

サイバーマンデーではまずDVDでほしいものをリストアップして、それからブルーレイで同じものがあるかチェックして、結局DVD4枚とブルーレイ2枚になったのですが、注文してしまってからリドリー・スコットの「レジェンド」のブルーレイがあったのに気づき、しまった、これを入れればよかった、と後悔したのですが、また6枚買うのもなんだし、というわけで今回はあきらめ。
この「レジェンド」、日本公開されたときは「キネ旬」に、だいぶたってスコットのムック本が出たときに再び、映画評を書いていますが、最初に見たのは輸入のレーザーディスクでした。
この映画、いろいろとトラブルがあったことで有名で、特にジェリー・ゴールドスミスの音楽がタンジェリン・ドリームに替えられてしまい、アメリカではタンジェリン・ドリームの版、ヨーロッパではゴールドスミスの版が公開されました。
日本ではなかなか公開されず、アメリカ版のレーザーディスクが秋葉原に出て、それを買って見たのが最初。そのあと、「トップガン」の大ヒットのおかげか、「レジェンド」も日本公開されましたが、確か他の映画と2本立てだったと思います。
うれしかったのは、日本公開版はゴールドスミスの音楽のヨーロッパ版だったこど。上映時間もこちらの方が少しだけ長く、アメリカ版よりもずっといい雰囲気になっていました。
ブルーレイは数年前に「ディレクターズ・カット」と銘打って発売され、サイバーマンデーに出ていたのもそれでしたが、アマゾンのレビューを見ると、どうもこれはヨーロッパ版のブルーレイで、それにシーンを付け加えたディレクターズ・カットも入っているとのこと。しかし、メインはヨーロッパ版なので、画質はヨーロッパ版がよく、ディレクターズ・カットは劣るようです。

まあ、「ブレードランナー」もだけど、スコットのディクターズ・カットはあまり信用してないんですよ。
特に「ブレードランナー」のメイキングの本を読んだら、スコットはあのディレクターズ・カットにはさほど熱心ではなくて、「ユニコーンさえ出ていればよかったのだろう」なんて書かれているのですね。
初公開版のときにいろいろトラブルがあって、対立もあって、ナレーションがしつこすぎた、エンディングが緑の大地はまずいだろう、デッカードはレプリカントにしたかった、それにはユニコーンを出さなくちゃ、みたいなのがあって、そういう思いをとりあえず編集したのがディレクターズ・カットで、ナレーションも少しは入れたかったとか、エンディングは砂漠にすべきだったとか、そういう理想の形には目をつぶった妥協の産物にに見えるのです。
スコット自身、ディレクターズ・カットの頃はさまざまなタイプの映画を意欲的に作っていたので、過去作の手直しとか、本当はあまり興味なかったんじゃないかと思うのですよね。でも、「ブレードランナー」が人気があるので、ファンにお応えする形で作り直して商売とか、そういう思惑もあったのじゃないかと。
実際、スコットが本当に「ブレードランナー」に思い入れているなら、続編を他人に監督させたりしないと思うのです。
新「エイリアン」シリーズの方は自分で監督してますが、こっちの方が思い入れがあるんでしょうかね。お元気なのはなによりで、がんばっていただきたい(いろいろイチャモンつけてますけど、これでも「デュエリスト」から見てるし、最初はかなり高く評価してた好きな監督だったんだけど、気がついたらわりと何でも屋の職人監督になってたので、心が離れてしまったのです)。

2017年12月11日月曜日

マックス・ボルンのこととか、試写室のこととか

グーグルのトップページにマックス・ボルンが登場している。
今日はボルンの誕生日なのだ。
ボルンは、1990年代にヴェルナー・ハイゼンベルクについての本を熱心に読んでいた私にとってはなじみのある物理学者だ。
ボルンはハイゼンベルクの師だったが、ユダヤ系なのでナチスのユダヤ人迫害から逃れるためにイギリスに亡命した。
アメリカに亡命したユダヤ人科学者には原爆製造にかかわった人が多かったが、ボルンはイギリスに亡命したため、原爆製造にかかわらなかった。
彼自身、原爆使用には反対の意志を持っていたようだ。
亡命しなかった弟子ハイゼンベルク(ユダヤ系ではない)についても、彼が決してナチス支持ではなかったと考えていたようだ。
ボルンは終戦後、ドイツに戻り、ドイツで亡くなった。

「鋼の錬金術師」のあと、映画を見ていないので、更新していなかったが、それ以前に試写で見た映画がいくつもあり、その中の1つ、「否定と肯定」が先週末に公開された。
原作者が来日してインタビューを受けているので、その記事で十分に内容がわかると思うが、いろいろ言われているように、今の日本と重なる部分が非常に多い。
ポスト・トゥルースとか、歴史修正主義とか、いろいろ考えさせるところの多い映画。原作者を演じるレイチェル・ワイズもかっこいい。

郊外に転居して、試写室が確実に遠くなったと思う。
初めて配給会社の試写室に入ったのは19歳くらいのとき。場所は銀座にあった東和。映画は「パピヨン」。キネ旬で読者対象の試写会を試写室で行い、応募して当選したのだった。うなぎの寝床みたいな細長い試写室だったのを記憶している。
プロとして試写室に入ったのはそれから10年後、京橋にあったワーナーで「グレイストーク」を見た。異色のターザン映画で、クリストファー・ランバートの出世作になる。
そのあとは試写室族になって、試写室でたくさんの映画を見せてもらった。
当時、試写室は京橋から新橋に集中していた。

京橋 ワーナー
銀座日比谷 東宝、東和、東映、松竹、UIP(ユニバーサルとパラマウント)
新橋 ヘラルド、コロンビア(現ソニー)
神谷町 フォックス

当時はディズニーはワーナーが配給していた。

あの頃の試写室というのは椅子はひどいし、かなり見づらい環境だったが、今は試写室はずいぶんと見やすくなっている。
でも、30年以上前の試写室で見た数々の映画を忘れることはできない。
東和で見た「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。キネ旬で分析採録をしたので2回見たのだが、2回とも、映画館では上映されなかった完全版を見ることができた。
この映画は有楽町マリオンの日劇のこけら落としになったのだが、そこで上映されたのは短縮されたバージョンだった。私の書いた分析採録もカットされた部分は削除されて掲載された(しかも誤植の多いひどい形で)。
日劇ではこの映画を見なかったのだが、その後、レーザーディスクで短縮版を見て、また、文芸坐でも同じバージョンを見た。試写室で見たのとは印象が異なっていた。
試写室で見た完全版を再び見ることができたのは、DVDだった。

映画評論家としては数年前から開店休業状態なので、試写状もあまり来なくなり、試写室に行くことも少なくなったが、試写室の思い出はとても多い。いろいろな意味で感謝したい気持ちでいる。

2017年12月1日金曜日

「鋼の錬金術師」

予告編を見たときから見たいと思っていた「鋼の錬金術師」。
原作は読んでいないけれど、だいぶ前に劇場アニメ化された映画は見ていて、テレビアニメの外伝みたいな位置づけだったので、原作知らないとよくわからんな感じの映画だったが、内容的には私好みの世界だったし、今回の実写化は原作どおりらしいし、なんといっても、予告では山田涼介のエドがなかなか決まっていてかっこよく見えたのと、CGすごそうだったので、それを目当てに。
さて、12月1日は映画の日、ということで1000円だったのだが、なんと、初日特典らしきものをもらってしまった。


左がチラシで、右が特典の小冊子。描き下ろしの漫画と、原作者と監督の対談が載っている。漫画は映画の前日譚のようだったので映画が始まる前に読み、対談はネタバレ注意とあったのであとで読んだが、別にネタバレしてないので先に読んだ方が映画の効果とかわかってよかったのになあ。むしろ漫画が、原作知らない人が映画を見た後に読むと、ああ、そうだったのか、とわかるところがある。
けっこう立派な小冊子で、得してしまった。明日は舞台あいさつの中継があるようだけど、明日も配るのだろうか?

さて、映画だけど、山田涼介とCGはどちらも満足できたので、目的は達成された。映画も原作読んでなくてもわかるようにまとめられていて、面白かった。
特にCGは、日本映画もここまで来たか、という感じで、ハリウッド映画に比べて遜色ない感じ。出だしにハリウッドのアクション映画のようにこれでもかのCGアクションがあり、そのあと、演出がちょっとだれた感じになるので、このまま行って大丈夫か、と思ったが、話が本筋になってくるとだれた感じもなくなり、面白く見ることができた。
ホムンクルスという人造人間3人組は最初から悪役で、あとは誰が悪役かというミステリーで話が進む。原作を知っている人だといろいろ文句のつけどころもあるだろうし、命のテーマも原作のよさだから、映画としてはやっぱりCGと役者ということになるのだろうけれど。

ヨーロッパ的な世界だけれど役者は日本人、というのは、「テルマエ・ロマエ」の成功があるのでそれほど違和感はない。イタリアにロケした古い町の風景も、神戸と長崎と札幌をブレンドしても別に違和感ないんじゃね?とか、明治時代の話にしてもいいんじゃね?とか思ってしまった。
最後に続編を予告するような映像があるが、ちらっと見せる程度で押し付けがましくないのがいい。
ただ、この映画、近所のシネコンではガラガラだったので、続編作れるのかちと心配ではあります。
見たいけどね、続編。

2017年11月30日木曜日

新しいデジカメ

12年使ったデジカメがついに寿命が尽き、先週、新しいデジカメを買った。
前のデジカメがパナソニックのFZシリーズだったので、今回もその後継にあたるFZ300。発売からすでに3年近くたっていて、そろそろ次が出るのではないかと思うのだが、いつ出るかわからないし、値段も下がっているし、鳥を撮るにはぴったりのようなので買った。
付属のCD-ROMがWindows10に対応してないのがなんだかなあ、だが、うちのパソコンはまだ7だし、別にこれ使わなくてもいいみたいだし。
4Kとかいろいろ撮れるらしいけれど、とりあえず、初期設定のまま外に出て、いろいろ撮ってみた。4日間で700枚ほど撮り、パソコンに移したら、全部で4ギガもあった。サイズが大きすぎる気がする。原寸大にするとぼけてる写真も多い。
しかし、この12年間のデジカメの進歩ぶりには驚く。
前のデジカメより2万円安いのに、クオリティはものすごく上がっている。
前のだと赤や黒が潰れてしまって、赤い花や黒猫がきれいに撮れなかったが、新しいのは紅葉も美しく、黒猫も真っ黒にならず、毛並みがしっかり写っている。
でも、前のみたいにペイントでちょこちょこっと加工してブログにアップ、という気楽なやり方ができないので、とりあえず、2枚アップしてみます。写真はクリックしてご覧ください。

なぜか冬に咲いているひまわり。原寸大で真ん中あたりをトリミング。

ダイサギ。これは80%に縮小して、やはり真ん中あたりをトリミング。

このほか、石の質感とか、前のデジカメでは表現できなかったものがいろいろ表現できる。
ただ、重いです。
こんなに性能なくていいから、軽いデジカメもあったらいいなあ、と思う今日この頃。

2017年11月27日月曜日

「静かなる情熱 エミリ・ディキンスン」

「婚約者の友人」に続いて、翌日もキネ旬シアターへ。見たのはエミリ・ディキンスンの伝記映画「静かなる沈黙」。この種の映画はやはりイギリスが得意らしく、ディキンスンはアメリカの詩人なのにイギリス映画で、出演者も一部イギリス俳優。なので、19世紀のイギリスとアメリカが日本では混同される恐れがある?と感じたので、少しばかり解説を。

詩には詳しくないので、ディキンスンの詩はまだ読んだことがないし(映画にはよく出てくるが)、彼女自身についても詳しくないので、この映画で初めてこういう人だったのかとわかったくらいだが、某大学で英米文学史みたいなのを8年半講義してずっと思っていたのは、イギリスだと18世紀末から女性作家が次々と出てくるのに、アメリカは19世紀だと紹介できる女性作家がほとんどいない、ということだった。
私は小説が専門なので、講義はまずシェイクスピアを紹介し、そのあとは英米の小説中心で話を進めたが、アメリカの19世紀では私が紹介できる女性作家がいないことがいつも気になっていた。
ディキンスンが重要な詩人であることは知っていたが、詩は扱わなかったので、ディキンスンは出てこない。小説はケイト・ショパンという女性作家がいるのだが、私は読んだことがない。あとは「若草物語」のルイザ・メイ・オルコットで、彼女は犯罪小説の作家として生計を立てていたが、今では「若草物語」しか読まれておらず、エンターテインメント作家なので文学で扱うのはちょっと、というところ。彼女の時代には犯罪小説などで生計を立てる女性作家が次々と現れ、イギリスにもそうした作家がたくさんいたようなのだが、この辺も私には専門外。

というわけで、イギリスとアメリカの女性作家事情の違いをひしひしと感じていたのだが、この映画でもそれは如実に表れていた。
アメリカ東部マサチューセッツ州に住むディキンスンは裕福な家の生まれで、宗教に対する反抗的な姿勢(本人はしごくまじめに考えているのだが、保守的な人々には受け入れられない)で学校をやめてからは家に閉じこもって詩を書いている。父の口添えで新聞に詩を載せてもらえるが、編集長は女には本格的な文学は無理という考え。お情けで載せてやったというような態度。しかし、海の向こうのイギリスではブロンテ姉妹やジョージ・エリオット(本名メアリ・アン・エヴァンス)、エリザベス・ギャスケルといった作家が活躍し、ディキンスンも妹や友人とその話をしている。イギリスでは18世紀末にアン・ラドクリフやジェイン・オースティンが登場し、19世紀に入ってから「フランケンシュタイン」のメアリ・シェリー、ヴィクトリア朝になると、ブロンテ姉妹などの女性作家が活躍するようになる。ブロンテ姉妹は最初、女性とはわからないペンネームで小説を出版したが、その後、女性とわかって本名に戻した。ジョージ・エリオットはずっと男性名のペンネームを使ったが、女性であることを隠してはいない。「フランケンシュタイン」は初版は匿名で出されていたが、その後の改訂版(現在翻訳されている版)では本名を出している(両親も夫も有名人なので、すぐに身元ばれただろう)。
こんな具合に、イギリスでも女性が名前を出しにくい、女性だとばかにされる、といった状況があったのだが、それでもイギリスでは女性作家が活躍していた。しかし、アメリカはその点、まだ遅れていたのか?
この辺、19世紀のアメリカ文学に詳しくないのでわからないのだが、19世紀アメリカ文学の女性像というと男性作家ヘンリー・ジェイムズの描く女性になってしまうのが苦しいところ。

「静かなる情熱」を見ると、当時のアメリカはイギリスよりも保守的だな、と感じる。
マサチューセッツ州のようなアメリカ東部だけの特徴かもしれないが、ピューリタン的な宗教的抑圧が映画には表現されている。
特に牧師が、イギリス文学とアメリカ文学では違うと思うのだが、イギリス文学では牧師はだいたい偽善的な俗物に描かれている。たとえば、オースティン「高慢と偏見」のコリンズとか、ハーディ「ダーバヴィル家のテス」のエンジェルの父や兄とか、エリオット「ミドルマーチ」のヒロインの夫とか。
一方、アメリカ文学では牧師が俗物とか、あまり記憶にない(うさんくさい説教師とかは出てくる)。アメリカの方がキリスト教を大事にしている感じが強い(イギリス人はあまり信心深くない印象)。
というわけで、「静かなる情熱」に描かれる宗教の抑圧を見ただけで、イギリス、というよりイングランドじゃないな、と思うわけである(アイルランドとか、カトリックの国はまた違う)。
そういった、一見、イギリス的なアメリカの東部社会だが、女性が文学をすることについては遅れていて、偏見も強く、そうした中で内向的で外に出ようとしないディキンスンがかたくなに自分を貫きながら詩を書き続ける姿が、映画ではまさに「静かなる情熱」という雰囲気で描かれている。
ディキンスンのかたくなさ、周囲の人々へのきびしさが、年をとるにつれてしだいに強くなっていくのも印象的だ。若い頃の反抗的気質が年とともにかたくなな不寛容になり、最後は妹に叱責されるほどになっていく。
ディキンスンの詩作そのものについてはほとんど描かれず、ただ詩が出てくるだけなのが詩人の伝記としては物足りないところだが、女性作家が活躍していたイギリスとは違う、アメリカ東部の保守的な世界が興味深い。
ディキンスンが亡くなる頃、ヘンリー・ジェイムズは「ボストニアン」でボストンのウーマンリブを描いている。ディキンスンの出て行かなかった外の世界にはもっといろいろな女性がいたのだろう、ということは考えておきたい。

2017年11月26日日曜日

「婚約者の友人」(ネタバレ大有り)

しばらく行っていなかったキネマ旬報シアターでフランソワ・オゾンの新作「婚約者の友人」を見る。
元ネタはエルンスト・ルビッチの映画とその原作の劇とのことだが、オゾンらしく何度もひねりがある。
第一次世界大戦終戦直後のドイツ。戦死したフランツ(原題)の両親と婚約者アンナの前に現れたフランツの友人を名乗るフランス人アドリアン。息子の死でドイツ人を恨んでいたフランツの父は最初、彼を拒絶するが、しだいに3人はアドリアンをフランツの代わりのように思うようになる。父は息子を戦場に送り出した自分にこそ責任があると思い、それが他のドイツ人の心も動かしていく。
と、ここまではヒューマンドラマふう。
が、オゾンならこのまま行くわけないのはわかっているし、どうもこのアドリアン、うさんくさいな、という感じがつきまとう。
そう思っていたら、実は(以下、ネタバレ大有りなので注意してください)





アドリアンは実はフランツの友人ではなかった。それどころか、フランス兵だった彼は塹壕でドイツ兵のフランツと出くわし、彼を射殺していたのだ。罪悪感に苦しむアドリアンはフランツの両親と婚約者に謝罪するためにドイツへ来たのだった。
ところがアンナが彼をフランツの友人と思い込んだため、成り行きで友人のふりをすることになってしまった。
アドリアンはアンナに告白し、両親にも告白したいと言うが、アンナは両親には私から話すと言って、アドリアンをフランスへ帰す。
アドリアンは目がぱっちりした美形で、フランツの方も美形なのだが、2人が友人だったという映像を見ていると、最初はこの2人は実はゲイの恋人たちだったとか、そういう方を予想していたが、違っていた。むしろ、アンナや両親の心の中でフランツとアドリアンが同一視されていくのだろう。ただ、まだ真相が明らかになる前に、アドリアンがホテルの部屋に帰ると、部屋に飾った絵がフランツの顔になり、動く、というシーンがある。この絵画のモチーフは後半、重要な要素になる。
アドリアンは罪の意識に苦しむまじめな青年であることはわかったが、ここに至ってもまだ、私はアドリアンはうさんくさいと思った。成り行きでフランツの友人だという嘘をついてしまった彼だが、真実を告げることでアンナや両親を苦しめるとはまったく思わないのだ。
特に両親はドイツ人への憎しみを改め、戦争で悪いのは若者を戦場に送る人間なのだと悟る。なのに、友人だと思っていたアドリアンがフランツを殺していたと知るなんて、これほど残酷なことはない。アドリアンも苦しいのはわかるが、真相を話すことで重荷を軽くし、その分、他の人に重荷を負わせることになるとはまるで思わないようだ。
アドリアンが嘘を撤回したあと、今度はアンナが嘘をつくことになる。両親に話した、というのは嘘で、彼女は両親とアドリアンの両方に嘘をつき続ける。そのことで罪悪感を感じ、司祭に告白するが、司祭はその方がよいことだから神は許してくれると言う。
苦しさのあまり自殺しようとさえしたアンナだが、やがてアドリアンを許す気になり、彼に恋心を抱くようにもなる。が、その頃からアドリアンの居所がわからなくなり、アンナはフランスへ彼を探しに行く。
ここからが今度は前半の裏返し、前半ではフランス人のアドリアンがドイツで白い目で見られたが、後半ではドイツ人のアンナがフランスで白い目で見られるという立場が逆転する展開になる。
そしてアンナがアドリアンを探し出したとき、もう1つのひねりが待っている。
やっぱりアドリアンはうさんくさいやつなのだ。
アドリアンがフランツの友人であり、フランツのかわりという嘘を受け入れたアンナは、またしてもアドリアンの嘘を知ることになる。
以下、もう1つのネタバレ。





アドリアンには婚約者がいたのだ。
幼馴染で、戦場で傷ついたアドリアンを支えた女性。
母親も息子と彼女が結婚することを望んでいる(と、アドリアンは言う)。
彼女の兄はフランツのフランス語版であるフランソワという名前で、やはり戦死している。
アンナと彼女、フランツとフランソワはお互いに鏡像なのだろう。
アドリアンはフランソワの親友だったというから、アドリアンとフランソワの関係と、彼とフランツの嘘の関係がやはり互いに鏡像になっている。
そして、アドリアンを愛する2人の女性。
別れ際のアドリアンは、まるで、本当はアンナを愛しているが、婚約者と結婚しないわけにはいかないのでアンナと別れるみたいなふるまいである。
アドリアンとフランツが親友だったのが本当であると思いたいかのように。
それはアンナの妄想なのか、それともアドリアンがやはりうさんくさいやつなのか。

戦前、フランスに留学していたフランツはルーブル美術館で見たマネの横たわる少年の絵が好きだったという。パリに来たアンナはルーブルでその絵を見るが、それは自殺して横たわる少年の絵だった。
アドリアンの家に着いた彼女は泊まるように言われ、部屋へ行くと、その絵がある。
アドリアンがドイツのホテルの部屋で、壁の絵がフランツに見えたように、この絵はアンナの妄想なのか。
アドリアンの嘘の中で、彼とフランツが一緒にこの絵を見て気に入ったというようなことがあったかもしれない。アンナの中でフランツとアドリアンが一緒になっているのだろう。
アドリアンの家を去ったあと、アンナは嘘をつき続ける決心をし、フランツの両親に嘘の手紙を書き、自分はアドリアンと一緒にパリで忙しくしていると嘘をつく。
そしてラスト、美術館でマネの絵を見るアンナとアドリアン。
2人とも、この絵が好きだと言うが、アンナが好きな理由は、希望があるから。
謎めいた結末で、これもアンナの妄想ではないかという気がするが、アドリアンもアンナも死にとりつかれているという共通点がある。アンナは自殺をはかったが、アドリアンも戦争による心の傷から自殺をはかったようだ。

アドリアンは戦争の犠牲者として描かれているので、私のようにうさんくさいと思う人は少ないかもしれない。実際、彼自身がうさんくさいというよりは、映画の中の彼の立ち位置がうさんくさいと感じる。この辺がオゾンの巧みなところで、アドリアンの映画の中の役割がうさんくさいのだ。
戦死したフランツが亡霊のように存在しているのではなく、アドリアンが実は亡霊のようにアンナを操っているのではないのか。

1930年代の映画を思わせるモノクロの映像が美しい。ときたま、そこにカラーがまじるのだが、カラーはラストだけの方がよかった気がする。あのマネの絵をカラーにするのが最大の目的だったと思うから。

エドゥアール・マネ「自殺」
画像のあったサイトと解説はこちら。http://musey.net/4253
この解説を見ると、この絵は映画の中の絵よりもずっと小さいようだ。ここにも嘘がある、ていうか、ルーブルにはないんだよね。

来年2月から国立新美術館でビュールレ・コレクションの展覧会が開催されるが、実はこの「自殺」はビュールレ・コレクション所蔵とのこと。新海誠展で手に入れたチラシには出ていないが、この絵が来日するかもしれないとひそかに期待している。
ビュールレ・コレクション公式サイトhttp://www.buehrle2018.jp/

2017年11月25日土曜日

新海誠展

国立新美術館で開催中の新海誠展へ行ってきました。
 右下が入口で渡されるスタンプカード。出口でスタンプを押します。11月は上の絵柄。12月は瀧と奥寺が写真展に入るシーンになっていて、両方ほしい人はリピートすることに。

カタログ。美術展でカタログを買うのはデューラー展以来二度目。なぜいつもは買わないかというと、実際に見た絵とカタログの絵が違いすぎるから。でもデューラーは版画なので印象が変わらなかったから買いましたが、今回もアニメなので同じ理由で。

カタログと一緒に買ったポストカードブックとカレンダー。

左は台湾で開かれる新海誠展。東京も3か月くらいやってほしかった。

朝日新聞の号外。

その裏側に新海監督インタビュー。

春の「君の名は。」展ではユキちゃん先生の黒板が撮影スポットになっていましたが、こちらは糸守の写真展が撮影スポットに。糸守写真展は「君の名は。」展のときは撮影できなかったのでうれしい。





さて、展覧会ですが、ネットにじっくり見ると4時間はかかるとあったので、8時までやっている金曜の3時半くらいに入館。が、全然時間が足りない。
入るとオープニングの映像が流れていて、新海誠の6作品のシーンが「君の名は。」の「夢灯籠」の曲とともに映し出されていきます。
そのあと、「ほしのこえ」の部屋に移るのですが、最初の絵コンテのところに人がたまっていて、全然見えない。どうせ1周したらまた戻ってもう1周すればいいから、と思い、そこはスルーしてその次から見始めました(美術館ではいつもそうやって2周しています)。
文章と映像が多いので、普通の美術展より時間がかかります。美術展では文章を読むのは邪道だ、という考えなので、できるだけ文章は読まずに絵に集中するのですが、今回はアニメ制作の解説とともに絵や映像を見る必要があるので、文章もある程度は読まないといけない。それを絵や映像で確認、と、どうしても時間がかかる。その分、大変勉強になるのですが。
3作目の「秒速5センチメートル」の途中にトイレと休憩室があり、そこでカタログを見たりコメントを書いて貼ったりしていたのも時間がかかった理由かも。
それでも「言の葉の庭」までは時間を気にせず余裕だったのですが、「君の名は。」の入口で時計を見てびっくり。もう3時間半もたっていた。
それでも閉館までまだ1時間あるので、それほどあせってはいなかったのですが、やはり時間がかかる。「君の名は。」展で見たのはあまり熱心に見ないことにして先を進めど、時間はどんどんすぎる。3D映像の作り方とか説明されているので、じっくり見てしまう。
閉館間際になってようやくクロージングの映像にたどり着き、これがまた見応えあるので3回も見てしまう。「スパークル」の曲をバックに、6作品のコラージュ。そこに6作品に共通するテーマが主役を演じた俳優たちのせりふと映像で次々と描かれていく。2つの画面を横につなげた横長の大きな画面で、そこに同時に2つや3つのシーンが映し出されるので、3回見ても全部把握できたかどうか。そして最後にアマチュア時代の短編「彼女と彼女の猫」の言葉「この世界が好きなんだと思う」で幕。
これを3回見て、時計を見たら7時57分でした。
そのあと、上の撮影スポットで写真を撮り、スタンプを押し、もう8時すぎてたけどカタログなどを買い、ようやく終了。長かった。
途中に新海監督の作ったCMの映像や、故郷の小海の写真が飾られているスペースもあり、そこで「彼女と彼女の猫」も流れているのですが、子猫のミミとのシーンがカットされているのが残念。あそこが一番好きなのにな。
新海監督が子供の頃や若い頃に影響を受けた本の展示や、小学生のときに親に買ってもらった初期のパソコンも展示されていました。
というわけで、やっぱり1回では無理だったか、という展覧会でしたが、けっこう体力のいる展覧会なので、もう一度行くのも考えてしまう。リピーター割引というのがあるらしいけど、半券をとられてしまうので、それはいやだな。
というわけで、興味のある方は早めに、体調を整えて、行ってください。金曜日の夕方から夜はねらい目のようです。

2017年11月23日木曜日

「ローガン・ラッキー」(追記あり)&「ジャスティス・リーグ」

近場のシネコンで「ローガン・ラッキー」と「ジャスティス・リーグ」をハシゴ。
どちらも予告編を見て、見たくなった。
「ローガン・ラッキー」はダニエル・クレイグがとにかくよさそうなので、それだけで見たくなり、「ジャスティス・リーグ」はやはりワンダーウーマン(ガル・ガドット)に再会したかった。
つまり、役者が目当てだったので、映画自体はそれほど期待はしていなかった。

「ローガン・ラッキー」は現金強奪作戦というよくあるテーマだけど、ソダーバーグらしい知的なひねりとユーモアが秀逸なので、あちらでは評価が高いのだろう。実際、これはコメディではないかと思うところが多かったのだが、日本人は笑うのがむずかしい。
刑務所で受刑者が反乱を起こしたときに、ジョージ・R・R・マーティンのシリーズものを全巻図書館に入れろ、と主張し、刑務所側がまだ全巻は出てないから、というやりとりをするところとか、ニヤリとしてしまうところがけっこうある。
登場人物が一癖も二癖もあり、それを演じる役者がまた面白いので、現金強奪よりもキャラで見る映画のような感じ。その中でもクレイグは際立っている。化学に詳しくて、変な爆弾を作るあたりも愉快。アダム・ドライヴァーやヒラリー・スワンクは強烈な個性が全開。
現金強奪の過程も誰にでもすぐわかるような描写ではなくて、あれ、どうしてこうなったのだろう、というのをあとから別角度から見せたりとか、結末部分の妙とか、現金強奪そのもの以外が面白いのだ。
最後に、強盗にあったのはあなただけ、という字幕が出るが、結局、映画の中の人物は誰も損をしてないということだろうか。
追記
ネットで、ある映画評論家がこの映画について書いている文章を読んだ。この人は、自分はこの種の映画に詳しいので、この程度のひねりでは満足できない、と書き、私が見ていない映画のタイトルをいくつかあげているので、そうなのかなと思った。が、そのあとに登場人物について触れている箇所で、「こういう人たちがトランプに投票したのだろう」と書いているのを見て、非常にいやな感じがした。
要するに、この人はウエメセでこの映画を批判しているのだが、自分の方が詳しいといばっていて、そのあと、こういう人たちがトランプに投票した、つまり、こういう人物たちはバカだとさらにウエメセしているわけだが、彼らはバカだろうか? いや、むしろ、田舎でくすぶっている優秀でモラルのある人たちなのではないか。一見おバカに見えるが科学に詳しい兄弟たち、足のけがでアメフト選手になれなかった兄とイラク戦争で片腕を失った弟、彼らはセクハラに怒り、差別に怒る人たちだ。一見おバカに見える現金強奪が、実は周到な考えのうちに行われた、セクハラ野郎のいるスーパーへの復讐と、自分と周囲の人が得をすることとを上手に行った完全犯罪だったのだ。
ウエメセ映画評論家のおかげでさらに考えることができたのはよかったが、こういう大事なところが見えない人に限ってウエメセなんだなと思う。トランプに投票しただろうとか、許せない。

「ジャスティス・リーグ」は「バットマンVSスーパーマン」の続きなので、見てないといろいろわかりにくいところもあるが、要するに、前作でスーパーマンが死に、そのために悪がはびこるようになってしまった世界で、バットマン、ワンダーウーマンたちが戦う、という話。
が、スーパーマンを死なせたままにするわけがない、ということは容易に想像できる上、スーパーマン役の名がタイトルで2番目にクレジットされているから、スーパーマンが復活する、と書いてももはやネタバレにはなるまい。
で、スーパーマンを生き返らせるときに、スティーヴン・キングの「ペット・セメタリー」がせりふに出てくるのが笑える。このせりふを言うフラッシュというキャラがコミックリリーフのようで面白いのだが、総じて男性ヒーローはワンダーウーマンに比べて華がない。特にバットマンとスーパーマンは演じるベン・アフレックとヘンリー・カヴィルがカリスマがなくて、ヒーローらしい雰囲気がまるでない。だから全体としてはワンダーウーマンがとにかく目立っていて、時代はもうワンダーウーマンなんだから彼女をメインにしてシリーズを作るべきでは、と思ってしまう。
物語はアクションシーンを並べて、あとはそれを適当につなぎました、という感じで、アクションとヒーローたちの個性以外はあまり見るべきところがない。そのアクションもアマゾネスの戦いが一番かっこよくて、時代はやはりワンダーウーマンだと再認識した。
エンドロールの最後に次回予告みたいなのがあるが、このシリーズに興味がないとどうでもいい感じ。

2017年11月19日日曜日

プラネタリウム

来年2月に閉館する有楽町マリオンの日劇3館のあとにプラネタリウムができると知って、渋谷の東急文化会館にあった五島プラネタリウムをなつかしく思い出した。
通ったのは小学生のときだけれど、大人になってからも1回くらい行ったような気がする。
東急文化会館が取り壊され、プラネタリウムもなくなってしまった。
今は池袋のサンシャインに立派なプラネタリウムがあるようだ。

さて、このところ続いている某市シリーズ。
戸定邸、ラーメンサミット、富田食堂に続いて、今度は市民会館のプラネタリウムに行ってきた。
常磐線の電車の窓から見えるので前から行きたかったが、土日祝日しかやってなくて、その日になると忘れてる状態。
が、先日富田食堂へ行ったら、市民会館すぐそばだったので、今度は憶えていた。
常磐線からよく見えるプラネタリウムの丸いドームだけれど、市民会館の正面からはドームが見えない。これは反対側の住宅地から見たドーム。

入場料は50円と激安。2回見るとカレンダーなどがもらえる。
定員80名だが、10人くらいしかお客さんがいない。しかも子供と高齢者ばかり。中学生以下と65歳以上は無料なんだが、ひょっとして、お金払ったの私だけ?

ここは地元出身の宇宙飛行士・山崎直子さんにちなんで、ナオコ・スペース・プラネタリウムという愛称がついている。正式名は市民会館プラネタリウム室。
下が山崎さんの写真とコメントがついたパンフレット、その下がチケットの裏。スタンプがきれいに押されている。そして右が帰りにもらえる星座早見盤。青い紙と、その下の白い紙を自分で切って折り曲げて作る。これだけで材料費50円くらいしないか? 全然赤字じゃん。でもがんばって続けてください。

プラネタリウムはさすがに五島プラネタリウムに比べたら全然しょぼいけれど、こじんまりとして楽しめる。今夜見られる星々の話、星座の話、そして来月のふたご座流星群の話があった。流星は彗星と関連していること、巨大な隕石の落ちる映像や昔隕石が落ちたあとのクレーターの写真なども上映された。「君の名は。」を思い出しながら見るとまた感慨深い。

帰りに戸定邸にちょっと立ち寄ると、紅葉の季節になっていた。
デジカメ壊れて携帯写真なので写りはあまりよくないけれど、中央奥の木は柿の木で、実がたくさんなっていた。

来年は隣の区に4Kのプラネタリウムができるらしい。入場料も500円くらいとられそう。
有楽町マリオンのプラネタリウムはどのくらいの規模なのだろうか。

2017年11月17日金曜日

「ラーメンヘッズ」試写&富田食堂

前の記事で紹介した映画「ラーメンヘッズ」の試写に行ってきました。
チラシとプレスシート。


4年連続首都圏のラーメンの大賞に輝いた「とみ田」の富田治氏に密着取材しながら、他のラーメン店も紹介、またラーメンの歴史も簡単に紹介されています。
全体としては、なんか、「プロジェクトX」みたいで、あまり新しさは感じませんが、松戸の景色がけっこう見覚えがあって親しみはわきます。
でも、常磐線とスカイツリーが映ってるシーン、明らかにスカイツリーが大きすぎるから合成じゃないのかなあ。
これは先日、戸定邸へ行った帰り、常磐線の線路の上を通る陸橋のそばから写したスカイツリー。ズームしてます。

映画には松戸神社も登場。同じく戸定邸の帰りで、薄暗いのでぼけてしまった。

映画を見た後、「とみ田」の店だけでも見てみるか、と松戸駅の近くをうろうろしたのですが、見つからず。あとから実は9月から改装のため休業中と判明。
かわりに見つけたのが「とみ田」直営の「富田食堂」。
食券を買ってから食べられるまで4時間という「とみ田」と違い、こちらは並ばなくても入れます。深夜まで営業。「とみ田」は富田氏が直接作っているけど、こちらはレシピに従って弟子の人たちが作っている模様。写真は前に車が停まっていて撮れなかったので、食べログから借りてきました。
店内には「ラーメンヘッズ」のポスターが貼ってあります。

ここはつけ麺よりも普通のラーメンが売りみたいですが、やはりつけ麺を。映画の中のチャーシューがものすごくうまそうだったので、チャーシューつけ麺、1150円にしてみました。基本のつけ麺は850円。

チャーシューすげえ。下の麺がものすごく食べごたえがあって、4時間たった今もげっぷが。明日の体重が心配だ。チャーシューはうーん、期待したほどでは。

つけ汁。映画で何を順番に入れるか見ていたので、興味深かった。

味は、うーん、私は家でカップラーメンしか食べない人なので、ラーメンのお味はよくわからないです。そこそこおいしかったけれど、ものすごくおいしい、という感じでもなかった。
器は「とみ田」のものとは違っています(チラシ参照)。麺が入ってる方は、全部食べると底に「松戸」の文字が。
次は普通のラーメン食べてみるかな。
「ラーメンヘッズ」見たあと、「とみ田」は無理でも「富田食堂」でつけ麺食べるのはそれなりにぜいたくな気がします。柏のキネ旬シアターで上映すべきだと思う。

2017年11月14日火曜日

「ラーメンヘッズ」

買い物をして帰ってきたら、「ラーメンヘッズ」というドキュメンタリー映画の試写状が届いていました。下はネットで見つけたポスター。

このつけ麺を差し出しているおじさんが日本一のラーメン屋「中華蕎麦 とみ田」の主人・富田治氏なのだそうです。
えええ、「とみ田」って、この前のラーメンサミットに出てたあの店。

地元の人気ラーメン店で、店に行っても食べられない、だからこのラーメンサミットに来た、と書いているブログもあったくらいの人気らしいのですが、日本一だったのか、知らなかった。
なにせ、私はラーメンといえばカップラーメンしかほとんど食べたことがない。外でラーメンとか、ほとんど経験なし。
映画ではこの「とみ田」を密着取材しているようですが、この「とみ田」の十周年記念イベントのために作ったという、「とみ田」と「飯田商店」と「蔦」の合作ラーメンも、実はラーメンサミットに出ていたのです。これだわ。「とみ田」と「飯田商店」ののぼりがありますが、右端の赤い丸が「蔦」のロゴの一部。

なんてことだ、バッファローチキンなんか食べてる場合じゃなかったんだわ。
まあ、来年もやると思いますけど。

映画「ラーメンヘッズ」は試写の回数が少ないので行けるかどうかわかりませんが、公開は来年1月27日とのことです。

追記
ラーメンサミットは「とみ田」の富田治氏の主催するイベントとのことです。
映画は世界の映画祭で上映されていて、近くの公園のイベントと世界の映画祭がつながってるのかと思うとちょっとびっくり。