2015年11月18日水曜日

教訓

「常識的に見て、異常に安くていいものというのは、どこかで必ず誰かが泣いているから、買わない」と言った友人がいた。
確かに、100円ショップで売っているものを作っているアジアの人たちはいったいどのくらいの賃金で働いているのだろうと思う。
最近、このコーヒーはフェアトレードで作られました、と書いてあるのを見るが、これは、ちゃんとした報酬を払っている農園で作られたコーヒーだという意味。逆に言うと、労働者を搾取して作ったものがけっこうあるということだ。
ブラック企業とか、本当にひどい労働条件は日本にもあふれているわけで、引越業界なんかもけっこうブラックじゃないの?と思う。
で、例の不動産屋が、契約した一部の客のために直々に引越業者に電話し、それで業者は安い料金でよいサービスを提供し、それで評判がいいということになっているが、私が不動産屋から薦められて自分で電話したら、高くてひどい対応、というのは、結局、「安くていいものは必ずどこかで誰かが泣いている」という、まさに、その「泣いている誰か」が自分になったのだということに気づいた。
自分さえ安くてよいものが手に入れば、他人はいくら泣いてもいい、と思う人は多分少ない。たいていの人は、自分がいい思いをする陰で泣いている人がいるということに気づかないのだ。私自身、今回の経験をするまでは、漠然と、アジアの安い賃金でものを作る人のことしか頭に浮かばなかった。

その不動産屋はその地域では老舗で、評判もよさそうだったし、私が契約したときには親切だった。しかし、今回、こんなことになったのはそこが紹介したからなのに、そのことについて責任をまったく感じていなかった。2か月しか住まず、その後の2か月は倉庫と化していたアパートについても無関心だった。
ある人のブログで、この不動産屋が非常にほめられていて、自分の周囲の人はみな、ここはよいと言う、と書いていた。その一方で、近くの別の不動産屋については、自分の周囲では悪い評判ばかりだと書いていた。どっちも知っているのでなんとなくわかるのだが、どうもこの地域はお客をお得意さんと一見さんに分ける傾向があるような気がする。自分の周囲の人たちには、こっちが評判がよくてあっちが悪い、というのは、この人の周辺の人たちがこちらではお得意さん、あちらでは一見さんなのではないか、と思った。この地域は私は30年間知っていたのだけど、最近は裕福な人でないと部屋が借りづらい、暮らしにくい、という感じがしていたので、そのせいもあるかもしれない。
この地域、と書いたけれど、そこはごく狭い地域で、他の地域はまったく違う。大学の近くで学生が多いところは大手のチェーン店と老舗の不動産屋が混在していて、まったく違う雰囲気。こっちはこっちでまたちょっと別の問題があるのですが。

いろいろな業界でも、一見さん歓迎のところと、一見さんは入りにくいところがある。
文芸翻訳なんかはわりと社交界的で、誰でも入れる業界ではなく、正直、うまいから仕事が来るわけではない感じが強い。翻訳家と作品で相性が悪いのに、その出版社でコンスタントに仕事してきたから作品あげちゃってるようなのもある。編集者がつきっきりの新人の頃はよかったけど、中堅になって編集者があまり口出ししなくなったら読めない翻訳ばかりになった人とか。
20年くらい前に、知り合いの知り合いくらいの人で、ジュヴナイル小説家になった人がいたが、編集者がきびしい人で、いじめられていじめられて泣きながら書いていた。でも、その編集者は優秀なので、指導のおかげで人気作家になった。が、優秀な編集者は栄転して去り、かわりの編集者が仕事できない人で、一気に本が売れなくなったと聞いた。
私も映画評論ではけっこういろいろ仕事させてもらえ、いい思い、楽しい思いをさせてもらえたけど、それを自分の実力だと思ったことはない。仕事を依頼できる立場の人たちに気に入ってもらえたということなのだ(感謝)。