2022年11月2日水曜日

「PIG/ピッグ」(ネタバレ全開)

 3日から始まるアルモドバルの新作「パラレル・マザーズ」。近いところではやらないので、行くとしたら千葉劇場かな、と思い、スケジュールを調べたら、ニコラス・ケイジの「ピッグ」が上映中。これは行かねば、と、すぐにしたくして出かけた。

千葉劇場は「マルクス・エンゲルス」以来。ここはチラシに劇場名が印刷されているのがいい。が、なぜか「ピッグ」だけ劇場名がない。



「ピッグ」はトリュフ豚を取り戻すためにケイジが戦う映画かと思ったら、違っていた。

(以下、ネタバレ全開で最後まで書くので、注意してください。)

豚を取り戻すためにいろいろな人に会っていくのだけれど、その過程で、彼自身や他の人々の人生が暴露されていく。

主人公ロブはかつては名シェフだったが、10数年前に山奥に隠居し、豚を使ってトリュフを見つけて売っている。豚を奪われ、トリュフのバイヤーの若い男と豚を探しに町へ出る。むさくるしい、さえない老人と見えたロブだが、町へ出ると、いまだに尊敬を集める名シェフであることがわかる。バイヤーの若い男も、不幸な人生を送った母親が唯一、幸せになったのはロブの料理を食べたときだったと語る。

かつての弟子に向かい、おまえは本物の自分じゃない、と言うロブ。そのせりふ、愚作にばかり出ているケイジ自身への言葉に見える。

パン職人の女性はロブに思いを寄せているが、ロブは10数年前に亡くなった妻を忘れられず、女性は片思いのまま。墓を守る女性はロブの妻への思いを理解している。

豚を奪ったのはバイヤーの父親だとわかったロブは、彼に鶏肉の料理をふるまう。この映画は3つのパートに分かれていて、どのパートにも料理の名前がついているのだが、最後のパートは鶏肉料理とワインと塩味のバゲット。バゲットはパン職人の女性の手になるものだ。

その鶏肉料理はバイヤーの母、つまり犯人の妻が夫とともに食べて幸せになったもの。豚を返そうとしない犯人は、料理を食べて本当のことを話す。豚をさらった連中が乱暴に扱ったため、豚は死んでしまった、と。

ロブは豚がいなくてもトリュフを見つける力を持っている。彼が豚を取り戻そうとしたのは、豚を愛していたから、と言うが、それは彼が死んだ妻をまだ愛していて、妻を取り戻したいと思っていたということだ。

豚が死んだとわかり、山奥に帰ったロブは、カセットテープを聞く。映画の冒頭で、聞こうとしてやめたカセットだ。それは妻がロブの誕生日のために作ったものだ。豚の死を受け入れたことで、彼はようやく妻の死を受け入れたのだろう。

豚を探す話、だと思ったら、実は、妻の死を受け入れるまでの物語だった。

豚が死んだと聞かなければ、心の中では豚はまだ生きていると思えた、と言うロブ。死の世界から妻を連れ戻そうとして振り向いてしまい、妻を永遠に失ったオルフェウスのようだ。

ロブは冥界を旅するオルフェウスのようであり、その過程で出会う人々の人生があらわになっていく、というところがなにより魅力的な映画だ。バイヤーの母は自殺しようとし、命はとりとめたが植物状態になっているらしい。バイヤーもその父も、母/妻のことが心の重荷になっている。自分が本当にやりたいことをやっていないと指摘される元弟子、ロブへのかなわない思いを抱き続けるパン職人、といった人々の人生がさりげなくあらわになる、そのあらわになる様子が心にしみる。

「パラレル・マザーズ」のスケジュールを調べていて、思いがけず見られた「ピッグ」だけれど、千葉劇場はスクリーンの真ん中あたりに白い点が2つ見えて、それがかなり気になったので、「パラレル・マザーズ」は別の映画館へ行くことにしました(すまん)。