2012年6月18日月曜日

偶然の訪問地

ネットで検索していると、有名な方のブログにたどり着いたり、無名な方のブログにたどり着いたりする。そこでいろいろな意見を読んで考えさせられることが多いので、大変有意義だ。
内田樹氏はグローバル化やグローバル・エリートについてきびしい批判をしていて、経済にウィンウィン(両方が勝つ)ということはない、片方の国が貿易黒字になればもう片方は赤字になる、と書いている。
ブロガーとしてはすでに有名人で、これから有名な経済評論家になるかもしれない、明日著書が出る倉本由香利氏は、ブログに、かつてアメリカでテレビの製造で成功したRCAが、その後、GEに身売りし、業績不振に陥っていたテレビ製造部門をフランスの企業に売って、かわりに医療機器部門を買い、成功したという話を書いている。
テレビ部門を売ったときは、その医療機器がどうなるかもわからないときで、会社の中心産業だったテレビ部門を売ったことには批判が多かったらしいが、結果的には成功した。こういうグローバル化が必要なのだ、と氏は説く。
確かに、行き詰っている会社の打開策としては大成功だったのだし、ビジネスマンは大いに学ぶべきなのだろう。
しかし、ビジネスマン、ビジネスパーソンでない人は、話の裏を見なければならない。
元RCAが売ったテレビ部門は、買った会社に利益をもたらしたのだろうか。もたらしたのならウィンウィンで、大変よいことである。しかし、そのことは記事には書いていない。
世間は成功者の話を読みたがり、失敗者の話は読みたがらない。でも、勝者の陰には必ず敗者がいるのではないか。その敗者にならない人はいいが、実際には敗者になる人の方が圧倒的に多いはずで、その人たちのために、内田氏のようなグローバル批判が必要となる。

無名の人のブログの中には、敗者の愚痴が書いてあるものがたまにある。検索に引っかかって、私が偶然にたどり着くようなものは、たとえ愚痴であっても、読むに値する内容がある。だから思わず読んでしまって、気がついたら朝になっていたりするのだが、最近見つけたブログに、長年文学賞に応募して作家をめざしていたが、いまだ地方の文学賞の最終選考どまりの方のブログがあった。年は50代前半で、日本の文壇、特に純文学の文壇に対する批判がいくつも書かれていた。私も出版界に多少は足突っ込んでいたので、わかるところが多かったが、同時に、この人の世界は狭いとも思った。
出版社は売ることばかり考えていて、そのために文学がどんどんだめになる、志の高い作家志望者は門前払いになっている、という。そのとおりなのだが、出版社に過去のような文学の志を求める時代はもう終わったと思う。そういう志を求めるには、日本という国が大きくなりすぎたのだ。だから、そういう志の高い文学を残したいのなら、商業出版社とは別の道でがんばるしかないと思うが、その方面で画期的なことをしている人ではない。
また、この人は純文学とエンターテインメントを分けるという昔ながらの二分法から抜け出していない。いまや、純文学よりエンターテインメントの方がレベルの高い作品が多いというのに。たとえ自分はエンタメ系はめざしていないとしても、エンタメ系の優れた作品を読むことで自分を高めることができるはずなのに。
内田氏の言説が受けている理由には、こうした社会の敗者(大多数は敗者なのだ)が生きるには学ぶことで自分を高めるしかないという主張があるからだろう。
内田氏の言説には、私にとってはどうでもいいことなので途中で読むのをやめたり、これはちょっとねえ、と批判的に感じるものもけっこうあるのだけれど、社会の中の普通の人(普通の人は競争社会では敗者または勝者ではない人)が生きるための道標を提示しているのは確かである。