2014年6月19日木曜日

「神戸」

「神戸」は終わっているのだろうか、なんてことをふと思ってしまった。
この「神戸」は神戸市ではないんだけど。
今を去ること30年前、そうまさに30年前の1984年でしたが、博士出てもアカポスなく、出来レースの公募に何度も応募しても書類は触ったあともなく返され、採用された人を見れば、私より劣った人ばかり、てなことの繰り返しだったとき、神戸大学から専任教員の公募に1人推薦せよと言ってきたから応募したら、てな話が指導教官から来た。
なんでも、東大、京大、阪大から1人ずつ候補を出させて、そこから決めるのだと。普通の公募と違って確率高いから応募しなさい、と指導教官は言った。
しかし、そのとき、私はすでにキネマ旬報で評論と翻訳の仕事を始めていた。当時は首都圏にいないと映画の仕事や出版社の仕事を続けるのはむずかしかった。しかも、公募なんて出来レースばっかりということも経験していたから、あっさり断ってしまった。
そして、私より1つ下の女性の院生が応募したが、だめだったのだそうだ。
当時は男女差別が今よりずっと激しかったので、おそらく男性候補を採用したのだろう、と周囲は言っていたが、私はあれは当て馬だったんじゃないの?と思っている。
当時も、なんとなく、女性を候補にしたら採用されない、と感じていたが、最近のSTAP問題で出来レースの当て馬の話を聞いて、ありゃ当て馬臭い、と強く思った。
まあ、当て馬でも応募した方が次につながるのかもしれないが、私はあっさり断っちゃったので、しかも理由が映画の仕事したいからだから、つまり、学問なんかより映画なんていう色物やってるやつってことになってしまったからか(?)、以後、アカポスのチャンスは完全に消えた(その前からコネなしだとだめなのはわかっていたが)。
今は大学で映画を研究して博士号を取り、アカポスに就職、なんていうのはよくあるみたいだが、私の頃は映画は在野のものだった。蓮実重彦教授も本来はフランス文学の研究者で、当時はまだ映画がメインの人とは思われていなかったと思う。
で、STAP問題で揺れる神戸の理研である。神戸大学とは関係ないんだけど、あ、iSP細胞の山中教授の母校だったね。採用されてたら山中教授を教えてたのかしらん(笑)。
さて、そのSTAP問題で改革委員会から神戸理研の解体を提言されてしまったわけなのだけど、それについて、まず、兵庫県知事が反対(つか疑問視)を表明。うーん、地元としてはなくなってほしくない? 笹井ビルの件もあるしな。
そして、小保方氏の採用担当だった人事担当の林氏が「あれは出来レースじゃない、3人候補者を立ててきちんと選んだんだ」とフェイスブックで反論。ついでに神戸新聞の取材にも答えています。
http://www.kobe-np.co.jp/news/iryou/201406/0007062913.shtml
この小保方氏採用人事は一応公募なんですが、小保方氏は応募締切までに書類を出せず、それでも候補者として面接、その面接当日に書類を出し、普通は英語のプレゼンを公開で行うのに、秘密にしたいという小保方氏の希望に沿って非公開で日本語の面接だけして、そしてその日のうちに採用決定。応募者は数十人いたという話ですが、実際は小保方氏と他の2人に声かけて3人を最終候補にし、小保方氏に決めたということです(30年前の神戸大学も3人だったんだよね)。
これだけでもかなり特異で、出来レース疑われてもしかたないのですが、人事担当の林氏は出来レースではないと主張、小保方氏が候補者の中で一番優秀だと判断して採用したとのことですが、どう見たって出来レース、他の2人は当て馬だろう、って思われてます。
そんなことはない、公明正大に選んだ、と主張する林氏ですが、上の神戸新聞のインタビューを読むと、なんと、「研究のプレゼンテーションも優れていると聞いている」え?採用担当なのにプレゼンテーションを聞いてなかったの?
実は、最近一番腹が立ったのはこの林氏の言い訳というか居直りの発言で、というのも、公募出来レースへの私怨があったからですが、さすがにこの林氏の発言には批判的な研究者がたくさんいて、ほっとしています。
何言うかわからないから書かない、と昨日は書いたけど、書いてしまいました。
神戸大学の件については、私は応募しなかったし、今となってはわかりませんが、神戸つながりで思い出してしまいました。