2022年11月24日木曜日

小説「ザリガニの鳴くところ」(ネタバレ大有り)

 先週末から公開の映画「ザ・メニュー」と「ザリガニの鳴くところ」。気になる映画なのだけど、コロナ後は映画はすべて映画館で見ていて、極貧の私にとっては映画代と交通費がばかにならない。なので、なんでも見るというわけにはいかず、この2本は迷った。

「ザ・メニュー」は評判はいいけど、どうも好みじゃない、なんとなくイヤな予感のする映画、なので、ネットのネタバレ紹介を読んだら、やっぱりイヤミスのようだったので、パスすることに。

そしてベストセラー小説の映画化「ザリガニの鳴くところ」。これ、ロッテントマトの評価がものすごく低い。どうやら原作どおりなのだが、あまりうまくいってない、特に、原作では最後に出てくる裁判シーンが映画ではかなり大きくなっているらしく、それがまたよくないみたい。

もっとも、観客の満足度は非常に高いので、観客にとっては満足できる映画化なのだろう。


ディーリア・オーエンズの原作は10月下旬に県立図書館で予約していた。市立図書館は予約数がかなり多かったが、県立は貸出中で予約は1番。が、なかなか本が来ない。県立図書館は本を回送するのが週に1日だけなので、本が返ってきてから予約の図書館に来るまでに最大1週間、予約者が受け取るのがそこから最大1週間、借りられるのは最大2週間、そして本が返ってきて次の予約図書館に回送するのに最大1週間、というわけで、私が予約する直前に誰かが予約していたら、私のところに連絡が来るまでに最大5週間かかってしまう。

というわけで、10月下旬に予約して、連絡が来たのが先週。日曜日に受け取って、やっと読めました。

翻訳で500ページもある長い小説だけど、すらすら読めるので、あっという間に読めてしまった。自然と動植物に関する描写はいいけれど、そこを抜いたら小説としては「マディソン郡の橋」レベルだな、だから受けるんだろうけど、というのが正直な感想。映画化はこれの劣化版だったら見なくてもいいや、という結論に(自然の映像は見てみたいのだが)。

というところでこの話は終わり、にしていいところなのだが、この小説、なにか既視感がある、どこかで読んだ話に似ている、という感じがつきまとっていた。

そして今朝、突然わかったのだ。

というわけで、以下、ネタバレ全開で行きます。


舞台は1960年代のアメリカ南部。湿地帯に住む少女カイアは、家族に暴力をふるう父のもとで育ち、やがて母ときょうだいは出ていき、父もいなくなり、1人で湿地帯の中で生活する。親切な黒人夫婦に助けられ、また、兄の友達だったテイトという少年から読み書きを教わり、動植物に関する知識を深める。やがてテイトと恋に落ちるが、動物学者をめざすテイトは村を去り、大学の世界とカイアの世界の落差を感じて、彼女との連絡を絶ってしまう。失恋した彼女に近づいてきたのは村の上層社会の息子チェイス。紳士的な態度で彼女に接し、結婚も口にしていたチェイスだが、体の関係を結ぶと豹変。別の女性と結婚することまでわかり、カイアは彼と別れる。テイトと再会したカイアはテイトの助言で湿地の動植物の本を出し、作家となるが、その後、チェイスの死体が湿地帯で発見される。目撃情報からカイアが容疑者となり、裁判が開かれる。

小説はチェイスの死体が発見されたところから始まり、それから幼いカイアが成長する過程と、殺人事件と見た警察の捜査が並行して描かれる。描写は視点が定まっておらず、そのときどきで視点が変わる。ただ、カイアの登場シーンが多いので、カイアの視点が多いのだが、裁判シーンになるとカイアの心理があまり描かれなくなり、実はこれがラストの種明かしにつながる。

この裁判シーンは小説としてはあまりうまい方ではない。それまでの長い湿地の動植物の描写の方がはるかによい。なので、最後の部分が弱いと感じる。そして、あの結末、うーん。

時々、アマンダ・ハミルトンという素人詩人の詩をカイアが口ずさむのだが、このアマンダ・ハミルトンの詩があまりうまくない詩で、たまに引用される本物の詩人の詩と比べると雲泥の差。で、このアマンダ・ハミルトンの正体が実は、というのが最後にあって、結局、この小説はカイアの心理が時々、説明されただけで、カイアの視点ではなかったのだと気づく。

で、この小説が何に似ていたかというと、

トマス・ハーディ「ダーバヴィル家のテス」。ロマン・ポランスキーの映画「テス」の原作。

以下、結末まであらすじを書きます。

テスはイギリス南部の貧しい小作人の娘。先祖は貴族のダーバヴィルだと知った父親が、近所にダーバヴィルという金持ちのお屋敷があるから親戚だと言って施しを受けてこいと言うので、出かけると、そのダーバヴィルは親戚でもなんでもない、金で貴族の名前を買った成金の家だった。

テスはそこの息子アレックに気に入られ、そこで働くことになり、やがて寝ているところをレイプされ、アレックの愛人にされてしまう。しかし、アレックを愛せないテスは屋敷を去り、実家に帰ったあと、彼女の過去を知る人のいない遠くの酪農場に働きに行く。そこでエンジェルという青年と知り合い、恋に落ちる。

エンジェルは牧師の息子だが、聖職者の欺瞞に嫌気がさして農業を志している。2人は結婚し、ハネムーンに出かけるが、そこでエンジェルが過去の女性関係を話したので、テスもアレックとの関係を話してしまう。テスは清らかな処女と思っていたエンジェルはショックを受け、テスのもとを去ってブラジルへ行ってしまう。

エンジェルを失ったテスは別の農場で働くがそこは非常にきびしい環境だった。その上、父が死に、家族が路頭に迷う。そこへアレックが現れ、家族を助けるかわりに彼女を愛人にする。

ブラジルで苦労したエンジェルは、テスにひどいことをしたと気づき、イギリスに帰ってくる。テスを探し当てるが、彼女はアレックの愛人になっていた。エンジェルが去ったあと、テスとアレックは口論になり、テスはアレックを刺し殺す。事情を知ったエンジェルは彼女と逃げるが、テスは警官に逮捕され、死刑になる。

テスがカイア、エンジェルがテイト、アレックがチェイスですね。

テスはエンジェルからは、自然の中に生きる清らかな女性として美化されていますが、カイアもそういう美化が作者によってされています。ハーディはさすがに美しく見える農村には貧困などのきびしい面があるということをきちんと描いていて、エンジェルによる美化を批判していますが、「サリガニ」の方はそういう面はほぼないです。自然破壊になる開発がちらっと出てきたり、60年代南部の人種差別がちらっと出てきたりしますが、おまけ程度です。

エンジェルとテイト、アレックとチェイスもそっくりです。

「ザリガニ」ではカイアは裁判で無罪になり、その後テイトと事実婚、2人で湿地帯の動植物の研究を続け、カイアが亡くなったあと、遺品の整理をしていたテイトが隠してあったものを発見して、実はカイアがチェイスを殺したとわかるのですが、カイアがチェイスを殺したのは、その直前にチェイスからレイプされそうになり、このままだとさらに暴力をふるわれると思ったからです。

カイアは父親の暴力の中で育ったので、こういう暴力をふるう男に対する不信感が強く、また、ホタルやカマキリのメスがオスを食べることから、チェイスを殺すことを考えたのでしょう。

「ザリガニ」は男性の暴力をかなり詳しく書いていて、そうした男性の習性を動物のオスに見たりもしていますが、これはおまけとは言えない重要な要素です。その結果としてのカイアのチェイス殺しなので、結末をこうしなければならないのは理解できますが、そこに至る描写の説得力があまりないために、意外な結末のためにそうしたみたいに見えてしまっています。

小説としては「マディソン郡」レベルだな、というのは、こういうところが小説としてきちんと描けていないからですが、こういう問題をしっかり描くと逆に売れないのかもしれません。

「ザリガニ」はアメリカの自然の中で生きる女性というテーマがいかにもアメリカ文学の伝統というか、そこがイギリスの「テス」との決定的な違いで、そこが受けたのだろうと思います。